裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

工房の忘年会の様子を時系列で説明してみる、の巻

2009年12月21日 02時05分07秒 | 工房
工房忘年会であります。
画像を連続して貼り付けたいんだけど、うまくいかないので、いちいちリンクにします。
画像を見たいひとは、そのシーンの説明文をポチッと押してください。

というわけではじまった、森魚工房恒例の年忘れ大宴会。
まったく乾杯が大好きなヒトビトであります。(師範がそそのかしてるんだが)
料理はひと品持ち寄り、器は各自に手製のもの、これで盛り上がらないわけがない。
そば懐石職人・はたのくんの鴨薫製や、半日がかりで仕込んだおでんも飛び出し、宴たけなわ
例によって、豪華(?)賞品争奪ジャンケン大会がはじまります。
一回戦、なんとなんと最後まで勝ち残ったのは、あおい少年(5つ)
大・中・小の賞品から、もちろん「いちばん大きなヤツ」をチョイス。
目玉賞品であるアフタヌーン・ティー製のブランケットを一発で引き当てます。(引き強し!天性のギャンブラーか?)
二回戦は、工房のルーキー、「ポジティブ・メーテル」浅野さんが勝ち、キハチのおやつセットをゲット。
ヨメはんが会社からくすねてきたものばかりですまん。
三回戦は、ジャンケンの女王、よはんなさんが、お抹茶と茶せんセットをものにし、またしても強運を披露。
男ども、もっとがんばらんかい。
さて、ジャンケン大会がちょうど終わったタイミングで、吾妻くん登場。(この絶妙の間の悪さは、さすが)
しかしホテルニューオータニで2000円で供して財界人をうならせるわらび餅が登場すると、一同興奮。
前回、料理人の立場でありながら、スーパーで出来合いの焼き鳥を買ってきてしまった失態を帳消しに。(2時間遅刻してまで、がんばってつくってくれたらしい。えらい!)
ノドを枯らしてしゃべりつづけた師範も、10時を過ぎるとヨッパでへろへろ。
最後は、パティシエ・よはんなさんの手製ロールケーキにパクついてシメ。
たのしいたのしい会でありました。
来週末の土曜もかるーくやるから、みんなこいー。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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自死の罪深さ、の巻

2009年12月10日 23時17分36秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
睡眠薬を94錠も服んでも死ねず、三日と三晩めに目が覚めて、「今起きた」といって工房にくるひとがいるんですが。
バカー!
今どきの睡眠薬は、いくら飲んでも死なないらしいね(薬剤師やってる生徒さんによると)。
ひとは、そう簡単には死なせてもらえません。
だって、死ぬときは苦しい。
苦しいから死にたくない。
そのしんどさを排除した死に方をテクニカルな形で求めるのは、あらゆる(まともな)宗教が説諭するとおり、卑怯というものでしょう。
死の苦しみとは、神の意志そのものなんであり、その観念があるために、ひとは「死なんとこ」と思いとどまるんであり、逆に、そう簡単に死ねたら、生きてる価値なんて大したものではなくなってしまいます。
「お手軽な死に方」という考え方自体、生をバカにしてます。
死の瞬間にいちばんつらい目に遭わねばならないことを思いついたのは、神様ではなく、われわれ生命体自身にちがいありません。
それは、遺伝子に組み込まれた制御システムと解釈できます。
生物総意としての「種の存続システム」と言い換えてもいい。
生物がこの世に誕生したとき、「死ぬときは苦しもう」と自らに課したわけです。
死の苦しみと、生殖行為の快楽は、種を途絶えさせないための最も基本的なアイデアと考えるべきです。
そこのところを、きちんを咀嚼しときましょう。
「死にたいな~」なんて血迷うことは、誰にでもあるもの。
だけど死にたくなってもね、一応踏みとどまって生きときましょうよ。
そのうちにいいときがくるかもよ。
そしてなによりその自死は、すべての生きてる、あるいは死んでいった、またこれから生まれ来る、あらゆる生物に対して失礼でしょ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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ゆくすえ

2009年12月04日 11時50分25秒 | Weblog
稚拙すぎる・・・
ここまで頭が悪いとは誰も気付かなかったわけですが、本当に大丈夫なんでしょうか?
なにより、覚悟が据わってない。
激しくがっかりさせられつづけてます。
「一大事をまかされている」という肝を据えた態度がほしいです。
国民は今回のチョイスで、「交代を望んだ」というよりは「次回の選択のために、一度試させてみよう」というスタンスで彼らを舞台に上げたわけです。
旧来のものよりはマシだろう、という淡い期待もありました。
かく言うぼくもほんの少し期待してたわけですが、交代直後にこのブログで予言した「大掛かりな失敗」の兆しがこう早々と顕在化してこようとは思ってませんでした。
新大統領を頂いたアメリカなどを見てると、露見した大失敗や古い悪癖というものを一気に片付けて、早くも新しい時代に向かおうというダイナミズムが構築されつつあるわけですが、我が国にはそれがありません。
思想がなさすぎます。
ディテールがあるだけで。
国民ウケする細かいところをちょこちょことテクニカルにいじってるだけで、大きな戦略というものがまったくない。
旧来の、まったくひどいシステムの「認識」と「処方箋づくり」にいまだ手間取ってる、というハンディキャップを加味しても、この能力のなさには驚くばかりです。
国民も、もっと露骨な物言いで叱咤してやらないと、彼らにとっての次回のチャンスは致命的に失われかねないのでは?と心配になります。
ぼくは「情報公開」というただ一点で彼らをチョイスしました。
二大傑物には、等質等量の武器(情報)を持たせなければ、フェアに競い合うことなどできない、と常々思ってたからです。
そののちに、真の選択は行われるべきなのです。
今回は、失敗してもいいから実験と割り切って、やり方を見せてもらってるだけ。
そこの本質の部分を本人たちが理解してくれてないのが、いちばん悔しいところです。
ただ、もう旧来のひとたちにまかせようなどというチョイスはありえないので、しばらくは様子を見るしかありません。
新しいひとたちに早いとこ成熟してもらわないと、本当にこの国の没落は超加速的らせん軌道に乗ってますよ(やがて、ではなく、すでに、乗っている)。
頭を使う以前に、頭を冷やせ、と言いたいです。
つか、このままいけば、分解→再集結という流れ以外にありえないんで、むしろとっとと逝きつくとこまで逝ってほしい。
バカをさらしきって、あきれ果てられてほしい。
で、ガラガラポンして、「リベラル」と「保守」という大きな二種類の色を結晶化させて、「民主主義」という、いまだかつてこの国に存在したことのなかった思想を体感してみたい。
これは、見果てぬ夢でしょうか?

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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