goo blog サービス終了のお知らせ 

畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

息子の家

2012-06-07 20:03:15 | 介護日記

6月7日(木)   ときどき 

玄関のチャイムが鳴ったのは、4時ちょっとすぎ。母の声が聞こえる。

「私の家じゃないですよ。息子の家に連れてきたのですか」

ショートステイの送りの職員さんに、話しかけている。若く、今日はじめておくってくれてきた職員さん、答えようがなく、黙っている。荷物を受け取り、お礼を言っていると、

「ありがとうございました。皆さんによろしく」  そして、  「また、お世話になります。お願いします」

最近の帰宅時は、たいがいこんな様子だ。現在からさかのぼって、過去の記憶は鮮明だ。現在の時に近づくほどに、記憶は欠けてくる。30年ほど前に、長く住んでいた、新潟の家を離れ、この房総の地に移住した、長男の家に同居したことは、欠落している。それは、家に帰ると云う行為、家に送ってもらうことを意識することで、ずっと昔住んでいた家の記憶につながる、ということのようだ。

最近は、特に、昔の記憶の中を漂うようなことが多くなってきた。ベット生活にするため、母の部屋の模様替えをした時、邪魔になるような家具を、納戸にしまい込んだ。その中に、古い小さな茶ダンスがあった。ある時、急に、なんで、勝手に茶ダンスを持って行ったのか、と問い詰められた。知らないよ、というと、親の型見にもらったものを、なんで勝手に、そっちに持って行ったんだと、非難する。

今まで、そこにあった茶ダンスが無いことに気付いた時、親の形見を、私がどうかする訳ないから、息子に取られてしまったことで、納得させようと云うことだろう。そんな風なことが、ちょくちょく起こるようになってきたが、人の生きると云うことはなんだろうと、思わざるを得ない。

サツマイモの定植。畔の草刈、モアでの作業。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする