80年生きてきた。振り返ると長い長い年月だ。でも、それほど長く感じられないということはどういうことなのか。
実際、今までの生が全く平穏だったとは思えない。やはり苦しいこともあった。辛いこともあった。しかし、今となってはほとんど其の苦しみは無かったに等しい感じになっている。
特に、定年退職後の20年は、苦労も楽しみのうちの20年だった。
定年後、今一番の生きがい、詩吟の教室が軌道にしっかり乗って、いわば一筋に進んできている。その間、社交ダンスを楽しんだり、パークゴルフに取り付かれたり、新しい楽しみが増えました。更に手稲文化協会の事務局長を引き受けるようになり、文化協会の勝手な言い方をすれば組織改革をやり、行事の企画推進を一手に引き受けてやってきている。三年前からは北海道詩吟連盟に加盟して、こちらの関係役員もおおせつかり、多忙を極める状況が続いている。でも、それらは、遣り甲斐のある、楽しみともいえるものだから辛く苦しいものとはならない。
そんなことで、退職後は楽しい多忙が時の経つのを忘れさせているのかもしれない。
身体的には、肺気腫が定年の年に判明したけれど、今まで、特に仕事や生活に困る所にいっていないのも有難い。
良寛の「人間の是非は一夢のうち」という感じが何かよく判るような気がします。
実際、今までの生が全く平穏だったとは思えない。やはり苦しいこともあった。辛いこともあった。しかし、今となってはほとんど其の苦しみは無かったに等しい感じになっている。
特に、定年退職後の20年は、苦労も楽しみのうちの20年だった。
定年後、今一番の生きがい、詩吟の教室が軌道にしっかり乗って、いわば一筋に進んできている。その間、社交ダンスを楽しんだり、パークゴルフに取り付かれたり、新しい楽しみが増えました。更に手稲文化協会の事務局長を引き受けるようになり、文化協会の勝手な言い方をすれば組織改革をやり、行事の企画推進を一手に引き受けてやってきている。三年前からは北海道詩吟連盟に加盟して、こちらの関係役員もおおせつかり、多忙を極める状況が続いている。でも、それらは、遣り甲斐のある、楽しみともいえるものだから辛く苦しいものとはならない。
そんなことで、退職後は楽しい多忙が時の経つのを忘れさせているのかもしれない。
身体的には、肺気腫が定年の年に判明したけれど、今まで、特に仕事や生活に困る所にいっていないのも有難い。
良寛の「人間の是非は一夢のうち」という感じが何かよく判るような気がします。