裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

飛ぶ本

2009年10月28日 23時45分09秒 | レビュー
無人島に一冊を持っていくなら、サン=テグジュペリの「人間の土地」にしよう。
・・・と以前このブログに書いたのですが、こないだ新聞読んでたら、なんとなんと宮崎駿さんの座右の書もおんなしチョイスでした。
しかも彼も同様に堀口大學氏の訳について言及してて、この考え方のおんなしっぷりにうれしくなってます。
この本は、「星の王子様」を著した作家の、自分の冒険譚を素材にした哲学書みたいなものです。
ヒコーキ乗りらしく、人間界の暮らしっぷりを俯瞰でとらえ、神様の視点で人間の苦悩と精神世界を描いてます。
大傑作というよりは、さまざまなエッセンスをぶち込んで凝縮した、珠玉の知性。
みっしりと、本当に濃密に思想が詰まってて息苦しくなるくらいなんですが、そのおかげで、何度しがんでみても新しい味わい方ができるので、無人島に持っていくにうってつけ。
好みは絶対に割れる、異様な文学ですが、ヒマすぎるひとは読んでみてもいいかも。
ぼくは常にカバンの中に持ち歩き、アホすぎる人間たちに囲まれた電車内で、彼らから隔絶された文字の世界に閉じこもってます。

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好き嫌い

2009年10月27日 09時19分44秒 | Weblog
大食らいで大酒飲みだけど、苦手なものがある。
「手羽先」と「日本酒」が無理なんだよなー・・・
手羽先は、軟骨が歯に当たるあの感触がだめ。(ひーっ!)
きれいにほぐして、お肉のとこだけ食べさせてくれるやさしいガールフレンドが横にいてくれるようなときにだけ、食しております。
日本酒は、偏見なのか、甘すぎておいしいとは思えない。
思うんだけど、甘みのない焼酎は、料理の後口をさっぱりと流すための「リセット飲料」で、味が濃厚な日本酒は、料理の味や風味をさらに引き立たせるための「飲む料理」としてカテゴライズできるのではなかろか。
日本酒は、西洋では「デザート」みたいに飲まれてるとか聞いたことがあるし。
とにかく、ぼくはビール・焼酎・ジン派なのです。
あと、デザートで思い出したけど、果物は食べないなー。
弁当箱の中で、黄ばんでグシャグシャになってるイメージがある。
きらいだったな、あれは。
新鮮なものを食べられる今になっても、あまり魅力が感じられない。
果物ゼリーとか、大好きなのにね。
やっぱし「ひとがおいしく処理してくれた」ものが好きかな、王様だし。
前世の身分が殿様だもんなあ。(確信)
しょうがないよな。
そのわりに、大好物がキャベツとジャイアントコーンとベビースターラーメン、ってのはどういうことなんだろう?

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i

2009年10月24日 08時53分57秒 | Weblog
胃が丈夫でして。
昔から、痩せの大食らい。
ごはんなら、5合は食べられそう。
学生時代以来、そういうの挑戦してないなあ。(お店まで出向いて挑戦するのではなく、家でご飯を炊いて、自分の限界に挑戦してみるのです)
水も、一回の食事で1リットル飲みます。(「伊藤園の麦茶」だけど)
工房でもお茶を飲みっぱなしだから、一日に4リットル近く飲んでるはず。
とにかく、胃の容量が半端なく大きいみたいです。
これは、子供の頃に「エビオス」という整腸剤をたくさん服用してたからにちがいない、と思ってます。
整腸剤とはいっても、これはビール酵母で、幼いぼくはこの錠剤の味が大好きで、20錠も30錠もポリポリかじって食べてました。
なにしろ一瓶に2000錠も入ってるから、食べ甲斐がありました。
昔から、ビールが好きだったわけですな。
口さびしくなれば、こいつをかじり、胃は丈夫になり、また腹が減り、空腹を満たすために錠剤をかじる・・・の健康スパイラル。
そのおかげで、ついでにビールもたくさん飲めるようになったのでした。
おすすめです、「エビオス」。

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ほそく

2009年10月23日 02時42分14秒 | Weblog
下のヨッパライの文章を読んだら、ひどいことが書いてありますね。
心苦しいんだけど、ま、本音ではあります。
書いた本人は、要は「ノムさんよ、その醜悪を演ぜねば、選手たちを御せられんのか?」ということを言わんとしてるのであります。
もちろん野村監督が、三流は無視、二流は褒める、一流はけなす、という流儀をとってることも知ってます。
ただ、このひとを見ててもちっとも愉快ではないので、その流儀自体が間違ってんじゃねーの?と思ってしまうのです。
なので、こんなこと書いてるオレ自身もノムさんと同じかな?と思いつつ、訂正も削除もしません。
悪しからず、野村監督ファンの方々、許してね。

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野村監督

2009年10月23日 02時07分59秒 | Weblog
楽天の野村監督のことが話題にのぼってますが。
弱いチームをがんばって二位まで引っぱり上げて、自分の引退の花道をかざるべく日本一の座を勝ち取りたい、なるほど。
それを応援したくなるファンの気持ちもわかります。
しかし、ぼくの個人的印象を言わせてください。
ぼくはこの人物を見てて一貫して感じるのは、気分が悪いなー、ってことです。
彼の人気は、ウジウジした言動を面白がろうよ、というマスメディア発信の現象にすぎません。
彼は野球の知識がとてもあって、賢くて、チームを勝たせる方法論を知ってるひとかもしれないけど、このひとのインタビューは聞くに耐えません。
「ぼやき」と称した、悪口のオンパレード。
自分に向けられたぼやき(罵詈)を聞かされた選手本人のモチベーションは、はっきりと下がってると思うのです。
それが例の外国人選手とのトラブルの元凶でしょうし、他の選手たちの言葉尻にもはっきりとドン引きの気配が漂ってます。
その点を嗅げないのが、秀才監督の甘いところ。
誰もが「面と向かってはっきり言えやボケ」と思ってるんじゃないですかね?
この監督は、自分の考えと違う配球で打たれた投手がいるとけちょんけちょんにけなすわけですが、自分の考えと違う配球で打ち取った、つまり褒めるべき例も山とあったはず。
そこに言及しないで失敗をばかりあげつらうのはフェアじゃありません。
この人物の言動は全然面白くないし(つか、面白いですか?本当に価値ある言動をしたことがありますか?)、痛くて見てられない。
「すばらしい監督だ」という意見もあるでしょうが、ぼやき無しにこの知識と方法論を生かすふところがあったなら、今に倍する評価と勝負結果をこのひとは勝ち得てるはずです。
このひとがやめるとそのチームが突然勝ちはじめるのは、「野村が選手を育てたから」というのとは別の理由もあるんじゃないでしょうか?
・・・というところが残念だなあ、と思う点です。
せっかく賢いんだから、もう少し知性をすみずみにまで及ばせればいいのに。
フロントがすすめる通りに、監督業は今季限りにした方がいいでしょう。
このひとは、評論家をしてる姿が一番似合ってるのです。
解説席に座ったこのひとの「野村スコープ」は、ほんとに面白いものね。

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異形の言語

2009年10月21日 12時32分12秒 | Weblog
アホ丸出しの営業電話がよくかかってくるんだけど、もう少し日本語を勉強してからかけてきてほしい。
彼らは「おたくはゆきとどいていないので」という断定から入り、「してあげます」的な態度をとるんだけど、余計なお世話やっちゅーねん。
このバカの中の何人かは、HP作成とか、携帯配信とか、SEOとかの話題を、むつかしい言語を用いて引き込もうとする。
あれは営業テクニックなのかな?
「それってなんですか?」と食いつかせたいんだろうか?
とにかく彼らの用いる特殊言語がこちらには理解できないし、それをバカ丸出しの稚拙な日本語で説明しようとするので、言わんとするところがまったく伝わってこない。
それよりも、まずは正確な敬語から学んでほしいわ。
それが営業の第一の基本じゃろが。
彼らの態度には「話させていただいてます」的スタンスが皆無だ。
相手に貴重な時間を割いてもらってる、という一片の認識さえあれば、きっと配慮となって言葉に現れるだろうし、そうすればこちらも(断るにしても)心よく対応できるんだけどな。
でまた、その稚拙な話をよく聞いてみると、とっくにこっちがやってることだったり。
そもそも、うちのHPを見たこともなくて、なんでHP作成などという営業を持ち込んでくるのだろうか?
「うちは自分でできますから」と、たった今かかってきた電話には断りを入れたんだけど、「それで満足してますか?」(「満足されてますか?」ではない)などと失礼なことをいい、「自信ありそうですね」などと高飛車なことを言う、くそガキが。
一度うちのHPを見てくださいよ、と水を向けると、「わかりました。見てから、また電話します」(「拝見してから、また電話させていただきます」ではない)と言って切られた。
今頃うちのHPのクオリティを見て、おしっこをちびってるにちがいない。
ちっとも電話こねーし。
かわいそうになってくらー。
きみたち、今少し人間としての振る舞いを、そして今少しきちんとした日本語を勉強せねば、契約のいっこも獲れないよ。
営業テクニック以前に、今少し「人間性をこそ」磨きたまえ。
さて、驚くべきことに、「うちは結構ですから」という断り方をすると、「はーい」とだけ言って、あるいは極端な例では、無言でガチャンと切る営業さんまでいる。
手間を取らせたエクスキューズくらい表明してから会話を終えなさい。
それが営業としての、言えば人間としての最低限の作法ってものでしょ。
本当に彼らには、会話まるごとのマニュアルというものが必要なんだなあ。
知性がなさすぎて、くたびれる・・・

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アートマーケット in 井の頭公園

2009年10月12日 21時33分49秒 | Weblog
吉祥寺に井の頭公園という立派な公園がありまして、そこで毎週末にアートマーケットが行われてます。
アートマーケットというのはつまり、手づくりのものしか売っちゃいけないフリーマーケットのことです。
「公的なフリーマーケットでは、リサイクル品以外売ってはならない」という、世にもくっだらない条例ができたおかげで、手づくり品はフリマから完全に追い出されてしまい、その受け皿にというわけか、あちこちで手づくり市が活況を呈してます。
その筆頭が、この井の頭公園の「アート・マーケッツ」。
なにしろ毎週末にやってくれるってんだから、すごい話ではないですか。
いそいそと登録をして、今日はじめて参加してみました。
売り物は、もちろん陶器。
今日は様子見なので、まず「店頭で売るほどの質ではないし」「かといって自分でも使わないし」「ただただ保管場所を食うばかりの半端品」というものをかき集めました。
そのはみ出し品をためしに二束三文で並べてみよう、さばければめっけもの、的なスタンス。
60点ほどを、コロコロ付き巨大スーツケースに詰め込み、いざ。
「会場の設営は9時から」という厳しいお達しが区側から発されてたんで、一時間前に現地に到着しました。
ところが、そこには誰もいません。
早朝ランナーたちが池のほとりをぽつりぽつりと行き交うばかり。
本当にこんな場所で大丈夫か?と心底不安になり、そのまま帰りたくなりましたが、しばし待ちます。
すると徐々にひとが集まってきて、店を設えはじめ、祭りの体を成していきました。
わが森魚工房は、木陰と日光半々の絶好のブースをゲット。
バーベキュー用のテーブルや、きちんとした什器で店舗を設営する周囲に交じって、地べたに敷き布、ベタ置きのわが店構えはみすぼらしい。
しかし、ま、最初ですから。
なのにこれがよく売れる。
200円~500円という、周りから見たら信じがたい値段で出したこともあり、大繁盛でした。
お陽さまが空気を暖めはじめると人出も増え、大変なにぎわいに。
結局、9時に店を開いて、午後1時になるとほとんど売り切れ。
品数のない地べたのわが店構えはあまりに異質なため、早々に撤収することにしました。
公園事務所にその旨伝えにいくと、こちらも一番乗り・・・ならぬ一番上がり。
速攻、速決着の、上々デビューでした。
売り上げは一万五千三百円ナリ。
その後に吉祥寺の町を楽しもうと思ったのですが、トランクをゴンガラゴンガラ転がす身には、凄まじい人ごみ行き交う吉祥寺の横丁はせますぎまして。
とっとと家に帰り、早起きで足りてない分の睡眠時間をむさぼりました。
あっ!
ところで告知では「ざっくり3時まで」と書いたのですが、撤収後に会場に足を運んでくださった方、申し訳ありませんでした。(キタミさんには偶然会えたけど、他にはいないかな?)
すいません!売れすぎちまいまして!えへっ。
どうかお許しを。
さて、次回10月31日(土)は、わりかしちゃんとつくった器をきちんとした値段で出させてもらいます。(あたりまえだけど)
ほんとの勝負ってわけですか。
こちらのほうも、どうぞよろしくお願いします。

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お芝居のはなし

2009年10月06日 09時12分52秒 | Weblog
と、いうわけで、まだまだ素人の演技論はつづくわけですが。
内藤剛志、大杉蓮、西村雅彦。
さて、この中で演技のうまいのは誰?
彼らはきっと舞台映えをする俳優なのかもしれないけど、スクリーンの中におさまると、どうしてもその大仰な芝居が鼻についてしまうのですよ、オレだけなのかな。
舞台では、声を張って後ろや隅のほうのお客さんにまでセリフが届くようにしなきゃなんないんで、自然とそんな発声法になります。
また「カメラ切り替え」による場面転換というものがないんで、演者の視線の動きで観客の意識を誘導するという技術が必要になってきます。
役者AがBと話し、そののちCに視線を移すという動きは、これからCが何事かを演じはじめることを示唆してます。
喜びを表すなら大げさに笑顔をつくらなきゃならないし、がっかりするなら「一目でそれとわかるように」肩を落とさなければならない。
でなきゃ、観客の意識がそこに向かないし、伝わらない。
すべての動きに意味を持たせ、そのひとつひとつが展開や感情表現の説明を担ってるわけです。
無駄な動きを削いで、必要な約束ごとだけを残し、物語は構成されてるのです。
それが、リアリティを求める映像芝居に持ち込まれると、むしろ説明的になりすぎ、不自然に見えてしまいます。
上で並べた三人は名優さんなのかもしれないけど、オレはどうしても彼らの声が、今話しかけてるはずの相手登場人物に対してというよりも、こちら(観客)に向けられたセリフ、と聴こえてしまうのですよ。
そして、芝居がわかりやすすぎる。
実世界では、人間は無駄な動きに支配されてるのです。
その「無駄なのに必要な動き」というリアリティが、舞台で育ったひとにはなかなかむずかしいのですな。
「ゴッドファーザー」のあるシーンで、マーロン・ブランドは額に苦渋のシワを刻み、万やむを得ずといった震える声で決断を下すわけですが、そのとき彼はなんと、ポリポリと耳をほじりながら殺しの指示を口にするのです。
どんだけ生々しく、どんだけ怖いか、という話ですよ。
芝居をしたことのない一視聴者の意見、つか「印象」を聞いてもらいました。

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木村拓哉

2009年10月05日 06時20分49秒 | Weblog
ツマによるとオレは、テレビでキムタクの新しいCMが流れるといちいち反応してるんだそうです。
「なるほど」とか「ほー」とか、ひとりごちてるらしい。
だけどオレは別にキムタクが好きなわけじゃなくて、彼の芝居のですね、質というか、こちらを引っかける(興味を引かせる)技術というか、特別な雰囲気を持ってるなあ、といちいち感知させられてしまうのでした。
ところで、ブラッド・ピットがある映画で演じたワンシーンがすごく印象に残ってるんで、ちょっと書かせてください。
たぶん台本では、そのシーンはト書きで「刑務所前でジョージの出所を待っている」とだけ書かれてると思うのです。
そこをどう演じます?
ブラピはですね、このシーンにかなりの長尺を費やしてるのですよ。
つまり彼は、スポーツカーに寄りかかってハンバーガーを食べている。(記憶だけで書かせてもらってるので、若干ちがうかも)
そのソースがこぼれて、手に付いてしまう。
汚れた手をスーツの裾にこすりつけてぬぐおうとする、が、思いとどまる。
それは、次の場面でジョージ・クルーニーに「なんだそりゃ、ロックスターか?」とツッコまれるまっ白な高級スーツだからなの。
これでふいてしまおうかどうか躊躇してるうちに、ふとジョージが現れたことに気付く。
ハンバーガーをひょいと放り捨て、指をなめた彼は、結局その手をスーツにこすりつけながら出迎えに向かう。
こんなシーン。
つまりブラピは、自分の役柄が「育ちの悪い人間」で「最近成り上がった立場」で「高級スーツを着慣れてなく」て「ジョージを敬ってる」ということを、このワンシーンで説明しきってるわけです。
「彼はついに成し遂げた。そして意気揚々とジョージを出迎えにいったのである」などとナレーションがつく映画があるけど、まったくヤボってものですよ。
ストーリー展開や状況の説明は、画面の中で演者が動くことのみによってなされるべきなのです。
そのシネマの構造を、ブラピはよく理解してるわけ。
日本人ならこのシーンをどう演じるかというと、門にもたれかかって、ふと目深にかぶった帽子のひさしを上げ(出所者に気付いた)、にやりと笑って歩き出す=5秒、といったところ。
絵コンテの中ではそうでも、そこから解釈を働かせて演じるのが本物の役者ってものでしょう。
つまり、そういうことができる役者なんじゃないかなー、と、オレはキムタクを見てるわけでして。
ゴールデンタイムのテレビドラマを観てると、登場人物たちがきちんと目と目を見つめ合って会話をしてます。
そんなニンゲン、実際にいます?
これは「見つめる相手に向かって話をしている」という、視聴者の目の動線を意識した演技上の記号(モンタージュ理論)であるわけなんだけど、舞台芝居ならともかく、テレビでそれをやるとリアリティが損なわれてしまいます。
そのへんをよくわかってる芝居ですよ、キムタクのそれというのは。
好きでも嫌いでもなく、「見せ方」をよく知るいい役者なのではないか、と思うのですよ。

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快適

2009年10月02日 03時16分11秒 | Weblog
沖縄で滞在した部屋ではクーラーを停め、窓を開けて風を入れて過ごしました。
岩礁と白砂の海を渡ってきた風は人工の冷気よりも心地よいし、そもそも下随筆でつづったとおり「空気を吸うために島まできてる」わけなので、わざわざ科学的に合成された「東京都と同質の空気」は必要ありません。
クーラーは快適を求めて発明された装置だけれど、さらなる快適を求めると、クーラーすらいらなくなります。
ただそれには、島までいかなきゃならないけどね。
ところで。
「温室効果ガスを25%さくげん!」
と総理大臣は息巻いてます。
それは人類をふくむ生態系の永存、地球環境保全の担保、なんて気宇壮大な思想が背景にあるんで、ムチャでもなんでも必ずやり遂げねばならん最低限の条件、みたいです。
がんばりましょ。
練馬区のわが家では、生活スペースには冷暖房もろくなものがないし、たいした電化製品も使わないし、自分が今いる場所以外の電気は消してるし、国家から「もっとさくげんしろ」と命ぜられれば、「うるせー、バカ。てめーの指図は受けねえ」とは思いつつも、より一層の手間をかけるにやぶさかではない。
暑けりゃ、はだかんぼで過ごせばいいのだし、寒くなったら、セーターを着込んでクッションにからだをうずめればよろしい。
夏は窓を開けて畑を渡る風を、冬は日光を取り入れれば、けっこう快適に過ごせます。
しかし人間とは欲深いもので。
もっと快適に、もっと快適に、もっと、もっと・・・と、どこまでも「テクノロジーによる心地よさ」を求めたくなるようです。
消費者がみずからそれを求めて生産者を突き上げてるのか、生産側の競争意識が消費者の欲求をあおってるのか、どっちかはわかんないけど、とにかく現代人は「ほんの少しの不快感も許さない」ところまで快適の精度を極めようと血道を上げてます。
その結果、地球が具合を悪くしてるわけ。
快適に過ごそうとするための営みが、逆に快適な環境を奪ってるという矛盾は、なかなかシニカルな構図ではあります。
しかし逆に言えば、もっかい「快適さに執着することがそれほど重要なのか?」というところに立ち返れば、むしろ、より快適に過ごせるようになるんじゃないか?というロジックが成り立つわけですが、いかがでしょうか?
つまりそういうことを、ハトヤマさんは深いところで言わんとしてるのだと、ぼくは信じたいです。

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