裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

コクボせんしゅ

2017年08月29日 21時20分58秒 | Weblog
テレビで、昔のオリンピックで「選手団の制服を腰履き」に着崩して空港に現れ、ひんしゅくを買ったコクボって選手の話をやってたので、考えてみたのだ。
今はとても子煩悩なお父ちゃんになってるのだが、「あのときの振る舞いを悔いてはいない」と言うのだな。
ま、確かに「後悔してます」とは言いづらい。
で、考察。
高校の制服をあの感じに着崩す(というか、ただただだらしなく着る)と、先生に叱られるし、同級生からも眉をひそめられる。
それを直せない子は、「修学旅行には連れていけません」となるにちがいない。
着崩しが本人のアイデンティティだと言い張ろうが、制服をきちんと着るのは学校側のアイデンティティなんであり、あんな見る影もない格好にアレンジされては、学校としては社会的に恥をかかされるばかりでたまらない。
つまり、その着崩しは迷惑な行為なのだ。
「腰履きはスノボの文化なんで」と言うが、世間の目に見苦しく映ることは間違いない。
それを踏まえても、きちんと制服を着るのは自分のアイデンティティに反する、と言い張るのなら、国民代表としてオリンピックにいってはいけない。
その制服は国から与えられたもので、しかも飛行機代も宿代も出してもらって、すべてをひとからのお金でやらせてもらってるのに、そこだけ我を通したい、では筋が通らない。
アイデンティティを言うのなら、派遣を拒否する、すなわち、「オリンピックに出てあげない」という選択がいちばんかっこよかった。
そこに至れない部分で、彼の考え方は片手落ちで幼稚だったというわけだ。
そしてその後の記者会見で「ちっ、うるせーな」と言ってしまうわけだが、この意気はなかなかよろしい。
さらなるバッシングを誘導しよう、つまり「事を荒立ててやろう」という作戦だ。
そして想定通りにバッシングを受け、彼はほぼ日本の文化圏から追い立てられるわけだが、この部分は完全に「おめーらとはつき合わねーよ」対、報道側の「じゃ、きみを袋叩きにするよ」のフェアトレードと言っていい。
つまり、望むところ、ってわけだろう。
こうして彼は世界に飛び出したわけだ(追い出された、とは考えたくない)。
オレも、事が起きれば彼のような行動を取るタイプだと思う。
団体行動、無理・・・
だから、余計なつき合いは極力避ける。
ましてや、うっかりと集団に所属しちゃいけない。
ひとの金でなにかをさせてもらっちゃいけない。
ひとりきりで生きるすべを持ってなきゃいけない。
コクボくんの、ちょっと見苦しく、ちょっとかっこいい振る舞いを見て、そう思うのだった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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無所属・現

2017年08月28日 09時27分45秒 | Weblog
友だちなんて、何人もいらない。
いちばんつき合いやすいのが数人いたらいい。
って考え方のしはんです。
大人になってからできた友だちは、ふたり。
最近、そのふたりともが引っ越しちゃったんで、連れ立って飲み歩く相手が皆無になった。
つき合ってくれるのは、よめはんくらい。
誰かつき合って!
・・・なんて言わないよ。
ひとりきりが気軽でいい。
友だちの選定には、相当な吟味が必要。
周囲を根こそぎにじゃんじゃん取り巻きを増やしてく人物が世の中にはいるけど、あれってめんどくさくならないのかなあ・・・不思議。
気分はいいんだろうけど。
でも、ま、いろんな考え方があるんだろうな。
つか、オレの考え方が異端なのかもね。
ひととつるむの、めんどくさい。
オレはどこにも所属してません〜。

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友だちへ

2017年08月18日 10時34分17秒 | Weblog
ひどいセンスだなあ、と思う。
韓国のことだよ。
友だちとして言いたいことがある。
きもちわりーんだよ。
ケンカ売ってんなら買ってやるよ、お望みなんだろ。
仲直りしたはずだろー?
昔々(ひどい昔だ)、うちのジジイたちがいじめたことは悪かったよ。
でも、お互いが完全に納得し合って、握手までしたじゃん。
「永遠に、絶対に蒸し返さない」とまで約束したよね。
なのに、こうまでネチネチ、ネチネチ、ネチネチ・・・
ただ「ヤ〜っなことしたい」だけじゃん。
バカじゃねーの?
正直ね、もう友だちでいるのは無理、とまで感じるよ。
以前は「申し訳ない」なんて思ってたけど、それももうあんまり思えないや。
それはね、あんたたちの態度がただひたすらこっちをおとしめるためのイヤミでしかないからだよ。
見くびんじゃないよ。
あんたら自身、被害者のことなんてなーんにも考えてないじゃん。
こっちが苦しんだら気分が晴れる、ってだけじゃん。
相手が手を出せないことを逆手にとって、遠目からいたぶってるだけじゃん。
ちゃれーんだよ。
ケンカを最後までやり抜く度胸もないくせによ。
自分の行為を客観的に見たことないの?
世界中を探したって、こんな陰険なやり口、見たこともないよ。
吐き気がするほどの嫌悪を感じるよ。
目を覚ましなよ。
・・・もうおそいけどね。
今やもう韓国にはひとつの美質も見出せない。
悲しいけど、好きなところが一切なくなった。
いや、焼肉とキムチがあるか・・・
だけど、もうこの手の書き込みもやめようと思う。
あきらめたよ。
あんなやり方されたって、反省なんかしないよ。
ただただ、韓国を嫌いになるだけだ(今まで韓国が好きだった連中がね!)。

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戦争

2017年08月15日 09時07分50秒 | Weblog
終戦記念日。
すべての戦没者さんに祈りましょ。
そして、世界中で寄ってたかってケンカして、殺し、殺されまくったあの巨大イベントの反省と、二度とやらかさない誓いを。
わが日本国は、いろんな小国で暴虐の限りを尽くした振る舞いを反省しなきゃいけない。
そんな日本国も、大きな国に蹂躙されまくった怒りを訴えなきゃいけない。
弱いものに対していじめっ子だった日本国は、最後にいちばん強いいじめっ子にぎゃふんと言わされたわけだ。
そんな俯瞰と同時に、内輪の総括も忘れちゃいけない。
太平洋戦争は、「軍部(大本営)」という卑怯極まる連中が国民をいじめ抜いた、理不尽極まる政治の帰結だった。
毎度書いてるけど、水木しげるさんによるとあの戦争は、「軍部にいじめられてた日本国民を、アメリカが助けてくれた」出来事となる。
卓見だ。
戦国時代の昔、侍は「殿」と「お家」のために命を捨てる美学を築いた。
それを軍部は悪用して、「天皇陛下」と「お国」のために国民は命を捨てよ、とすり替えたわけだ。
理屈に合ってるようで、まったく小賢しいお手盛りだ。
結局、軍部の連中は、ウソをつきまくって、欲望のために前線の兵隊の命を散らし、護身のために国民にあらゆる犠牲を強いた、見下げ果てていい存在といえる。
こっちだって人間なんだからいつでも死なされる手ゴマ扱いされちゃかなわないよ、だいたい何様なんだよお前ら・・・と国民の誰もが感じてたにちがいない。
兵隊は、英雄でも勇敢なひとびとでもない。
特攻行為は、美しくも清らかでもない。
まったく不合理に命を散らした惨めな彼らを、映画でかっこよく描くな!と言いたい。
そんな命を散らした現場よりも深刻視しなければならないのは、「しね」と命じた上の人間の愚劣さだろう。
こんなのだけがのうのうと生き伸びて終戦を迎えたんだから、終戦記念日は「怒りの日」とすべきだよ。
政治に対する怒りだ。
その怒りなしに、反省なんてできないし、ましてや不戦の誓いなんてできない。
安倍さんや稲田さん、それに自民党の先生方は、ここんとこを理解できてない。
「美しい日本」って、どこさしてゆーとんの?
戦争とは、醜さの境地なんである。

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