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手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

詩吟 教室 みんな頑張っています

2020-11-09 20:14:02 | 詩吟関係

 霰のような雪降り、2センチくらい積もったのかもしれません。この冬初めての雪、でも重たい湿った雪ですから、滑りません。数日で解けるでしょう。
 教室、SUさん今日は休みの日。他の方は全員来ていました。MAさん、どうやら12月審査間に合いそうです。律詩に入っているのですが、素読とても良かったので褒めてあげました。ITさん、半高音Aの回しが今までは問題なく出来ていたのに今日は躓いていました。でも審査に間に合うでしょう。KAさん素読が良くなりました。吟も声が腫れるようになってきました。ただ全体的に詩文の読み込みが足りません。文意に応じた思い入れができません。KJさん、今日は声がつつかなかった。お腹の使い方がまただ理解できていないのだと思います。残り審査関係なしの方には、三級から一級までの三題を吟じてもらいました。ここで本当は休みを取るのですが、休まずに「折楊柳」を一吟づつやってもらって終わりにしました。
 ひどい雪だったのに全員出席。うれしい。みんな詩吟が好きになってくれていると思う。私はどうしょうもない吟になっていますが、それでも認めて暮れています。まだまだ頑張ります。

「峨眉山月半輪の秋」 李白

2020-09-27 20:15:13 | 詩吟関係

 表題にした句は、私の好きな「峨眉山月歌」の起句です。「峨眉 山月 半輪の秋」(がび さんげつ はんりんのあき)と読み下されています。中国語ではどうなのかわかりませんが、この訓読はとても素敵です。
 この句を意味を大切にして読むと「峨眉山 月 半輪の秋」(がびさん つき はんりんのあき}となる。比較したら、詩と散文の違いになる。「詩」特に定型詩の場合は音数律がとても良いリズム感を生み出すことになる。
 私たちが詩吟で扱う漢詩は訓読された、日本語の詩になっている。しかし、昔、漢詩をこのように訓読した先人は素晴らしい人だと思います。中国の近体詩(絶句・律詩・排律)は、音数律が五言(2+3)七言(4+3)となっていて更に、4は2+2となり3は1+2または2+1の構成になり、基本音律は2語とし奇数は間合いを作ることになっていて、これは日本の歌の基本的音数律と同じ構造になっています。即ち短歌を例にとると、5・7・5・7・7・という音数律になっている。5音、7音と奇数になっていますが、日本語の場合、二語1拍のリズムで、一語は半拍となり、各連に一語の半拍があり、それが間を生み、心地よいリズムを作り上げているのです。
 「峨眉山月」を「峨眉+山月」と訓読させるのは、、漢詩の音数律を重視することと日本語の音数律を調和させ「がび さん げつ はん りん の あき」と6拍半になっています。この時半拍の「の」が大切な役割をしていることに気づかなければなりません。ここで半拍の余韻を込めることで主語の「秋」が強く浮かび上がるのです。 このように漢詩を日本語のリズムに近い形を考慮しながら訓読しているのです。
 この句だけでいえば更にア音が頭韻的に響いて更に素晴らしいリズムになっていると思うのです。
 日本語の美しさは古語に在るといわれます。力強く、しかもリズム感のある古語、それを一番よく受け継いでいるのが詩吟だと思います。定型詩から自由詩へ、演歌からポップスに、時代とともに変化、音楽の世界も大きく変化しています。時代の流れでどうにもなりませんが、何か私には寂しいものを感じさせてくれます。div>

資格審査トラブルの原因

2020-09-12 19:21:34 | 詩吟関係

 前回のブログで、私のお弟子さんにかかわるトラブルについて書きました。事実は事実なのですが、あんなトラブルに至った原因について私の早トチリもありますので、それについて書きます。
その一つ、対象になったのが三級を受審したお弟子さん。私の頭の中には、「級位は短縮無し」という言葉しかありませんでした。どんなに上手に吟じても午後の審査を受けることはできないと信じていたのです。
ところが、審査を終えて会場から出てきたお弟子さんは一、ニ、三と書かれた札を持って出てきて、受け付で午後の審査の受付をしなさいといわれたというのです。びっくりして、え!短縮かなんかで受けていいのかもしれませんね、とにかく午後の申し込みをしておきましょうといって、受付に午後の申し込みの手続きをしてくださいといっていたところへ、大きな声が飛んできました「違う・・間違いだ!」という聞きなれた声です。えっと思いましたがなんかの間違いで午後受けれといったのて、審査委員会の間違いだったのだと思い、本部役員の方が言われたのだから信じて。間違いなんだとと話しながら席を離れたのでした。
 「違う・・・間違いだ」という言葉は、丁度、手続きをお願いしている時でしたから、間違いなく私たちに向けられた言葉と思いました。ただあとで考えなおすと、会場を出てきたところで、「短縮みたいなこと」といった言葉に対して、それは違うといったのかもしれません。ただ、それならなぜ、受付をしないで帰る私たちを受付係が引き留めてくれなかったのかと不思議に思われます。受付係も私たちと同じに感じたか、でなければ、受付に対する連絡の不徹底に依るものでしょう。
 審査要領が数日前に届いていたのですが、改めて見てみました。私の理解不足がありました。 「3月受審申込者で審査終了後、級合格者および段位短縮者のうち昇位審査希望者は、・・・再度受付してください。」
級合格者及び段位短借者の部分で、級合格者という表現を軽く読み流したということです。級受審者で保留など考えられないし、短縮はないということですから。頭から級を受けるお弟子さんは次12月の審査まで待つと本人にも言ってありましたしそう思っていました。それが、午後受けてもいいというので短縮といった言葉が思わず出たのでした。午後の審査が9月審査なのですから、三月に受審予定だった級位の方はもう6ケ月も遅れているのだから9月審査の午後の部を受けるのは何の問題もなかったのですね。それを勘違いしていて、「間違い」という言葉を何の抵抗もなく聞き入れてしまったことが間違いでした。難しいことを言わずに三月審査予定だった級の方は午後の審査も受審できますからと書いてあれば間違うことはなかったのです。又、数字のかかれた用紙の問題も受付係の連携がきちんととれていれば、受付がすぐ「その紙もっきて!!」とかなるのでしょうがそうならなかった。

 とにかく私の勘違いのもたらしたものでした。お騒がせして申し訳ありません、お詫び申し上げます。
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詩吟 資格審査に行ってきました

2020-09-06 19:05:39 | 詩吟関係

 昨日書きました北詩連の資格審査会、無事参加してきました。
 コロナ対策で物々しい警戒の中で開催されました。会場は教育文化会館の401号室と地下のリハーサル室が使われました。401号室は定員90名の大会議室です。その広い会議室に40名限定で椅子が並べられ、受審者の演題の前には透明なフイルムの張られた衝立が建てられ、しぶきが飛ばないように工夫されていました。更に、一名の吟が終わるとすぐ演台を消毒清掃して次の番にするという形でした。指導者として入室させていただこうと思ったのですが、定員40名を厳格に守らなければならないので駄目ですという。そして、最初の受審者が終わって退席して来たら入れてあげますといわれて外で待っていた。一番が私のお弟子さんで、吟を聞きたかったが聞けなかった。ここでトラブルが置きひどい目に合いました。審査を終えて退席して出てきた私のお弟子さんが、一・二・三と書かれた用紙をもたされて出てきて午後の審査を受ける手続きをするように言われたといいますので受付に午後の申し込みをさせてくださいといったら、受付の方がポカンとしている、その横から「違う、間違いです」と大きな声で総務部長さんがおっしゃった。もう二の句をつけることができません。お弟子さんは何だったのでしょうねといいながら、下で待っていますといって降りてゆかれた。欠席者が多くこの会場で受審することになっていた私のお弟子さん他二人の吟が終わって一階に降りたら最初のお弟子さんが待っていました。そこで三人まとまって帰るといいますので、気をつけて帰ってねと返しました。そして会場の方へ戻りましたら、午後からの名簿の整理を受けつけでやっていて、返した私のお弟子さんの名前がないという。間違いだといわれたので返しましたといいましたが、ひょっとしてバス停にまだ待っているかもしれないと思って、地下室の会場で審査を終えて戻ってきた梶尾君にバス停まで走ってもらいましたが間に合いませんでした。受付の方から何とか連絡できませんかといわれ一時間ほど経ってからようやく電話で連絡が取れ、手稲から戻ってきてもらい後半の審査の終了まじかに追加審査をしてもらい終わることができました。それにしても、もう少し気を使ってほしいものです。

詩吟資格審査会 三月実施のはずが明日に

2020-09-05 19:05:57 | 詩吟関係

 明日教育文化会館で北詩連の資格審査会があります。お弟子さんを連れて参加してきます。
 本来は3月に実施されるはずだったものが、新型コロナの蔓延で6月の審査と合わせてやるということで延期になりました。その6月もコロナは終息せず今度は中止となったのです。そして今回9月の定期審査会が無事開催されることとなりました。しかし、まだ コロナは終息したわけではありません。やや発症がおちついていることもあり、一定の対策をしたうえで開催が許可されたようです。
 開催に当たって応援のための見学はやめてほしいとの通達でした。また、受審者も自分の番が終わったらお帰りになってくださいという。また、会場の教育文化協会からの指示で、会場に入る方は体調についてのアンケートのようなものを提出することになっています。
 審査は午前中に3月の審査申し込みをされていた方たちの審査となり、午後から9月審査を申し込んでいる方たちの審査となります。私の会からは午前中4名と午後1名の受信を予定しています。平和教場から二人受審するようですから。碌峭会としては7名の受審となります。北詩連の大きな事業は凡て中止になっていて、今回は久しぶりの集まりになります。無事に終わってほしいものです。

吟歴46年・・・社会教育功労者賞を札幌市らいただいた

2020-08-24 19:31:48 | 詩吟関係

 一昨年の11月札幌市から社会教育功労者として表紙用を受けた。
 詩吟を始めて46年、その間教室の指導を35年、手稲老人福祉センターの詩吟講師を28年、手稲文化協会事務局長13年務めている。
 老人福祉センターの講座は、市内の60歳以上の方ならだれでも参加できる講座ですが、出席は義務付けられていなく、そんな中で受講者を確保しながら講座を維持するのは結構大変でした。
 講座が開設されたころはまだ詩吟ブームのようなのがあり、時としては30人以上の受講者がいたりした。しかし世代の変わった新しい老人たちは詩吟とのかかわりが薄く参加者がどんどん減少して行きました。
それでもどうにか20名前後の受講者を確保してその指導に当たってきました。この福祉センターの講座はまさに生涯学習の一環で、表彰を受ける大きなフアクターになったようです。もう一つは手稲文化協会を
事務局長になってから立て直し、それまでコミセンで文化祭だけを開催していたけれど、それも手稲区として独立し、区民センターが出来てからは、見学にに来てくれる人もひどく少なくなくなり、文化協会の存在すら
忘れ去られようとしていたのを、会場を区民センターに移し、新しい事業として、伝統芸能祭を立ち上げ、その後伝統芸能祭を発展的に解消してチャリティの舞踊の集い、年忘れ演芸会、カラケフエステバルを立ち上げ、札幌10区の中で文化協会を有するのは手稲区だけと評価されるところまで育てた。そんなことが認められての受賞でした。
 46年いろいろな波風をくぐりながらもつつけてきた私の吟歴の最後を飾る受賞と素直に喜んでいます。

吟歴46年・・・・14  好きこそものの上手なれ?

2020-08-23 16:34:29 | 詩吟関係

 46年、好きだから続いてきた。でも、好きな詩吟が上手だといわれたこともないし、自分でも認めることができない。
 習い始めたころ、自信を持っていた。しかし始めてみると駄目でした。当時、先生が吟じたのを模範に吟じるのですが、そのまねができない、音感が悪いのか、先生の音が採れないのです。自宅に帰ってさて稽古をと思ったら節を全く忘れていて稽古にならない。ただ詩文を勝手に声を出して読んでいるだけ。だんだん慣れてくるころ、先生から上手な人は「いいね、お祝いの時に吟じてあげてもいいょ」などといわれるのです。。私はつにそんなことを言われること無しに来た。資格審査があるのですが、もう大変な試練でした。特に前の方が女性だともう大変です。その声が耳に残っているととんでもない高い音で出て、時によっては絶句さえしかねないのです。でも、何とか潜り抜けてきました。初めのころはテーブ゜レコーダーもありませんでしたから、自分の声を聞くことができなかったのですけれど、聞けるようになって、録音したのを聞いてみると自分では結構うまく出来たのではと思っても何と聞くに堪えない情けない吟なのです。それでもめげずにつづけることができたのは、好きだからです。漢詩の魅力にも引かれました。そして、続ければもっとうまくなれるはずと思いながら頑張ってきたからです。 札幌に転勤して、やむなく所属した詩吟学院岳風流の先生がコンダクターで伴奏してくれるのに出合ったときはうれしかった。ようやく自分の吟を客観できるようになってきました。更に、ここで詩吟を構造的に理解することができました。そして、自分でもコンダクターを引くことができるようになって、まともな稽古ができるようになってきたのでした。詩吟の教室を持ちましたが、吟力はとても情けないものでした。でも、教えるということは、習うより勉強になります。教室を持った当時、一時はくじけそうになったこともありました。しかしついと来てくれる生徒さんがいる限り頑張るということで乗り切ってきました。吟力はあまりないけれど、教える要領とか、素材の漢詩の知識、詩文の背景等についての理解は負けない気持ちもありました。
 カラオケも好きなのですが、やはり下手です。リズム音痴といいますが、直ぐリズムを外してしまいます。詩吟もカラオケも声を出すことに変わりはありません。詩吟は歌曲のような厳しい譜面がありませんからゆるされる面もあるのでしょうから、何とかやってきていますが、ひょっとすると厳しく批判されているかもしれません。
 ともあれ、46年90歳まで詩吟をつづけておれるのは、好きだからですね。人に褒めてもらうためにやっているのでないからと自分を納得させます。

吟歴46年・・・13   アラカルトその2

2020-08-22 14:36:57 | 詩吟関係

 発表会でオーバヘットプロジェクーを使ったりプロジェクターを使ったりしたことがあった。先に書いた札幌へ来てから所属した剣風会手稲で、手稲文化祭の発表に。私が提案してオーバーヘットプロジェクターを使って詩文を皆様に見てもらえるようにし、簡単な解説を私が引き受けて何年かやった。解説の評判が良かった。北詩連に入ってころはプロジェクターが普及していたので、手稲文化祭に自分で編集してナレーションに応じた画面を作って発表を何年かしてみた。しかし、大ホールにスクリーンの設備がされていなくて、舞台のはずれに携帯用のスクリーンを張ってやるしかなく全体に見てもらえず、苦労が報いられなかったのでやめました。プロジェクトで成功したのは北詩連に加入して二年目だと思いますが、西支部の研修会に教本に取り上げられている和歌の解説をしてほしいといわれプロジェクターを使い80分ほどの講座をやったときでした。この研修会は北詩連でもあれだけのはずです。

 小学生に詩吟を聞かせ、詩吟予備軍を育てたいと願っていました。一番困ったのが学校との連携です。自分で売り込みにゆく度胸もありません。さらに悪いことに小学校の教員室はどこも二階なのです。肺気腫の私は階段を上るのがとても辛くて、簡単に訪問することもできないのです。そんな中で、たまたま私が手稲コミュニティセンターの運営委員として文化協会から派遣されていた折、運営委員の会長さんに元学校長だった方がお入りになられました。その先生に私の思いを話し、中央小学校で機会を与えてもらいました。張り切って出かけたのでしたが、なんと、その当日急に警察関係の方の話を聞かせることになり、視聴覚室が使えなくなったというのです。そして私の詩吟はプロジェクターのスクーリンを使うことができず、テレビの画面でやることになりました。テレビの画面では、話が十分に理解してもらえません。とても残念な思いが残っています。
 もう一校、これは自宅の町内にある小学校ですが、たまたま立ち上げていた老人クラブの詩吟の会長さんが、この小学校とつながりがあり、お願いしてもらって機会を与えてもらいました。この時は会員の皆様も一緒してもらい成功に近いものになったのですが、私が舞い上がり、十分にある時間を余してしまいました。もっと会員の皆様の吟を聞かせることができたのです。時間を気にしないで、先生家業をしてきた私が何とも情けない授業にしてしまいました。それ以来機会を求めることもなく来ています。北詩連には事業として立ち上げてほしいとお願いしましたが聞き入れてもらえません。残念です。
 つい先日まで私の仕事部屋のドアの内側にもう15年くらい前の写真、伝統芸能祭で20名の会員の合吟のものが張ってあった。前烈に女子10名後ろに男子10名です。先日はがして捨てたのですが、その時こんな時もあったのだと懐かしく思ったものでした。何と男性でまだ元気なのは一人だけ、それも詩吟をやめられた方だけです。私より若い方が多かったように思います。女性ではまだ現役の方がお一人いました。今所属会員を見渡すと創立当時の方で現役は二人だけになっています。そうですよね、退職後30年、90歳に私もなりました.まだ教室を指導している自分によくもと自分で思います。

吟歴46年・・・・ 12 アラカルト 

2020-08-20 19:34:42 | 詩吟関係

 一休み・・・・思い出のかけらを拾ってみます。
 平成7~8年ころだっただろうか。まだ私の会は会員が増えている頃だった。ある先生との会話の中で、私が、会員の増強は進んでいますかと聞いたら、「いや・・駄目ですね。すっかり高齢化が進んで」という答えが返ってきた。私は、高齢化世代になったといってるのだと思い。むしろ会員増強にはチャンスじゃないかと思っていたのでちょっと驚いた。彼の高齢化は自分の教室の生徒さんの高齢化を嘆いて、教室の高齢化が進むけれど新しい会員が入ってこないから会が盛り上がらないと嘆いていたのでした。数年後に私もそれを実感することになったけれど、丁度世代交代の時期が来て、戦後派の老人は詩吟に縁遠い方たちが多くて老後の楽しみに詩吟を考える方は極めて少なくなったのです。今や一人の会員を見つけることがとても大変な時代になっています。
 こんなこともありました。これもある先生との会話の中で、私が「これからは、もっと詩吟を楽しくやらせなくちゃ・・」といったら「詩吟はそんな甘いものじゃないでしょう」とかみつかれた。かつて吟道精神ということが言われ、趣味=楽しむというなんて言うことは論外だったのです。私は、新しい時代の高齢者が貴重な詩吟の担い手になってゆくと感じていて、新しい高齢者の生涯学習の一環として抑えることの必要を言ったつもりだったのです。ですから、宗家の口伝を伴奏もなしに苦労しながらやらなくても、コンダクターの伴奏をつけてやらせればよい。又、細かい技巧などにあまりこだわりすぎない指導法などを、指導者は考えてゆかなければならないといったつもりでした。私は今もそんな指導を心がけています。
 復詩吟を始めた生徒さんに、発表の機会を多くした上げたい。そんなことから、会を立ち上げるとすぐ地域の文化協会に加盟して発表の機会を作りました。又、手稲神社の秋季例大祭に奉賛芸能がありますので、其れにも参加させてもらい毎年発表してきています。又、詩吟の仲間との交歓会を34年間継続してきました。詩吟を通して交友の輪を広げることは人生を豊かなものにするはずです。
 いろいろ、ありますが一寸思いだすままに書いてみました。・・・・続く

吟歴46年・・・・11  つわるに耐えず・・・

2020-08-17 19:00:13 | 詩吟関係

 1986年、札幌市西区平和に平和吟友会を立ち上げました。この時は13名の会員でした。まだ私は現役でしたので指導料はもらわず会を運営していました。1991年が私の定年退職の年でした。この退職時に会員から指導料を取ってほしいといわれ、月額1000円をいただき、その中から400円は本部への負担金とし納入してあげる形で進めることにしました。

 この年の6月から手稲老人福祉センターが開所されました。この情報を早くに得ていまして、多分開所されたら講座がもたれるはずなので、その中に詩吟の講座かあれば講師として使ってほしいと、あるつてを頼りに申し出ていました。それが実現できたのです。まだ私は指導者としての資格はあり、教室も持っていましたが、吟力は並み居る諸先生に肩を並べる力はありません。ただ、コンダクターを使えることと、漢詩に対する知識は他の先生に劣ることはない自信がありました。開所当時は30人以上の方が集まり、中にはあわよくば講師の座をと狙っておられる方も多数いました。半年くらいして、館長さんのところへ、講師を半年で交代させられないかと申し出た方もいました。その時、せめて1年は交替したくないと申し上げておきました。その後そんな話が伝わったら、女性会員のリーダー的な方たちが、私を擁護し「村川先生をやめさせないでほしい」と館長に直訴してくれたのだそうです。そこらのことについては別に書くとして、この福祉センターの講師をすることにより自分の教室の会員を増やすことができました。手稲の教室は手稲区民センターの第3会議室を使っていました。この会議室は定員15名でそこへ20名以上の方を無理に収容して教えていましたが、二つに分けることにしました。もう一つの教場は手稲コミニティセンターとしました。分けるにあたって、悩みました。コミニティセンターは区民センターから離れていて、不便なところなのです。更にどのような分け方をすればよいのか、わかりません。でももう一教場では無理なのが歴然としていますので決断しました。ある日、こんな言葉で切り出しました。「教場は今やツワルに堪えがたくなっています。新しい教場を一つ作り会員も二つに分かれてもらいます。希望を取っていては収拾がつかなくなるので私から指名します」といって手稲第一教場に13名、第二教場に9名を指名して決めました。大体の交友関係などは見ていましたし、亦丁度良いリーダーもいましたので何とか二つに分けることができました。あとで、泣かれた方もおられたと聞きましたが大変なことでした。現在は会員数が少なくなり、亦一つにまとまっています。・・・つつ゜く</div>