裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

がんばる

2008年06月27日 09時26分10秒 | Weblog
ひとはなんでがんばるのかっつーと、お金が欲しかったり、地位や名誉を望んでたり、上手になりたかったり出来るようになりたかったりかっこよくなりたかったり、っつーのも道すじの向こうにあるにはあるんだけど、直近の目標としては「相手をがっかりさせないため」っつーことだと思うんだな。
突き詰めれば、自尊心のため。
だからぼくはがんばれるのだった。
がんばれないひとはよく「今が楽しいからこれでいいんだ」と言うけれど、それはちがう。
それは「楽しい」のでなく、「楽」なの。
楽しいと楽とは根本的に別物なんだ。
がんばってがんばって、やっと楽しさが生まれるんだ。
ぼくは学生時代にラグビーをやってたんだけど、ちっとも練習にもこないでがんばることもしないチームメイトが、負け試合の後に泣いてたことがあった。
彼は悔しくて泣いてたらしいんだけど、普段の自分の態度をかえりみて、ほんとに心から泣けるもんだろうか?
結果というものは、プロセスから生まれるんだよ。
プロセスをはしょって結果に心が動いたとしても、それは「悔い」ってものだ。
悔いのない人生を送るには、がんばるしかないのだ。
「がんばれ」と言っちゃいけない、って風潮が幅を利かしてるけど、がんばってほしいひとにはきちんと「がんばれ」と言うべきでしょう。
そのほうが、どれだけ力が出ることか。
「がんばらなくていいんだよ」は、がんばりすぎてるひとに言う言葉だ。
ぼくは「がんばれがんばれ」と言われたい。
がんばんないけどね、へへっ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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新聞

2008年06月19日 00時51分36秒 | Weblog

オレは新聞を左開きに、すなわち一面から政治面→国際面→経済面という順序で読む。
ツマはその逆で右開きに、すなわちテレビ欄から三面記事→地方面→文化面という順序で読む。
オレは一面のトップ記事からトピック→社説→囲み記事など、各紙面の上半分を読む。
ツマは天気予報→有名人の死亡記事→不祥事会社のお詫び掲載→チケット情報→週刊誌の中刷り見出しと、下半分を読む。
ふたりで(図らずも)分担して、新聞一紙をすみからすみまで完全に読みつくす。
余すところなし。
その上、新聞紙は読み終えた後工房に流れ着き、タタラ成形のときの敷き紙や、焼き上がった作品を包む緩衝剤として利用される。
天寿を全うするといっていい。
わが家にきた新聞はしあわせだ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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2008年06月04日 16時48分06秒 | Weblog

「愛」の反対の言葉はなんですか?
と訊かれて、多くのひとが「憎悪」と答えるそうです。
だけどマザーテレサは穏やかに頭をふって、愛の対極にあるのは「無関心」ですよ、とおっしゃったのだそうな。
なるほどなー。
憎悪には、わずかばかりの(あるいは大いなる)愛も含まれるものね。
「無関心」ほど冷たい態度はないかも。
人間は一人じゃないんだから、もっともっと周囲とつながってかなきゃいけないね。
北極の氷の上にシロクマがぽつねん、みたいな画を最近テレビでよく見るけど、都会の雑踏の中で、ぽつねん、と感じる孤独ってのは、実にしみじみとつらいものなあ。
こんなにも深い孤独を心の中に持ってる生物っていないかも・・・
無関心でいないで、つながっていこうよ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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