裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

プロメテウスの罠

2012年01月31日 22時29分51秒 | Weblog
朝日新聞の「プロメテウスの罠(わな)」って記事、読んでます?
おっもしろいんだよ、これが。
面白い、なんつっちゃ怒られちゃうけど、福島のみなさんに。
これはですね、原発事故のルポルタージュです。
つまり、地震が起きて福島原発の外部電源喪失、津波がきて全電源喪失、原子炉内の冷却水蒸発、燃料棒露出、炉内圧上昇、ベント、水素爆発、メルトダウン・・・そんな現象面の出来事と、そのときどきの現場の判断、官邸の模様、東電本社の動き・・・そんなこんなが時系列を追って事細かに描かれてるドキュメンタリー。
筆致がドライで、場面転換もうまく処理してあり、ノンフィクションなのに非常にドラマチックな物語になってます。
読み応えアリ。
ああ、原発事故の際の現場(福島の現地と、官邸と、霞ヶ関と、東電本社)ってのはこんな状況=ありさまだったのか、ってのが、綿密な取材をもとに(つか、記者たちの見たままに)実にリアルに描き込まれてて、心の底からびっくり・・・っつより、げんなりできます。
つか、日本国ってここまで劣化しきってるのね、って本質が骨身に染みて理解できます。
これを読むだけで、日本という国家システムがもう再生不能なまでに金属疲労を起こしてることがわかりまして、なんとなく得心というよりも、絶望を超えた諦念(安堵に近い)の境地に連れてってもらえます。
とにかく、現地をコントロールする人物たちの無知、政治家たちの無能、官僚たちの無分別、東電上層部の無自覚・・・あらゆる無様(ぶざま)があからさまにされてまして。
なるほど、この事故は、厳密な意味で「事故」じゃなく「事件」であり、「天災」でなく「人災」だったのでした。
ついでに言えば、これは歴史的必然であり、天罰であり、はじめた以上は帰結せねばならんたぐいの「文明災」だったのでした。
つくづくと感じるのは、「こういう人間性のやからだからこそ、危うい危ういこの原発ってやつを推進できたんだなあ」ってこと。
世渡りの上手なヒトビトと、なにも考えてないのんきなヒトビト(ぼくらを含みます)、この二種類の人間が結局、原子力という夢に乗っかっちゃって、このせまい国土の生活環境をツブしましたね、残念。
ところで、読売新聞もこんなルポルタージュを書いたらいいのに、「原発開発の初期から中軸として関与しつつ」「いまだに原発を推進しようとしてる」って側からの切り口で。
つまり「肯定」の側からのエクスキューズを。
原発反対の朝日側と読み比べたら、ぜったい面白いと思うのですよ。
だけど言えば、朝日も読売も毎日も産経もどこの新聞社もテレビ局も同罪なんですけどね。
マスコミの欺瞞と卑劣さだけが批判の俎上に上げられてない、ってのも気にかかります。
みんなでちゃんと総括してくれよなー!(ぼくらを含みます)

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

葉隠れ

2012年01月13日 18時04分13秒 | Weblog
このクソさぶいのになぜ素足にビーサンばきなのか?と問われても、サムライだから、としか答えようにない。
武士道とはやせ我慢と見つけたり。
そのことはかたくなに守らねばならない。
作務衣の下にはシャツ一枚、と決めている。
さぶいが、しょうがない。
外出時にも、コートの下には二枚以上の衣類を身に着けない。
服をもってない、ずいぶん買い物をしてない、ということもあるが、たいがい外出するときは、カットソーに厚めのパーカー、それにコート、それきり。
男ババシャツだのモモヒキだのが世を席巻しているが、切腹しろ!と言いたい。
風呂に入るときは、前回の残り水を抜いて掃除、その空っぽの湯舟にスッパ(すっぱだか)で入り、それからカランを開けて湯を満たしにかかる。
湯が腰あたりまでたまるまでは極寒地獄だが、読書しつつ、がまん。
この試練を乗り越えれば、そこから先はしみじみとあたたまれる。
寝床にもぐり込むときも、もちろんスッパ。
つべたいお布団が自分の体温であったまるまでがまん。
それをしのげば、やがてぬるいまどろみがやってきて、睡眠のらせんを落ちることができる。
自由でいたい。
衣類を「拘束」と考えている。
いつもスッパで過ごせるものならそうしていたい。
ただ、夜中におしっこに起きてトイレでスッパで過ごす時間は、やはり地獄だ。
オレ、バカかな?とさえ思う。
だが、サムライなので仕方がない。
そう、仕方がないのだった。

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夜語り

2012年01月12日 10時05分52秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
さらにかしこいひとがいるもので、あ、いっこトビ下の「ソトカラ目線」のつづきだよ。
「コペルニクスさん」と「ガリレオさん」が一生懸命に教会とやり合って、地球自体が動いて太陽を周回してることを周知のものとしたのちにも、地道な論拠の積み重ねがあったのさ。
その中でまずえらいのは、「ニュートンさん」ね。
この大人物は、人間界と神様の世界を統合したひと、とされてるよ。
つまりそれ以前は、人間の住むこの地上界と、神様のおわす天界とは、まったく別のルールで動いてるという認識だったの。
そりゃそうだよね、地上ではどんなものも安定を求めて地面に張り付いて不動なわけで、星のように空中にぷかぷか浮かんで、しかも自力で運行するなんてことはあり得ない。
あの大天空にレールを敷いて太陽を運ぶのは神様の特殊な力、それが一般認識だった。
ところがある日、庭でうたた寝してるニュートンさんの目の前で、リンゴが樹からぽとりと落ちたわけ。
横から見てたらそれは、地球とリンゴがおたがいに引き合ってくっついたのだ、と気づいた。
そこで「万有引力」すなわち、質量のあるものはおたがいに引き合ってんじゃねーの?という着想に至る。
そこで終わらないのが、このひねくれた科学者のすごいとこ。
この現象を天空に応用してみる。
つまり、星ぼしはおたがいに「引き合って」「落ち合い」、その釣り合いで宙空を行き交ってんじゃね?ということ。
それに先駆けて、「ケプラーさん」がいた。
彼は、師匠の「ティコ・ブラーエさん」が、天体観測で膨大なデータを集めて死んじゃったんで、それを解析して、惑星の軌道をはじき出したひと。
それによって、惑星は正円じゃなく、楕円軌道で運行してるってことがわかったの。
しかもそのスピードは、太陽に近づくほどに早くなって、遠ざかるに従って減速してく。
面白いのは、太陽を頂点として、惑星が一定時間に移動した定点間を三角形にすると(ほんとは扇形だけど)、どの部分を抽出しても同面積だというの。
つまり、惑星が速く進む太陽の近くで計っても(太陽に接する頂角は鈍角になる)、遠い場所にあるときに計っても(ゆっくり運行だから、シャープな鋭角三角形になる)、おんなじなの。
これって、ボールを上空に向けて投げたときと同じ現象だよね。
地上から遠ざかるにつれてボールのスピードは落ち、やがて曲線を描いてUターン、落下がはじまり、加速がついて地上にもどってくる。
それでニュートンさんは、「惑星の運行とは、太陽に向けて落ちてくことなんだ(つまり、おたがいに引き合ってる)」と解釈したのさ。
ガリレオさんが砲弾の軌道を研究してて思いついた「慣性の法則」(ざっくり説明すれば、動いてるものは抵抗がないかぎり動きつづけ、引力などが働いた場合は楕円軌道になる)をあてはめると、惑星の動きはなるほどピタリと説明できる。
天体の運行に神様の力は必要なくて、実は人間界と同じルールが天界にも採用されてた、とわかった瞬間さ。
それが冒頭で言った「人間界と神様の世界を統合した」の意味。
これでまた、ヒトビトの目に映る夜空の印象が劇的に変わったわけさ。
真実を理解すると、なんてスッキリと視界がひらけることでしょう。
ついでだけど、ニュートンさんは、太陽と任意の惑星間だけじゃなく、惑星同士がおたがいにおよぼしあう引力についても研究してるんだ。
つまり、惑星同士が近づくと少しだけ軌道が揺らぐことを観測して、それも万有引力の法則で矛盾なく説明してみせた。(つか逆に、法則に矛盾がないことを証明してみせた)
例えば金星と木星が近づくと、予想された軌道よりも少し外れて、ゆらゆら、となる。
この現象を応用して、ニュートンさんはふたつの新惑星(冥王星と海王星)の存在を予言したんだよ。
夜語り、おしまい。

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オウムのひと

2012年01月10日 21時46分47秒 | Weblog
長ーいこと逃げてた平田信容疑者がついに捕まりましたが、ずっと関西方面に潜伏してたようで。
この報道、個人的に興味があって、ちょっと注視してます。
というのもですね、神戸のほうに、大学の同級生でオウム真理教にハマっちゃった女の子がいたのですよ。
当時、彼女は東京の阿佐ヶ谷道場で修行をしてまして、オレは両親に請われて(どういうわけか、いつもこういうときに頼りにされる)一度ならず道場に乗り込んでは説得したり、教団幹部に掛け合ったり、はたまた彼女の後を尾行して一日の行動データを集めたり、教祖の裁判があるときには霞ヶ関まで出張ったりしてたんですが、あまりに信仰が厚い(つまり洗脳されちゃってる)んで、功を奏しませんでした。
しょうがない、最後の手、ってんで、ご両親と若干名の仲間と企てて、夜中、彼女が道場から出てくるところにワゴンを乗り付けて、強引に拉致誘拐しました。(道場前に張り付いてた警視庁さん方には水面下で、不干渉、すなわち「見て見ぬ振り」の確約を取ってました)
二十歳すぎの女の子ったってね、すごい力で抵抗するもんですよ、男何人かで押さえつけても。
「乱暴だ」って言われても、相手は様々なやり方で30人以上を殺し、6000人以上に障害を負わせた殺人教団だからね、こっちも決死の気合いでやってます。
そのままワゴンに引っぱり込んで捕獲し、高速道を一路神戸まで走り、彼女の実家に監禁しました。
実家の家屋にも改造が施され、「牢獄」のようなつくりになってて、洗脳を解く専門家の施術もなされたんですが、すぐに逃げられちゃったらしいです。
平田ナニガシが「関西方面の元信者にかくまわれてた」というんで、まさか、と思いましたが、彼女ではありませんでした、ふー・・・
今は彼女、どこでどうしてんのかな?
ちょっぴり気になるア・イ・ツ、です。

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ソトカラ目線

2012年01月09日 10時17分55秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
「自分」という人物には、二種類の解釈があるんだよ。
主観と客観という、ふたりの自分。
片方は、自分が「こう」と考えてる自分、すなわち、自覚に基づいた主体としての自分だよ。
もう一方は、主観から独立した客体、すなわち、ひとの目にどう映ってるか?という自分さ。
ずっとずっとむかしのひとはね、あ、ところで、宇宙の話、していい?
文明が生まれてちょとたって、文化が成熟しはじめたころの話。
空を見上げると、東からのぼった太陽が西へ沈んでく。
その通り道には「黄道」というレールが敷かれてて、太陽はそこを運ばれてく、と信じられてたんだ。
地上はどこまでも平らで、不動だ。
だけど時代が下るにつれてかしこくなって、実は地上は丸くて、俯瞰すると大きな球なんだ、とヒトビトが理解しはじめた。
丸い地球を、丸い天蓋、すなわち星ぼしの配された丸屋根が覆ってる、という構造モデルができたわけだ。
自分たちを小さく見たぶん、ジンルイは、世界をひと回り大きく見られるようになった。
なるほど、夜空のたくさんの星ぼしは、丸いドームの内側を、いっせいに、一様に、東から西に向かってる。
その点で天動説は、空の天体の動きをうまく説明できてる。
・・・ように見える。
が、よくよく観察すると、それと逆行するような動きをする、つまり集団から独立して行動する星が何個かある。
説明のつかない、やんちゃな「例外」が存在する。
金星などは極端で、一年かけて夜空をUターンしたり、ループしたりする。
そこで熟考してみる。
すると、「おいおい、あの星はひょっとして、太陽のまわりを周回してるぞ」っつ重大な事実が発見される。
考えてみれば、「暁の明星」「宵の明星」と呼ばれるその星は、太陽が地球の裏側にいく時間帯、つまり深夜には、決して姿を現さない。(太陽にお供して、地球の裏側にいっちゃうからね)
さらなる観察によって、その説は確定的となり、かくて太陽の裏側に大きな空間がひろがってるとわかったわけ。
すると、空の天体配置のモデル構造に修正を加える必要にせまられる。
ここで思考の跳躍が起こる。
つまり、「いっそ、この地球もまたあの空に浮かぶ星ぼし(主に太陽と月)とおんなじじゃねーの?」、さらに「まま、まてよ、まさか、この地球も太陽のまわりを回ってるのでは?」
この大地がそっくりそのまま、あの太陽を中心に周回してると仮定すれば、これまでのモデルで問題となってた矛盾点すべてに説明がつく。
こうなってくると、ヒトビトが空を見上げてそこにある光景が一変する。
解釈を更新するだけで、今まで見てたものとはまるでちがったものをそこに見ることができるようになるんだ。
このコペルニクス的転換によって、ジンルイは、外からの視線で「真の」自分たちを見ることができるようになるわけ。
世界における大空間の中の自分たちの立ち位置。
多くの天体の中の、いっこ。
たくさんある中の、たまたまぼくらがすんでるこの星。
ちっぽけなちっぽけなそこに自分を置くことで、ジンルイは巨大な視野を手に入れたんだ。
自分が中心じゃねーんだよ。
あっちからどう見えてるか、っつー話なんだよ。
大きな大きな動きの中の、小さな小さな自分なんだよ。
ということをね、考えてます。
とりとめなく、まとまりなく。

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今日の豆知識

2012年01月07日 11時11分28秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
ウランからなんかへんなものが放射されて紙を感光させることに気づいたのがベクレルさんで、それを「放射能・放射線」と名付けたのがキュリー夫人なんだって。
数学や素粒子の本を読んでると、昨今の話題にのぼってくるいろんな言葉が出てくるよ。

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