旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

明治維新

2006年03月26日 03時23分20秒 | Weblog
確かに現実的に列強の火器の凄まじさをみせつけられた薩長両藩の動揺は激しかったものと思われます。しかし、事件に先立って幕府や各藩は、蘭学や黒船の来航によって西欧の先進性を十分に認識していたのじゃないでしょうか?

松蔭の著作は、思い込みばかりが激しくて難解、大江健三郎の小説のように手に負えない。理論的な側面でゆくと、彼が学んだ水戸学の方がはるかに解りやすいように思います。

松蔭の教え子たちが、後に維新政府の指導者になってゆきました。かれらが、師の攘夷思想をいとも簡単に捨てて開国に走ったのはなぜ故なのでしょうか?

松蔭は塾生たちにいったい何を教育したのでしょうか?松蔭が偉人のごとく扱われますが、彼が高く評価される理由が解りません。たまたま、向学心が強くて血の気が多い連中が松下村塾に集まっただけのことじゃないかと見考えることは、歴史を冒涜したことになりますか?

一方勝海舟が言うように、薩摩のニュー・リーダー西郷隆盛は典型的な軍人であって、どのように善意に解釈しても中央集権国家の建設を夢見るような人物には見えない。事実、元武士階級とともに自滅して果ててしまった。

このように考えると、強力な中央集権国家の建設という発想をもたらした勢力の姿が見えてきません。

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