ケンコンイッテキ

例によって、ノンフィクション的私小説。
青くさい学生時代のお話です。

あとがき

2010-07-23 08:44:01 | 日記
※この物語は、事実を元(にした記憶を元)にしたノンフィクションっぽい創作です。いや、創作っぽいノンフィクションです、どっちでもいいか。したがってストーリーや、登場人物や団体などのキャラクターづけは、著者の主観に基づいたものであり、それは事実と言われれば事実であり、ちょっと違うと言われればちょっと違う気がする、ということを、関係者各位はご理解ください。

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その37・回想(最終回)

2010-07-23 08:00:38 | 日記
 大学を卒業して、ひと昔と言いたくなるほどの月日が流れた。オレは東京に出て、巨大なビルのすき間を縫って歩きながら、その日その日を必死にやり過ごしていた。
 ふと思い立ち、なつかしい金沢を訪れた。
 久しく訪れていなかったその町は、こざかしく発展を遂げていた。ボロボロだった駅舎は、巨大なショッピング施設と合体し、ゴージャス極まる姿に変わっていた。周囲には巨大なホテルや商業ビルが建ち並び、「未来都市か」とツッコみたくなる。
 ふらりと母校に立ち寄ろうとすると、そこにアクセスするインフラは、いつの間にかとてつもない税金をかけて立派に整備されていた。ボロアパートから美大に抜ける細い路地は、区画整理とやらですでになく、古い町並みをぶっ壊して巨大な幹線道路が貫いている。見違えるような変貌ぶりだ。
 大学の校舎も施設も、自分たちが通っていた頃に比べると格段に洗練され、当時の面影がまったくない。ピカピカのキャンパスは、おしゃれな学生への配慮がゆきとどき、軽薄な感じだ。伝統のバンカラな気質は、完全に過去に追いやられたのだと知った。
 なんの気なしに、グラウンドにまわってみた。
ーまさかな・・・ー
 しかし、見つけた。ラグビー部の部室は、まだそこにあった。それはなんだか場違いで、こじゃれた風景の中に浮いていた。だが間違いない。あの頃そのままの部室だ。コンクリート打ちっぱなしのうす汚れた小屋。「楽苦美部」のバカ看板も健在だ。
 ベコベコにへこんだドアノブを握って回してみると、相変わらず施錠などしていない。建て付けの悪さで不埒者をイラつかせて撃退する大雑把セキュリティーは、昔といっしょだった。
 ひとけのない部室に入ってみて、安堵をおぼえた。その場所はなにも変わってはいなかった。物干しロープは今でも同じ方向に部屋を横切って、空間を不効率に分割している。そこに掛けられたユニフォームの素材やデザインは劇的にかっこよくなっていたが、それから放たれる悪臭やはびこるカビは、何世代にも渡って引き継がれているようだ。道具やスパイクの散らかりようも昔のままだ。男っぽい無頓着が幅を利かしていた。
 サンドバッグには相変わらず紫紺のジャージー(こちらもかっこよくなっていたが)が着せられ、ズタズタに引き裂かれている。壁に大書された「打倒キョーゲイ!!」の文字には、「!」がひとつ増えていた。あれから両者の間に、重大な何事かが起こったのかもしれない。非常に好ましい。
 ふと、梁に掲げられた一枚の表彰状が目に入った。それは、オレたちが金沢市の七人制ラグビートーナメントで優勝したときのものだった。賞状はそれ一枚きりで、スカスカの壁はその後の平穏な部史を雄弁に物語っていた。
 表彰状の入った額を手に取る。表面に積もったほこりを払うと、額にはさみ込まれた写真の中に、そのときの優勝メンバーが誇らしげに歯を剥いていた。
 オレは色褪せた写真の中のひとりひとりをなつかしく、愛おしくながめた。
 あれから、成田は油絵科の大学院を出た後、故郷の北海道に帰ってヘンピな学校の美術教師となっていた。
 オータはバイクを運転中に、飛び出してきた歩行者を避けきれずに転倒し、あっけなく天に召された。最後までステップを切るのがヘタだったのだ。
 寿司屋マッタニは、実家の寿司屋を継いだ。
 社長顔のダンナ松本は、一部上場企業に就職し、淡々と次期社長の座をねらっている。
 学者肌三浦は、大学院を出た後も学校に残り、もうすぐ教授様、という地位にまできている。
 そしてオレはといえば、こうしてラグビー部の想い出を書きつづっている。なぜなら、オレは十数年ぶりに訪れた部室の「打倒キョーゲイ!!」の文字の横で、それを見つけたのだ。ボロボロのコルクボードに、その写真は今も残っていた。
 それは、最後のキョーゲイ戦で先制点を挙げたとき、チカちゃんが狂喜しつつファインダーにおさめたスコアボードの写真だった。オレたち以外の人間にはなんの価値もない、その数字。生涯でいちばん熱かった日のかけらが、そこにあった。
 その光景を目にしたせいで、あの頃の熱がくすぶる自分の中に、小さな風が吹き込んだ。そして胸の奥の熾き火は一瞬、再び、めらっ、と炎をあげたのだった。

 おしまい

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その36・引退

2010-07-18 06:09:56 | 日記
 むき出しの陽射しに、重い湿気。セミ時雨。石彫場のトタン屋根には、ゆらゆらと陽炎が立つ。とまった風に、粗末なプレハブ小屋の周囲に密生したササはぴくりともそよがない。冷房などない。むせ返るような熱気のこもったそんな場所で、オレは毎日毎日、石にドリルで穴をうがち、くさびでかち割り、ノミではつり、グラインダーでけずり、砥石で磨き・・・なんて作業を黙々とやっていた。ハンマーを打ち込むたびに、ゴーグルと防塵マスクの間を汗がしたたり落ち、粉塵がはりつく。汗まみれ、粉まみれ、朦朧、緩慢。そんな彫刻科の夏の午後。
 ピン・ポン・パン・ポン。
 チャイムが鳴って、天板に石粉をうっすらとかぶった放送スピーカーがガーガーとがなり立てた。
「ラグビー部のみなさんにお知らせします」
 その声は、四芸祭後に新しくキャプテンの任を継いだ、ナナフシ・柳井だった。
「本日の部活動は、暑さのため休止し、かわりにサマーミーティングを行います」
 暗号だ!オレたちラグビー部員は、この放送が流れるといつもそわそわしはじめた。そして重いハンマーをマメだらけの手の平からはがし、頭巾の下で蒸れた髪を粉まみれのタオルでわしわしと拭きながら、いそいそとエントランスホールに向かった。
 そこにはすでに、ふくらませた浮き輪に華奢なウエストを通したマネージャーたちの姿。そして部員たちは、絵の具まみれになったからだや、ニカワをくっつけた顔や、木くずを散りばめた頭や、課題に向かって凝り固まった背骨や、そこから開放された満面の笑顔、なんかを持ち寄ってくる。そこへひょろ長い体躯を猫背にかがめたナナフシ氏が見参。柔和に宣言する。
「今日は暑くて練習なんかしちゃいらんないから、カイホリにいきます」
 わーっ、と歓声。
「うみだー」
 そう、貝掘り、とは、海に行く、のラグビー部流の言い回しなのだった。賢明な方にはもうご理解いただけたかと思うが、オレたちは、だらしないラグビー部、なのではなく、かるいラグビー部、なのだ。わりーか。
 400cc、250cc、原チャリ、そしてオンボロの軽乗用車で隊伍を組み、キャンパスから飛び出していく。兼六園を左手に見て坂をくだり、橋場町の色っぽい茶屋街をちらりと横目に見つつ、観光バスの連なる渋滞をぐっと辛抱。加賀友禅をさらす清らかな浅野川のせせらぎを渡ると、あとは国道をぶっ飛ばし、周囲の景色がビル街からのどかな田園風景になるのを待つ。大きな流れとなった浅野川に再び合流して、土手を河口までくだりつづければ、やがて頬に感じる潮風。正面の丘陵の奥に待つファッショナブルな内灘ビーチにすぐにも飛び込みたい気持ちに焦れつつ、右折。額に汗を噴き出させながらさらに走りつづけて、巨大な丘に突き当たる。
 こちらを見下ろすループスライダーのような坂。しかし怖じ気づいちゃいられない。夏は短く、青春ははかない。覚悟を決め、全車一斉にギアを1速に落とす。凶暴なアイドリング。そして我らがオンボロキャラバンは、壁のような急勾配をえっちらおっちらと登るのだ。悲鳴を上げるエンジン。悲鳴を上げるマネージャー。
 ようやく登りきって、再び浮き立つ心。そこに現れるのは、松林のすきまを一直線に走りくだるまっ白な道だ。鼻先をかすめる潮の香りに、高鳴る胸。夏の風景はすぐそこにある。左右に萌える緑を背後にかっ飛ばし、転げ落ちるように疾駆する。まるでジェットコースター。落ちきったところにある国道の高架をくぐれば、そこがゴールテープだ。
 突如として視界がひろがった。正面に開いたのは、青インクをぶちまけたような空に、ぱりんとエッジの立った入道雲。そして視線をどこまでも吸い込む紺碧の水平線。
 海だーっ。
 くたびれきったバイクのエンジン音をかき消す歓声がわき起こる。
 ひと気のない砂浜は、降りそそぐ日光をはじいてまばゆく輝き、オレたちをつつみ込む。すぐにバイクを乗り捨て、裸足になって駆けだす。熱い白砂がマメだらけの足の裏を焼く。気持ちいい。
 権現森の浜は、ラグビー部のサブグラウンドだった。部員はラグビーパンツ一丁になって、海に飛び込んだ。誰かが古い楕円球を投げ込むと、全員が狂ったようにそれを追う。あとは取っ組み合いのケンカ祭り。どこにいっても、チームはこんな感じだった。
 貝は足の指先でさがす。浅瀬の砂をにじりながらじわじわと移動し、異物を感知したら拾い上げる。丸まると太ったアサリやハマグリは、ポケットにすぐにいっぱいになった。
 たまに漁師さんたちが地引き網を引いていたりすると、そいつを手伝ったりもする。引き上げると、イワシがエラを網目に絡ませてじたばたしている。ピチピチのそいつを、漁師さんに言われるままに指で裂き、食らいつく。能登の海の新鮮な塩けがきいていて、すばらしくうまかった。
 海から上がると、青春じみた駆けっこがはじまる。砂にまみれて、タックルやセービング、相撲大会。マネージャーたちは、イワシや貝を焼いて賞味。満足すると、ビーチバレー。どこを見ても、栄養分の行き届いた叫声と笑顔がはじけていた。それはいつも変わらない光景だった。
 しかしそんな光景を、オレたち4年生は、半分外からのぞきこむような醒めた目でながめた。オレたちのラグビー部は、いつしか後輩たちのものになっていた。
 彼らはもちろんセンパイたちを尊重してくれたが、すでに引退した身には、その場所はどこか居心地がよくなかった。尻がくすぐったかった。彼らは以前と同様に振る舞ってくれていたのだろうが、こちらのどことはなしの遠慮が、徐々に居場所をせばめていくのだった。
 新たに神となった後輩たちは、自分たちの新たな天地を創造するのに忙しかった。継承と改革。それは毎年、連綿とくり返されてきた。自分たちの代もそうだったにちがいない。引退した先輩たちに気を使いながら、先輩たちのつくったものを少しずつ壊し、つくり直してきた。それでも、いざ自分がOBという位置に置かれてみると、切なさのような、さびしさのような、そんなしょっぱいものを感じないではいられない。宙ぶらりんというやつだ。
 成田、オータ、マッタニ、ダンナ、三浦・・・オレたち4年生は、遠く後輩たちの陽気なさんざめきを聞きながら、焚き火の炎をぼんやりとながめて過ごした。気持ちの芯から熱さが消え、自分が枯れていくような思いがした。あの頃の発熱は、常に張りつめた気持ちのただ中に身を置いていたからのものだった。
 あの頃の自分が、いつも自身の中の目に見えない何者かと取っ組み合い、均衡を保っていたのだと知った。そしてその「何者か」は、幻影となりつつあった。

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その35・終幕

2010-07-09 22:27:54 | 日記
 激しい闘いはつづいたが、オレはもう働くことができなかった。なにしろ左腕が30度の角度から上に可動しないのだ。それ以上無理して上げれば、今度こそ鎖骨がポッキリといきそうだ。それでもリザーブの選手と入れ替えられるのが嫌で、何事もできないままにウロウロと走りまわった。
 告白すれば、気持ちはもう萎えていた。ケガによる弱気が、今まで自分を支えていた精神力を蝕んでいた。接触が恐い。当たれば激痛が走るし、なによりからだが本当に壊れる恐怖につきまとわれて、積極的に動けない。気の入らないタックルはたやすくかわされ、ボールもぽろぽろと手からこぼれた。
 そういう気持ちは伝播するものなのかもしれない。歯を食いしばって耐えに耐えていたディフェンスラインにも、徐々にほつれが目立つようになった。たったひとつのうかつなプレイは、数人がかりのフォローによって埋め合わせなければならない。そうしてチーム全体は消耗し、信頼関係自体がほころびていく。
 やがて焦りが生まれ、手っ取り早い方法で局面を打開しようという横着が行われてしまう。しかしそれは、決してしてはならない方法だった。代償が大きすぎる。
 自陣深く攻め込まれた地点で、あの緊張を強いる長いホイッスルが鳴った。ついにわがチームは反則を犯し、相手にペナルティを与えてしまったのだ。辛抱ができなかった。水面から先に顔を上げたのは、オレたちのほうだった。
 敵はためらうことなく、審判の前でゴールポストを指差した。PKを狙うことを宣言したのだ。老練な王者はこの瞬間を待っていた。トライを奪いにいく必要などない。未熟な「最弱タイトルホルダー」の闘い方は、見透かされていた。待ってさえいれば、この瞬間がおとずれることはわかっていたのだ。あちらにとっては、「まんまとやってくれました」というところだろう。
 オレたちはその痛恨に頭を抱えながら、エンドゾーンに下がった。ゴールポストの裏で、なにもできないまま見守る。これから蹴られるボールがポストの間を通れば、とうとうスコアが動く。それがなにを意味するのかは、誰もが理解していた。
 ボールが静かに地面に立てられ、キッカーが助走をはじめた。会場全体が息を殺して見つめる。しかしそれはキッカーにとって難しい仕事ではなかった。
 インパクトされたボールは軽々と宙に放たれ、頭上高くの青すぎる空を通過していった。チームメイトたちは呆然とそれを見送った。オレもその光景を目に焼き付けた。それは終わりの風景だった。
 祈り(呪いか)は通じなかった。得点がカウントされるホイッスル。0ー3。たった3点。しかし事実上、そこで勝負の行方は決まった。ラグビーとはそういうものなのだ。
 成田はまだ、おーっし、逆転するぞお、などとゲキを飛ばしたが、みんなの緊張の糸はもう切れてしまっていた。いったん向こうに渡した流れをもう一度こっちに呼び戻すには、このチームは未熟すぎた。
 それからふたつみっつの面白味もなにもない空疎なトライを決められ、オレの中でいちばん熱かった季節が終わった。

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その34・接触

2010-07-02 09:28:24 | 日記
 限界まで加速しつつ、ふたりは接近した。抜いたら勝ち、抜かれたらおしまい。試合の勝敗自体が、このワンプレイの行方で決定してしまう、という局面だ。
 イチガンケイは、オレに当たってポイントとなり、そこでモールをつくるか、あわよくば叩き潰して抜き去ろうという腹だった。ところがオレの必殺の勢いを見て、ひるんだにちがいない。轢殺をあきらめ、接触の寸前に右にステップを切った。
 一瞬の躊躇が、一呼吸分それを遅らせた。一方、こっちの動きに淀みはない。思いきって左肩でコンタクトした。
「相手のひざ頭に耳を切らせるように当たるんだ」
 よく先輩から聞かされた言葉だ。こめかみすれすれに敵の足を迎えにいき、肩深くで当たる。そうすれば、最も効果的に破壊力を伝えることができる。肉を切らせて骨を断つ。それは恐ろしいカミカゼタックルだ。生命保険会社からも「自爆」と判定され、保険金はおりないだろう。しかしラグビー部員はそんな訓練を積んできたのだった。ただし、動かないサンドバッグを相手に。生身の人間で試みるのははじめてだ。
(死んでもいい!いったれ・・・)
 コンタクト。左肩に、ヤツの背骨の芯を食う感触があった。後にも先にもそれ一回きり、という渾身のタックルが突き刺さったのだ。乾坤一擲。
 方向を逸らした分だけ、ヤツのベクトルは細っていた。オレは勢いを生かしたまま、さらにもう一歩、懐深くに踏み込む。同時に、目の前にある二本の脚を両腕でパックし、引き絞る。サンドバッグを相手に百万回反復した作業だ。体に染みついている。さらに押し込んでイチガンケイの爪を地面からひっぱがすと、硬く重い筋肉塊が宙に浮く感触があった。空中で足首を刈り取り、そのまま体を浴びせて、巻き倒す。
 耳をつんざく大歓声が沸き起こり、オレのからだには、生涯一度きりのジャストミートの余韻が熱く残った。一本勝ちだ。
 ヤツはトサカから落ち、そのまま密集に飲み込まれた。わやくちゃがはじまって、自軍ディフェンスの穴は閉じ、危機が去った。
 オレは破壊の感触に恍惚した。ところが同時に重大な問題が発生した。オレは自分の腕を周囲にさがしていた。ない、ない、腕がない。タックルの衝撃で、左手が根本からもげてしまったのだ。失われた腕を必死にさがした。・・・しかしやがて、右手に自分の左腕をにぎっていることに気がついた。一瞬の幻覚だった。それはちゃんと左肩にくっついていた。
 密集から出たボールはサイドに蹴り出され、プレイがいったん切られる。落ち着くと、ようやく事態が飲みこめた。左肩から先の感覚が、完全に麻痺しているのだ。触れても叩いてもつねっても、なんの刺激も感じない。指先を動かそうとしても動かない。長い正座で足がしびれたような、あんな感じだった。
 やがてゆっくりと神経がつながっていく。一本、また一本と電気信号が伝わりはじめる。すると今度は一転して、激しい痛みが襲ってきた。痛みの元をたどって、自分の左鎖骨が折れていることに気がついた。相手のステップの分だけ、タックルが肩の先に入ったようだ。その負荷に鎖骨が耐えられなかったというわけだ。左鎖骨の頸動脈と交わるあたりが、ピンポン玉を飲み込んだように見る見るうちに腫れはじめる。激痛で、腕がまったく上がらない。
 場内は騒然となった。大変な事態だ。試合が中断し、グラウンド内に担架が運びこまれた。
 ところが、それに載っけられて運び出されたのは、チキンの方だった。ヤツはトサカを垂れ、腹をかかえ込んでうめいている。アバラか内臓か、そのあたりをやってしまったらしい。ひと通り大騒ぎした後、静かに戦場を後にした。安らかに眠るがいい。
 そしてオレの治療は、粗暴なマネージャーによって行われた。寝てください、といわれて素直にグラウンドに横になると、左肩から頭までジャブジャブとヤカンの水をぶっかけられる。しおれた花にも水をやれば、もうしばらくの間はもつだろう、ということらしい。すばらしき魔法の水よ。
 オレは動かない左手を右手で持ち上げて、再びピッチへともどった。

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その33・正対

2010-06-26 08:42:10 | 日記
 両チームとも気合いが入っていた。攻撃一辺倒型のわがチームはどんどん攻めたが、敵の粘っこいディフェンスは決して破綻しなかった。逆にこちらのもろいディフェンス網も、相手の老獪な攻めに屈せず、よくしのいだ。どちらも決定的な流れをつくることができず、前半を終えてもスコアは動かなかった。
 後半がはじまっても膠着状態はつづいた。得点は0ー0のまま、刻々と時間が過ぎていく。水面から顔を上げた方の負けだ。最初に得点した側が完全に試合を支配する。得点された側は、流れを食い止めることはできないだろう。拮抗した試合とはそういうものだ。一穴をうがたれれば、崩壊がはじまる。じっとガマンし、ひたすらチャンスを待つしかない。トライの獲りっこよりもはるかにつらい試合展開だ。成田は、気持ちを切るな、集中しろ、と叫びつづけた。
 わがチームのスクラムは、王者の重いプレッシャーにも負けずによく耐えていた。ずしりとくる重量感をがっちりと受け止め、必死で踏んばる。地面を噛むスパイクの爪はピタリとそこに踏みとどまって、動くことはなかった。押し返せはしないが、押し込まれることもない。校庭の若い芝を荒らしたスクラム練習は、王者相手にも見劣りのしない力をつくった。
ーまけねーぞ・・・ー
 オレはファーストスクラムを組んだときから、トイ面の男の眼が気になっていた。フランカーのこの位置は、スクラムを組むと、相対する敵フランカーの顔を真正面に見ることになるのだ。大男たちの筋肉がミシミシときしむ音を右耳に聞きながら、オレはじっとサイドに張りつき、トイ面の男の目をにらんでいた。敵もすごい形相でにらみ返してくる。視線を逸らすわけにはいかない。瞬きもせず、ヤツをロックオンしつづけた。
 イチガンケイ。
 オレはヤツにそう名付けた。ヤツの髪はトサカのように逆立っている。極限まで絞ったシャープな体躯で飛び出しに備える姿は、まるで軍鶏のようだ。歯を剥いて、敵意をあらわにしている。獲物を見つければすぐさま襲いかかれる戦闘態勢。しかしヤツのいちばんの特徴は、左目の目頭から目尻までを真一文字に走った太い血管だ。まるで赤い矢が瞳を貫いているように見える。異様な充血。寝不足か。いや、前日の愛知芸大戦で負ったケガかもしれない。ヤバい薬のやりすぎのようにも見える。狂気を宿した赤目。とにかくオレには、ヤツが独つ眼のニワトリに見えたのだった。
ー一眼鶏・・・イチガンケイ、ピッタシだ。うふふ・・・ー
 そんなことを、にらめっこしながら考えていた。
 スクラムが散っても、ヤツはオレを徹底マークし、しつこくまとわりついてきた。ボールを持てば、鋭い出足で噛みついてくる。こけーこっこっこっ。オレも負けずに追い立ててやった。しっしっ。
 こんな局地の個人対決でも消耗戦だった。取っ組み合い、手足をコロし合い、ボール獲得のために小さな主導権のやり取りをした。言葉は交わさなかったが、むき出しの闘志でお互いをライバル視した。ケズリ合い、しぼり合って、へとへとになる。足はツり、息は上がり、歯ぐきに親しい鉄の味を噛みしめた。しかしヤツもそうだったにちがいない。それは敵味方たがわず、プレイヤー全員がそうだった。気力を振り絞っての総力戦となっていた。
 後半も終盤にさしかかり、ついに味方側の守備がほつれた。そのほころびを裂いて突っ込んできたのは、イチガンケイだった。オレはディフェンスのフォローに走っていたが、不意にぎらついた充血眼に射抜かれた。オレも射返す。このとき、ふたりの接触が運命づけられた。飛び込みどころを決めたヤツは、狂気を背負って向かってくる。くわーっこここっ。迷いなく、一直線に突破をはかろうというのだ。このオレをポイントに。
 オレは天の声を聞いた。
「ころせ」
 スパイクの爪に全体重をのせると、地球を転がすほどの勢いで地面を蹴った。トップスピードまで回転数を上げ、倒すべき相手にまともに対峙する。風景が消し飛び、視野にはヤツしかいなくなった。ヤツも座標を一点に定め、突っ込んでくる。逃げ場はもうない。
 こうなったらベクトルの太さ勝負だ。オレは気合い値をレッドゾーンに振り切らせ、イチガンケイに正対した。

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その32・挑戦

2010-06-21 08:47:46 | 日記
 明けて翌日。あきれるくらいの晴天。ファイナルマッチにふさわしい。
 しかしからだは、昨日の激闘の影響でガタガタだ。そもそもラグビーなんて、二日つづけてやるようなスポーツではない。全力で押し合い、ぶつかり、踏まれ、のめされ、そのうえで全速で走りつづけなければならないのだ。たった一日で疲れがとれ、傷が癒えるわけがない。
 それでも四芸祭の過密日程は、選手たちに強行軍をせまる。ギシギシきしむ関節をほぐし、スリ傷や打ち身に触れないようにして注意深く布団から起きだす。チャリに乗って、集合場所である学校グラウンドに向かった。
 試合用ジャージーの洗濯は、マネージャーがすませてくれていた。すばらしい。疲れ果てたからだにムチ打ち、試合後に冷たい雪解け水でじゃぶじゃぶ洗っていた頃がなつかしい。おんぼろ洗濯機がフル回転でどろんこを落としてくれたユニフォームは、きれいにたたんで積まれていた。
 それが、キャプテン・成田からひとりひとり、ポジション順に手渡される。この年のオレは「6番・左フランカー」にコンバートされていた。フランカーは、スクラムのサイドに張りつき、相手ボールが出ると同時に猛ダッシュして絡みにいったり、密集際を突いてくる敵にタックルをかましたり、またバックスのサポートとして走ってライン参加したりする、ちょっとかっこいいポジションだ。右フランカーの成田と対になっている。やつと比べるとずいぶん見劣りはするが、栄転に見合う活躍をしなくては。
 原チャリやポンコツ軽を連ねて、市営グラウンドに移動する。そこではまず、キョーゲイ対愛知芸大の三位決定戦が行われる。「世界最弱決定戦」だ。そのタイトルは、前回大会まではずっとオレたち金沢美大が維持してきた。だが、今年は高みの見物というわけだ。
 キョーゲイの力は圧倒的だった。まるで精密機械のように各ポジションが機能し、滞りなくボールが動いていく。スタンドから観ていても、ため息が出るばかりだ。どうしてこんなチームに勝つことができたのか、不思議だった。彼らは磨き抜いた攻撃力と組織立ったディフェンスで、あっさりと愛知に引導を渡した。
 たいしてジャージーを汚すこともなく仕事を終えたアズミは、こちらに向かってきた。ピッチと客席を隔てるフェンス越しに手を伸ばしてくる。オレたちは握手をした。
「おまえらもがんばれや」
「おう」
 次はオレたちの番なのだ。大気中に緊張感がひしめき、からだの痛みが消え去る。重要な試合の前には、いつもこうなる。痛覚を忘れ、逆に他の感覚は研ぎすまされていく。いよいよ決戦だ。
 スパイクを締め上げて、優勝決定戦の場に立った。タックルのときに耳を守るためのテーピングを頭に巻く。必勝のハチマキそっくりだ。気が引き締まる。
 相手は、一回戦で愛知を蹴散らして勝ち上がった東京芸大。長年のあいだ王座に君臨しつづける本物のランカーだ。実力は図抜けていて、余裕すら漂わせる。彼らの前に歩み出るだけで怖じ気づきそうだ。このカードは今まで、対戦組み合わせの綾で実現し得なかったものだ。最上位のチームに、最下位のチームは相手をしてもらえないのだ。だがその屈辱感を、今こそ払拭すべきときだ。臆している場合ではない。
 グラウンド中央に整列したとき、初めて対峙する強豪の姿をまじまじと見た。歳月に絞り上げられて褪せた伝統の白ジャージーは、それだけで重みを感じる。左上腕にえんじの一本線というデザインも、シンプルでかっこいい。なによりその佇まいに威厳を感じる。彼らは誇らしげで、まさに王者の風格をまとっていた。
 それにくらべて、金沢美大の赤とグレーの横シマジャージーは、ウルトラマンカラーと愛称されるように、いかにも軽薄に見える。だがそれはオレたちにとっても誇り高いチームカラーなのだ。そして結成されて歳月の浅いわがチームは、自分たちこそが歴史をつくってきたのだという自負もある。ただし、それは敗戦に次ぐ敗戦の歴史ではあったが・・・。それでも元世界最弱と呼ばれた面々は、ついにこの決戦の場に見劣りしないチームを築き上げた。この試合はそれを証明する場だ。今日、まさに栄光の歴史がつくられようとしている。そう、自分たちがその事件を部史に刻むのだ。
 人員の少ないわがチームの応援席には、キョーゲイの連中が陣取っていた。宿敵の前で無様な試合はできない。麗しいマネージャーたちも見守ってくれている。20%増しのパワーをくれ。さまざまな力をもらって、からだ中に熱がみなぎりだした。神経がボール一点に集中する。
ーやったる・・・ー
 尻の穴をぎゅっと引き締めたときに、ホイッスルが鳴った。決戦の幕が切って落とされた。
 いきなり、がつん、と衝撃が走る。ファーストコンタクトで、敵の重量と、高密度な筋肉の質感を知った。彼らの肉体は、鍛えあげられた破壊兵器だ。そのパワーに思わず目を見張り、たじろぎそうになる。しかし思い直した。
ーさがったら、しぬ・・・ー
 気を入れないと、殺される。殺されないために、気を入れるしかない。敵の巨体を受け止める痛みに、逆に精神の柱を通せた。それは開き直りというやつだ。無我夢中でタックルにいく。フランカーとは、そういう役回りなのだ。オレがそれをしなければ、チームが機能しないのだ。
 タックルは、質量とスピードとタイミングの運動といえる。ただしそれをコントロールするのは、人間の原初的な意志の力のみ。すなわち、気合い、というやつだ。巨大なベクトルに命を吹き込むのは、結局はドロ臭い精神力しかない。どれだけ青くさい、非科学的、と言われようが、それは実際にラグビーをやってみればわかることだ。要するに、最後は「根性」なのだ。歯を食いしばるうちに、オレはそのことを圧倒的に理解した。
 臆するのをやめた。一歩も退かない、と決めた。なぜなら、これはオレたち4年生にとって、最後の試合なのだった。

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その31・宿願

2010-06-12 08:54:12 | 日記
 先制点は関係者の度肝を抜き、キョーゲイをおののかせた。わがチームは勢いづく。数字は臆病者に勇気の根拠を与えてくれる。キョーゲイ恐るるに足らん、という意識が形成された。ラグビー部員とは、おしなべて脳の構造が大ざっぱにできている。要は、お調子者なのだった。
 一気に流れがきて、チームに本来の動きがもどった。直前練習のときとは打って変わって、ボールが手につき、地に足がつき、動きに自信がみなぎりはじめた。イケイケで攻める。
 フォワードはポイントをつくると、素早い集散でいともやすやすとボールを確保した。一年生で入りたての頃に何度も何度も組んではほぐしたあの型を、チームは理解し、自分のものにしていた。どんな状況にも対応できる。ボールを持った者がタックルを受けても、踏んばって立ちつづけてさえいれば、必ず味方が走り込んで左右からフォローに入る。倒されても、組み付かれても、何人もの仲間がそのポイントに飛び込み、大きな力となって敵を押し返す。足でボールをかき出し、あるいは浮き球は手から手に送られ、後方で待機するスクラムハーフに供給される。どんなむずかしい状況になっても、マイボールは守られ、バックスへとつながれた。
 バックス陣は、フォワードの成長を認めて、ボールの供給を信じきって前方のケンカ祭りを見つめた。以前のように、あせって助太刀に飛び込む必要はないのだ。じっと待ってさえいれば、必ず攻めの機会は与えられる。それまでは脚にパワーを凝縮し、備えていればいい。
 そしてそのチャンスがくると、バックス陣はため込んだ脚力を爆発させた。密集から出たボールは、スクラムハーフからスタンドオフへ矢のように送られる。じりじりとした力勝負から一転、展開が一気に加速する。攻撃を寸断しようと個々をつぶしにくる敵をものともせず、ボールは動きつづける。チームの意志とでもいうべきそのボールは、オープンサイドを広々と支配するオフェンスラインに乗っかって、敵陣深くへと運ばれた。そして接触があってポイントができれば、すでにその場にはケンカに飢えたフォワードが飛び込んでいる。そんな滑らかな循環がくり返された。
 オレは走りながら、バックス陣の間を渡っていくボールの流れをうっとりとながめた。なんという美しさ。これが自分たちのチームかと、信じられない気持ちだった。
 ボールは、この4年間を一緒に闘った同期生たちの手から手へと流れていく。フォワードのオレ、成田、三浦が守ったボールを、ダンナ松本に預ける。そこからパスされたボールを、寿司屋マッタニはむんずと受け取り、胸にかかえこむ。じたばたと走ってトイ面につぶされる直前、その大切なものは切り札に託される。彼が横後方に出したパスは生き生きと伸び、出力全開で走り込むオータの手の平に渡る。
「おおおおお!!!」
 声を出さないと走れない男。オータはステップを切らない。犬のようにどこまでもまっすぐに走る。サイドラインすれすれを走り抜けるオータは、しかしライン際に追いつめられても、決して敵の手を自分には触れさせなかった。それはすごい光景だった。目に焼き付いている。捕獲を試みるその邪悪な手を避けもせず、かいくぐりもせず、脚の筋肉だけを信じて、ただまっすぐにゴールエリアを目指して走る。なんという熱さ。タイトな地域を信じがたい意思の力で駆け抜け、オータは飛び込む。みんなの四年間が結実したようなトライ。またも咆哮する成田の姿を見たとき、泣きながら笑いだしたくなった。
 ホイッスルがみっつ鳴って、チームは渾身から歓喜した。ついに宿敵に雪辱したということもあるが、それよりも、はじめて自分たちのラグビーを貫くことができた充実感があった。下級生たちは勝利そのものをよろこんでいたが、オレたち四年生は少々別のものにひたった。苦しさを分かち合った四年間のプロセスを思い、成田、オータ、マッタニ、ダンナ、三浦、みんな涙目で抱き合った。出しつくした開放感。チームの頭上に虹が立っているように見えた。
 そしてそれは、最初で最後の感覚だった。

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その30・先制

2010-06-04 19:57:29 | 日記
 冴え冴えと晴れわたる5月の空に、ホイッスルが鳴り響いた。それを合図に、地面に立てられた楕円球の横っ面を、柳井のムチのような脚がひっぱたく。試合開始だ。
 オレたちフォワードは意味のない雄叫びをまき散らしつつ、敵陣へと突っ込む。しかし闇雲ではない。ターゲットはしぼられている。
 キックオフのボールは高々とした放物線を描いた。やがてゆっくりと下降し、22メートルライン近くまで飛んでいく。迷いのない正確なキックだ。行く手には、奈良の大仏さまのようなアズミが待ち受ける。オレのトイ面のポジション。すなわち、ま正面だ。
 アズミが捕球姿勢をとり、オレは身を沈めてタックルの体勢に入った。
「しねっ!」
 アズミの、ぎょっとする表情を、オレは見た。やつは敵の来襲を視界に入れると、グッと脚を踏んばって衝撃に備えつつ、ボールをキャッチした。しかし捕球の瞬間はどうしてもからだのバランスが不安定になる。コンタクト!
「このやろっ・・・」
 毛むくじゃらのからだを押し込み、そのまま体重をあずける。高原のグラウンドでさんざん組み付いた親しみのある肉布団が、ふわりと浮いた。やつは尻モチをつき、ボールを手からこぼす。ルーズボールが敵陣地をてんてんと転がっていく。オフェンスラインをつくっていた敵バックスと、背後から敵フォワード陣が襲いかかってくる。紫紺、紫紺、紫紺の殺到だ。
 オレはアズミの腹の上でもんどり打ちつつ、頭からボールに飛び込んだ。芝生の上をすべり、楕円球を胸の中に確保する。地獄の夏合宿で尻に大きなお好み焼きをつくった、例のセービングってやつだ。あの練習がまさか本番で役に立つとは思ってもいなかったが、実際、生涯に一度きり、この瞬間に、あのバカ練習は意味を持った。
 オレは敵の脚の林立する地べたでボールをかかえ込んでいたが、孤立してはいなかった。すぐに味方フォワードがフォローに付いてくれた。両サイドにパック、その後ろにも数名が組み付き、勢いよく敵の壁を押し込む。ラックってやつだ。横たわるオレの胸の中にあったボールは、スパイクでかき出され、リズムよくスクラムハーフの手に拾われた。すぐさまサイドを突き、密集を流動させていく。
 フォワード同士でケンカ祭りをしたままじわじわと進み、今度はバックスの脚で仕掛ける。せまいサイドにオータがいた。ハーフはそこにパスを出す。
 オータは直線的にしか走れない。なぜかというと、そういう男だからだ。ボールを受けたオータは勢いよく突進し、タイトなスペースに走り込む。当然のように京都の山賊たちに取り囲まれてもみくちゃにされ、サイドラインの外に転げ出された。しかしボールはピッチ内を転がっている。あわてたキョーゲイのバックスが、ラインの外に蹴り出した。ホイッスルが鳴って、いったんプレイが切られる。
 こちらのアタックの勢いがまさった。これでマイボールラインアウトだ。しかもゴールラインは間近。この局地戦でボールを確保し、2~3歩スキップを踏んで寝そべりさえすれば、得点になる。どチャンスだ。
 スロワーであるオレはすぐさまボールを拾い、ロングボールをピッチ内に投げ入れた。たくさんの手の平がそいつをタップし、ボールはニュートラルなスペースに転がる。密集が視界をさえぎり、なにがなにやらゴチャゴチャでわからなくなった。ま、ラグビーとはこんな局面の連続なのだ。
 だが、その刹那にオレは見た。大男の腹と腹のあいだを縫うように、ズタズタに裂けたゼッケン7の影がかすめるのを。いつもはクールなひげ面の、ものすごい形相を。穏やかで無口な男の、狂人のような目を。どういう経緯でかボールを強奪した成田は、ゴツゴツとした脚に蹴られ、袋叩きの目に遭いながらも、突進をやめなかった。そしてついに太鼓腹の下をくぐって、ゴールラインに飛び込む。
「トライ!」
 ボールがインゴールにタッチダウンされたのを審判が確認し、高々と手をあげた。
 悲鳴ともつかない歓声が、客席からベンチから上がった。トライを挙げた成田は臆面もなく咆哮し、チームの誰もがその姿に身震いをおぼえた。
 前半1分の先制点。前代未聞の事態といっていい。しかもこの後のむずかしいキックを、柳井はゴールポストのまんまん中に通してみせた。あの宿敵キョーゲイを、世界最弱チームがリードした、歴史的な瞬間だった。
 チカちゃんはじめマネージャーの面々は、電光掲示板に記された得点を何枚も証拠写真に撮り、帰り支度をはじめた。これでもう思い残すことはないのだ。
 しかし信じられないことに、まだまだ見せ場はここからだった。

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その29・因縁

2010-06-02 20:24:11 | 日記
 初戦の相手は、この年も紫紺のジャージーだった。四年連続でキョーゲイだ。前年成績の2位と4位が一回戦で対戦すると決められているため、この二チームは必ず初戦にぶつかることになるのだ。別の言い方をすれば、この宿敵の壁を乗り越えられないために、わがチームはいつまでたってもBクラスに甘んじているということになる。
 試合直前のチーム練習は情けないものだった。みんな肩に力が入りすぎ、ボールが手につかない。決死の気合いが上すべりしている。浮き足立つ、というやつなのか。ボールを追うその姿は、ドジョウすくいのように滑稽だ。硬さはチーム内に伝染していく。不安が不安を増幅させる。
 一方、キョーゲイのコンディションは上々のようで、憎らしいほどにリラックスしていた。より上を狙う彼らにとって、この一回戦は準備運動でしかない。フィジカル面充実、磨き抜いたプレイは機敏で正確。非の打ち所ナシ。さらに集団としての動きも規律立ち、個々が教科書のように連動していく。画的にも勝てそうな気がしない。一年かけてゆっくりと育ててきた自信が、根底から揺らぐ。
 しかし待て待て。オレたちだってこの一年間、遊んでばかりいたわけではない。大口を叩けるような結果こそ残していないが、内容は確実に上向いている。努力の果実はすっかり熟れて、収穫寸前なのだ。あとは心の問題を克服しさえすれば、勝機は見えてくる。
 試合開始時間がせまり、チームは円陣を組んだ。その中心には、成田がいた。
 前年の四芸祭後にキャプテンを任ぜられた成田は、無精ヒゲをたくわえていい面構えになっていた。やつが4年間着たおした試合用ジャージーは色褪せ、右フランカー「7」を縫い込まれたゼッケンはズタズタに引き裂かれている。そんな野武士風の出で立ちがしっくりくる。やつは、同級の根性ナシたちを一から練り上げ、闘う集団に変革するという役回りを、新入生だった当時からすでに与えられていた。やつがキャプテンになるのは宿命だったのだ。
 オレたち同期6人は最高学年となっていたが、そのだらしない世代を一貫して引っぱって(いや、押して)きたのが、成田なのだった。やつはキャプテンにふさわしい人格と品位とを備えていた。そしてプレイの内容と。誰よりも早くグラウンドにきてアップをし、口数は少ないが、ここぞという場面のひと言でチームの士気を鼓舞し、類人猿のような荒くれ上級生とマイペースな新人類の混在するむずかしいチームを、信頼感でひとつにまとめあげた。不器用な成田のたったひとつの武器は「誠実さ」で、プレイのひとつひとつにもそれは表れた。アンフェアを決して許さず、ソンをするような場面でも素直にこちらの非を申告する。バカと紙一重だが、その姿勢を見せられるとオレたちは、なにも考えずについていこう、と信じたくなるのだった。
 鼓舞の言葉が、円陣内のせまい空間にひびく。その声は細く、穏やかだが、しかし芯に熱を帯びてスゴミがあった。意思の力がみなぎっている。キャプテン・成田の言葉は、深部にチリチリと浸透してきた。涙が落ちそうになる。
「さ、いこかっ!」
 やつの一喝でフィフティーンはグラウンドに散った。
 キックオフ前のグラウンドは、チビリそうなほどの静寂に支配される。静かな風が足元を流れる。皮膚になにも予感させるものがない。しらちゃけたような風景に、寄り付きどころのない浮遊感。これから起こる激しいぶっ飛ばし合いがウソのような、夢見心地な数十秒間だ。歓声も耳に入らない。そんな奇妙な平穏に飲み込まれる時間帯の底に落とされる。
ーこれで現役生活も最後か・・・ー
 そんなことを考えてみる。現実みがない。この試合だけを目標にすべてを準備してきたにもかかわらず、だ。自分が自分でないように思える。ぼんやりとした違和感につつまれる。
「杉山ぁ」
 隣の成田がずかずかと近づいてくる。そしていきなり両肩をつかみ、自分のぶ厚い胸板にオレの薄いアバラを思いきりぶつけはじめた。
 ごつんっ、ごつんっ。
 左右の胸でそれをやる。痛い、痛いんですけど。心臓が止まりそうな勢いだ。
「どうだ?」
「へ?」
「芯が通っただろ」
「あ、お、おお」
 確かに。筋肉が覚醒した、とでもいうのか。
 すっかり落ち着きを取り戻した。苦笑いをやつに向ける。しかしやつは笑っていない。本気の目は、すでにトイ面のキョーゲイに向いていた。
ーよっし・・・ー
 オレも敵に集中する。もう大丈夫だ。足に芝を踏む感覚がもどった。いつでも飛び込める。
 7人制の大会で優勝したゲンのいい市営グラウンド。緑一面に包まれたピッチのあちら側に、キョーゲイの選手たちが散らばった。テンメートルラインの向こうにフォワード、ゴールライン近くにバックスラインが散開する。
 いよいよ試合開始だ。センターサークル中央に、チームのキッカーであるナナフシ・柳井が向かう。審判から真新しい試合球を渡されると、ひょいひょいとそれをあしらいつつ、風を見る。いい追い風が吹いている。
 時間だ。
 そのとき、柳井はオレたちフォワードに向かい、ぼそっと呟いた。
「・・・アズミさんとこに落としますよ」
 キョーゲイ一の巨体を誇るアズミの上にキックオフのボールを蹴り込むから、そこに向かってつっこめ、と示唆したのだった。やつもまた燃えている。
 誰もが腹をくくった。不意に、得体の知れないものが血液中にみなぎってくる。からだ中に炎をまとうような感覚だ。

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