裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

スプリング スリープ

2015年03月25日 14時50分27秒 | Weblog
春眠、暁を覚えず、かあ。
バーンアウトかなあ。
寝ても寝ても、寝てしまう。
むつかしいものを思いつくままに書き上げたはいいけど、推敲と校正がしんどい・・・
勢いだけの一気呵成だったから、後からの検証が大変だ。
高い精度、というよりももっときつい縛りの、厳密さ、を求められる世界なんで、読み返すだけで神経がすり減る。
書き上げたときには陶酔感があったけど、今はなにもやる気が起きない。
こりゃ、生涯をかけた仕事になりそう。
ピアノもずいぶん弾いてない。
連載の〆切りも二週間後。
なのに、ウツが近い。
オレには旅が必要なんだった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

歯止めというもの

2015年03月06日 22時04分52秒 | Weblog
原発なんてさー、動かしちゃえよ。
・・・ってのが、わが家(しはんと美左ちゃん)の基本的スタンスです。
ただし、事故ったときには、動かした張本人たちは全員死んでね、と。
電力関係者も、政治家も、読売新聞関係者も、そりゃ全員死ななきゃいけません。
だって、事故は起きないんだものね?
その意識なしに、原発事故を防ぐことなんてできませんし。
自衛隊なんてさー、戦争しちゃえよ。
・・・ってのが、わが家のスタンスです。
ただし、総理大臣は最前線(最初に銃弾がたどり着く位置)でラッパ吹いてね。
ナポレオンみたいに。
それなしには納得できません。
政治家が順ぐりに死んでくれるならいいよ、戦争しても。
しないんでしょ?
だったら、だめなんじゃないかなあ。

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死について

2015年03月04日 09時32分51秒 | Weblog
死ってのはすぐれたシステムだなあ、と思う。
死が苦しすぎるから、生きるんだよな。
死がたいして苦しくなかったら、ちょっとしたことで、生きるのをあきらめるんじゃないかな。
例えば、ふられた苦しみよりも、死の方が楽だったら、きっと死ぬね。
そうじゃないから、そこそこに苦しみながら生きざるをえない。
それでもふられただけで死を選ぶひとがいるけど、失恋のよほどの苦しみだなあ。
病気なんかになって、めちゃめちゃ苦しくなると、逆に楽になりたくて死を選ぶことになる。
肉体が勝手に死を選択してんだろうね、あっちの方がまだいいや、とかって。
こうして人間は、健康でいる間は長らえさせられ、朽ちてくにしたがって死の誘惑を受け入れることになる。
死なないために生きる。
これが実は本質なのかもしれないなあ。

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