「感動の味を」とか「魂のスープ」とか、どうでもいいの。
おいしいもんつくってくれたらそれでいいよ。
なんでテレビカメラの前でそれを言わねばならんのか?
それは、商業的においしいから、なんだけど、あざとすぎます。
佐野、という、テレビ的に伝説になってるラーメン屋さんがいますが、あの男がいちばんうるさい。
「うちのカウンターでは、おしゃべり禁止!」とか言っていばってるらしいけど、ペラペラとしゃべりすぎのおまえに言われたくない。
だいたいカウンターテーブルっつーのは、対面でしゃべり合うことを意図してつくられてんの。
矛盾に満ちてます。
このひとのつくるラーメンがうまくないってことは、食べなくてもわかります。
そんな状況下で食べさせられるラーメンが、うまいわけないもの。
家畜がエサを摂取するようなシチュエーションではないですか。
ラーメンなんてざっかけな食べ物は、ワイワイおしゃべりしながら食べるのが、いちばんおいしいのです。
話し戻るけど、前述の「ラーメンに一期一会」的なものを求める態度って、一時ブームになったカリスマ美容師の「私たちは魂を形づくっているのです」的発言に酷似していて、少々気持ちが悪い。
そう思っててもかまわぬけれど、口にしなさるな。
さぶいから。
おまえは命かけてラーメンつくってるかもしれんけどね、そんなことは日本料理人も、イタリア料理人も、街の定食屋さんも、どんな料理人もやってるよ。
つか、料理人でなくても、仕事してるニンゲンなら誰でもそう思ってるのでは?
能書きはいいから、ちゃんとしたものつくりなさい。
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園