旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

言葉

2011年09月22日 22時27分03秒 | Weblog
最近、話が通じない、というよりも言葉が通じないことが多い。私はできるだけ専門用語を使わないように心掛けているし、専門用語で故意に煙に巻くことが嫌いだから、「相手をみて法を説く。」の例のように、相手によって話し方や用語、しゃべるスピードや声質までも変える。その辺りが随分、誤解を招くようだ。最近、「もっと堂々と話しなさい。」というアドバイスを受けたので困惑している。相手をみて法を説くのだから、堂々と話すべき相手には堂々と話しているつもりだ。

職場という村の方言は使わないようにしている。たとえば手交(公式な文書等をてわたすこと、直接手渡すこと)という言葉がある。「手渡す」のだから直接に決まっているし、公式な文書以外の文書を「手交した」とは言わない。だから私は、相談記録には「手交した」とは打たない(入力はWord)。「手渡した」と記録する。また、主権者である国民を相手に「である」調の文章はない。「だ」「です」調が末端公務員の行政姿勢に叶っていると思う。

同僚の女性が、宇宙ステーションから撮影された雷や流星、オーロラの映像がきれいだったと話してくれた。宇宙の話になると思わず、立花隆のノンフィクション「宇宙からの帰還」で、母なる地球を宇宙船から眺める宇宙飛行士たちの多くが、神の存在を直感したと述べていることを話したくなる。だから話した。もっとも彼女には映像の美しさほどの魅力がなかったようだ。これは単に趣味の違いで片づけることができる。

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