裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

とある食卓の風景

2012年08月14日 23時28分07秒 | Weblog
うちの晩飯は、午前1時半ですわ。
よめはんが夜遅くまで会社でがんばってくれてるからね(かといって、家計には一円たりとも入れてはくれないが)。
ンで逆算すると、オレの昼飯は午後6時ということになり、やむを得ず、ひとりで酒盛りという仕儀に相成る。
そう、オレの酒飲みは決して自らが望んでのものなのではなく、システムに強要された受動的なものなんである、かわいそうでしょ。
さて、いったん深くまで酔っ払って、夜更け、酔い覚めの頃に食事の支度。
階下のガレージにご主人様(よめはん)ご帰宅の音を聞くと、飛び起き(わん、わん、わん)、下ごしらえしたものの最終調理に取りかかる。
彼女は洗顔し、部屋着に着替え、5分程度でリビングに姿を現す。
まさにそのタイミングで、テーブル(ちゃぶ台)上には、今完成したばかりの最高のコンディションの料理の数々が並んでるわけだ。
このピタリのシンクロ性には、わが仕事ながら芸術性を禁じ得ない。
さて、わが家のリビング・・・というか、六畳間にカウンターキッチンをしつらえたせいで茶室のようにせまっ苦しくなってしまった空間・・・は、ぐるり食器棚に取り囲まれてる。
そこには三百点は下らないほどの器がストック(スタックか)されてるんだが、結局、普段用に使用してるのは十点程度だ。
しかも陶芸を習いはじめた当時につくった、古くてなじみ深いゆがみ鉢ばかり。
このへんはなんなんだろうね、思い入れってもんかね。
とにかく、これだけうずたかく積み上げられた器の中で、使うのは決まった欠け茶碗ばかりなんだった。
ちなみにわが家では、大皿に盛られたメインディッシュも、めし碗のごはんも、汁碗のみそ汁も、麺類も、グラスの麦茶も、ひとつきり用意するだけの「つつき合いシェア方式」を採用してる。
ハシはさすがにそれぞれ一膳ずつ用意してるが、調理品は全部、ひとつ器からはんぶんこする。
きれいに言えば、分かち合い、そうでない言い方をすれば、互いのばい菌のやり取り、ってことになるか。
しかしまあ、手から手に器を取り交わし合う、ってのはなかなか悪いもんでもない。
「ビスケット一枚あったら(あったら)ジョリーとぼくとではんぶんこ」方式ね(どっちがジョリーかは一目瞭然)。
つか、厳密には、よめはんの残り物を、序列が下のオレがちょうだいする「相撲部屋ちゃんこ方式」といえようか。
それがしはん家の食卓作法というわけなんだった。
美しきかな。
哀しきかな。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« とある休日 | トップ | 責任論 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事