deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

29・東京にて

2023-03-30 09:26:06 | Weblog
 モンゴル行から戻り、企画ページのルポルタージュとともに、「モンゴル滞在マンガ」を描いた。評価はまあまあだったようだが、本人のやる気は戻らない。結局、オレは鬱というよりも、そもそもマンガを好きになれないのだと理解した。読むことを無邪気に楽しんだ時期はあったが、将来にマンガ家になるなどとは考えてさえいなかったガキの頃の話だ。いや、その頃からマンガ家になるのだろうという予感はあったが、こんなにも苦しもうなどとは思ってもみなかったのだ。今や、あの気楽さではいられない。
 大人が電車内でマンガを読むなんて恥ずかしい、と感じている。そんな人間を密かに蔑視してさえいる。なのに、彼が読んでいるのは、まさにオレの描いたマンガなのだ。これがまた恥ずかしくてたまらない。後の世になって、マンガやアニメは「クールジャパン」としてもてはやされるようになるわけだが、まったく噴飯したくなる。このオタク文化は、(誰もが気づいていながら知らぬ振りをするが)下心と表裏一体であり、さらに言えば、猥褻と紙一重なのだ。いや、そこは「・・・という部分もある」と控えめに言うべきかもしれない。しかし、どうもその疑念は晴れない。確かに優れたマンガ作品は少なくない。そこは認めるし、マンガ表現がすばらしい芸術様式と感じてもいる。が、かなり後の当局が口にするところとなるクールジャパンの本質は、「ロリ系少女」を描くあの独特の様式によってならば幼児愛を寛容的に受け入れてよいことにする・・・というエクスキューズに他ならない。美しく細密なあのカンジなら、心に隠し持つべき淫らさを大っぴらに明らかにできるのだ。こりゃ便利、ってなものではないか。本来ならば気恥ずかしく感じるべきこの性癖を、パンチラを「大好き!」と言ってはばからないガイジンさんたちの思慮足らずな態度に勇気づけられ、日本人は許容してしまっているわけだ。さらに日本政府までもが、経済のためにこの見苦しいムーブメントを後押ししてくださる。そこに主体的な美意識は存在するのか?ガイジンさんが「クールだ」と言ってくださるからすばらしい文化なのか?オレには、オタクガイジンこそが気持ち悪いのだ。そして、オタク日本人はもっと気持ち悪い。
 考えてもみればいい。ここにアニメの美少女大好き系のオタクがいるとして、友だちになりたいか?いや、なりたくない。本当に彼の愛するものを愛せるか?いや、ドン引きする。彼の人生を賭けた幼児愛への執着を理解できるか?いや、キモいとしか言いようがない。・・・高い美意識を保とうという身としては、そんな人物、そしてそんな文化との間には、決定的な壁をつくっておきたいのだ。
 そんなマンガを描いておまんまを食おうという自分の生き方を、素直に受け入れられないでいるのだった。恥じ入りたくなるのだ。体裁の悪さに苦悶してしまうのだ。
 最も信頼を置いていた担当編集者氏が昇進し、デスクだか副編集長だかに取り立てられ、自らを賢いと思っている気色悪い東大卒が後釜として回されてきた。そんなわけで、ますます創作意欲がなくなり、現場から足が遠のいていく。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

28・蒙古的生活様式

2020-08-01 06:44:53 | Weblog
 さて、原住民・・・というには文明的すぎる人々の住む、モンゴル人自治区だ。家は古風なレンガづくりだが、電気が引かれていて子供たちはテレビを(しかも「一休さん」を)観ているし、おっさんたちは野外にちゃぶ台を出して麻雀を打っている(パイが丸いのが興味深い)。しかし、彼らには「ツアー会社がよこしてきた旅人たちに昔ながらの生活を体験させる」という任務が課されている。よろしくお願いしたいところだ。
「パオを組み立てるぞ」
 ということになったようだ。パオとは中国語のようだが、モンゴル語で言うところのゲルで、つまり例のフェルト製の掘っ立て小屋・・・いや、住宅だ。モンゴルといえば、草原に建てられた丸いテントのようなこのゲルを思い浮かべる人も多いだろう。放浪の民であるモンゴル人は、行く先々でこの携帯式の家屋を建て、その地で羊たちに草を食ませ、草がなくなると、また家屋をたたんで移動する。そんなゲルのつくり方を見せてくれるというのだ。まずは、円筒形の壁づくりだ。これはジャバラ式になっていて、折りたたまれたものを開くと長板のようになる。こいつを、すでに配置した家具の周囲ぐるりにめぐらせて、居住スペースを囲ってしまう。次に、ぐるりの中心に自転車の車輪ほどの円形のパーツを置き、壁の外側の四方から槍を突くようにして棒を差し込んで、上方に持ち上げるのだ。こうすることで、なだらかな円錐形の屋根の骨組みが出来る。あとは羊製の分厚いフェルトを巻きつけていけば、はい完成、というわけだ。なんと合理的にできたテントではないか。
 のどが渇くと、ジャスミンのミルクティーが出る。大きなポットに、レンガのように固めた茶葉をナイフでこそぎ入れ、そこに熱したミルクを入れてつくる。葉っぱが口の中で絡んでくるが、なかなかおいしい。川は遠く、水は貴重品で、顔を洗うにも手の平一杯分の使用しか許されない。手を洗うときなど、右手にすくった水で左手を洗い、そのこぼれそうなやつをすくって右手を、そして左手を・・・と下に下にこぼれる水を追いかけてすくいつづけながら洗う。水はそれほどまでに大切なのだ。そいうわけで、この地では水よりもミルクの方が身近な飲みもののようだ。
「馬で草原を横断して隣村までいくぞ」
 人数分の馬が引き出されてくる。乗馬用のサラブレッドでも、ポニーでもない、その中間ほどの大きさの、小振りな馬だ。ひどく硬質な鞍とあぶみが装備されているが、尻の据わり具合いはよろしくない。デコボコのパーツで装飾された形といい、こけおどしのような効果を狙ったものなのかもしれない。しかし座り心地は我慢して、教えられる通りに手綱をさばく。馬の背から見下ろす風景はなかなかのものだ。
 現地の若者たちが、こちらの男っぷりを試そうというのか、いきなり全力で駆け始める。オレのまたがる馬も、それに引きずられるように、一緒に走り始めた。初心者の操作では止められない。なんとか食らいついて、落馬だけは免れた。若者たちは笑っている。生意気だが、無邪気な連中だ。彼らとはモンゴル相撲も取ったが、まったく歯が立たなかった。砂漠はラクダで渡った。こいつの背の座り心地はなかなかいい。歩みもゆったりとしている。しかし、降り際に後ろ足を顔面に蹴り込まれて、死ぬところだった。
 夜。星空のクリアさは気が遠くなるほどのものだ。星の瞬きがまぶしいほどだ。ひっきりなしに行き交う流れ星の一個いっこがでかい。ゆっくりと天空を渡っていくのは人工衛星だ。その形までがはっきりと目で捉えられる。国際宇宙ステーションかもしれない。
「秘境って素晴らしいね・・・」
 東大出の編集デスク氏が、ブランデーでも片手に持っているかの雰囲気で、浪漫ティックにつぶやく。ふと見ると、パジャマ姿だ。準備がいい。原野では洗濯機もあるまいと想定し、何着も持ってきたらしい。さすがだ。
 砂漠の真ん中に、素晴らしい気分でうんちをした。もりもりと出た。こうまで清潔で爽快なトイレには、これより後にも先にも出くわしたことがない。

つづく

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27・大平原の村

2020-07-31 08:46:53 | Weblog
 小型バスは走る。嵐の大海原のように波打つ平原を。大陸の五月の大地は、草っ原というよりは、緑がはげちょろけた荒れ地だ。見渡す限りに、人工物はなにもない。猿は、森から平原に出て二本足で直立し、人類となったわけだが、そのときのなんの頼りどころもない不安と恐怖感が理解できる。そして、そのときにのぞんだ遥か地平に向かう冒険心と。我々が進むこの先に、どんな苦難が待ち受けているのであろうか?
 ・・・と、かっこつけてみたが、モンゴル人の美女添乗員を乗っけた小型バスが行き先を誤ることなどあり得なく、道なき荒野も、やがて電柱が点々とつながるエリアに出た。こっちの地平線からあっちの地平線へと消失していくこの線の先を目指せば、自動的に現地人居留地にたどり着ける。そして、なんの危険に遭遇することもなく、無事に到着した。原始と文明とが相半ばする「村」に。
「ようこそ~、らら~・・・」
 ・・・的な歌が、風に乗って聴こえてくる。バスから大地に降り立つと、わずか数軒のと見える村民が一同にこちらを出迎え、歓迎の歌でもてなしてくれているのだった。さすがは平原の民。声量がとてつもない。素晴らしい歌声で、胸を突かれる。その歌が続いている間、馬上杯という脚つきの杯で酒が振る舞われる。こいつは、本来なら「馬乳酒」というくっさいやつのはずなのだが、時期ではないということで、パイチューというウオッカのようなきつい中国酒が代わりに供されている。小振りのお碗ほどもある馬上杯になみなみと注がれたこいつを、村で世話になる旅人は一気飲みにやっつけるのがしきたりだ。日頃から鍛えておいてよかった。くいくいくい・・・とのどにお迎えすると、しずくの伝った食道が焼けるようだ。しかしまあ、悪くはない。添乗員やコンクール受賞美女たちも、鼻をつまみ、がんばって飲み干している。が、東大出編集氏だけは、「飲みたくないものは飲まない」という主義らしく、ちょんと口をつけただけで突き返している。この男は、自分の信ずる道を曲げない、なかなかの硬派のようだ。
 最初のイニシエーションを終えたところで、もうひとつの重要な儀式が始まる。供された酒を飲み干し、両者が仲間となった証に、彼らにとって最も大切な羊を一頭、血祭りに上げてくれるというのだ。肉づきのあまりよろしくない子羊(大人かも)が、人々の前に引き出されてきた。チンギス・ハーンの遺言によると、「血を大地に一滴もこぼすことなく」羊をさばけということのようだが、そいつを見せてくれるのだという。
 羊が転がされ、まず心臓付近にナイフの刃先が入れられる。このときは、わずかに表皮に裂き傷が入るだけだ。そこにおもむろに手が突っ込まれ、おそらく太い血管だか神経だかが切断される。すると羊は、瞬時にことりと事切れるのだ。調理というよりは、まるで外科手術だ。残忍さはなく、ただ淡々と作業は進められる。動かなくなった羊は仰向けにされ、四肢を四方に開かれる。この状態から皮を剥いでいくと、まるで地面にテーブルクロスをひろげたような解体ブースが出来上がる。そしてこうしておけば、血の一滴も大地にこぼすことなく、羊がさばけるというわけなのだった。
 ロース、カルビ、シャトーブリアン、心臓、肝臓、胃、腸・・・素晴らしい手際で各部位がバケツに選り分けられ、血が溜められ、最後は骨についた筋までもこそげ取られ、たちまち解体ショーは終わった。いやはや、まったくすごい文化だ。羊は彼らの主食なのだという。
 その夜は、羊三昧のごちそうを味わった。ギャートルズに出てきそうな骨付きの肉塊、腸に血を詰めて茹で上げたサラミ、牛の糞で火を起こしたバーベキュー・・・どれもこれも、なんというか、飲み下すのがたいへんなシロモノだった。ふと、東大出の編集氏を見ると、さすがにあのトランクの巨大さは伊達ではない。
「こうくると思っていたのだ」
 鼻高々の顔で、調味料一式を自分の前に並べ、いろいろと味変を試しながら食している。現地の人々は、それをぽかんとした顔で見つめている。東大出は、どうだ文明とは素晴らしいものだろう、と言わんばかりだ。穴があったら入りたい気持ちを味わわされた。

つづく

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26・モンゴル行

2020-07-29 11:03:45 | Weblog
 モンゴルに行かないか?と、担当編集者のみきさんが唐突に切り出した。
「編集部で、モンゴルに行かせるならきみだろう、ということになって」
 なにがなんだかよくわからないが、「見てくれがモンゴル感性っぽい」このオレに白羽の矢が立ったようなのだった。
 聞けば、スピリッツ誌面での企画で、「こんな旅があったら面白い」的なプランを読者から募集をしたのだそうな。そのコンクールで最高賞を獲ったのが「現地人と同じ生活を経験するモンゴル行」というプランで、受賞者にはご褒美としてその通りの旅が用意されたわけだ。その旅に、マンガ家をひとり同行させ、旅程を元にしたマンガを描かせよう、というのだ。簡単に言えば、取材旅行だ。編集部にとっては不良債権のようなオレだが、そこそこの評価は受けていて、役立ちどころを探してくれているようだ。ありがたや。
「いきますいきます!」
 原稿仕事に煮詰まり、すでにフリーアルバイターの立場に身をやつしていたマンガ家崩れ(25)は、もちろん二つ返事で快諾だ。海外旅行なんて生まれて初めてだし、ましてや旅費はタダ。スケジュールはスカスカ。久しくサボっているマンガの本誌掲載も約束される。枠が決まってしまえば、意欲を奮い立たせて描くしかない。精神病みの沼から脱出するチャンスでもある。いいことづくめではないか。早速荷造りをし、成田空港に駆けつけた。
「おっ、きたきた。サイトーです。よろしく」
 そこで待っていたのは、サイトーというスピリッツ編集部のデスクで、要するにみきさん(数々の人気作家を担当する敏腕編集者なので、日程は空けられないようだ)の代わりとなる担当編集者だ。みきさんよりも年上でポジションも上位のようだが、いかにも遊び慣れていそうな浅黒い肌で、金のネックレスなど、首元にチャラつかせている。しかし東大出とあって理屈っこきだ。めんどくさそうな人物が現れたものだ。ふと見ると、荷物がやたらとでかい。コロコロ付きの大振りなトランクふたつが足元の両サイドに、そのハンドルにさらにブランドもののバッグが下げられている。女慣れはしていても、旅慣れはしていないようだ(後に判明することだが、旅慣れしすぎてこうなってしまうようだった)。ヒッチハイクと野宿で鍛えられたオレは、モンゴル九日行に、手提げひとつだというのに。そもそも、トランクというスタイルからして、草原や砂漠をさまよい歩こうという装備ではない。その中身も気になるが、東大を出ていると言うのだから、この男なりにいろいろと考えがあるにちがいない。
 さて、旅のメンバーだが、編集者とマンガ家の他には、晴れてコンクールの一席受賞となったアクティブっぽい美女に、二席を獲得したおとなしめ美女、カメラマンのおっさん、そしてツアー添乗員という顔ぶれだ。この企画は、大手旅行会社とのタイアップが組まれており、新コース開拓という事情が介入している。旅行社からすると、この旅がうまくいけば定番ツアーに組み入れたい、という魂胆があるのだ。ちょうど閉鎖的なモンゴルの外交が世界に開かれようというタイミングであり、その地は、旅行社にとっては垂涎のツーリズム未開拓エリアなのだった。
 フライトは、中華航空の中型機で、まずは北京へ。モンゴルとは言っても、ウランバートルが首都のモンゴル国ではなく、中国国内の内蒙古自治区、すなわち、流浪の民であるモンゴル民族が平原をウロウロしている間に中華圏との国境線が引かれてしまい、その地に取り残されてしまった(のかどうかは知らないが)、中国の中のモンゴル人居住区画だ。北京で乗り継いだ現地の飛行機は、予想されたことだが、足元が不安になるサビサビのオンボロ機。心もとないこの機が、無事に内モンゴルのフフホトに到着し、ここから小型バスでさらに移動する。まだ中国の田舎の雰囲気が残る広大な畑地帯から、ひとに耕されたことのない、ましてや建物などなにもない草原へと出る。空と大地だけのシンプルな光景を前に、心が開いてわくわく・・・というより、肩の力が抜けてのびのびと大らかな気持ちになっていく。

つづく

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25・モアイ像

2020-07-27 07:39:46 | Weblog
 北海道に来ないか?と、大学の彫刻科時代の先輩から誘いがあった。いとーさんという、ラグビー部でもお世話になった、気のいいひとだ。木彫専攻だった彼は、地元の北海道に帰り、彫刻家として活躍をしている。
「いいバイトがあるんだ。旅費も出るし、バイト期間中はうちに滞在すればいいし、気楽に休み放題に働ける現場で、日給は三万円。どう?」
 なぬー。
「いきますいきます!」
 もちろん二つ返事だ。しかし、本当にそんなおいしい話があるものなのか?まゆにツバをつけながら聞いてみれば、札幌の郊外(なのか?)の真駒内というところに石材屋を兼ねた広大な霊園があり、そこのオーナーからの依頼で、若い石彫家を集めているのだという。墓石でも彫るのかと思いきや・・・
「モアイ像を彫るんだ」
 奇特なひとがいるものだ。体高四メートルものモアイ像を四体、霊園の入り口に据えたいのだそうな。そして、ああ、なんと素晴らしい創意だろう、像の前に立つとセンサーが反応し、「ぽくぽくぽく、なーむなーむ・・・」のようなお経が流れるようにしたいのだと。まだバブル経済は続いているらしい。こんな素敵なことを考え、実現させてしまうひとがいるのだ。しかし、面白そうではないか。いとーさんとはラグビー部で顔のつながっているオータにも声を掛けた。この男は油絵科出身だが、今ではテレビ番組の大道具制作で巨大な立体造形を担当している。打ってつけのバイトだ。早速航空券をふたり分取り、初めて搭乗する飛行機で現地に駆けつけた。
 現場にいたのは、いとーさんと、彫刻科の後輩・タナカ、そして別チャンネルから派遣された一名、というメンバーだった。ひとまず、この少人数で仕事を進めていくことになる。広々とひらけた芝生のスペースには、すでに四メートルもの直方体に整えられた石柱が立っており、その周囲に足場も組まれている。傍らにエア式の削岩機があり、まずはこいつで角を落として、その後に石ノミでガンガンと粗彫りにしていく。石は砂質で、ノミを打ち込めば容易に形になっていく。これは面白そうな仕事だ。久し振りの石彫りに、胸が高まる・・・が、卒業後の文系生活で、体力が恐ろしく落ちている。ちゃんとできるのか?
「無理しなくてもいいぞ」
 いとーさんは心優しく、寛大だ。30分も仕事をすれば、30分休憩となる。ポカポカ陽気の心地いい気候だ。北海道の乾いた空気は、どこまでも透き通っていて素晴らしい。芝生の草いきれも気持ちいい。ラグビーボールも転がっている。ほとんど一日を遊んで過ごすようなものだ。昼メシには札幌市内で有名ラーメン店をめぐり、夜には北海の幸を堪能した。全部が経費だ。生まれて初めてフーゾクというやつにも連れていかれ、ぼったくられて走って逃げたりもした。このぼったくられ分も経費で落ちた。こんなしあわせな日々を過ごさせてもらっていいのだろうか?
 それにしても、体力の落ち方が尋常ではない。学生時代は、一日中げんのう(大振りなトンカチ)を振り上げ、打ち下ろし、その後にラグビーの部活でどつき合い、百回倒れて起き上がり、その上に朝まで酒を飲んで、疲れることを知らなかった。それが今や、軽めのげんのうをノミ尻に十回叩きつけるだけでへとへとだ。エア削岩機のパワーがまたえげつない。小型ガトリング砲のようなこいつを横に向けて構え、コンプレッサーの力でドガガガ・・・と石をハツっていくわけだが、重い上に激しい振動がきて、持っていられない。なんと情けない話だが、モアイの腹をくすぐっては休み、目ン玉をほじくっては寝そべり、少し働いては腹を空かすばかりだ。それでも、モアイ像は日に日に形になっていく。見上げれば、なかなかの面構えではないか。こうして数週間ほど、北の大地のお世話になり、うまいものをたらふく食って、その上に大枚までせしめ、素晴らしい休暇を過ごしたのだった。
 その十数年後・・・真駒内を訪れる機会があったので、霊園に立ち寄ってみたのだ。あのモアイ像は、まだ入り口に立っているのであろうか・・・?
「うっ・・・」
 絶句してしまった。モアイ像が、数十基に増えていたのだ。見渡す限りに、と言っていい。オレたちがつくったものよりもはるかに大きなものが、ずらりと並んでいる。あの社長のバブル期は、まだ続いているようだ。みなさんもその地に行った際には、足を運んでみるといい。すごくバカバカしい光景だから。

つづく

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24・闇

2020-07-26 03:07:09 | Weblog
 心の闇から徐々に回復したオータは、テレビ番組のセット制作会社に就職を果たした。業界用語で言うところの「大道具」というやつだ。自前の創意を生かし、バラエティ番組のスタジオセットに組み込まれる発泡スチロール製の彫像をつくったり、ゴールデンタイムで人気を博する「電撃イライラ棒」という電気仕掛けの複雑な迷路のような装置を組み上げたりして、面目を躍如させている。まさしく天職を得た感触だろう。発泡スチロールでつくった原型を型取りして、FRPというプラスチック製の作品に起こすこともできる。この立体造形が神懸かっている。イルカなどをつくらせると、まるで本物が中空を泳いでいるようなのだ。彫刻科を卒業したオレも舌を巻く造形力だ。なんという器用さと手際だろう。オータは、この技を発表活動にも生かそうと、新たな芸術作品の制作にも挑戦しはじめた。つまり、これはなんと説明すればいいのだろう・・・レリーフの高低差で三次元空間を大げさにデフォルメし、平面構成を超越して、額から飛び出すトリックアートのような・・・つまり「遠近感を混乱させる」「立体絵画」なのだ。のちに個展に出品することになる壁一面分ほどもある作品では、荒涼とした廃屋の街角を描いているのだが、発泡スチロールの厚み30センチほどの中に、起伏と奇妙な奥行きを入念に配置し、空間のゆがんだ迷宮にさまよい込んだような錯覚を覚えさせられる。凹凸を掘り込む手先の技術も見事なものだが、制作意図と効果に度肝を抜かされる。オータはついに、芸術家となったようだ。
 一方、オレはというと、すっかりマンガを描くのがいやになり、バイト生活に身をやつしている。江古田の音大近くの小さな洋食店「ウッドペック」は、親分肌のマスターと、肝っ玉の据わったほがらかなママとのおしどりコンビの人柄が大人物で、居心地のよさで定評がある。上京以来、このふたりには、プライベートでもとてもよくしてもらった。その代わりに、バイト時間内にはこき使われる。ランチ時にホールで給仕をするのだが、すさまじい人気店なので、毎日、開店と同時にたちまち満席になる。そのホールの差配一切を任されている。金持ちの音大生は、昼間から1000円近くもするハンバーグステーキやチキンソテーを、ナイフとフォークを用いて食する。この店の評判のハンバーグは、もちろんその日の手ごねで、オーダーが入るとフライパンで焼き色をつけられ、オーブンでグリルされ、あっちっちの鉄板の上に寝かされて、お客さんの元に届くときにはジュージューとデミグラスソースを飛び散らせる暴れん坊だ。こんがりと焼けた表面にナイフを入れると、切り口から肉汁の滝が流れ落ち、こいつをお口いっぱいに頬張れば、天にも召されそうな・・・というほどの逸品なのだ。ただ、手でこねているのはホールで立ち働いているバイトのこのオレだとは、音大生には知るよしもない。昼どきに目一杯に動きまわり、へとへとになった2時過ぎになると、ようやくお楽しみのまかないが出る。こいつが超大盛りで、ありがたい。ハンバーグは出ないが、ラーメンでも、チャーハンでも、パスタでも、とにかくすさまじい盛りになっている。そして、驚くほどうまい。この店のおかげで、オレはなんとか生きながらえることができている。
 ウッドペックの時給は600円で、目の回るような忙しさを考えれば、もう少々頂戴したいところだ。が、文句は言えない。なのでそれと同時進行に、あらゆる単発のバイトを掛け持ちする必要がある。国道端で車の通行量のカウントもするし、クソ都議会議員の選挙のポスター貼りもするし、酉の市のシーズンには大鳥神社で熊手売りの「シャシャシャン、シャン・・・」という例の手拍子のサクラもする。新宿副都心のホテル・センチュリーハイアットで結婚式などのパーティの給仕もやる。生きるためにはなんでもする。が、どうしたわけか、マンガを描くことはぱたりとなくなった。いちばん金になる作業なのに、まったく不思議なことだ。が、どうしても「描きたい!」とはならない。子供の頃、ひとりの時間にデスクに向かい、あれほど一心にふけっていた落書きのようなマンガでさえ、今は描けない。意欲が沸き立たないし、ペンを手に紙に向かうことさえできない。心というのは、なんともコントロールがきかないものなのだった。

つづく

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23・オータ

2019-10-14 00:24:56 | Weblog
 知らない人物から、出し抜けに電話がかかってきた。受話器の向こうの声は、オータの母親です、と名乗っている。オータは学生時代によくつるんでいたラグビー部の仲間だ。犬のように足が速く、ワニのようにアゴが強く、ニワトリのように素直な、多くの美質を持った好漢だ。そのオータのお母ちゃんが、突然に電話が寄越したのだ。何事か?
「あの子お、絵描きになる言うてえ東京にいったきり、連絡をよこさんがです」
 オータが上京していたとは知らなかった。しかもその住所が、江古田と同じ西武池袋線の隣駅、「東長崎」沿線だという。
「様子を見にいってもらえんがですか?」
 言われずともそうしよう。なにしろ、会いたいではないか。チャリを飛ばし、メモに書き留めた住所に駆けつけた。
 コン、コン・・・
 ノックするドアが穴だらけだ。なにやら刃物を突きまくったような跡なのだ。不穏な気配。ボロボロの安アパートは、オレが住んでいる豊栄荘よりも、さらにせま苦しい。
 ガチャリ・・・
「はい・・・」
 扉が開いた。果たして、オータはそこにいた。絵描き然として。正しくは、版画家、だ。上京して、足で探し当てたエッチング(銅板に針で引っ掻いて絵を刻み、腐食によって発色させる版画技法)の工房に籍を置き、制作を開始したところだという。招き入れられた室内にも、四方を埋め尽くすほどの作品が並んでいる。ほほー・・・と、感傷にひたるいとまもなく、鑑賞にひたる。
 ところがその作品群が、死を連想させるようなものばかりなのだ。その中の一枚は、壁に打ち込まれた釘にペンキ用の刷毛がぶら下がっている、というものだが、どう見ても「首吊り」を思わせる。この男、明らかに病んでいる。オレもここのところは鬱な性質だが、それよりもさらに影が濃く、傷が深い。肩を縮こまらせ、声を落としてボソボソとしゃべる姿には、明るく、溌剌と、無駄に元気にグラウンドを駆け抜けていた面影はどこにも見出せない。自信を失っているのだ。これはなんとかしなければならない。学生時代の話に花を咲かせることもなく、その夜は深刻な相談ごとにふけった。すると、やつは寂しがっているだけなのだ、とわかった。ひとと会話を交わすことで、自分を開いていくタイプなのだ。だとしたら、解決は簡単ではないか。
 その日以来、久し振りの交流を再開させた。お互いに友だちも少なく、定まった仕事もなく、ヒマなので、ちょくちょくと顔を合わせるようになった。会っては酒を飲み、なんということもない話題を行き来させる。すると、たちまち昔の感覚がよみがえってきた。してみると、実にウマが合う。今や掛け替えのないカノジョとなったハセガワさんを紹介すると、すぐにふたりは親友になってくれた。オータは徐々に心の回復を見せ、そのうちにすっかりと治り、本来の明るさを取り戻して、学生時代のように快活な表情を見せるようになった。キャンプにいき、遊園地にいき、海にいき、いつも三人で連れ立って歩いては、青春の真似事のようなことをした。やがて三人は、無二の友、と呼んでいい間柄になった。
 オータはとてつもない博学で、話術の天才でもある。座右の書に、ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」を挙げるような文学的な男なのだが、自分の知性をひた隠し、バカな振る舞いで周囲を油断させる。例えばある日、ボーイスカウトのキャンプで野ぐそをしたときの話を披露し、オレとハセガワさんを大笑いさせる。ズボンとパンツを下ろしてしゃがんだ瞬間に、クマザサの葉の先が肛門に突き刺さって悶絶した、というバカバカしい一件だ。ところが、その悶え方の描写が秀逸なのだ。講談が展開して芝居になり、身振り手振りが次第に熱を帯びていく。やがてそのオンステージは、スタローンが凄絶な拷問を受けるシーンのような白熱の肉体表現に昇華していく(もう一度言うが、クマザサが尻に刺さる、という描写だ)。表情、手足の動き、叫び声・・・まさに満身の芸なのだ。これが何十分もの間、延々と、延々とつづく。こちらはその間中、腹がよじれるほど爆笑させられる。まったく、大した至芸だ。
 また、こんなこともあった。小学生の甥っ子が遊びにくるというので、彼は創意を発揮し、精密な三葉虫を粘土でつくった。それを、あらかじめ庭先に埋めておく。甥っ子が現れると、考古学者然とした格好をして、「ああ、きたのか。ちょうど今、化石を発掘しようと思っていたのだ」などと言い出すではないか。甥っ子がぽかんとしている横で、地面を掘りはじめる。しばらく作業をした後、呼びかける。「おい、そこでぼーっとしているだけなら、手伝わんか。そのへんを掘ってみたまえ」。甥っ子は仕方なく、庭先をほじくりはじめる。するとどうだ、新種の三葉虫が彼の手元から姿を現すというわけだ。彼はそれ以来、考古学者を目指すようになったのだという。それがオータという男なのだった。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

22・邪を払う

2019-10-12 14:46:02 | Weblog
 ハセガワさんの口が、ぽかんと開いている。待ち合わせのときよりもかなり大きめに。あんぐり、を絵に描くとこうであろう。アパートの部屋の玄関ドアを開けた途端に、その状態に落ち入った。彼女は、きっと頭の中を整理しようと努めているにちがいない。
 ちょとちょと、まってまって・・・この部屋の中の光景はいったいどうしたことかしら?荒っぽいタイプのドロボウでも入ったのではないの?いや、嵐か竜巻が通り過ぎたのかもしれないわ。それとも、空襲による爆撃かなにかが・・・
 しかし、それらのどれでもないことは明白だ。自分を部屋に誘ってくれた男が、この極限的に破壊された室内の惨状にもかかわらず、平然と「ま、ま、どうぞ」と奥へと導いてくれているのだから。足元のゴミの山は、ひざ丈ほどにまでうず高い。この状況は、男が自らつくり上げたものなのだ。ほっとひと安心・・・いやいや、できはしない!これは正真正銘の魔窟だ。男のひとり暮らしとは、こういうものなのだろうか?
 どうしよう・・・
 ハセガワさんは、ついに逡巡したにちがいない。さりとて、引き返すわけにもいくまい。腹をくくったか、お行儀よく靴を脱ぎ、玄関にそろえている。しかし、ここからどう進めばいいのだろうか?必死で視線をめぐらし、探す。足の踏み場を。しかし、男は勝手知ったるルートを平気で突き進んでゆく。その足跡をトレースし、ハセガワさんはよろめきながら、ようやく小さなエアポケットにたどり着く。そこは、デスクと椅子が置かれた仕事スペースだ。この周辺にだけ、静穏な無風地帯が設けられているのだ。
「みず、飲む?」
 座った胸元にまで押し寄せるゴミの山の奥に、冷蔵庫が垣間見える。そのドアを開け、男はミネラルウォーターを引き抜いている。新聞紙、ビールの空き缶、ペットボトル、カップ麺のカラ容器、くしゃくしゃの原稿用紙・・・その中に埋もれたコップを魔法のように探り当て、男は台所に洗いにいった。そのシンクにも、汚れた器が何層にも積み上げられている。ハセガワさんは、ぽかんと口を開けたまま、戻ってきた男の手から水を受け取った。
「すごいでしょ、オレん家」
 われながら、確かにすごい。ゴミの大海原だ。
 だらしない・・・
 思わず口から出そうになる言葉を、ぐっと飲み込むハセガワさんだ。聡明な彼女は、なおも思考をめぐらせる。いやいや、これはこの男の実相ではない。冷蔵庫からは、きれいに管理されたミネラルウォーターが出てきた。このひとは水道水を飲もうとは考えないのだ。デスク周辺は、荒れていながらも道具が合理的に配置されており、きちんと仕事をしようという意思も見られる。ゴミの中から、ちゃんとコップの場所を探り当てた。どうしようもなく散らかしながらも、必要な物の位置はしっかりと把握できている。このひとは本来、几帳面なのにちがいない。
 こころをやんでるんだ・・・
 ハセガワさんは理解した。そして、屹然と立ち上がった。
「そうじをしましょう」
 そう言うと、ハセガワさんは腕まくりをはじめた。メガネの奥で、瞳が黒ぐろと揺れている。
「はい・・・?」
「このおへやをかたづけるのです」
 常に後ろをトコトコとついてくる彼女が発した、はじめての主体的な提案だ。オレはうろたえた。
「ごみぶくろはありますか?」
「あ・・・と・・・台所のシンクの下・・・」
「それにぜんぶつめてゆきましょう」
 こうして、ゴミ屋敷の大掃除が開始されたのだ。ハセガワさんは、これまでに見せたことのない馬力を発揮して、わが荒れた領土をどんどんと耕していく。彼女の進んだ後には畳の床が現れ、花でも芽吹きそうな美しい土地がひらいていく。まるで妖精が通り過ぎた跡のように。
 のちに述懐する。夕焼け色の光線が差し込む台所で汚れものを洗いながら、ハセガワさんは思ったのだという。
 わたし、なにをしてるんだろう・・・
 わが魔窟から、こうして邪が払われ、平らかな世界がひらけた。この清潔な部屋は、二度と荒れることはなかった。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

21・ポスト

2019-10-11 21:29:09 | Weblog
 私生活とわが自律神経は狂いつつあるが、ハセガワさんとの交際は意外と順調だ。直感をはずしたことがないオレは、今や、あのときの後光の意味を信じてきっている。会った瞬間に、雷に打たれる相手がいる。びびびっ、とひらめきが走るひともいる。だけど彼女はそうではなく、ほわんと光に包まれて現れた。あの姿が、なんとなく納得できている。つまり、そういう空気感のひとなのだ。
 この日も江古田駅前で待ち合わせだ。南口(なぜか江古田のヒトビトは、この場所を「ナンコー」と呼ぶ)にいくと、なんだかポストみたいな人物が立っている。よく見ると、ハセガワさんだ。近眼メガネの彼女は、今日も口をぽか~んと開いている。いや、あごをはじめ、手、ひざ、尻・・・全身が脱力している。そして、生気が抜けきっている。ひとたるもの、なかなかこうまでは生命の気配を消せないものだが、とにかく彼女は、何事もしていないとき、完全に脱力しきる術を心得ているようなのだった。その姿に、すでに後光は差していない。
「やあ、待った?」
 声を掛ける。その途端に、ぼんやりしすぎのハセガワさんは「はっ」と生気を取り戻す。上空50フィートを浮遊していた魂が、ひゅひゅっ、と肉体に戻り、口を閉じる作業を思い出させるのだ。そのとき、きっとこぼれかけていたよだれを袖口でふくことも忘れない。じゅるるっ。
「いやあ、ポストかと思って、ハガキを投函しそうになったよ」
「ひとりでたってると、よくいわれます・・・ぼーみたい、って」
「ぼう・・・」
「そうです。ぼー(棒)」
「・・・ま、いいや。なにを考えてたの?」
「なんにもかんがえてないから、ぼんやりとなるのです・・・」
 なるほど、無の境地だ。しかしこれでは、人さらいに遭ったら、苦もなく担ぎ去られてしまうだろう。オレが守って差し上げねばならない。決意を新たにする。
 江古田の街を、あてもなく歩く。あっちの店に立ち寄り、こっちの店をのぞき込み・・・ただそれだけで、このひとにとっては新鮮な時間らしい。本当にこの二年間、江古田の街の中心にある駅から、徒歩1分ほどの日芸キャンパスまでの間を最短距離で往き、戻る、という「一次元」行動をつづけてきたのだ。その往復路の一歩外は魔界である、と信じ込んででもいるかのように。
 マクドナルドに入る。不良の巣窟だ。ケダモノどもがむさぼり食らう邪悪なるフィレオフィッシュをすすめる。生まれてはじめて口に入れる禁断の味わいを噛みしめ、ハセガワさんは「うむー・・・」とうなる。ものすごくおいしいようだ。聞けば、おやつには母親の手づくりのものしか食べたことがなく、スナック菓子の味も知らないという。崇高なるハセガワ家では、カップヌードルやサッポロ一番みそラーメンもご禁制品で、即席麺は、かの高級な「中華三昧」しかダメ、と固く戒められていたのだという。きついしつけだ。だったらパパママよ、それよりも開いたお口の方をなんとかして差し上げればいいものを・・・いや、とにかく、とんでもない世間知らずのお嬢様なのだ。そんな人物を江古田の街で連れ歩くのは、ちょっと「ローマの休日」気分ではないか。しかし、王女様にローマの俗界をご覧いただくというよりは、ヨチヨチの赤ちゃんに新しいおもちゃを見せる気分に近い。それがまた新鮮な感覚をこちらに与えてくれる。
「ちゅちゅーっ・・・ふむーっ、このしぇいくもおいしいです。ただ、ほっぺがつかれますわ」
 「わ」とは言わないが、ふさわしく装飾してみた。そういうカンジなのだ。なかなか楽しい。目をこすると、再びハセガワさんが後光に包まれている。しあわせな時間だ。
「この後、オレん家くる?」
 ついにあのセリフを持ち出した。わがぼろアパートまで、ここから歩いてわずか3分だ。
「ゆきます」
 なんの裏をも嗅ぎ取ろうともせず、ハセガワさんは目を輝かせる。魔界への誘いに、このぼんやりとしたひとは逡巡がない。疑うことを知らない心の清潔さがそうさせるのだが、危ういことこの上ない。相手がこのオレでよかった。ほっ・・・
 ところが、ハセガワさんの行く手には、本物の魔窟が待ち受けているのである。

つづく

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20・沈降

2019-10-08 09:51:08 | Weblog
 マンガ家としてデビューは果たした。引っ越しも終えた。おまけにカノジョもできた・・・という形にはなったが、人生は順風満帆とはいかない。いや、天気は晴朗で、航路は洋々とひらけている。なのに、肝心のオレ自身のテンションがダメなのだ。とにかく、マンガを描きたくない。考えてみれば、この仕事がたいして好きなわけでもない。これでは熱量は上がりようがない。上京するために「マンガを描く」という手段を「なんとなく」選択したに過ぎないので、この道に賭ける意気込みもなければ、野望も情熱もまるでないのだった。上手ではあっても、やりたいわけではない、というわけだ。
 スピリッツのありがたき担当編集氏は、とにかくよくしてくれる。なにもわからないこのペーペーの若造に、懇切丁寧に指導をしてくれるし、一緒になって悩んでくれるし、アイデアを出してもくれる。美味いものを食わせてもくれれば、麗しきお姉ちゃんのいる煌びやかな世界でお勉強をさせてもくれる。なにからなにまで面倒を見てくれる。なによりもありがたいことに、読み切りの枠をくれる。
「20ページ、ネームを描いてくれるかなっ」
 描いて、持っていく。
「いいねっ。原稿にしちゃってよっ」
 ペンを入れて持っていく。
「いいねっ。三週後の号に掲載しとくよっ」
 三週後にスピリッツを買って読んでみると、自分の作品が載っている。トビラには必ず「俊才、デビュー」だの「俊才の新作」だのと、輝かしい装飾がわがペンネームの上に据えられていて、読者の期待を煽っている。オレはどうやら、マンガ界の俊才、らしい。
 しかし、マンガ業界は活況を呈していて、次から次へと新人が誕生している。オレがスピリッツ賞を受賞する少し前の世代には、「ピンポン」の松本大洋や、「伝染るんです」の吉田戦車がいて、ちょっと後には「いいひと」の高橋しんがいる。みんなオレと同様に、出版社のパーティーで空きっ腹を満たし、そこで英気を得て作品を描き、大金持ちになっていった人物だ。そんなまだ磨かれていない玉が輝きの片鱗を垣間見せるたびに、恐怖におののく。自分に才能がないなどとはツユほどにも感じたことはないが、とにかくオレには、決定的に体温が足りないのだ。彼らと等質のエネルギーがない。つまり、やる気、が。
「次号の枠が空いたから、四日間で急いで14ページ描いてっ」
 徹夜で描く。酒場の仲間に集合をかけ、ベタぬりやトーン貼りを手伝ってもらう。Gペンを使っていては間に合わないので、ピグマという、つまり細線のマーカーを使うしかない。絵がポップで軽いものになる。なんだか急につまらなくなってくる。
「よくできたねっ。載せとくよっ」
 翌週号を見ると、本当に載っている。ありがたや、担当編集様。彼には頭が上がらないし、足を向けて眠ることもできない。感謝しかない。期待も理解も優しさもありがたい。しかしオレははっきりと、マンガを描くことがつまらなくなりはじめている。それは、「マンガ家になり」「上京すること」をゴールとして設定していたために、そこをスタートとする今ひとたびのテンションを湧き起こすことができないことに第一の理由がある。結局、自分の腕試しをして、そのラインがクリアできさえすれば満足だったのだ。継続は力だが、オレはその力をスタート地点で使い果たしてしまった。そして、オレの力の源泉は「自由」なのだ。自由な主体性だけが、自分に力を、やる気を与える。逆に言えば、求められることがめっぽうに苦手なのだ。期待されればされるほど逃げたくなる、という厄介な性質なのだった。
 電車に乗ると、座席の誰もがマンガ誌を読みふけっている(携帯電話もない時代なのだ)。スピリッツを手にした会社員が開いているページをチラ見してみると、ちょうど「俊才」氏の徹夜作品の部分だ。彼は一心に読み込み、たまに、くすり、と笑ったりしている。すごいことではないか!信じられない気分だ。高揚する。なのに、逃げ出したくなる。次の作品を描かなきゃならない。悦ぶべきことなのに、壊れていく。描きたくない。オレはついに、電話にも出られない状態になった。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園