裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

三位一体(いつものように、覚え書き=読まなくていいやつ)

2011年11月02日 20時35分21秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
書店でふと手に取った本に、びび、っときて、また2300円なりの散財。
だけど、自分が本当に知りたかった最も基本的なところに導いてもらえる気がする。
オレは、この世界はふたつの現実で成り立ってると考えてたの。
ひとつの世界は、自分が直感的・主観的にこうだと思ってる「意識」の世界。
もうひとつは、他者の目が見てる(オレという存在を含んだ)物質的・客観的世界。
どちらも現実なんだけど、両者を照らすと、まったく認識違いのものがあったりして、実はそれらが統合された普遍的な真理なんて存在しねんじゃねーの?と考えて、少々悶々としてたわけ。
さて、件の本によれば、「いや、二つじゃなくて、この世界は三つの現実に分けられるんだよ」と言ってる。
ちなみに、これは例によって、数学の本、純粋学問の本です。(宗教じゃないよ)
さて、この本の言うところの「三つの現実」のうちのひとつは、意識がとらえる世界。
これは取っつきようもない、個々の中の心象世界ね。
簡単に言えば、ひとのアタマん中だ。
で、ふたつめは、物理的実在の世界。
触覚で感じ取れる、いわゆる「ある」のこと。
ここまでは、オレも同意見。
が、そのどちらでもない、みっつめの世界があるというんだな。
それが「数学的形式の世界」なんだと。
この部分を読んだとき、ほんとにカミナリに打たれたようになって、「あ、そっか。それでオレ、数学や物理の本ばっか読んでるんだ」と瞬時かつ完全な理解が起こったよ。
自分の認識の中で、その点が欠落してたとわかったのだった。
その欠けたピースを知るために、つまり、自分の中の認識世界を完全なものにするために、こんな学術本ばっか読みたくなるんだ、と。
数学的形式の世界ってのは、つまり「世界はこうしてできてる」「・・・んだけど、人間の感覚ではとらえきれない」という宇宙(ものごとの仕組み)の本質部分を、数式や構造モデルで認識する、ということ。
例えば、時空が10次元まであると仮定すれば重力世界と電磁力世界を統一した公式で説明することができる、みたいな話とか、宇宙の膨張が加速してるのはダークマターとダークエネルギーがカギを握ってる、みたいな話。
そこまでいかなくても、たとえば「リンゴが落ちる」現象は、それを引き起こす力が人間の目には感知できないものだとしても、数式によって完全無欠の説明がつく。
エネルギーの量は、質量と光速度の二乗を掛け合わせれば、正確に導きだせる。
目に見えない世界は、記号を使った設計図で概念化できる。
要は、触覚でも理性でも認識できないようなことを、観念によってとらえるわけだ。
目に見えない世界もまた現実に存在してる世界であって、そこにもわが感覚世界と同じルールがあり、それは数学=物理学という知性で説明しうる、ということ。
「√-1」って数は実在しないんだけど、これに「虚数」と名をつけて公式をつくると、いろんな応用ができるんだ。
三次元世界では決して視覚的に表現できない、それは一見、奇妙な概念なんだけど、そんな世界も形式としては矛盾なく実在するんだ。
逆説すれば、この「形式世界」がリアルに存在してるかぎり、事実上、この世のすべての現象には説明がつけられるというわけ。
これまでの連綿とした物理学の研究から、物理的実在の世界はすべて、数学的形式に従ってる。
一方、意識の世界と物理的実在の世界もまた、緊密につながってる。
だって、「心」は物質から生まれたんだよ。
「気持ち」とは、タンパク質と電気信号による化学反応である、と言ったひとがいるし、「考え」は、科学の世界ではシナプスとニューロンの発火による物質の伝達という解釈だ。
その奥に控えしが「意識」なる茫洋とした世界なんだけど、こちらは「触覚的」認識が難しい。
だけどその世界が実在しないかといえば、そうじゃない。
それは視覚化できないけど、「ある」んだ。
「我思う、ゆえに我あり」と言ったひとがいるじゃないか。(ものの本を読むと、この思想家もまた、数学者だった)
オレははっきりと「意識」してこの文章を書き、日々を生きてる。
その「意識」ってやつはどこにあるかというと、やはり「観念」の中にある。
いつかそんな構造も、数学的形式で説明できる日がくるかもしれないね。
こんな具合に三位一体を考えてくと、なるほど、世界の全体像がぼんやりと見えてくる。
すごいぜ、「神は数学者か」。
さて、本の最終ページを見ると、偶然にもこの本は、発行日のわずか五日後にオレの手に取られたことになる。
まったく本屋などに立ち寄らないオレに、である。
運命かなあ。
やっぱ、茫洋としたネット界で横着検索するよりも、きちんと実在する本の森をさまよい歩いて触覚でつかまえないといけないね、本質は。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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4 コメント

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こんにちは (風のり)
2011-11-03 00:42:17
この記事読んでたら
映画「マトリックス」の映像が思い浮かびましたよ
(読まなくていいやつを読んじゃいました)
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そうなんだよ! (もりを)
2011-11-03 18:54:52
マトリックスなんだよ、この世界は。
幾重にもなってんの。
目に見えないそこんとこを、数式が説明してくれるのさ。
・・・それにしても、ちゃんと読むひとがいるんだねえ・・・
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ははは (風のり)
2011-11-03 23:57:12
いや、だって面白いんですよ 師範のB面
正直こっちばかり読んでます(笑)
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ふむ (もりを)
2011-11-04 07:51:13
表も読みたまえ。
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