手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

友達はいたけれど、、、、

2005-10-28 22:20:39 | 思い出 2  現役関係
 小学校の時は、1学年上の山田真さんと仲良くしてもらっていた。永山農業では、「スズラングループ」というグループを組んで6人位でまとまっていた。どちらかというと悪仲間、勉強仲間とはいえなかった。
 大学では、金子三郎君と一番の友達だった。麻雀、ダンスの仲間で、いわば悪仲間、寮に入っていたときの仲間で今も年賀状だけはやり取りしている田中君がいる。でも卒業以来、一回もあっていない。
 勤めた最初の高校では成沢さんと気があって、囲碁と釣りと飲み歩きを随分楽しんだものだ。しかし、それそも転勤で全く疎遠になる。美唄では、組合関係の付き合いが多かった、一方麻雀仲間との付き合いも多く、付き合いの幅は広かったと思う。
 札幌に来て、結局いい友達だったのは飲み友達、特にFさんとTさん。三人で手稲でよく飲んだものです。その頃のことを思い出すと「手稲っていいね」と言いたくなる。
 学校の仲間づきあいも悪くは無かったのだけれど、多くの友達が管理職として転出、管理職になると付き合いがしにくくなる。飲み友達の三人が退職後も、飲み歩いていたのですが、Fさんが喘息・肺気腫で動けなくなり。Tさんとは最近までまだ付き合っていたのだけれど、詩吟で私が独立した関係から離れることになった。
 いろいろ書いてきたけれど、遊び友達ばかりで、共に精一杯生きることで付き合う仲間がいなかった。結局、親友という人をもてない人生を送ってきたのです。
 上っらだけの付き合い、そんなことになるのでしょうが、でもそんな友達は結構多いのかもしれない。
 いい仲間で、他界した人も多い。惜しい人が早くになくなった。
コメント
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