裏日記「B面」

日々感じたり、深く想ったり、いいことをひらめいたり、バカバカしいことを考えたりしてることです。

死んだらどうなるか?問題・27

2022年11月29日 08時58分09秒 | 死んだらどうなるか?問題

ぼくの脳みそはタンパク質でできていて、その内部に張りめぐらされた細線(神経系)を電気が走り、線の間の節部が科学物質のやり取りをすることで、ぼくの「想と記憶」をつくり出す。
ニューロンとシナプスというやつだが、ここに「想と記憶」が刻印され、形を持って残るわけではない。
かと言って、DNAのように物質が配列されてデータとされるわけでもない。
「想と記憶」、つまりぼくのアイデンティティは、非物質から構成されている。
とは言え、そこに物質が関与していないわけでもない。
脳内に巡らされたシナプスとニューロンの経路・・・それらによる、言葉通りの道すじそのものが記憶回路となり、コードされるのだ。
タンパク質のかたまりである脳みそは、新陳代謝によって部品交換をくり返し、ひと月もすれば物質的にすっかり違った別ものに置き換えられる。
脳自体が、というよりもむしろ、形状を持ったぼくそのものが総取っ替えされるのだ。
なので、消えゆく運命である物質的なものは、記憶媒体とはなり得ない。
しかし、だ。
物質は消えゆくが、経路の配置は前物質を踏襲して保存される。
鉄道の全路線のレールを完全に入れかえてもルートが失われないのと同じ理屈で、脳みそを含めた肉体がひと月で失われても、新しい素材が経路を引き継ぐため、ぼくがせっせと構築した「想と記憶」は相変わらずにそこに同じ状態で居座りつづけることができるわけだ。
こうして、物質でないところに「内的なぼく」、すなわち永続的なアイデンティティの存在と継続が約束される。
さて、ぼくが所有するところのタンパク質でできた肉体は、内的なぼくが操縦する「外界をリモートで動くエージェントロボット」と言える。
これは、脳みそからつながる運動神経系へのアウトプット(感覚情報のインプットと逆方向のルート)で、外界へアクセスされる。
が、厳密に定義すると、「脳みそが動かす肉体の触れる世界が外界」なのではない。
また、「脳みそから外の神経系から先が外界」なのでもない。
形のないぼくの意思が起動させるあちらサイド・・・つまり形あるところである脳みそ・神経系という「内的なぼく」から先のパートすべてが外界なのだ。
わかりにくいが、物質界そのものが外界であるため、脳みそもまたぼくの外にあるというわけだ。
保存された「想と記憶」としての内的なぼく(操縦者)が、外界に存在する脳みそにアクセスし、神経系をコントロールして情報の獲得・・・つまり、見て聞いて触って外界の様子を感じ取り、それに対応したアウトプットで生命装置を操縦して、感覚を環境にフィットさせていく、という作業が生の営みというやつなわけだ。
そして逆に、ぼくの外側の世界に存在しているぼくの肉体の一部が、ぼくの「想と記憶」をつくり出してもいる。
ぼくの中に「想と記憶」があるわけではなく、ぼくはその「想と記憶」の中にいて、「想と記憶」そのものがぼくと言え、ぼくはぼくの肉体とは相互作用の関係にある。
内的なぼくを構築するのはぼくの外側にある肉体の活動だが、その肉体を操るものが内的なぼくであるため、この相互作用の関係は「脳の中に操縦者がいて、その操縦者には操縦者がいて、その操縦者の操縦者には操縦者がいて・・・」という無限の退行という批判を回避することができる。
さて、前説が終わったここで思い出してほしいのが、「肉体自体はマボロシのようなものだ」という量子論だ。
ぼくは、ぼくの肉体を「ある(在る)」ものとして感受しているものの、そこには実際にはなにもないと言っていい。
ここまでくどくどと説明してきた通りに、素粒子は「波という現象」なのであって、モノとしての実体があるわけではない。
波がどれだけおびただしく集まり、空間上であやを構成したところで、それはカタチなどにはなり得なく、したがって、ぼくの目に物質として見えているものが幻想でしかないことは自明だ。
この波の集まりを、ぼくが所有するところの生命機械は、スペクトルの反射や吸収という情報の色彩解釈や、電磁気力の反発としての手触り感によって、あたかもそこになにかが実在するように思わせてくれているだけなのだ。
まとめれば、この宇宙に物質などというものはなく、「波の境界にラインを引く機能」を獲得した人類の目の構造が、ぼくに理解しやすい形で脳にデータを送って像を立ち上げ、また電磁気力の相互作用を利用した感触という実在感の認識機能によってぼくをだまし、この目に、手に、世界を与えてくれているのだ。
そういう「発明」を、人類はしたのだった。
このマボロシという点を、次回は掘り下げてみたい。

つづく

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死んだらどうなるか?問題・26

2022年10月28日 16時23分31秒 | 死んだらどうなるか?問題

今回も少しの間だけ、難しい話を我慢してください(シンプルにやさしくしたいんだけど、どうしても、ね)。
ゆうべ布団の中で、前章に書いた自説をぼんやりと思い返しているうちに、本当にびっくりしたことに、「小林・益川理論が言う『CP対称性の破れ』ってのは、このことだったのでは?」とはたと気がついたのです。
このノーベル賞を獲ったやつは、当時に少し当たってみたぼくにはまったく理解ができていなかったのですが、かいつまんで言えば、「鏡面に映ったふたつの世界(パリティ)が対称性を持って(つまりまったく同じカンジに)存在している」ついでに「電荷が逆(+・-)の素粒子一対が、その点以外にはまったく同じ性質を持って存在している」というふたつの保存則が破れた場合、この物質世界の誕生が説明できそうだ、というものです。
・・・わからないですよね?
だけど、ゆうべ布団の中で突然、天啓が降りてきたように理解できたのです!
同時に、それってオレのアイデアなのになあ、先にふたりが見つけちゃったのかなあ・・・と。
とりあえず、小林・益川理論をベースに、ぼくの考えを説明してみますね。
まず、「鏡面に映ったふたつの世界」と気持ち悪いことを言いましたが、ぼくらの生きるこの世界のあちら側には、もうひとつのそっくりな反転世界が存在しているらしいのです。
これは、CERNなどの最先端の科学技術を用いた実験物理でも実証されていて、「あちらサイド」は、科学的にも現実のものとされつつあるようです(というか、それが存在すればいろいろと説明がつくのです)。
こちらサイドにある素粒子は、性質が同じで対となるふたつがかち合って対消滅し、エネルギーを残してあちらサイドの世界にいきます。
逆に、あちらサイドからは、こちらサイドにあるエネルギーに媒介してもらって、ふたつの素粒子が一対になり、忽然と立ち現れます。
つまり、あちらサイドをのぞき込むことができないこちらの世界内で物事を見ていると、素粒子は消えたり生まれたりしているわけです。
これは、エントロピーの法則と矛盾しているように思えますが、プラマイで相殺勘定が合うというか、精妙なエクスチェンジが成り立つので、法則には反しません。
これをうまく図式化して、電子(-)・陽電子(+)などの物質と反物質は、舞台と舞台裏の二面構造でできている表裏の世界間を行き来していると解釈しようではないか、というのが「パリティ」の概念と思われます。
そして、その表裏の対になった世界は、鏡面に映したようにそっくり!双方に違いなんて見あたらない!というのが、パリティの保存則でしょうか。
そしてそして、いやいや、そっくりだけどよく見たらちょこっと違ってるかも!というのが、パリティ対称性の破れ、です。
法則に漏れがあったから、「破れ」です。
さて、小林・益川理論の「CP」のCの方は「チャージ」でして、これは電荷のことです。
電荷も、世界にはプラスとマイナスが同じだけある「べき」なのですが、こちらもどうやらそうではないようなのですね。
つまり、先ほど出てきました物質・反物質の違いである電荷の勘定が合わない・・・すなわち、「物質と反物質の数が違ってる!」というのがチャージ対称性の破れでありまして、チャージとパリティ、このふたつを合わせて「CP対称性の破れ」ということになります。
鏡に映ったあっちの世界はこっちの世界とそっくりなのに本当は少しだけ違いがあるし、トランプの裏面にはそれと同数の表面があると思ってたのに実はそうじゃなかった!みたいなやつが、この理論です。
・・・難しくてすみません、やさしくしますから、マジでここまでは我慢して聞いてて。
と言いつつ、また前置きで終わってしまいました・・・

つづく

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死んだらどうなるか?問題・25

2022年10月16日 00時47分24秒 | 死んだらどうなるか?問題

前章の着想の説明があまりに雑で難解で「きょとん」だったので、ここではもう少し噛み砕いて解説を試みてみます。
ぼくら物質世界に生きる者は、逆説的ですが、外界は物質でできているものと神経系が解釈して、脳内に幻想世界を築いています。
実際の外界のつくりと振る舞いがあまりに摩訶不思議なので、観念をいろいろにいじくって、人類にもシンプルに理解ができる物質世界なる虚像を発明し、そういうものだということにしているに過ぎないわけです。
ここで言う外界とは、「自分のアイデンティティであるところの脳内世界」に対する外側という意味なので、自身の肉体も、脳構造をも外界に含みます。
あなたの外界のイメージは、網膜(目のレンズ)が時々刻々に拾った素粒子の様子を視神経が暗号化して脳の奥へと送信し、そこでのタンパク質間の電気と化学物質のやり取りによって、こちら都合の様式(というか、解釈の限界)に再構築された抽象画なので、世界の実相とは似ても似つかないものにすり替わっています。
絵画をにくわしいひとは、「いやいや、目に映ってるこの風景は、具象そのものだろ!」と考えるかもしれません。
確かに、人類の側から見たら、抽象的な世界の姿を物質として具象化している、という言い方もできますが、脳の外に存在するものこそがガチのリアリズムでであるために、創意は反転するのです。
ぼくらの脳は、つかみどころのない実世界を人類ごときの低能機械にも理解できるように、具象(ここでは単純に、具象絵画の意味)という形式で視界を観念化しているわけで、それはすなわち、実世界の抽象化という言い回しになります。
・・・いかんいかん、ちゃんとやさしく噛み砕いてます?この文面。
ここまでの前提を踏まえての、世界の実相の描写ということになるので、ついてきてください。
要するに、ぼくら人類は、視界の中にイリュージョンを見ているのだと、遺伝子の進化によって錯覚を見せられているのだと割り切って、まずは固定的な見方を捨てることが第一です。
だって、思い返してみてください。
以前に書いたように、この世は・・・例えば地球のような天体は、鉄筋コンクリートづくりのビルは、りんごは、そして人間の人体は、その構成物すべてが「パチンコ玉の周囲を甲子園球場の外周もの直径の軌道で回るごま粒」というほどの密度でつくられている、スカスカの空洞なのです。
中身が詰まっているように思えるのは、人類の機能が生み出す幻影なのです。
りんごがりんごに見えるのは、りんごを構成する元素のクーロン力に弾かれたスペクトルを受容する目と脳の便宜上の解釈なのであり、その感触は、りんごと指との分子間の電磁気力の反発力でしかありません。
そこには手応えを直接に伝える固まりなどはなく、絡み合う波同志の相互作用があるばかりなのでした。
「気持ち悪がらないでくれ」「オカルトの話じゃない」とは、このお話の所々に組み込まざるを得ない釈明ですが、マジでこれこそが「最先端の科学」なので、ご注意ください。
これから描き出そうと試みる世界は、不完全な人類が視覚や触覚で経験するよりも確かな、科学的検証によって明らかにされた実の姿、「実相」です。
というわけで、場の量子論なのですが、これは今年のノーベル物理学賞まで獲ったちゃんとしたやつなので、ひとつ信じてみてください。
・・・本編に入る前に、この章の字数も埋まってしまいました、ごめんなさい。

つづく

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死んだらどうなるか?問題・24

2022年10月12日 12時22分41秒 | 死んだらどうなるか?問題

常に新しい情報を得るために・・・すなわち、日々解釈が更新されていく「世界の真実性(の近似)」に接するために、科学の新刊本は見逃せません。
新しいページをめくるたびに、新しすぎる知見(アップグレードされた解釈)が殺到してきて、これがまた信じられないくらいにフレッシュで、知るたびに驚天動地!
なにしろ、それまでにコツコツと蓄積させてきた知識とはまるで別見解の宇宙が、まさしく日進月歩で上書きされ、一層上の説得力を持って目の前に展開するものだから、感動するとともに、当惑・混乱させられます。
なのにその本を読み終える頃には、新しく書店に並べられた別の本でさらなる知見の更新が行われているものだから、きりがありません。
この「死んだらどうなるか?問題」をちゃんと読み込んでくれているひとなら気づいちゃってると思いますが、章を経るごとに、筆者の限りある脳容量の中身が総取っ替えされたかのように、指が打ち込む世界の説明がコロコロと変わっていきます。
アウトプットの段階に至っても、おびただしいインプットによる脳内情報の書き換えがあるために、打ち込み作業が追いつかないのです。
ただ、筆者の指から新しく紡がれるものは「かつて書いたことの間違いの訂正」ではなく「知識の更新」なのであり、「より実相に近いものへの描写の細密化」「正確化」と理解してもらえたらありがたいことです。
というわけで、この長い長い一連の文章は、過ぎゆく風のような情報の中に置かれた、習作にすらも至らない「上書きされる運命にある、現時点での覚え書き」となっているので、みなさんにはななめに忘れ読みしてもらうことをお勧めします。
そんな軽〜い気分で、久しぶりにつづきを。

いきなりですが、時間は連続的なものではないようです。
びっくりしません?
つながっていないのですよ、昨日と今日とは、さっきと今とは。
時間が粒状で離散的なことは、場の量子論の計算式から確実とされていて、その刻まれた最小単位はプランク定数でも求められます。
時間は、ここでも何度も書いた通りに、空間と一緒くたになって「時空間」の形を取っていまして、その存在は伝統的に重力理論で説明されます。
重力なしには(われわれ人類が感知できるところの)時空間は発生できず、時空間なしには重力は存在できないので、このふたつもまた一蓮托生、一緒くたということになりますか。
そのへんを起点に、情報を頭の中で転がして宇宙創造の順序を整頓してみたので、ここに開陳します。
現世よ、生まれよ〜!
・・・さて、すべての前提として、さまざまな量子が展開する「場」があるのでした。
これは「電磁気」とか「重力」とか「物質」とか、あるいは「時空間」になりたがっている高エネルギーの「状態」で、まだ「特異点」という針の先ほどもない小箱に閉じ込められています。
これら「やがて粒になりうる波」が、それぞれに絡まり合い、重なり合って、なんというか、もやもやと浮遊しているわけです、どことも言えない場所を(「場所」「宇宙」「現世」自体がまだありません)。
・・・はやくも訳がわからなくなっていますが、ちょっとがまんしてね。
そこでまず、クォークの量子場を考えてみます。
クォークは、三つがくっつくと「陽子」「中性子」(要するに原子核)になる、物質の種と言える素粒子(波)なのでした。
宇宙創生前の煮えたぎる場において、クォークは対生成と対消滅を繰り返し、つまり、物質と反物質のペアで生まれたり、ペアごと消滅したりしていました。
ところが、あるときどういうわけか(この部分は未解明です)対称性が破れ、反物質よりも物質の方が多めに生成されたのですね。
すると、物質サイドが余るわけですから、相方(反物質)を求めて消える必要がなくなります。
ここですかさず、グルーオンの場と相互作用し(つまり、接着剤の役割をする素粒子が介入し)、クォークが三つくっついたわけです。
つまり、陽子(水素原子核)の誕生です。
陽子が生まれますと、今度はヒッグス場が相互作用し、粒に確固たる質量を与えます。
波という茫洋としたものが形と重みを持ちまして、いよいよ宇宙開闢(かいびゃく)の期待が高まります。
以前に重力理論の章で説明しましたが、質量のあるところには、重力が発生します。
ここで、重力場のグラビトンという未知の素粒子である重力子(まだ仮想的存在)が相互作用し、空間をゆがめるわけです。
・・・まてよ、わずか二行上で紹介した重力理論では、質量を持つ物質が時空間をゆがめて重力を生み出すのでした。
ところが、ここではまだ「時空間」そのものが存在していません。
だとしたら、これはどういう理屈なのか?
そこで、文脈を逆説してみます。
つまり、質量が時空間をゆがめて重力を生み出すのではなく、重力が質量と相互作用をしたゆがみこそが時空間なのでは?と仮説立てるのです。
わかります?
時空間における重力発生の話が、一周さかのぼって、重力による時空間の成り立ちの話にすり替わってしまいました。
要するに、アインシュタインが重力論の説明に用いた「フラットなゴム製マット」の状態は存在せず、その上に鉄球を置いた山谷こそが、時空間の正体(質量による発生)なのではないかと。
考えてみれば、なにもないフラットな場は、例えば人類の感覚器には引っ掛かりもなくスルーされてしまい、感知が不可能です。
そこ(時空間)は現世においては、トタン屋根のように波波でデコボコでなければならないのです。
そもそも、時空間のデコボコを光学的、電磁気的に受信して分析し、解像するのが人類の神経系だからです。
その時空間のデコボコをつくるものこそが、質量と重力場なのではないか?というのが、ぼくの新しいアイデアです。

つづく

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死んだらどうなるか?問題・23

2022年05月24日 09時40分30秒 | 死んだらどうなるか?問題

「この世界は空である」推しがますます極まりつつあるこの読みものですが、その先に果たしてタイトルに準じた着地点はあるのでしょうか?
筆者としては、深い考えなしに(知識と科学的裏付けには正確を期しているつもりですが)その場での思いつきを並べ立て、ロンリの行方は成り行きにまかせているので、自分の指先から編まれる文章を読み返しては、「ええっ、世界ってこんな姿だったのか?」と驚き、興奮し、得心がいっているわけではないものの、それでもただ書き進めるしかないのが現状です。
こうしてまったく不意に現れてしまった、サイエンスでは説明のつかない「生気」なるものの存在は、筆者の手に負えるものではないので、いったんは横に置いておきます。
ここではまた深海底に場所を移し、分子が生物の前駆体である粗機能を組み立てているところまで、話を巻き戻しましょう。
ところで、ダーウィンの雰囲気的進化論は、今や精密に理論立てられた「ドーキンスの進化論」に取って代わられた感じです。
進化論を「キリンは、高い枝の葉っぱを食べようとがんばった結果、首が長くなった」という、今だに昭和時代の解釈(というよりも俗説)を信じているひとは少し問題があるので、きちんと理解しましょう。
キリンの首は、正確には「短いもの、太いもの、曲がったもの・・・いろんな姿に枝分かれした結果、長くまっすぐに伸びる方向に進化したものが適者として生き残った」のでした。
首の短い種が、何世代にもわたって高い枝の葉っぱを食べようとしたところで、首が長くはなりません。
たった一度の遺伝子のコピーミスが首の長い種をつくり出し、その有利な形質を獲得した当たり組が生存競争を勝ち抜いていくことで、ついに全キリンが首の長い種の子孫に置き換えられたわけです。
進化はランダムかつ全方向的であり、強い意欲と指向が種の形態を変貌させていくわけではありません。
要するに、あなたが肉体改造を試みてムキムキになったところで、その変わりっぷりは子孫の姿かたちにはつゆほども影響を与えない、ということです。
後天的な獲得形質は、次の世代に遺伝することはないのでした。
さて、話題は海底深くの熱水噴出口に戻っています。
その煙突は半導体素材でできており、側壁にうがたれた微細な小部屋内で、自然の力で発動するエンジンが・・・電子の通過による分子間のドミノ押し出しで駆動する機構が奇跡的に組み上がり、なおも物質の掛け合わせを繰り返して、洗練と複雑化を進めているのでした。
そして、素材の数知れないコンビネーションのトライアルは、ついにベストマッチを見つけ出したようですよ。
こうしてついに、有機物の合成は(はなはだ都合よくはありますが)RNAの形成にまでたどり着いたのです!
RNAはご存知の通りに、遺伝子の元、進化の基本単位みたいな性質のひとなので、おおいよいよか?という感じになってきますね。
ここで思い出したいのが、生物という概念における三大基本要素です。
それは、1・外界から独立している(膜に包まれたりとか)、2・自己管理をする(新陳代謝をしたりとか)、3・自己複製をする(子孫を残したりとか)・・・というものでした。
この中では、1番があまりにも簡単に実現できそうに見えるために、おっちょこちょいなひとは、最初の生命体が「まずあぶくの中に材料を詰め込み」「その中で新陳代謝を学ばせ」「最終的に自らの完コピを制作」できるようになるのが真っ当な順序だと考えるわけです。
ところが、これは残念ながら引っ掛け問題のNG解答です。
なぜなら、あぶくは儚いものだからです。
いっとき、奇跡のようにあぶく生物が発生したとしても、その命脈が一日と保つことはありません。
あぶくがはじけるまでの制限時間内に、新陳代謝と自己複製の能力を身につけることは、絶対的に不可能です(1億年もらっても足りないほどでしょう)。
だとしたら、ある場所に留まってじっくりと生命現象を身につけ、機能を完成させてから自前の容器(ぶっちゃけ、細胞膜)をつくり、満を持してその環境を離脱してポータブルになるのが現実的です。
つまり、この順序並べ替え問題の正解は、「まずは小部屋の中で自己複製の機能までをつくり上げる」でした。
われわれのご先祖さまであるRNAは、どうやらこの問題に正解したようです。

つづく

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死んだらどうなるか?問題・22

2022年05月23日 15時36分21秒 | 死んだらどうなるか?問題

生命の原質としての、例えば「生気」なるものの存在が先にあり、とある何物か(純粋な物質)に取り憑いて、その内面で意識を形成する・・・という順序は、科学サイドには受け入れがたいことです。
その考え方は、神の存在を認める=科学的な説明を回避する、という行為に等しいわけですから。
やはりここは、自然がつくりあげた機能が進化を経るうちに、徐々に内面に意識が発生した、と考えたいところです。
ただ、この生命観は、表裏一体の形で、死観の解答をズバリと含んでいます。
つまり、生命や意識の正体が純粋な物理的機能なのだとすれば、生物のメカニズムが滅んだ(肉体が死んだ)のちに、魂には行き場がない、ということです。
魂の器であるところの生命機械が灰になれば、内容物であったアイデンティティがおさまりどころを失うことは自明です。
認めたくない事態ですが、その答えはまたしても棚に上げておいて、先に生命の発生を考え詰めてみましょう。
ついては、発生・・・この言葉の意味を、根本的に考え詰めてみます。
この読みものが量子力学を説明するくだりで、筆者は「粒子とは、現象である」ことを明らかにしてきました。
この言葉はシュレディンガーさんのものですが、要するに波と粒子の二面性を持つ素粒子は、素粒子間の相互作用によってのみ、その「効果」であるところの姿を見せるのです。
くどいようですが、またこの例え話を出させてください。
三つのクォークがグルーオン(これらすべてが、素粒子という仮名をあてがわれた波)と相互作用をして原子核を形成し、これがフォトンの媒介で電子と相互作用をして、やっと原子という形の物質になります。
ところが、粒子とは名ばかりの素粒子は、実は波なのであって、「場」として世界に展開しており、個々が各位置に座標を持って漂っているわけではありません。
要するに、素粒子とは「ひろがり」そのものなのであって、それを収縮して粒子化させるには、観測者の存在が必要となります。
この世には時間も空間もなく、「素粒子」とうっかり表現されてしまった波が立っており、その波が何者かの意識による観測によって一点に収縮し、ようやくわれわれ人類種に感じることができる様式であるところの粒子の形状を取るのでした。
結果、その粒子を手触りあるものとして感じるわれわれの内面が、ひとりひとりの脳の中に物質的世界を形づくっているわけです。
こんな幻想みたいな茫洋としてつかみどころのない世界観が、最先端の理論(そして当代最高の知性の巨人たちによるコンセンサスに近い解釈)なのであります。
・・・まだ疑います?
確かに、これってオカルトみたいで、スピリチュアルじみていて、筆者が狂っていて・・・みたいなやつですが、アインシュタインやシュレディンガーが基礎をつくって、その後につづく物理学者たちが最先端技術を駆使して精緻極まる実験結果を限りなく積み上げて構築したモデルなのですよ。
そこだけはちゃんと理解してください(つまり、筆者がマッドな人間ではないことを)。
このオカルト物語・・・もとい、最新理論は、理解力に限りのある人類をさらに深淵な暗闇の奥へと導きます。
それはあまりにも現実離れした、「観測者がいない場所では、物質は存在し得ない」という事実です。
いや、ここでは「場所」という言葉を用いることも許されません。
なぜなら、観測者のいない世界には、場所そのものが存在しないのですから。
「世界」そのものがあるのかどうかも疑わしいところです。
が、これは積み上げてきた理論の、結論と言ってよろしい部分です。
観測者が波動を収縮させて世界を三次元の様式に変換し、実体化させないことには、粒子が相互作用によってつくり出す物質世界は永遠に実現しないのです。
ということはですよ、またまた驚くべき事態が明らかになります。
それは、「素粒子に先立って、生命が存在する必要がある」ということです!
観測者が粒子を生み出すというのなら、そう考えるしかありません。
生命から発生する意識による観測なしに、波は粒子化してくれないわけですから、これは「ニワトリが先か卵が先か?」の議論よりも解答が明白に思えます。
議論は最初に戻りますが、科学が試行錯誤してたどり着いた結論はこうです。
魂の入れものである物質的機能に先立って、内容物である生命が存在していなければ、世界そのものを誕生させることができない。
よって、「生気」は存在する!
おめでとうございます、これであなたの死後、あなたの中身は行き場を獲得する可能性が出てきました。
・・・ほんとかなあ?

つづく

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死んだらどうなるか?問題・21

2022年04月18日 17時47分08秒 | 死んだらどうなるか?問題

生物の「食べる」という行為は、突き詰めれば「物質から電子を引き剥がし、体内機能のスイッチリレーをさせる」という意味に他なりません。
どういうことか、単純な例でその過程を説明します。
植物が日光を浴びると、葉緑素が働いて、細胞内で栄養分がつくられます。
以前の章でも書いた、おなじみの「水・H2Oと二酸化炭素・CO2からブドウ糖・H6C12O6を組み立てて、余った酸素・O2を放出する」というやつです。
この一連の作用を起動させるのが、日光というわけです。
そのメカニズムを、分子生物学・・・つまり量子レベルで読み解くと、とてもおもしろいのですよ。
日光は、光子という素粒子でできていまして、これが葉緑素内の元素(例えば水素)に飛び込むと、その中の電子が励起(元気になる)されて飛び出します。
この電子は暴れん坊なので、水と二酸化炭素の分子構造に働きかけて、結合をほどきます。
一方で、電子(-電荷)が抜けた水素原子(もとは中性)は、水素イオン=陽子となって、電荷が+になっています。
この電荷の変更によって水素イオンは、もともと細胞内で偏りができていた電位の影響を受け(例の陽子勾配に従って)、あっちこっちの分子に受け渡されていきます。
電荷は元素間の接着剤ですから、バラバラにほどかれた分子が、イオンの力でまた組み立て直されるのです。
こうして、ブドウ糖が編み上げられます。
ここで特筆すべきは、「電子と陽子が、誰の意図を汲むわけでもなく、全自動で解体と合成という仕事をやってのけている」という事実です。
つまりこれは、物質が物理的な現象のみを用いて、まるで生きているかのごとくに連動する例です。
生命活動とは要するに、素粒子によるこうした小仕事の積み重ねなのです。
生命の問題に、いよいよ量子が顔を突っ込んできました。
分子同士の合体(化学結合)は、大雑把に言って「陽子と電子が持つ電磁気力でくっつき合う」「分子の外側に突き出た、あるいは欠けた電子の凹凸でパズルのように噛み合う」の二種類なので、電子の抽出と利用は、生命現象にとって決定的な重要事となるわけです。
励起した電子は、あちこちに受け渡されて利用され、徐々にエネルギーを吸い取られた挙げ句に、最後は酸素と結合し、呼吸で体外(植物の話をしているのでした)に排出されます。
この「あちこちに受け渡され」る行程がまた、自然現象に厳密に従っていまして、電子を強く求める分子から弱くなっていく順番で利用されていきます。
用意された勾配に従って電子が流れていくことが、生命現象の安定をもたらしているのだから、実に不思議です。
電子がその都度に道すじを判断して決めていくのではなく、あらかじめ電子が必要な順序で、生物の分子構造ができているわけです。
このミステリーの深いところが理解できていますか?
電子が遺伝子に働きかけるシーンを例に取って説明します。
まず、電子がある分子に飛び込むことで、機構の分子構造に変化が起こり、それがスイッチとなってシステムが起動し、DNAの固く結んでいた二重螺旋が解錠します。
飛び込んだ電子はエネルギーを減らし、この場では必要とされなくなりますが、次なる求めに応じて、別の分子に飛び移ります。
そして、その場でまたスイッチの役割を果たすわけです。
電子を失った水素イオンも大活躍です。
これがひとつ余るだけで、水素結合で繋がっていた塩基・塩基の組み合わせが次々にほどけて、DNA鎖がジッパーのように開いていきます。
その後は、分子構造が次々に枝分かれして、定められた通りに仕事が進みます。
要するに、電気が流れていく形で化学結合と解離が起き、さらにそれに弾き出される形で、+と−の素粒子が各現場現場に指示を与えていくわけです。
こうして、開かれたDNA鎖にRNAが飛び込んでコードを読み取るわ、コピーを終えたメッセンジャーRNAが離脱し、トランスファーRNAと示し合わせてアミノ酸を集めるわ、リボソームにもぐり込んでタンパク質の組み立てに入るわ・・・という連鎖反応が起きていくのです。(ちょっと違うかもしれませんが、こういうもんだということをざっくりと物語にしています)
そして驚くべきは、これら電子の先々に立ち現れるすべての構造分子が、電子が持つエネルギー準位と電荷を必要とする切実性の順序で並べられているという点です。
その整然と用意された順路があるために、電子はナチュラルに移動し、その度に小機構のスイッチが入っていき、連動が開始され、それらを総合した結果、素粒子のオーダーとは桁違いの巨大なメカニズムが動いて正確な仕事をする、というわけなのです。
その一連の仕事は完全に自律的・・・というよりは、自然の摂理に忠実に従っているために、生命体(細胞の持ち主)の意思が入る余地も必要もまったくありません。
生命体は、生きているのではなく、生かされている、としか表現のしようがありません。
さて、こうまで洗練されたシステムが後々の世に発生するとして、今は深海底の小穴に単純な有機物が集められつつあるのでした。
この場所で、電子とスイッチングのメカニズムを組み上げることができれば、生命誕生にぐっと近づくことができます。
われわれはそれを思考で試みてるのでした。
ところがこれがなかなか難しい作業なのです。
このせまいスペースで、限られた物質と現象を使ってつくり上げたい目標は、「RNA」なので。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園


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死んだらどうなるか?問題・20

2022年04月15日 17時01分36秒 | 死んだらどうなるか?問題

死んだらどうなるか?を考えていたのだと、ふと思い出すわけですが(いつも忘れます)、ずいぶんと回り道をしているものです。
ただ、その目的地にたどり着くまでに、まずは「生命現象」という途方もない道のりをゆかねばなりません。
そして、死を語る前に、どうしても誕生を考え詰める必要があるのでした。
あなたが生まれた話ではなく、生命そのものが生まれた話を、です。
ダーウィンは「生ぬるい小さな池」あたりから生命は発生したと考えていたようで、確かにその環境だと、有機的なスープが凝縮され、温められたり日を浴びたり濡れたり乾いたりを繰り返すうちに、生命の素のようなものがころりと生まれそうな予感があります。
実際に、太古の地球上に存在し得た物質を煎じて電気を流す(カミナリの代わりに)、というバカバカしい実験で、アミノ酸が生成された事実があります。
さらに、干潟の満ち干で細胞膜がつくられ(これも実験ずみ)、その中に収められた有機的なスープがうまい具合いに循環すれば、ダーウィン的進化の初手になり得るという研究もあるようです。
ところで、今さらの感はありますが、生命誕生には必要最低限の三つの条件があります。
すなわち、
1、閉じた系である(細胞膜などに覆われ、外界から独立している)
2、自分の体を自分で維持管理できる(養分を摂取してエネルギーをつくり、新陳代謝をする)
3、自己複製ができる(自分の形をした子孫を残す)
というものです。
上に紹介した「スープにカミナリ説」は、「まずは膜の中に材料を入れてしまおう」という順序なわけです。
一方で、ぼくはこちらの方がオススメなのですが、「生命現象をつくったのちに、それをカプセルに入れて環境から独立させよう」という考え方もあります。
それが、現時点で最も有力な生命発生理論である、「深海底熱水噴出口生命起源説」です。
地球が出来たての頃、大気には酸素がなく、当然ながら、海洋にも二酸化炭素が充満していました。
その深海底に、地底のマグマで熱せられた水が噴出する穴が空いていた(現在の深海底にも存在します)ところから、物語ははじまります。
この熱水は数百度もあって、文字通りにアッチッチなわけですが、その周囲に、比較的穏やかな温水噴出の口があると想像してください。
そこからは、硫化水素が主成分の(つまり、二酸化炭素の海水とはpHが違う)水が噴き出しているのです。
温水には硫黄やら鉄やらといった重金属も含まれているために、その成分が積もり積もった噴出口は、まるで煙突のようになっていまして、見た目通りに「チムニー」と呼ばれます。
さて、チムニーには非常に微細な孔がたくさん開いており、スポンジのような内部構造になっています。
その入り組んだ迷路のような孔に、都合よろしく、前生命物質が安定的にひそむことができそうなのですね。
現代のような酸素たっぷりの海の中に水素が飛び込むと、両者は安定を求めて水(H2O)になりますが、当時の二酸化炭素の海では、メタン(CH4)になります。
C!なんとなんと、この記号はゆうきの証です(有機物とは、炭素=C混じりである、ということです)。
ただ、メタンで生命が創造できればいいのですが、その後に誕生したわれわれの肉体は、極めて雑な言い方をして、「メタンになりきる前の中間物質」である、ホルムアルデヒドからメタノールあたりの「雰囲気」でできています。
つまり初期生命は、安定した水素と二酸化炭素の壁は化学変化で飛び越えたが、メタンに到達してしまうほどには変化しすぎなかったようです。
その中間の不安定な物質に留まって、生命は創造されたわけですが、こんな難しい作業を魔法で実現させてくれるのが、チムニーの多孔質な壁面というわけです。
チムニーを形成する素材である鉄と硫黄の化合物は半導体で、電子が都合よく通過できるようになっています。
そして、水素を噴出させるチムニー内と、外界である二酸化炭素の海との間に、前章でミトコンドリアの構造を例にして説明した電荷の勾配(「陽子=+」と「電子=-」の濃度による電荷の差)が存在するのです。
要するに、内と外とで陽子の数が違うために、浸透圧により、陽子も電子も多い方から少ない方に流れたがります。
この勾配(理論上の坂の角度)により、噴出してくる水素まじりの熱水から、二酸化炭素の海に向かって、半導体であるチムニー内を電子がほとばしります。
電気の発生です。
このエネルギーを獲得し、チムニー内で眠っていた無機物が有機化され、多孔質な小部屋のひとつひとつに、生命の素とも言うべき初期物質(単純なアミノ酸など)が濃縮されてたまっていくと考えたら・・・あなた、興奮しないでいられますか?

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園


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死んだらどうなるか?問題・19

2022年04月05日 08時01分00秒 | 死んだらどうなるか?問題

「この世に物質が生まれた」の部分を入念に描写しているわけですが、本当にこの物語、死にまでたどり着く日がくるのですかね・・・?
それはさておき、比較的穏やかな環境を与えられた太陽系第三惑星で、原始世界はひとつの実験を開始しました。
電荷の勾配(+と-の強弱バランス)によるイオンや電子の移動と、化学反応(原子のモデル上の電子の出っ張りやへこみを噛み合わせるパズル)のみによって、多種多彩な分子の形成をはじめたのです。
組み上げられた分子はさらに組み合わされ、ますます多様な性質のものに展開されます。
数限りないピースの突き合わせが、ああでもない、こうでもない、と果てしなく繰りひろげられました。
原始世界は、元素間の相性を根気強く試したようです。
その結果、さまざまな分子が巧みに絡まり合うアミノ酸が「偶然に」生み落とされました。
生命をつくるのに非常に重要な素材です。
さらにアミノ酸は長大に連ねられ、とてつもなく複雑な構造のタンパク質が「偶然に」形成されました。
こんな偶然の連鎖(文字通り)が、実際に起きるものですかね?
しかしまあ、億年のケタとは、それが形成されるに十分な歳月なのかもしれません。
そもそも現代の結果からさかのぼれば、自然はその難しい方程式の解をあらかじめ用意していたわけですから、「できそうなものはできる」という法則から、必然的にそれはでき得たのでしょう。
こうして、自然は生命体を形づくる準備を終えたわけです。
それをこの惑星上で具体的な風景にスケッチすると、「ぬるい陽だまりの海辺にたまった有機物のスープ」という画づらになります。
そこへ、雷がドーン!と落ちまして、原始の生物が発生しました。
・・・というのが、古典的な科学(ただの直感?)による生命誕生物語の見立てだったわけですが、最新の理論によると、そうではないようです。
ここでもミトコンドリアの構造がヒントになっているので、生命発生のメカニズムの説明を聞く前に、予習しておきましょう。
ミトコンドリアというエネルギー製造装置は、電荷の勾配で発動します。
「プロトン(陽子)勾配」と呼ばれますが、ふたつの系の間に陽子の濃度差があるのです。
要するに、装置の外側と内側とで陽子の数が違っていまして、陽子を多く持つ装置外から浸透圧の原理で、この+電荷を中に呼び込むことができるわけです。
そして装置内への通過の際に陽子は、ある羽根仕掛けの酵素を回転させ、ころりとエネルギー(ATP)を組み上げるのです。
そのメカニズムはあまりに全自動的で、ミトコンドリアとしては「仕事をするぞう、それっ」という発意さえ必要ないほどなのです。
これはつまり、細胞内にミトコンドリアをもつ宿主(例えば人類)が、ミトコンドリアのエネルギー生産の働きを「自律的」と表現するのと入れ子になって、ミトコンドリアにとっても、ATPの生産は自律的であると言えます。
そういうからくりにできてるんだから、やろうとは考えなくても無意識下でそれをやっちゃう、という意味です。
無意識下!・・・これは非常に深い意味を持つ表現ですよ。
なぜなら、「生命体のある部分を動かすのに、意識は必要ない」「それはただの自然現象なのだから」と言っているのと同意なわけですから。
水が高いところから低いところへと流れるのと同じことが、そしてその流れが勝手に水車を回してしまうのと同じことが、生命体の内側に設置されたエネルギー製造装置において起きているのです。
そしてこの装置のメカニズムは、深海底にも存在するのだ・・・というのが、現在の発生生物学の主流となりつつある理論です。
昔むかし、太古の昔・・・ある深海底に、地下深くでマグマに熱せられた水が噴出しておったのじゃ。
・・・からはじまるお話ですが、これは次回に。「この世にものが生まれた」の部分を入念に描写しているわけですが、本当にこの物語、死にまでたどり着く日がくるのですかね・・・?
それはさておき、比較的穏やかな環境を与えられた太陽系第三惑星で、原始世界はひとつの実験を開始しました。
電荷の勾配(+と-の強弱バランス)によるイオンや電子の移動と、化学反応(原子のモデル上の電子の出っ張りやへこみを噛み合わせるパズル)のみによって、多種多彩な分子の形成をはじめたのです。
組み上げられた分子はさらに組み合わされ、ますます多様な性格のものに展開されます。
数限りないピースの突き合わせが、ああでもない、こうでもない、と果てしなく繰りひろげられました。
原始世界は、元素間の相性を根気強く試したようです。
その結果、さまざまな分子が巧みに絡まり合うアミノ酸が「偶然に」生み落とされました。
有機体をつくるのに非常に重要な素材です。
さらにアミノ酸は長大に連ねられ、とてつもなく複雑な構造のタンパク質が「偶然に」形成されました。
こんな偶然の連鎖(文字通り)が、実際に起きるものですかね?
しかしまあ、億年のケタとは、それが形成されるに十分な歳月なのかもしれません。
そもそも現代の結果からさかのぼれば、自然はその方程式の解をはじめから用意していたわけですから、「できそうなものはできる」という法則から、必然的にそれはでき得たのでしょう。
こうして、自然は生命体を形づくる準備を終えたわけです。
それをこの惑星上で具体的な風景にスケッチすると、「ぬるい陽だまりの海辺にたまった有機物のスープ」という画づらになります。
そこへ、雷がドーン!と落ちまして、原始の生物が発生しました。
・・・というのが、古典的な科学による生命誕生物語の見立てだったわけですが、最新の理論によると、そうではないようです。
ここでもミトコンドリアの構造がヒントになっています。
このエネルギー製造装置は、電荷の勾配で発動します。
つまり、装置の外と中で陽子の数が違っていまして、陽子を多く持つ装置外から浸透圧の原理でこの+電荷を呼び込み、装置内への通過の際に、ある羽根仕掛けの酵素を回転させ、ころりとエネルギー(ATP)を組み上げるのです。
そのメカニズムはあまりに全自動的で、ミトコンドリアが「意図的な仕事をする」必要さえないほどなのです。
これはつまり、細胞内にミトコンドリアをもつ宿主(例えば人類)が、ミトコンドリアのエネルギー生産の働きを「自律的」と表現するのと入れ子になって、ミトコンドリアにとっても、ATPの生産は自律的、と言えないでしょうか。
そういうからくりにできてるんだから、やろうとは考えなくても無意識下でそれをやっちゃう、という意味です。
そしてこの装置のメカニズムは、深海底にも存在するのだ・・・というのが、現在の発生生物学の主流となりつつある理論です。
昔むかし、太古の昔・・・ある深海底に、地下深くでマグマに熱せられた水が噴出しておったのじゃ。
・・・からはじまるお話ですが、これは次回に。

つづく

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死んだらどうなるか?問題・18

2022年04月04日 08時04分53秒 | 死んだらどうなるか?問題

さて、そんな物質生成プロセスが、転がりに転がって、現在の宇宙の大構造に展開したわけなのでした。
色彩鮮やかで変化に富む、豊潤極まる多様世界に、です。
・・・なんだか不思議ですよね。
なぜなら、最も単純で確率の高い(つまりナチュラルな)宇宙の進展は、一様な確度で素粒子たちが生成され、ビッグバン以降に拡大をつづける空間に完全な均衡を保った状態(どこを切り取っても一律)でひろがっていく、という形のはずです。
なのに、宇宙にはガスが偏っているし、そこには銀河もあればブラックホールもあり、あまつさえ生命体などという複雑系が存在しています。
整理整頓が行き届いた要素を解体し、エネルギーゼロの果てしない「無の平面」にならすのがエントロピーの役割なら、単独では使いものになりそうにない素粒子たちを、特異点から飛び出した勢いそのままに、散らかったまま交わらせず、各々まっすぐに進ませればよかったのです。
それだけで、エントロピーはなんの障害もなく増大しつづけ、たちまち目指す荒野に落ち着くはずでした。
その点において、現実の宇宙の秩序立った入れ子細工と有機的な連動は、意図的と言っていいほどの不自然さがあります。
ここに、ちょっとした生命の謎のヒント的な・・・生命体の誕生と宇宙の大構造展開のプロセスに類似点を嗅ぎ取るのは、こじつけでしょうか?
と、このアイデアはしばらく横に置いておいて、宇宙構築のプロセスを突き詰めます。
ビッグバンが生み落とした、素粒子とは名ばかりの量子ときたらとんだやんちゃもので、ここにいるのに同時にあそこにもいるという「もつれ」に、いながらにしていないという「重ね合わせ」ときては、その振る舞いは予測不可能です。
波の姿で空間にひろがっているのに、観測者の存在で収縮して粒子になる、などという変幻癖はまだまだ序の口。
量子の存在を表す関数の「いるかいないか50%の確率」とは、「いるといないの両方」ということであり、「いるけどいない」と「いないけどいる」が半々ずつ、という理解を超えた内容を含んでいるのです。
表現が難しいのですが、量子にとって50とは、1か100か50か、ということではなく、1か100か「1と100の両方」なのです。
意味がわからないでしょ?
放射性物質の半減期、も奇天烈です。
一個の放射性同位体は、半減期の間、崩壊前と崩壊後の両方の状態を同時に取っているというのですよ。
半減期を終えて観測をして、はじめてそれが崩壊を終えたかどうかがわかるのです。
このコペンハーゲン解釈に、アインシュタインさんは大反発をしましたが、すべての実験結果がその現実を示唆しているので、最終的には納得せざるを得ないのでした。
量子とはそんなあやふやなものですから、おびただしい素粒子がビッグバンから一直線に飛び出すというよりは、宇宙空間でモグラ叩きのように現れては消える、とした方がより正確な表現となります。
この性質を踏まえて、以前の章で雑に描写した宇宙成長の様子を細密ぎみに加筆すると、次のようになります。
ビッグバンは、物質の種であるクォークと同時に、世界に「力の素粒子」を与えることも忘れませんでした。
重力の量子場から発生する重力子=グラビトンは、質量を持つもの同士の引き合いを媒介する、例の「万有引力」の因子で(この「質量を与える」のがヒッグス場のヒッグス粒子で、重力子は相対性理論によれば「時空間をゆがめる」役割のものですが、ここでは「物質は引きつけ合う」というニュートン力学の表現を採ります)、物質を寄せ集めてひとつに丸め込み、練り上げて天体をつくります。
一方でグルーオンの核力=強い力は、核融合や超新星爆発で、天体の破壊に努めます。
重力子が、閉じた系をつくってコツコツとエントロピーの減少を試みるのに対し、グルーオンの強い力は、収支計算でマイナス分を補うにあまりあるエントロピーの増大に努めるというカウンターバランスでせめぎ合って宇宙を耕し、その仕事からこぼれ出た元素に、光子の媒介する電磁気力が働きかけます。
われわれの物質世界を、事実上構築しているのは電磁気力で、それの及ぼす化学反応(元素間の電子のやり取り)が、さまざまな性質を持つ分子構造をつくり上げてくれるわけです。
かくて、ぼくらが生きるこの複雑極まるわりに組織立った世界は、精妙につくり込まれていきます。
ビッグバンからこっち、世界は一直線にエントロピーの最大値を目指すのではなく、量子の振る舞いが許す遊びしろをつかって回り道をし、束の間(というにはあまりにも長い間)、こんなにも秩序よろしく整頓が行き届いた構造を許されたのでした。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園


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