先週の水曜日、血管年齢が80歳と言われ凄まじい動脈硬化の進行に慄いた。血管の惨状をひとり想像して日ごろの不摂生を後悔した。数日前から薬の投与があって昨日の火曜日、ブドウ糖の点滴やら造影剤の注入やらを受けながら心臓のCTを撮った。点滴の始まりから医師のコメントをもらうまでに約2時間を要した。担当の医師は著名な循環器の専門医だ。
ところがである。コンピュータ処理されたと思われるわたしの、まるで模型のような3次元心臓に「どうみても45歳の心臓で幸いにというべきか不幸にというべきか動脈硬化の兆候がない。」という専門医の所見が下された。嬉しいことに他の血管のCT検査の必要もないというご神託である。上が110、下が180を超えているというのに、まるで期待外れであったと言わんばかりの対応を、小心者のわたしは見逃していない。
気が抜けた。大いに気が抜けた。実はカテーテル検査を覚悟していた。それほど先週の血圧脈波検査解析結果は凄まじかった。帰りにたっぷり血圧降下剤をわたされた。一か月分である。飲むかどうかは主治医の先生と相談して決めると告げてあるのにこれはない。突き返そうかと思った。思ったものの返せない。病院というところはそういうところだ。7割は健保組合の負担だから、「ま、いっか!」、根本的にモラルが欠落しているのである。
この結果を踏まえて、休日明けに再び主治医の先生と血圧降下剤を飲む飲まないの医師と患者の不毛な論争が始まる。主治医の先生は、「あんたの命なんじゃけん好きなようにしろ。」という。わたしはある種の確信犯であるからまだ降下剤を飲む予定はない。前途は多難だ。
1週間の休戦ののち、わたしの人体実験が再び始まる。昨日の検査中の血圧は下95に上が155である。造影剤の副作用もない。ブドウ糖の点滴のせいか検査後は妙に体調がいい。CTの検査になんでまたブドウ糖の点滴が必要なのかいまだにわからない。1時間もかかった「生まれ落ちてから2度目の点滴」の方が、CT時の造影剤の注入よりもはるかに怖かった。
ところがである。コンピュータ処理されたと思われるわたしの、まるで模型のような3次元心臓に「どうみても45歳の心臓で幸いにというべきか不幸にというべきか動脈硬化の兆候がない。」という専門医の所見が下された。嬉しいことに他の血管のCT検査の必要もないというご神託である。上が110、下が180を超えているというのに、まるで期待外れであったと言わんばかりの対応を、小心者のわたしは見逃していない。
気が抜けた。大いに気が抜けた。実はカテーテル検査を覚悟していた。それほど先週の血圧脈波検査解析結果は凄まじかった。帰りにたっぷり血圧降下剤をわたされた。一か月分である。飲むかどうかは主治医の先生と相談して決めると告げてあるのにこれはない。突き返そうかと思った。思ったものの返せない。病院というところはそういうところだ。7割は健保組合の負担だから、「ま、いっか!」、根本的にモラルが欠落しているのである。
この結果を踏まえて、休日明けに再び主治医の先生と血圧降下剤を飲む飲まないの医師と患者の不毛な論争が始まる。主治医の先生は、「あんたの命なんじゃけん好きなようにしろ。」という。わたしはある種の確信犯であるからまだ降下剤を飲む予定はない。前途は多難だ。
1週間の休戦ののち、わたしの人体実験が再び始まる。昨日の検査中の血圧は下95に上が155である。造影剤の副作用もない。ブドウ糖の点滴のせいか検査後は妙に体調がいい。CTの検査になんでまたブドウ糖の点滴が必要なのかいまだにわからない。1時間もかかった「生まれ落ちてから2度目の点滴」の方が、CT時の造影剤の注入よりもはるかに怖かった。
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