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手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

「老愁は葉の如く 掃えども尽くし難し」 館 柳湾

2020-03-24 19:33:15 | 随想

 江戸時代後期の詩人、館 柳湾の「秋尽く」の転句です。83歳で亡くなったといいます。80歳ころの感慨だと思います。
 私も4月2日に90歳となる。この詩の起句は「静裏空しく驚く歳月の流るるに」とあります。現役でその仕事に熱中しているときは、歳月の流れなど気にならない。時々もうこんな歳になったかと思ってもそれが愁いとはならない。私も85歳を過ぎるころまでは老いの寂しさを知らなかった。
 何もすることもなくなっている自分と向き合い、かつて時間を惜しんで打ち込んだ頃のことを思いだしても、それは帰らぬ過去のことです。今何もすることのない辛さ、「ああ老いたり」と己を見つめる日々。多忙な若いころは、休みはうれしい時間だった。それがあり余る時間をもて余している。本当に学があり、老いてなおなすべきことに没頭できている方には老愁なんて関係ないのかもしれないが、凡人の私には何もすることのない日々は得体の知れない圧力で押しつぶされるような毎日になる。過ぎ去りし過去の中には後ろ髪引くいろいろの思出もある。過去を振り返っても、それは老いを癒すものにはならないのです。まだ詩吟の教室を一つ抱えている。これが最後の生き甲斐です。これに集中することが、愁いを押しのけるただ一つの道だと思う。

コロナウイルス 肺炎 

2020-02-11 19:13:41 | 随想

 もう記事にするには遅いのだけれど、武漢を震源とするこの肺炎どこまで、いつまで続くのか見当もつかない蔓延の仕方だ。

 今の時代なら新しいウイルスが発見されて、処方薬がすぐにでも開発され対応できそうに思うけど、そうはいかないみたいだ。たった一人の患者が乗船していたばかりに多くの乗客に罹患が表れ、侵されているかどうかわからないが、患者とあまり近い生活のなかった方も、菌の潜伏期間の過ぎるまで下船が許されなくて船に閉じ込められている。留められていた乗客からも患者が出始めているようだ。3千数百人の乗客全員の検査をすることになるみたい。

 一日も早い抗菌薬が作られるといいのだけれど、できたとしても世界中の需要に間に合わせることは難しいことだ。ところで、重傷者と軽傷者がいると報じられているが、軽症者は肺炎の症状が収まっても、コロナウイルスを保菌したままなのでしょうね。ということは、回復しても保菌者ということなのでしょうか。
 武漢の街は町としての機能を失ったように見える。日本の自動車関係の工場がいくつかあるようですが、稼働させることができるのでしょうか。

 また、あの広大な中国、しかし、今や高速交通網が整備されて、国中の交流が容易になっている。たった一人の乗客で豪華客船が乗客を降ろすこともできなくなる。こんな勢いの強いウイルスです。中国全土に広がらないという保証はありません。

 結局今は成り行きに任せながら努力するしかないのでしょうか。私たちのところまで来ないでほしい。私は12月に肺炎で入院して対してきてはいますが、それで免疫ができたわけでないのでしょうから恐ろしい。</div>

冬の峠が終わったみたい

2020-02-11 19:13:41 | 随想
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 天気予報通り、今日は暖かな日となった。最高気温9度ほどに上がったみたいです。昨日まで冷下の気温が一気に9度まで上がるのも異常な気がするけれど、冬の峠を越えたということですよね。明日、明後日とこんな天気が続くようです。日も伸びています。17時でもまだ明るい。16時には暮れていた時から見ると春がそこまで来ているように感じる。
 
 これからまだ雪は降るけれど、雪の腰が弱くなっていて、溶けるのが早くなる。でも、一度は猛吹雪の日があるはずです。それを私は私なりに春一番と称しています。でも、異常気象の昨今ですから、それも来ないかもしれない。
 
 今年の冬は本当に有り難かった。12月に入院し、酸素ボンベを引っ張る身になり、除雪をする体力が無くなっていて、家内にすべてを任すことになっていた。家内はスコップの使い方もわからなければ、力もなくて、ドンナことになるのかと心配していたけれど、ほとんどロードヒーティングだけで間に合った。何回かブルトーザーの置いて行った車道の雪、どうしようと思ったことがあったけれど、kIさんが、来て忽ちきれいにしてくれた。もうKIさんにたよりっぱなしにすることにしました。
 
 今日は午前中家内が買い物に行くので車で連れてゆきました。最近酸素ボンベを使わなくてもいいような状況になってきているので、天気もいいからボンベを持たないで行きました。ホクレンショップとJR生鮮市場の二か所、カートを押しながらお供をしましたが困ることがなかった。午後、西友に眼鏡の調整で出かけましたがこの時もボンベなしで済ませました。
 まだ寒い日は酸素を使わなければならないと思うけれど、春になって暖かくなったら酸素から解放されるように思います。

 この病気で、要支援1という障碍者認定を受けました。3月から週一回リハビリーに通うことになります。家内が数年前から行っていて、今度家内と一緒にリハビリーに通うことになるようです。

学ぶ・・・・

2019-08-01 19:43:10 | 随想
 90歳にもなってこんなこと書くのも変なのだけれど、勉強すべき時に不勉強で過ごしてきた。要するに不勉強な学生生活を送ったということです。今更後悔しても仕方がない。就職してから苦労したということはるけれど何とか仕事をこなして退職した。

 学生時代勉強をほとんどしなかった。でも、学生だから許されるような遊びをしてきた。真面目な多くの仲間に置いてゆかれる学生生活だったけれど、まじめな方にはできない遊びを楽しむことができた。 まじめに勉強すれば優等生にもなれたはずだという自負はあるけれど、負け惜しみでしかない。

 定年退職後が私の本当の人生になった。人間は死ぬまで学び続ける、それで生涯学習という言葉か使われます。

 何人にも読んでもらえないブログを今日も書いている。これも生涯学習の一端なのだ。

 派手な活動はないけれど、詩吟の活動、文化協会での活動、町内会での活動、その他もろもろの場面で普通以上の活動を、学びながら努力してきた。仕事もした、遊びも楽しんだ。

 もうこれから学ぶことは知れているけれど、学ぶ気持ちだけは持ち続けたい。

明日は六月だ

2019-05-31 19:25:07 | 随想
  五月は北海道ではまだ春なのだけれど、今年の5月は真夏日が何日もあり、おまけに雨がほとんど降らないできた。そして、もう5月が終わった。明日から本来の夏6月になる。

 6月に入ると間もなく北海道の一大イベント、「よさこいソーラン祭り」が来る。そして札幌夏まつりへと続く。私の現役のころは札幌祭りが夏服への衣替えの時期だった。今は6月に入れば夏の服装になる。

 ヨサコイ祭りの最初のころは見学に出掛けたものだった。盛んになるとは思っていたけれど、こんなすごい祭りになるなんて全く想像できなかった。オール北海道の祭りになるとは思っていたけれど、今や全国規模どころでなく、国際化してきている。凄い祭りになりました。よくまあこんなに揃えることができたものだと感心させられる。北海道の夏はこの祭りから始まる。

 私にとっても6月は大事な月になっています。今年で34回となる碌峭会交歓吟詠会を6月18日に開催するのです。3月から進めてきた開催についての諸手続きもほとんど終わり、あとは当日の成功を期すだけですが、終わってみなければわかりません。今年は54名での会になります。私の体力もほとんど限界に近くなっていて、今年は何とかなるけれど、来年の保障はでき兼ねる。それだけに今年の会を大事にしなければならない。

 

 

明日から大型連休

2019-04-26 19:11:59 | 随想
  平成をしめくくるためにそうなったのか。明日4月27日から10連休になる方が多いみたい。連休が明けたら令和での仕事となる。現役だったらとてもうれしいことだし、どこに出かけるかと悩んだりしたと思う。

 今は歩くこともままならず、車で目的地に行けても、歩くことになるとアウトなのです。従って十連休を眺めるだけです。

 こんな体だけれど、軒下畑は今年も何とかしなければなりません。シルバー人材センターに依頼して、毎年来ていただいている方に今年もお願いしてもらった。電話で5月1日に耕しにきてもらうことになりました。

 畑の準備ができたら、後は私がやらなければならない。家内は全く頼りにならないのです。私は畑仕事といえる仕事はほとんど無理なのです。ほとんど腰掛を使って座って仕事をする、それも立て続けに仕事をつづけることが無理なのです。言えば、畑仕事は土台無理になっているのです。それなのに・・・。

 家の前の花畑、植えてある草花が次々と花を開いている。梅の花も咲いている。水仙が今は盛り。それを追ってチューリップの蕾が膨らんでいる。手入れをしたいと思うけれど駄目です。スコップを使っての仕事はできないのです。

 それでも見かけは元気そうなのです。89歳と2ケ月、数え歳90歳とは見えない。ほとんどの人が70歳代といってくれる。それに詩吟の先生をまだ続けているのです。不思議なことに、詩吟で声を出すことはそんなにつらくないのです。詩吟に限れば、あと二年は持つのではないかと思ったりしていますがどうでしよう。それをかなえて区切りたいものです。

新元号 「令和」 

2019-04-01 19:25:56 | 随想
  11時30分発表うということで、テレビの前で待ち続けていました。11時39分だったでしょうか菅官房長官が入場、「新元号は れいわ 」といって額をかざした。「令和」、原典は万葉集゛とわかった。初春の梅の花を詠んだ和歌の中の「令月 風和」から取られたということが分かりました。午後詩吟の教室に行き、「元号決まりましたね」といってみましたがあまりよい反応がない。そこで「令」という字が少し硬いように感じますよね、「命令」とかという言葉がすぐ思い浮かびますもね、でも実は「令」はこんな使い方があります。「令嬢」は美しいきれいな女性に使いますよね。といったらみんな納得していた。そこで「令月風和」と四字熟語にして板書して、「美しいお月様と、和やかな風」そんな中で梅の花が咲き、風が花の匂いを運んでいる情景を想像するととても素晴らしい言葉になりませんかといってあげた。

 「平成」と書いた額を小渕さんが掲げている姿がまだ目に残っているうちに、この「令和」の額を見ることになりました。私、明日が誕生日で、89歳になります。平成3年に定年退職して、今を迎えています。定年退職からの人生が私にとっては一番充実していたと思います。平成は私にとって「花の平成」だったと思います。その締めくくりのようにして昨年の暮れ・札幌市から「社会教育功労者賞」をいただきました。そして90歳目を明日から迎えるという時に新しい元号が定まったというのも何かの縁でしょうか。「花の平成」にピリオドをつける区切りの年号になったように思えます。

新元号まで後一週間

2019-03-25 19:54:38 | 随想
  平成になったときはまだ現役だった。何かとても優しい感じを受けました。たた少し迫力に欠けるような感じを受けたのでしたが、次第になじんで気持ちよく受け入れていました。平成3年に退職して、退職してからがかえって多忙になりました。詩吟の教室が急速に大きくなり、更に手稲文化協会の事務局長を引き受け、倒壊寸前だった手稲文化協会を立て直し、新しい事業も発足させ今の文化協会にしてきた。また 詩吟では、岩見沢に本部のあった 象堂流を退会して、独立し北海道詩吟連盟に加盟させていただいてそれなりの活動をしてきた。途中札幌西支部の総務部長を仰せつかり6年ほど仕事をさせてもらいました。このころは、詩吟の教室も5つなり、それに文化協会事務局長、西支部総務部長と息つく暇もないくらい忙しいこともあった。文化協会で一番力になってくれた俵先生曰「村川さんは死ぬ暇もないね」というありさまだった。振り返ってみる「平成」は私の一番充実した時代だったといえそうです。

 昭和5年生まれの私は昭和を生きました。貧しい時代、敗戦後のみじめな生活、しかし敗戦から立ち上がり、敗戦で何もかも失ったような状況から、いち早く抜け出し、先進国の仲間に入った行ったのでした。どん底の生活から、どんどん抜け出していった姿は、私は素晴らしかったと思つている。時々、「俺の昭和が遠くなる」と新沼謙治さんの歌をラオケで歌ったりしている。

 今度は、「俺の平成遠くなる」といえるまで、生きれるといいのだが。

 元号に絡んで思うことがある。戦時中天皇は「朕」と称していました。その意味がよくわからないまま、要するに天皇は自分を「朕」と呼ぶのだと思っていた。實はこの「朕」なる言葉は,秦の始皇帝が、当時民間でも自分を「朕」と称していたのを、皇帝だけの呼称に決めたのです。その中国の歴史を取り入れて天皇を「朕」と呼ばせたのでした。日本の文化の底流に中国の哲学、文学が色濃く流れていると思います。今までの元号の大多数は中国の文献から選ばれて来たといいます。今度はどんな元号になるのか楽しみです。

今日本が軍備拡張をして、みんなが国旗をかかげたら・・・

2019-03-13 19:12:55 | 随想
  日本も核武装すべきだといった偉い方もいた。政府は憲法改正をしたいといってる。その狙いは9条にあるのでしょうが、現実的には自衛隊を軍隊のように活躍できるようにしたいのではないかと思う。今でもかなり軍備は整えられつつあるように思う。しかし、憲法の歯止めがあるので、あくまでも自衛隊としての存在でしかない。

 振り返ってみると、終戦後、この戦争放棄がお大きな力になってくれた。再軍備に掛かる費用を戦後の復興費に回せたのだし、朝鮮戦争に加担することなく済み、中東の紛争にも派兵ということをしないで済んだ。

 今の世界情勢は北朝鮮の核武装、中国の軍備拡張と、平和であるはずの世の中がとても緊張した状況下にある。日本を取り巻く情勢はアメリカとの安全保障が日本の防衛力として機能しているだけだ。尖閣列島問題も、中国がいつ力で取りに来るかわからない。中国は沖縄も中国の領土といってるみたいだ。今の沖縄の基地反対運動を陰から応援しているかもしれない。今の日本の防衛力で、アメリカが基地を撤去したら丸裸になってしまう。アメリカの力を借りなくても自前で防衛できる一定の軍備を自衛隊に持たせて行くべきかもしれない。

 今9条を廃棄して、自衛隊を軍隊としたらどんな反響が出るでしょう。北朝鮮の二の舞みたいな格好になるかもしれない。

 何か韓国とか中国にいいたい放題のことを言われているけれど、まともに言い返すこともできないみたいな、何か見下されているような姿は何か情けない。せめて学校の入学式や卒業式には、堂々と国家を歌い、国の祝日にはどの家にも国旗が掲げられるようになりたい。いろいろな国際大会が報道される。その折、国歌が流れると、どの国の選手たちも、右手の手の平を左胸のあたりに置いて誇らしげに聞いている。日本はサッカーの選手が肩を組みあうようになってきたのはうれしい。だけど他はどうしたらよいのかといった風情に見える。

 国民としての誇りは、軍隊が強いことではない。高い教養と知性と礼を知る国民性だと思う。ノーベル賞もたくさんの方がただいている。各種のグランプリもいただいているし、国中のどこに行っても綺麗で、国内の格差をひどく感じさせるようなところもない。世界に誇れる国であり、国民だと私は思っている。

 もっと国を愛し、誇りを持ちたいものです。

 

 

物言わぬ日本人

2019-03-08 19:30:38 | 随想
 北方領土問題で、何か平和条約締結と二島返還が実現するような錯覚を覚えた人が多いと思う。二島返還がありそうだと日本の国内にそんな気配が盛り上がりかけたら、ソ連は北方領土の住民投票をやった。当然のこととして返還反対となった。日本で返還されるべきかを問うたら間違いなく四島返還となるでしょう。平和条約の交渉の中で北方領土問題が交渉事項に取り上げられるかどうかも危ないけれど、取り上げられても、二島返還を受け入れるといった時に受けなかったこと、そして今やロシヤ人が生活し、返還には反対しているといって引かないでしょう。これに対し根室で大規模な返還要求デモをやったとしたらどんなことになるのでしょう。相手にもしてくれないで益々条件が悪くなると考えるしかないのでしょう。

 韓国のあの無法な態度も黙ってみているだけみたいな感じになる。そんな日本を見下しているのでしょうか。今の世の中で軍備拡張などらないようなものだけれど、中国の軍備拡張は目を見張るものがある。それに対抗するアメリカ、核武装をしてアメリカと対等のような顔をしている北挑戦。

 戦争放棄という憲法を持って、軍隊を持つことのできない日本。国旗を戦時中みたいに掲げて胸を張れる日本でありたい。そのためには、安保無しにも国を守れる体制を構築しなければならないのではないでしょうか。しかし、憲法改正もままならない状況だし、国旗を掲げ胸を張り、まともに反論していける国になるのは難しいのかもしれない。だがすごく情けない気がする。