忘年会で2度目のアルコールを口にした。味わったのは白ワインのグラス一杯きりだ。女性8人に男ひとりの場だ。女性たちが盛りあがってきたら私がでる幕などない。こういう分が悪い席では食うものを食って酔いが回る前に退散することにしている。酔うことに罪悪感を覚え始めて半年が経過した。そして、おそらくは11回目で今年最後の忘年会が終わった。今年の宴会では2度しかアルコールを口にしていない。
パーティションをいじっているうちに基本ソフトを壊してしまった。2週間にわたって悪戦苦闘したが、ついにインターネット・エクスプローラがよみがえることはなかった。同じ富士通のWindow8搭載モデルを購入した。ようやくネットの世界に復帰できる。
朝永振一郎著「科学者の自由な楽園」(岩波文庫 緑)が無造作に105円のコーナーに置いてあった。アインシュタインやボーア、山本義隆にとどまらず科学者の随筆や論文が嫌いではないので購入することにした。2000年の初版で定価が760円だから悪い買い物ではない。105円を渡して会計を済ませようとしたら、特価本については更に20%値引いて84円だというので悲しくなった。
古本屋では安価につられてつい買ってしまう。勤務先の近くにそこそこの規模の新本屋があって賑やかな表題が氾濫している。手にとってみると面白そうな本はほとんど見当たらない。表題を本の看板にたとえると看板に偽りが多いという実感のみが残る。
ジャック・デリダ著「声と現象」をようやく手に入れた。副題が「フッサール現象学における記号の問題への序論」だ。デカルトからサルトル、カミユ、メルロ・ポンティに至るフランスの思想家の著作が肌に合う。索引や目次に目を通しながら気にかかったところを読み解いてゆく楽しみがまた増えた。
マリー・フランス・イルゴイエンヌ著「殴られる女たち」(サンガ新書)、荷宮和子著「なぜフェニミズムは没落したのか。」(中央新書ラクレ)は、「女たちのアジア」「家族という関係」(岩波新書)、「選ばれる男たち」(講談社現代新書)の延長線、目に付いたので買った。
3面記事的な表題につられて買った日本の論点編集部著「27人のすごい議論」(文春新書)では、神戸女学院大学の内田樹教授が、「ジェンダー概念の功績は大きい。だが、常に敵を必要とする自己矛盾に陥っている。」と主張し、性差が無意味であるような社会を創成するために、人間の全活動をジェンダー関与的なものと解釈するのは、「学歴による差別を廃絶する運動」が、人々の胸に出身校のブレートの着用を義務付けるのに似ていると評する。
古本屋では安価につられてつい買ってしまう。勤務先の近くにそこそこの規模の新本屋があって賑やかな表題が氾濫している。手にとってみると面白そうな本はほとんど見当たらない。表題を本の看板にたとえると看板に偽りが多いという実感のみが残る。
ジャック・デリダ著「声と現象」をようやく手に入れた。副題が「フッサール現象学における記号の問題への序論」だ。デカルトからサルトル、カミユ、メルロ・ポンティに至るフランスの思想家の著作が肌に合う。索引や目次に目を通しながら気にかかったところを読み解いてゆく楽しみがまた増えた。
マリー・フランス・イルゴイエンヌ著「殴られる女たち」(サンガ新書)、荷宮和子著「なぜフェニミズムは没落したのか。」(中央新書ラクレ)は、「女たちのアジア」「家族という関係」(岩波新書)、「選ばれる男たち」(講談社現代新書)の延長線、目に付いたので買った。
3面記事的な表題につられて買った日本の論点編集部著「27人のすごい議論」(文春新書)では、神戸女学院大学の内田樹教授が、「ジェンダー概念の功績は大きい。だが、常に敵を必要とする自己矛盾に陥っている。」と主張し、性差が無意味であるような社会を創成するために、人間の全活動をジェンダー関与的なものと解釈するのは、「学歴による差別を廃絶する運動」が、人々の胸に出身校のブレートの着用を義務付けるのに似ていると評する。
腹九分に適度のウォーキングを続けただけで上が30、下が15ほど血圧が下がった。季節的な要因を考慮すれば上をあと15、下をあと10下げることができたならば、春先の「重度の高血圧」から半年余りで「軽度の高血圧」の仲間入りをすることになる。二階級特進だ。
ここから先は塩分の摂取制限と有酸素運動が課題になる。濃い味付けの料理を避けて汗がにじむ程度の運動に励む。暴飲暴食は心に問題があったように思う。ストレスは心か体を蝕む。だからまったりとホテルでランチなんてえのも悪くはない。
ここから先は塩分の摂取制限と有酸素運動が課題になる。濃い味付けの料理を避けて汗がにじむ程度の運動に励む。暴飲暴食は心に問題があったように思う。ストレスは心か体を蝕む。だからまったりとホテルでランチなんてえのも悪くはない。