陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

エピローグ(最終回)

2010-08-12 08:54:00 | 日記
 一心に没入していたろくろから目を上げると、自分の今いる場所がどこなのかよくわからなくなることがあった。回転のまじないにかかって、現世でないどこかに連れ去られるのだ。深夜。自分がいるのは、もちろん田んぼの真ん中に建つボロアパートの一室なのだが、いつもそのことが夢の中の出来事のように思えた。しばらく呆然とたたずんで、まともな感覚がもどるのを待ったものだった。
 また、失敗つづきで考え詰め、どうしようもなく頭が煮え立つこともあった。心の中につっかえものがあると、布団にもぐりこんでも興奮してなかなか寝つかれない。そんな夜は、布団の周りに山と積んである土をマクラに眠った。すると冴えざえと透き通った眠りがたちまちやってきて、深いらせんをどこまでも落ちていくことができた。土はひんやりと後頭部を包みこみ、バクテリアのささやきも子守唄に聞こえる。原野のかおりが甘く鼻先をくすぐり、まぶたの裏に山の光景が浮かびあがる。オレがすごした一年間は、そんな時間だった。つまり、晴朗なトリップのような。
 今でもあの頃を思い出すと、全部がマボロシだったような気さえする。だけど、今ろくろを回してみても湯呑みが正確に切っ立つということは、あれは実際に存在した出来事だったのだ。自分をひたすらに成長させつづけることができた、夢のような一年間だった。たくさんの出会いに助けられ、たくさんの奇跡に救われた。それは生涯でいちばんしあわせな日々だった。
 ひるがえって今はといえば、リアルな現実と格闘している。背筋が寒くなるような借金をして陶芸教室を起こし、駅前でチラシを配って街ゆくひとに呼びかけ、指導と称するあやうい手つきで技術を披露し、しどろもどろの口上でおぼつかない知識を開陳する。毎日が冷や汗ものの綱渡りだ。
 「先生」と呼んでもらえる立場になったが、とんでもない。生徒さんたちには教えられてばかりだ。目を輝かせて夢中になる姿にハッとさせられ、純粋無垢な創造性にギョッとさせられ、素直さが究極の知性であることを学ばせられ、明るさや楽しさ、意欲といったものにあらためて目を開かされる。そんな人々と接していると、技能、知識というものはいったい創作にどれほど必要だったのか?と感じることがある。陶芸には、学校で修得した技よりももっと大切なものがある。そのことを、未熟だけれど魅力的な作品をつくる人々に教えてもらっているような状態だ。
 自分はまだまだ、そしていつまでも修行中の身なのだ。あの頃のように、土をマクラに眠ってみたくなった。

 おしまい

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

その197・器の気持ち

2010-08-11 09:01:09 | 日記
 ふと思いつき、雪を踏みしだいて窯場に向かった。愛おしいかぶと窯と再会したくなったのだ。白い息を吐いて山をのぼった。周辺には相変わらず、窯出しされたままの陶器が散らばっている。その中に、自分がつくったものを何点か見つけた。ここで修行した一年前につくり残しておいたものを、センセーと火炎さんが焼いてくれたらしい。今となっては笑ってしまうようなへっぽこな形に、ほろ苦いものをおぼえる。こんなド素人に、よく太陽センセーのような大人物がつきあってくださったものだ。自分はセンセーを何度がっかりさせたことだろう。あまりの下手さに、あまりのバカさ加減に、きっと呆れられていたにちがいない。
 ただ、ふと思い返す光景がある。
 筒型の唐津式の挽き方を教えてもらい、センセーに見つめられる前でろくろを回したときのことだ。何度も何度もくり返し筒を挽くオレの手元をにらみつけながら、センセーはなにも言葉をかけてはくださらなかったのだった。できあがったものに関しても、なんの批評も、感想も頂戴できなかった。ただ、あの日の夜、お茶室でふたりきりでお茶をいただいているとき、太陽センセーはぼそりと切りだした。
「毎夜欠かさずろくろを挽いておるのか?」
「はいっ!」
 即答する。センセーはオレの瞳に見入った。素直に発声された返答にウソはないと知ると、センセーは目尻に満足そうなしわを刻んでくださった。
「そうか・・・そうか・・・」
 オレはほめられも、けなされもしなかったが、あの笑みで十分だったんじゃないか、と今では思う。師はそのときすでに、弟子にゆく道を示唆してくださっていた。そうか、そうか、とセンセーは何度もつぶやき、しみじみと笑う。そしてそれきり押し黙る。沈思しつつ、ふたりでお茶をすすった。
 あのときみたいだ。今、棺の中に横たわる太陽センセーは、どこにも影が差していない完全な笑顔だ。
ー満足満足、おなかいっぱい。俺は休ませてもらうが、おまえは精進をおこたるでないぞ・・・ー
 そう言われているような気がした。
 花に満たされた棺は閉じられ、葬儀場の焼き窯におさまった。重い扉が閉まり、火が入れられる。
 あぶり・・・攻め焚き・・・還元炎・・・ねらし・・・
 太陽センセーは山吹色の炎に包まれて、天に昇っていった。陶芸家はそのとき、初めて器の気持ちを知ったかもしれない。

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その196・再会

2010-08-10 09:09:13 | 日記
 正月にやっとまとまった休みがとれたので、矢も楯もたまらず太陽センセーんちに挨拶に伺った。恐れ多くも元日の訪問だ。
 タクシーで庭先に乗りつけると、山を覆う竹林が枝先に雪をのっけて、しずくを落としていた。晴れた日だった。破れバケツの中で鬼板が凍っている。散らかった庭は相変わらずだ。久しぶりの若葉家の風景。ほんの一年前にすごした場所なのに、なぜか遠い少年時代の日のようになつかしい。
ーかわってないな・・・ー
 あたりまえだ。整頓されることもなければ、これ以上荒れ果てることもない。この場所が変わるはずがない。・・・ただ、いつも外で雑用をするふりをして出迎えてくれた太陽センセーの姿だけがなかった。
 母屋に通される。
「おー、よう来たの・・・」
 センセーはわざわざ病床から起き出してきてくださった。からだを火炎さんに支えられて、ヨロヨロとやっと歩ける状態だ。話をはじめても、その声は聞き取るにも難儀するほどにか細い。
「まあおせちでも食えや・・・」
 中央のテーブルには、デパ地下なんかで見る豪華すぎるおせち料理が並んでいる。奇妙にかしこまった雰囲気。窯焚きのときに雑魚寝する場所として使われ、酒ビンやビール缶が散乱していたこの居間も、きれいにかたづけられていた。なんだか居心地がわるい。
「なんでもお食べ。わしゃもう食えんで・・・」
 センセーの衰弱ぶりは著しいものだった。丸々と血色のよかった頬はげっそりとこけ、目も落ちくぼみ、痛々しいかぎりだ。火炎さんが小皿に取り分けてくれる伊勢エビやアワビなど、その蒼白な顔の前ではつつくのもはばかられる。あの頃、もりもりとようかんをほおばり、生き生きと笑みをこぼしていたセンセーは、今や薄く呼吸をするだけの植物のようになっていた。食事制限があると聞いて、お見舞いには食べ物でなくカーディガン形のセーターを持っていったのだが、苦痛でその袖に腕も通せないという有り様だ。
「あとで着てみるけん・・・ありがとうよ・・・」
 そんなひと言をしぼり出すにも苦労するサムライの姿に、胸がつまった。
 休みたい、とおっしゃるので、面会はすぐに打ち切られた。ベッドに横になると、ことりと寝ついてしまう。このわずか三日後に天に召されるはずのセンセーだが、愚かな弟子の顔を見るために無理をして起きてきてくださったのだ。感謝の気持ちでいっぱいになる。
 眠りに落ちたセンセーにそっと別れを告げ、庭に出た。

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その195・太陽センセー

2010-08-08 08:57:00 | 日記
 太陽センセーが渾身の力で丸太をかち割ってから、ちょうど一年が過ぎていた。オレは再び太陽センセーの前にいた。信じられないほどいい顔で、センセーは微笑んでいた。完全にやりきって、満ち足りた人生だったのだ。
ー笑ってる・・・ー
 こんな死に顔は見たことがない、と、しみじみ感じ入った。センセーの生涯は、きっと楽しさにあふれていたにちがいない。まるでいたずらに成功した子供のような、そんな無邪気な笑顔だ。
 オレは訓練校を卒業すると、東京にもどって工房を構えた。念願だった陶芸教室を開いたのだ。膨大な準備と手続きに走りまわり、開業してからも、生徒さん集め、レクチャー、自分の作品づくり、窯焚きなど、工房運営に忙殺された。そのために、遠く離れた地方の山ふところに住むセンセーに会いにいくこともままならなかった。それでも機を見ては、せっせと長い手紙を書いたり、おいしいものをお贈りしたりした。するとセンセーは必ず電話をよこしてくださった。
「干し柿、うまかったぞ」
「母の手づくりです」
「一日で食うたわい」
「20個も?」
「火炎にはいっこもやらんかった」
 からからから、と、いつもはしゃいだ声だった。
 話しだすと毎回、長電話になる。太陽センセーは耳が遠いので、オレは大きな声で話す。ほとんど叫ぶように。するといつも、周りにいる教室の生徒さんたちから怪訝な目で見られた。だけど気にしない。相手は大切なひとなのだ。センセーの愉快そうな話しっぷり、時おりまざる重い言葉、拍子抜けするオチ、そして品位あるエロ話は相変わらずだった。
 ところが半年もたつと、急に声に張りがなくなり、奇妙な弱音が漏れるようになった。どうしたことかと息子の火炎さんに事情を聞くと、口ごもりつつ打ち明けてくれた。
「すい臓にガンが見つかってさ、それ以来元気なくしちゃって・・・」
 だけどたまたま別の箇所の検査を受けたときに発見できたんでラッキーだったよ、だいじょうぶだいじょうぶ、だと思う・・・という火炎さんの声も、ひどく沈んで聞こえた。

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その194・さよなら

2010-08-07 08:35:13 | 日記
 ささやかな手持ち品を学校から引きあげた。さよなら、訓練校。充実の時間をありがとう。
 アパートの部屋ももう引き払わなければならない。本格的に荷造りをはじめた。一年きりつきあってくれた炊飯器や、鍋や、ザラザラな布団や、電気ストーブや、ろっくんや、あれやこれやを段ボールに詰めこむ。
ーいよいよこの地ともお別れ、かー
 東京からここへは着の身着のまま、引っ越し費用8千円で駆けつけたんだっけ。家財はこっちで多少増えたけれど、そのほとんどはリサイクル業者に売っぱらったり、若葉家に引き取ってもらったりして処分することになっている。着の身着のままで、再び東京へと帰るのだ。ただ、こっちにきてからつくった器が大量にあるので、東京への引っ越しは少しばかり出費がかさむ。器の一個一個は、単なる「物」ではない。身につけた技能の結晶だ。オレは一年間で、それを生み出せるだけの「商業価値」を手にしたのだった。
 部屋を散らかしながらそんなことを考えていると、プップーッとクラクションが聞こえた。火炎さんがトラックで乗りつけたのだ。進呈した洗濯機や冷蔵庫(こっちに来てから、リサイクル品を二束三文で買った品々)を若葉家に運び出すためだ。
「おー、やっとるの」
 声のする助手席を見て驚いた。なんと太陽センセーがちょこんと座っている。山越え谷越え遠路はるばる、バカな弟子の引っ越しを見物するために駆けつけてくださったらしい。
「ま、東京に帰ってもしっかりやれや」
「はい、センセーもお元気で・・・」
「うん、うん・・・」
 センセーはそれきり、黙ってしまった。いつもと調子がちがう。こっちも話したいことはたくさんあるのに、言葉がでてこない。あらたまって正対すると、かえってなにも言えないものだ。いたたまれないような気分になる。気まずい空気。しかたなく、せっせと動きまわってごまかした。
 荷物を積み終えると、火炎さんとがっちり握手をした。これからはこのひともライバルだ。
「がんばろーぜ」
「がんばろう」
 みんな照れくさがり屋だ。おたがいの顔が見られない。ただ、一年間を同じ窯の器でメシを食った仲だ。心では通じ合っている。トラックはそそくさと駐車場を出ていった。その姿を見送る。
「さいならー・・・」
「おー・・・」
 キラキラ透明な早春の陽光に、生まれたてのモンシロチョウがあちこちにひらめく。そのまばゆい風景の中を、トラックは走り去った。
ー・・・いっちゃった・・・ー
 素っ気ないような、物足りないような、そんな別れだった。
 だけど美しい余韻があった。そそくさと出ていったトラックは、田んぼのあぜ道をゆっくりゆっくりと走行していく。名残を惜しむように、まだ言いたいことがあるかのように。
 そのウインドウが全開なのに気がついた。
「あ・・・センセー・・・」
 菜の花の匂いがまじる春風の中で、太陽センセーは助手席から身を乗り出し、短い手をいっぱいに振ってくれていた。大きく、大きく振ってくれていた。オレも手を振り返す。どこまでもつづく道。目をこらすと、いつまでもいつまで、センセーは笑って手を振ってくれていた。

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その193・MVPの男

2010-08-06 09:37:16 | 日記
 どうにも恥ずかしくて、ヒトビトから逃げまわってウロウロしていると、ロッカーコーナーにさまよい出た。ロッカーは、作業台を積み上げた影に、人目をはばかるように設えられている。思いがけず、そこにツカチンがいた。なにやらコソコソと小さな物をしまいこんでいる。ヤツはこちらの視線に気づき、はっと、あわてて目を泳がせた。
「あ、見つかっちゃったか・・・」
 天使のように愛らしいはにかみ。ヤツはこの必殺の横顔で、今までに何人もの女子をかどわかしてきたのだ。しかしそんな作戦で、オレが見てしまったものをごまかすことなどできない。愚かなヤツ。それでもとりあえず握手だけはした。力のこもったやつを。ヤツは悪意をこめてにぎり返してくる。骨も砕けよという怪力だ。
「バッ、バカッ!はなせ、このバカ力!」
「・・・見たの・・・?」
「ふっふ・・・見ちゃったよ、塚本くん」
「そうか・・・不覚だったな・・・」
 オレは見てしまった。ヤツが大切そうに隠し持っていたものを。それは「MVP杯」だった。もちろんオレがつくったものだ。あの最後の球技大会「まやまカチョー杯」の閉会式で、クラスのヒーロー・ツカチンは、手のひらにのるほどのカップをカチョーから授与されたのだ。チープで即席なシロモノ。そんなものをヤツは、後生大事に持っていたというわけだ。笑える。例のサヨナラホームランの思い出か。意外にかわいい面もあったものだ。しかしオレは許さない。あのホームイン後、ハイタッチを交わそうと待ち受けるオレの前で、ヤツは女子たちにもみくちゃにされ、祝福のキッスの雨アラレを受けたのだ。わがガールフレンドたちに、だ。さらに自作のMVP杯までさらわれ、オレの闘志は決定的なものとなっている。それはジェラシーでもなんでもなく、純粋な戦意だった。
「こんな粗末なもんでも、すてるのもったいないからさ」
 ヤツは薄笑いで軽口をたたきながら、「宝物」を大切そうにしまいこむ。。
 オレは無言でヤツを見つづけた。卒業後もヤツはオレの行く手に立ちふさがるにちがいない。そしてやがて、世界の頂点で再び対決することになるだろう。そのときこそ、ヤツを倒す。
ーそれまでは、そのMVP杯はおまえにあずけておくぜー
 新たな妄想が生まれた。ヤツを登場させると、ストーリーがかっこよく引き締まる。やはりツカチンにはずっと好敵手役でいてもらおう。
 ・・・と思ったまさにその場に、ヤツの美しきステディが現れた。ふたりで暮らすアパートも決まったの、そこに荷物を運びましょ。うん、そうしようね、ね、ねー・・・幸福そうな笑顔がふたりを満たす。
ーこの野郎・・・!ー
 こうしてオレは、またもや敗北感に打ちのめされるのだった。

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その192・仲間

2010-08-04 09:43:06 | 日記
 式の後、いったん全員で訓練棟にもどり、各々に荷物をまとめた。仲のいいクラスメイト同士の別れの挨拶があちこちではじまる。そんなものはバカバカしいし照れくさいし、そもそも嫌われ者のオレなので、ひとの輪から遠ざかっていた。手持ち無沙汰に、前夜の宴の残り物が入った段ボールから酒をあさる。そのさびしげな姿を見つけ、数少ない仲間たちが近寄ってくる。律儀に、さよならを言いにきてくれたのだ。
「これからもお互いがんばろうなっ、なっ」
 飯田さんは生き生きと笑った。
「いろいろありがとね・・・」
 あっこやんはビー玉のような涙をぽろりぽろりと落としてくれた。
 最後にヤジヤジに差し出された手のひらを握り返して、オレはびっくりした。胸が詰まって、なにも言えないのだ。声がつっかえて出てこない。
「あの・・・みんな・・・あの・・・その・・・」
 口元で無理矢理に笑顔をつくってごまかした。こんなはずじゃないのに。
「あの・・・あ・・・あの・・・」
 やっとの思いで言葉をしぼり出す。
「ありがと・・・」
 そそくさとその場を離れた。
 三人はかけがえのない仲間だった。この連中がいなかったら、ここまでがんばることはできなかった。気がつくと、心の中は感謝の気持ちでいっぱいになっていた。だけどまともに相手の目を見られない。言葉にならない。もっともっとこの気持ちを伝えなきゃいけないのに・・・
 そして、他のみんなにも。悪態ばっかついてごめんなさい。協調性がなくてご迷惑をおかけしました。出し抜いてやろう、飛び抜けた存在になってやろう、というケチな了見ばかりで動いて申し訳ないです。ただただがむしゃらだったのです。終始一貫、トップギアでした。そうしなければ、間に合わなかったのです。人生に尻をつつかれていたのです。そういう追いつめ方をしていたのです。許してね」
 ・・・というエクスキューズを考えたのだが、それもまた恥ずかしくて言いだせなかった。まあいいか、最後まで、変人で。

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その191・卒業

2010-08-03 09:08:16 | 日記
 訓練校の建つ丘にもついに南風が吹き、一年前にオレたちを迎えてくれた桜の花があちこちでほころびはじめた。固く締まった空気が、みるみる陽気の中にゆるんでいく。
ー春がきてしまった・・・ー
 卒業という例の甘酸っぱい感覚に、この歳になってから胸を突かれるとは思わなかった。その切なさは、日々が充実していたことの証しなんだろうか。学校では「訓練」を行い、家の一畳のアトリエでは「実験」を行い、若葉家では「作陶」を行った。全部ひっくるめ、やはりその日々は「修行」というべきものだった。毎日毎日、朝から晩まで、行(ぎょう)は飽きることなくつづいた。入校当初の殺人的タイムテーブルと熱病のようなテンションは、驚くべきことに、卒業する最後のその日までたゆむことなく持続した。弓の弦のように張りつめた一年間だった。そして、その生活とももうお別れなのだ。甘酸っぱくもなろうというものだ。
 卒業式を翌日にひかえて、製造科は山深くの旅館に集まってサヨナラ宴会をやった。自分たちの追い出しコンパだ。一年きりのつき合いだったが、学校の内で外で切磋琢磨し合ったライバルたちとの最後の機会だ。遅くまで語らい、飲みかわした。
 そのおかげで、明けて卒業式、オレは史上最悪の二日酔いで出席することになった。あまりにつらくて死にそうなので、式の最中に席を立ったほどだ。ちょうど県会議員だか市長だかのくだらない話の最中だったので、廊下でゴロンと寝そべってすごした。
 しばらくして会場にもどってみると、まやまカチョーが挨拶をしていた。優しくて敏感なカチョーは、別れがつらくて壇上で泣きべそをかいていた。オレたちはそれを見てげらげら笑い、また笑いながらチリチリと胸を焼かれ、目を潤ませられた。
 これでフィニッシュ。オレは、卒業してしまったのだった。

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その190・爆発

2010-08-02 07:27:52 | 日記
 これを焼きあげればいよいよ卒業、という学校の最後の窯焚きで、不吉の出席番号13番氏が最後の事故を起こしてくれた。窯の中で彼の大きな水指が大爆発し、破片が飛び散って、窯内の作品に甚大な被害をもたらしたのだ。
 これまでの焼成でも何度か作品の破裂はあったが、それはたいがい素焼きの窯で起こる。破裂は通常、粘土内にのこされた気泡の膨張か、乾燥が甘かったことによる水蒸気に起因するので、ほとんどの場合が800度まで温度を上げる素焼きの最中に発生するのだ。裏を返せば、素焼きをすませた後の本焼きの窯では、破裂は起こり得ないということにもなる。
 ところが今回は、代々木くんが無理をして作品を素焼きせず、生の素地に直接施釉する「生がけ」というやり方を試みたために、最悪の状況を生んでしまった。本焼きの窯での破裂は、素焼きの場合とは比べものにならないほどの大被害をもたらす。爆発力が付近の作品を破壊するだけでなく、小さなかけらが窯中に飛散して、作品の上に降りかかってしまうからだ。作品の地肌を覆うのは釉薬という名の液状ガラスなので、こいつが異物を噛んだまま冷えかたまれば、器は売り物にならない。そのため、窯一基分が全滅という事態までありえるのだ。実におっそろしいカタストロフィなのである。
 指のケガが治りきっていない焦りがあったのかもしれない。しかしそんなことは言い訳にはならない。卒業前の最後の窯で、みんなの勝負作品が満載だったという事情もあり、大惨事を引き起こした代々木くんはしょげ返った。ある意味、彼にとっていちばん痛かった事故かもしれない。しかしクラスメイトたちは、不運つづきだった彼の一年間のフィナーレを飾るにふさわしいこの爆発を、寛容に許した。むしろこの事故には、苦笑いを禁じ得なかった。これで彼の厄も吹き飛んでくれればいい。血が流されたわけでも、だれかが損をしたわけでもない(学校だけが深刻な損害を被ったのだが、まあそれはどうでもいいのだ)。これを機会に、彼にも落ち着いた人生を歩んでほしいものだ。

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その189・すごいオレ

2010-08-01 07:11:12 | 日記
 自分で勝手に障害物を設定し、そんな走路を駆け抜けることに熱中しつづけた。そんなチャレンジが大好きだし、それでこそ燃えるのだ。筒花入れを8mm厚でつくれと言われれば5mm厚にしたし、手びねりの巨大傘立てを12mm厚でつくれと言われれば8mm厚にした。結果、紙細工のように薄っぺらなものができあがる。検品でハジかれるが、そんなことは知ったこっちゃない。わが傘立てには、傘など立てられない。使い勝手などカンケーない。自分の技術が高まりさえすればいいのだ。修行とは、そういうものなのだから。また、50つくれと言われれば100つくり、60分でと言われれば30分でつくった。自分の設定ラインこそ、未来ヘの道を開くハードルとなる。それを飛び越えなければ、自分の求めるレベルを達成するのに間に合わない。悠長にかまえてなどいられなかった。周囲のライバルは、自分の伸びしろの基準として存在した。また先生の指導は、地図のない方位磁石でしかなかった。ひとをアテにはできない。自分のゆく道を切り開くのは、自分きりでしかありえない。
 タイムアップの合図で、卒業試験は終了した。オレは107個を挽いて、個数ではクラスの2番目だった。だけど数ではなく、その107個の質にこそ自信があった。サンプリング検査で、107個の中から無作為に抽出された一個が割かれたが、その厚みは、上から下まで完璧に均等だった。そしてその断面は、クラス中の誰のものよりも薄かった(自分だけ別のルールで闘ってるのだから当然だが)。わが仕事ながら、なんという美しさ!それは、飛び抜けた質、と言いきれる。今にして思えば、この試験は「発表会」だった。勝ち負けは関係ない。眼目は、自分が納得できるかどうか、だけ。そしてオレは、その結果に自分の一年間を見て、間違ってはいなかった、と納得した。
ーよかった、オレ、天才でー
 これは、この文章を書いている人物のシャレなしの言である。友だちがいなくならないことを祈りたいものだ(無理か)。
 自分を信じきることだけがとりえなこの人物は、「すごいオレ」の実現だけが目標だった。そしてその目標は、はばかりながら、相成った。検品で先生がまっぷたつに割いたまま残していった切っ立ち湯呑みは、こっそりと持ち帰った。極限薄づくり。音叉のように正確な断面。「すごいオレ」のトロフィーとしてしまっておこう。それは本当に、この一年間でつくりあげた自分自身の姿なのだから。

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その188・錬磨

2010-07-31 01:52:41 | 日記
 手をひっきりなしに動かしながら、心は鏡面のように平静だった。あわてても意味がない。無駄を徹底的に削ぎ落としつつ、やるべきことを怠りなくやるだけだ。
 思えば一年間、作品のクオリティを磨きこむことだけに心血を注いできた。そのために、かつて一計をめぐらしたんだっけ。それは、規格が決められている器も、自分だけこっそりと数値を変えてつくろうというものだ。困難な目標=高いレベルを求めるわけだ。そもそも同じ土の量を同寸同形に挽けば、厚みはどれも同一になり、ライバルたちと同じになってしまう。
ーそんなの、やだー
 訓練で示される課題の数値とは、言いかえれば、職人の質を同じにする水準線だ。学校側は、天才をひとり生み出したいのではなく、多くの職人の腕前を一定のラインでそろえたいのだ。だがオレは、他と同じなんてやなのだ。
ー天才だし、オレってー
 こうした考えから、計画は入校当初から発動されていた。
ーだいたい周囲の見習い職工さんたち(クラスメイト)にハンディをあげなきゃ、フェアじゃねっしー
 自分の走路に他よりも一段高いハードルを並べるという暗い愉悦の中で、オレは腕を磨こうと決めた。そして、先生に「300gで挽け」と指示された切っ立ち湯呑みを、こっそり250gを下回る土量で挽きつづけた。器はペラペラになる。薄ければいいというものではないが、薄いほど成形は困難になる。困難こそ、自分を錬磨してくれるはず。この一年間を、徹底してその方法論で通してきた。

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その187・ゲーム

2010-07-26 09:42:55 | 日記
 はやる気持ちをおさえ、丁寧に菊練りをして粘土のコンディションを整える。ろくろにセットした後は、土殺しも入念にする。あわてて挽くよりも、土全体をきちんと殺して指になじませておくほうが効率がいいのだ。
 いよいよ切っ立ちの成形にはいる。皿割り、ぐい呑み起こし、引き上げ・・・作業をこなすうちに、手順も思い出してきた。
ー大丈夫だ、覚えてるー
 感覚が焼きついている。手が勝手に動く。土はたちまち姿を変え、完璧な湯呑み形に屹立していく。一個できあがるとシッピキで切り離し、ろくろ脇の長板にストックする。二個、三個・・・五個、十個・・・あっという間に板上は、ラッシュ時のプラットホームのようにぎっしりと埋まった。
 ところがそれを乾燥棚に運ぶと、ツカチンもヤジヤジもあっこやんも、ほぼ同じタイミングで長板を肩にかついでくる。目が合うと、火花がバチバチと散った。急いでろくろにもどり、また長板を作品で敷きつめにかかる。
 没頭できた。高麗の職人は、こんなふうに頭をまっ白にさせた仕事の中から「喜左衛門」を生み出したにちがいない。だが、今は傑作など必要ない。形と寸法をぴったり合わせることに心を砕き、あとは手が動くにまかせるのだ。粘土が切れると、台車に走って丸太のような土塊を運び、再び菊練りからはじめる。殺し、成形、長板の移動・・・そんな時間が延々とつづく。
 ハーフタイムにはいって、自分の困憊っぷりにびっくりした。熱中するうちに、自分の手足は機械仕掛けになっていた。集中から開放され、キシキシと音を立てそうな関節の結び目をほどく。立ち上がって伸びをすると、ようやく現世の様子が視界に入ってきた。棚にはクラス中の切っ立ち湯呑みが殺到し、そのおびただしい光景は、まるでいっせいに産みつけられた巨大昆虫の卵のようだった。しかし同寸同形なはずのそれらをよくよく見ると、各々の形にやはり個性が表れている。自分のものがどれかも、一瞥してわかる。しみじみ不思議なものだと思った。
 ランチでエネルギーを充填し終え、ゲームが再開される。だれもが職人の顔つきになり、プロフェッショナルな仕事を目指す。
 オレも途切れることなく没入した。入校したてのあの頃に悩み抜き、修練の末に獲得した成型法。もちろんそのマニュアル通りにもつくれるが、今この場で新しい試みを取り入れてもおもしろい。指先はやすやすと反応し、粘土は意図通りに伸びてくれる。完成形のイメージはひとつでも、そこに至るには何種類もの道すじがある。あんなやり方やこんなやり方・・・そのうちのどのやり方をチョイスしてもかまわないのだ。決めごとのような職人技と同時に、柔軟な創造性が根付いていることに気づいた。

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その186・卒業試験

2010-07-25 07:00:46 | 日記
 職業訓練校にも卒業試験がある。留年などありえないので(「卒業まかりならん」と言われれば、だれもが嬉々として学校に居残ることだろう)、卒業への関門というわけではない。ただ、今までにつちかった能力を試す場として、このトライアルは存在する。形式的には「記録会」だ。だからこそ、この場でライバルたちの後塵を拝することは許されない。
「半日の間に、切っ立ち湯呑みを挽けるだけ挽く」
 試験の課題が発表されると、クラスにどよめきが走った。入校して最初のろくろ訓練で教わった、あの切っ立ち湯呑み!なるほど、これなら各人の成長度があからさまにわかるというわけだ。目標ラインは70個。形状の均一性の審査と、抽出検品による厚みの確認(完成品の中から無作為に選ばれた一個がまっぷたつに割かれる)も行われる。ガチンコ勝負だ。今まではみんな、いったい自分がどれほどの腕前を身につけ、それはクラス内で何番目にランクされるのか、なんてことは意識したこともなかったはずだ。そういう数値化が不可能な世界なのだから。しかし今回ばかりは、その実力の度合いが突きつけられる。
 プライド高き茶飲み貴族たちもさすがに、事ここに至り、必死で練習をはじめた。それは彼ら彼女らがこの一年間で見せた、いちばん真剣な姿だった。恥をかかないための付け焼き刃というわけか。一方、試験結果に大した意味などないことがわかっている賢人たちは、おかまいなしに徳利なり大ツボなり好き勝手なものを挽きつづけたが。
 試験当日。訓練棟は緊張感につつまれた。
「はじめっ」
 イワトビ先生の号令で、みんないっせいに粘土を取りに走る。試験には菊練りや土殺しなどの準備時間も含まれるので、切っ立ち湯呑み70個を挽くには、一個あたりの成形を2分弱ですませなければならない。手順や、作品の形状の正確さ・シンクロ性など「真の成形能力」に加え、集中力と持続力も試される。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

その185・卒業制作

2010-07-22 08:52:55 | 日記
 ぶ厚い辞書ほどもの厚みがある器の壁を、じょじょにじょじょに真上へとのして、筒型に立ち上げていく。おでこにまで届きそうな土管が挽きあがったら、次にそれを少しずつ外側に倒しこんで、鉢形に造形する。それと同時に、壁を薄く均等に伸ばしていく。
 器はオレの上半身を呑みこむほどに口をひろげ、見る間に巨大化していった。ピンと張りつめた気持ち。なのに思わずげらげら笑いだしたくなる。ひとはあまりに基準ちがいの巨大物体を見ると、笑いがこみあげてくるものらしい。それをぐっと我慢して、内外の指先が土に接する一点に神経を集中させた。根っこから口べりまで均一厚&限界薄づくり。ひずみとヨレにおびえつつ、勇気で突き進む。大胆かつ繊細さが要求されるこの作業は、半日がかりの大仕事となった。
 産湯にも使えそうな大鉢を挽ききったとき、ひろびろと開いた外周は、ほんの少しも回転軸を外れていなかった。まるでピタリと静止しているようだ。そして、イメージ通りの形。遠目に見ると、実写版「一寸法師」の撮影にも使えそうな見事な風格だ。素直で、よどみなく、鏡のような器面。大成功。その結果にいちばん驚いたのは、自分自身だった。信じられない気持ちだ。正直、本当に挽けるとは思っていなかったのだから。冗談のつもりだったんだから。
 そのとき、あらためて確信した。朝も昼も夜もろくろに向かっているうちに、そこそこの腕前が身についていたのだと。これでたぶん大丈夫だと。
 その後、もうひとつの巨大物体を挽いた。直径が小ダイコほどもある、ぶ厚い筒型を。それは器ではなく、シッタだった。この上に大鉢を逆さにのっけて、底ケズリをするのだ。土は10数キロも使っただろう。こんな土の大盤ぶるまいも、訓練校にいる間しかできないことだ。
 せーの、よっこらせ、と大鉢を二人がかりでシッタに伏せる。持ち上げてみると、意外なほどに軽く感じる。全体が薄づくりで、厚みが片寄っていない証拠だ。ケズリ作業をはじめると、ほとんどそぐ余地もないほどに、大鉢は均等な厚みに挽けていた。底の厚みだって、今や指先で叩けば感知できる。職人のカンってやつを手に入れたのかもしれない。
 ちょいちょいと高台を削り出し、オレの卒業制作は完成した。だけど作品自体にほとんど興味はない。オレは一年という月日をかけて、作品をつくってきたわけではない。自分の技術をつくってきたのだから。自分自身をつくってきたのだから。そういう意味では本当に、
ーできちゃったなー、オレが・・・ー
という、大げさな気持ちだった。

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その184・チャレンジ

2010-07-21 09:11:40 | 日記
 さて、イワトビ先生はここに至り、なぜか好々爺と呼びたくなるような丸い人物になっていた。
「やりたいことは全部やっとけよ。なんでもかんでも、好きなことを好きなだけやれ」
 猫なで声でささやく。入校当初のあの厳しい、「このステージをクリアでけへんやつには、絶対先のことはやらせへんからな」的な横暴ぶりはどこへいってしまったのか?まったく気味の悪いやさしさだ。しかし、思い返してはじめてわかる。このひともまたあの頃から、訓練生たちの技術を本気でみがきあげようとしてくれていた。彼の頑固さは、自分が持つ技術を生徒たちに伝授するための厳格さだったのだ。
「今、ここでしかできんことがあるやろ。おまーらもうすぐ学校を去る身なんやから、なにしたってえーんやぞ」
 やっとけやっとけ、えーよえーよ。先生がそうそそのかすので、オレは以前からやってみたかったことに挑戦することにした。それは「ろくろに載っかるだけの粘土を載っけて、超巨大な鉢を挽く」というものだった。実にバカバカしい、意味のない器づくりだ。だけど土が使い放題、ろくろが挽き放題という今でしかできないことでもあるのだ。だれもが考えながら、だれもやらなかったことでもある。オレはそいつに遠慮なく着手した。
 「ろくろに載っけて、なんとか挽けるだけの粘土の量」は、適当に目分量で決めた。こんなもんかな、とかかえ上げた分を計量してみると、17.5kgあった。一斗缶ほどもあるその土塊を菊練りするには、身長が180cmあるオレが一回一回ジャンプし、全体重をあずけて押しこまなければならなかった。渾身の力をかけて、菊の花びらをひとひらひとひら形づくっていく。その旋律は正確無比な間隔に刻まれ、うずに巻き取られていく。入校当初にあれほど苦労し、悩まされた菊練りだったが、今や実に美しい仕事に花ひらいている。リズムにまさる正確なし、正確にまさる強度なし。すべてはここからはじまったのだった。
 練りきった粘土を、ターンテーブルにどすんと置く。アクセルを踏みこむと、ろくろはウンウンとうなりながら、なんとかそいつを回してみせる。やるぜ相棒、いいトルクだ。その回転に負けないように、水をつけた手で土をまとめにかかる。もうドベなんて飛ばさない。敷き詰めた新聞紙に泥水を散らかしていたのは遠い過去の話だ。
 土殺しにはたっぷり一時間を費やした。巨大な土塊の芯の芯まで殺すのは結構な体力仕事だ。やがてピタリと円心が定まり、高速回転するターンテーブル上で、粘土は小揺るぎもしない状態に落ち着いた。準備が整い、いよいよ成形にはいる。

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