畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

妖怪「ちり神」

2010-04-23 18:53:04 | 介護日記
4月23日(金) 

一日、冷たい小雨が降り続く。昨日のような本降や、強い風はなかったが、田んぼに出ることはなかった。土、日と強い寒気がやってきて、内陸では、遅霜の恐れありとの予報も出ている。あせることはない。と、寒さの中の作業回避を、納得させる。
ハウス内で、ヤーコン、サトイモ、ヤマイモを、ポットやトレイに伏せる。育苗だ。畑の準備もまだだし、発芽させてから植えた方が、何かとよい。ハウス内だから、発芽も速まる、草との競争も、一周先行、欠株も防げる。これから、生姜もポット育苗する予定。

所で、母親。19日に、ショートから帰ってきたが、相変わらず、毎朝、大量の洗濯ものを出してくれている。最近は、トイレまでの廊下を濡らすことも増えてきた。そこで、トイレの中で、飽和状態のリハビリパンツ等を脱がせ、着替えさせている。
が、ここで、また困ったことが起きている。
母は、トイレットペーパーや、ティッシュペーパーなどに異常な執着を持っている。最近では、テレビは点けているが、関心は、手元のちり紙。広げたり、たたんだり、ポケットや、バック、袋に入れたり出したり。母の座っている周囲や、座卓の下は、ちり紙だらけ。かつては、自他共に認める、「きれい好き」だった名残か、目に見える周囲は、片づける。しかし、目に入らない、座卓の下は、紙の山。
ちぎったトイレットペーパー、ティッシュ、施設から持ち帰っただろう紙ナプキンや紙タオルなど、雑多なちり紙。それも、小さくちぎったり、丸めたり、ポケットに突っ込み皺くちゃになったり。挙句の果ては、使ったものかどうなのか分からないものまで、いっしょくた。
めっきりと増えた、鼻水や、涙。しょっちゅう拭いたりかんだりしながら、ポケットに。それらをごっちゃに、ため込んでいる。捨てるように言うと、「まだ使っていないのを、もったいない。」「これはきれいですよ。」
とても付き合って入れない。ほっぽっておくしかない。
その、雑多なちり紙を、なんの思いからか、下着や、パジャマの中にも入れるようになった。洗濯ものとして出された、下着や、パジャマを振ると、紙屑がパラパラ。よほど注意しないと、洗濯機の中が、紙切れだらけなんてこともある。
さて、着替えに戻る。パジャマのボタンを外すほどに、紙屑が、トイレの床に、ポトリポトリ。誰が見ても、ごみでしかない紙屑だが、母にとっては、一番大事なもの。拾おうとする。
語気を強めて、便器の中に捨てなさい。
「まだ使っていないのですよ」
命令形をさらに強め、便所の床に落ちたのだから、捨てなさい。
「もったいないなあ」恨めしそうに言いながら、ようやく云う事を聞く。
スリッパをはきながら、やりにくそうに、パジャマのズボンを脱いでいるから、スリッパを脱いで、はき替えたら、と云う。
「いやですよ、便所の中で、汚い」
「ゲゲゲの女房」が、始まったが、シゲルさんなら、さしずめ、
妖怪「ちり神」か、あるいは、妖怪「紙抱き婆」か。

朝の、着替えの、ひと騒動。
コメント
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