旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

高橋和巳

2007年08月29日 10時56分58秒 | Weblog
当時、若き法学徒を気取っていた私は、中国古典文学の研究者であった高橋和巳の小説「非の器」を読んで、自分が法律の「ほ」の字すら理解していない浅薄な学生であることを思い知らされた。年齢差を考慮すると当然といえば当然なのであるが、法の何たるかについて、社会というおとなの世界について少なくとも彼の方が私以上に知っていた。当時風に言うならば、私は、なんとも言えない挫折感を味わった。

「邪宗門」という著作で、開祖の宗教心がどのような過程を経て社会に波及し、やがて、どのように国家権力と対立し弾圧され、教団組織が崩壊の憂き目にあうのか、私は小説の中で壮大な実験を見ているような錯覚を覚えた。現代風に言うと、感動した。

小田実、吉本隆明、高橋和巳は、われらが時代の矛盾を突いてやむことのない思想的な旗手たちであった。為すこと、書くこと、喋ることが悉くわれわれの議論の対象になった。久しぶりに高橋和巳と小田実の著作に出くわした。「高橋和巳作品集 エッセイ集 Ⅰ (思想編)」と小田実著「人間・ある個人的考察」である。さっそく買い求た。半年ほど前に、やはり吉本隆明の著作と出くわしている。理解できなかった「共同幻想論」であるが、この歳になってようやく抵抗なく読めたし腑に落ちた。


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