裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

女性を解放する

2019年01月23日 09時40分04秒 | Weblog
ろくろや陶芸指導で女性に対するとき、「自分で考えてみて」とあえて突き放すことがある。
解答をさしあげることは容易だが、それをすると彼女のためにはならないのだ。
彼女たちは、主体的な創造という行為に慣れてない。
こちら(男)に頼ろうとするヘキが、身にしみてしまってる。
これは批判でも悪口でもなく、社会的な構造のことを言おうとしているんで、怒らないで理解してもらいたい。
特に年配の女性たちは、「自分で考える」という作業をさせてもらえなかった。
男に言われた通りにする。
考えないで、従う。
冒険せず、守る。
突出せず、隠れる。
そうした受け身の姿勢が美徳とされた時代だったわけだ。
ところがそれは、男に虐げられてきた、の裏返しに過ぎない。
考えていいのだよ。
能動的に動いていいのだよ。
自分の判断に従っていいのだよ。
指示を待つばかりでは、伸びることはできないよ。
自分でつかみにいくからこそ、得られるものがあるんだよ。
・・・しはんはそう言いたいんである。
主体的に考えることによって、はじめてくびきから逃れられる。
自由に手足を動かせるようになる。
真の自分が獲得できる。
社会的にかしこくなれる。
行動範囲がひろがる。
ヨロコビが生まれる。
んなわけで、しはんはあえて突き放すんである。
カンッタンな解答が、今ここにあるとする。
しかし女性(逆説的に差別するが)は、それを能動的につかまえようという行為にブレーキをかけてしまう。
「これを手に取っていいですか?」と、男の許可を求めずにはいられない。
男は、躊躇なくする・・・というよりも、やるなと言ってもやる。
女性は、そうじゃない。
苦しくも、彼女たちはそうした教育を受け、抑制を強いられてきたのだった。
自分コントローラーが、オフになってるわけだ。
彼女の胸にあるその簡単なスイッチを、しはんは切り替えたいんである。
しかしそのスイッチを押せるのはしはんではなく、彼女自身でしかありえないので、「自分で」ということになるんであった。
女性よ、自分を解放しろ〜!
暴言多謝。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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渇望の認識

2019年01月16日 09時12分53秒 | Weblog
スポーツ中継を観ようと思わない。
プロ野球にも、サッカーにも、オリンピックにも、まったく興味がわかない。
「最近のスポーツはつまらん!」と言ってんじゃなくて、とにかく、オレ自身がスポーツ観戦そのものを面白いと思わないんだな。
確かに、スポーツニュースで観る各競技のダイジェストは、クライマックス部分だけを編集されてることもあって、ダイナミックで、劇的で、なかなか愉快だ。
だけど、そんな結果のみでお腹いっぱいになれるんだ、オレは。
ひとがやってる試合を二時間も三時間も観つづける、なんてできない体質なのかな。
考えるに、マンガ家時代に、そうしたものを観すぎたのかも。
あの頃は「勉強しなきゃ」「研究しなきゃ」「ネタを掘り起こさなきゃ」と思って、あらゆる種類のスポーツを無理やりに観てた。
(生来的に)大して面白いとも感じられないものを観るように無理強いされてるんだから、神経もイカレるよなあ。
つまらない人間とはつき合わない!と意思決定したことともつながってるかもしれない。
興味のないものは観ない!のだ。
というわけで、スポーツ観戦がつまらない、とはっきりと確信し得た今は、スポーツはぜんぜん観てない。
一方で意外だったのが、科学に対する興味だ。
ものすごくのめり込んでる。
天体物理学、量子力学、生命科学、数理科学・・・面白い!
へそ曲がりのオレの好奇心は、実はそっちの方に向いてたのだ。
世界の構造と生成過程、それに普遍的な法則を知るそのよろこびの大きさときたら。
それを知ることができただけで・・・つまり、「オレはそれを求めてたのだ!」という自分の欲求そのものを知ることができたことだけで、今はしあわせ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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技術革新

2019年01月15日 17時14分52秒 | Weblog
グーテンベルクが印刷機械を発明したのは、すごいことなんだ。
それまでの本は、手書きだったんだよ。
誰かが口にした言葉が、ひとの手で書き残され、書き写されて、少しずつ手から手に渡っていって・・・もちろん、識字率もあまり高くない時代だから、読めるひとも限られてたんで、読書(文字理解、と言ったほうがいいか)なんてのはせまいせまい文化だった。
知識が広くに拡散することはなかったし、一部の特権階級が情報を占有できた。
ところが、件の人物のおかげで印刷という技術が新たに生み出され、活用されたおかげで、たちまちひとびとは賢くなったんだ。
おびただしく複製された文字情報は、下層にまで行き渡り、世界にあまねく真実と英知がもたらされ、ついには革命が発生したわけだ。
一台の印刷機械が、世界を変えたんだよ。
イノベーションとはつまり、機械の開発じゃなく、社会の変革をうながすような価値の劇的な進歩のことなんだ。
ワットさんは蒸気機関を発明したけど、これは湯気が物を動かすメカニズムを考えついたことが偉いんじゃなく、エネルギーそのものを発生させるのに成功したことがすごいんだ。
エネルギー(それ以前は人力か馬力のみ)は物を動かすけど、物を動かすエネルギー自体をつくった、って点で、ワットさんの発明はイノベーションだったんだね。
基礎の大切さは、応用アイデアのはるか上をゆく。
ひらめきは優れてても商売が下手すぎる日本は、この方向でがんばりたいもんだね。

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アウトプット

2019年01月10日 09時16分08秒 | Weblog
脳の形成は出力依存なのだ。
情報は脳に詰め込めば詰め込むだけ、新皮質に場所を与えられて記憶されるけど、整頓はされない。
ごちゃごちゃのおもちゃ箱に放り込むだけでは、情報は「知識」とはならないんだ。
だけどそれを探し出し、他の情報と結びつけて言語化・映像化し、出力することで、情報処理の仕組みができていく。
出し入れの回路が強化され、よその情報との複雑な補完関係も手伝い、記憶が堅固なものとなる。
検索をかけることで、経路はフィードバックを繰り返して太くなるわけだ。
この整頓こそが、知識の正体なんだった。
ろくろ技術を教えるとき、ぼくは実践者に対して後ろから言語のみで指導し、(その人物の)手足をコントロールして工程を経験してもらうんだけど、この段階では、ぼくが彼女の手足を操縦してろくろ上の器をつくってるに等しい。
この操り糸から離れて、一度やった(そしてもはや忘れた)作業を頭の中から引っ張り出し、自分の力量のみでろくろを挽くとき、その人物はようやく「自分の作品をつくり得た」と言える。
そしてそのときはじめて、その人物は「ろくろ技術を身につけた」と胸を張って言える。
自分で考える。
このことが、いちばん重要。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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