裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

バス車中にて

2010年01月21日 10時12分27秒 | Weblog
バスに乗りまして。
車内が空いてたので、一番前の座席に座ったのですよ。
しかし徐々に込んできまして、やがて満席に。
さて、ある停留所で、足を引きずったおばちゃんが乗ってきたのです。
即座に声をかける、えらいモヒカン頭。
「座ってもらえます?」(←この言い方がニクいね)と席をゆずってさしあげました。
するとおばちゃん、ありがとね、と、よっこらしょ、と座った後、あ、ちょっと待って、と言う。
「お?なに?なんかくれんの?アメちゃん?」
ほんとにその通りにアメちゃんが出てきました、はは・・・
ありがたくちょうだいしました。
車内、ちょっとあったかい空気。
いいものです、こういうのって。
その後、満員気味になりまして。
またある停留所で、ベビーカーにほやほやの赤ちゃんを乗せ、幼児の手を引いた若いお母さんが乗ってくる。
再びオレの出番。
バス内の「車椅子固定場所」という広い空間に陣取っていた小学生たちに「ここ、空けたげて」と言うと、彼らはおとなしく従い、ベビーカーのおさまるスペースをつくってくれました。
またまた、いい空気。
で、あらためて言いたいのは、このこわもてモヒカン頭によるすてきな行動を、「バス内の全員が注目してたはず」という点です。
ここが布石になるから、よく覚えといて。
さて、またある停留所で、こんなことってあるのか?絵に描いたような連続試練。
今度は松葉杖をついた高校生が乗ってくる。
明らかに足を骨折してます。
車内は満席。
しかし、しかしですよ、誰も席を立とうとしない。
みんな、さっきのオレのお手本、見てたよね?
あのあったかいやり取り、当意即妙の言葉の交わし合いに、みんな笑って応えてくれたよね?
それなのに、誰も立ちませんか?
ゆずれませんか?
あまりにびっくりして、あっけにとられて、声も出ませんでしたわ。
高校生、松葉杖を片手に二本持ち、吊り革につかまり、片足で必死にバスの揺れに耐えてます。
「今すぐこのバスが交通事故に遭って、こいつら全員、足の骨折れ!」
と、本気で念じてしまいましたわ、ザマーミロ。
・・・という、疲れ果てた一日でありました。

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言葉スキル

2010年01月19日 20時34分31秒 | Weblog
どうしても「マ二ュアル言葉」に馴染めないんだよなー・・・
その「ありがとうございます」「シツレイいたしました」「ヨロコンデ~」には、気持ちが入ってるのか?
喜怒哀楽を状況に合わせてカードで選んで放り投げてるように見えてしまう。
しらじらしく、そらぞらしい(場合がある、ひとによって)。
彼ら彼女らは、言語をあやつってないよね、あやつられてるけど。
マニュアル言葉もいいけど、口先だけでなく、気持ち自体を声に乗せて発しなされ。
「礼儀があって敬意がない」ってのはオシムさんの日本人観だけど、もう少し言葉に体温がないとさー。
だけどこれを日本人の性質とは思いたくないのね。
昭和の昔の人間関係はあったかかったさ。
やはり片寄った教育がそう変貌させてしまうのか?
顔見えぬ相手と言葉を交わすネットのせいか?
ネットは便利だもんなー、なにしろ、言葉は交わしたいが顔色を見るのはめんどくさい、という状況にピッタシの夢のようなツールだもの。
表情もなくなるわな。
平田オリザという劇作家がいて、彼は自分の劇団に何人もの若手俳優さんをかかえてるんだけど、困ったことがあるらしい。
「うちの劇団員たちはそれぞれのバイト先で、正社員になってくれ、という勧誘が絶えないので、断るのが大変なのだ」という。
この大不況、就職大氷河期の昨今、の話よ。
彼らはとにかくコミュニケーションスキルが優れてるので、そうした要望は引きも切らないんだそう。
やはりひとが見てるのは、そして求めてるのは、技術でなく、人間味。
そろえてもらったセリフの中からの機械的なチョイスでなく、相手をちゃんと理解して、自分の言葉をつくりあげ、伝えるところからはじめましょ。

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身をけずる

2010年01月15日 19時03分14秒 | Weblog
考えてみると、酒を飲まない日はあっても、書き物をしない日はない。
これってちょっとすごいことだ。
書き物をするのはアウトプット。
酒を飲むのはインプット。(違うか)
入る分より出ていく分が多いんだから、大変だ。
そっか、これが「身をけずる」の意味か。

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国家を防衛するための意見

2010年01月12日 13時14分48秒 | Weblog
政治について言及するのは好きじゃないんですが(ウソ。大好き)、ここは言わせてください。
世界一危険と言われる普天間の基地を辺野古に移すとか、いや嘉手納だ、グァムだ・・・とかなんとかいう話題を、ぼくは今まで「バカめが」と憤りつつも、どこか遠い花火のようにながめてたのです。
しかし「宮古島」「下地」などという代替案が出てきたとき、ギョッとしたのですね。
背筋の裏につべたいものをあてられた感触です。
なぜなら、そこは毎年のように訪れてて、ぼくにとっての天国のような場所だからです。
怒りに打ちふるえてしまいましたよ。
「きれいな海を埋め立てて基地などというおろかな施設をつくるべきではない」という、どこか空々しい響きがあった意見に、全的に賛成せざるを得ない立場に追い込まれた気分です。
そうかなるほど、政治課題をリアルに体感するというのはこういうことだったんですねえ。
やはりわれわれヤマトンチュ(本州人)は、どれだけ本気になってその問題を机上にのせてみたところで、骨身にしみて深刻に感ずるということがありません。
「基地をお台場にもってくる」と言われれば、東京人の間でもそれこそ夢から覚めたようにガチンコの議論がはじまるんでしょうが、現時点ではどうしても彼岸のお話になってしまうわけです。
しかし、宮古島となれば話は別。
断固反対、と、今さらながら掘り下げて考えみる次第でありました。
ぼくは、日本国内に米軍などいらない、という意見です。
そもそも、日本国土「防衛」の協力をするというのが、日米安保における米軍駐留の建前のはず。
ゆえに、海兵隊などという最精鋭のアタック部隊を日本に配するのは、どう考えてもおかしなシフト。
日本がシリアスな意味で警戒してるのは、今んとこ北朝鮮ただ一国なので、それなら能登半島の先っぽあたりに「防衛隊」のラインを敷くのが常識的な戦略でしょう。
それを、東南アジアやアラブ方面を見据える場所にオフェンス部隊を置いてるという時点で、アメリカの策謀は見え見え。
彼らがそこにいるのは、「そこにいたいから」なのです。
いてくれと頼まれたからではないわけ。
日本に存在する米軍基地とは、日本を守るためのものじゃなく、アメリカ自身がよそを攻めるための基地なのです(わかりきってたことだけど)。
米軍が駐留してるおかげで、日本への攻撃は抑止されている、というバランス論もありますが、そんなことはありません。
むしろ、米軍のせいで日本は危険にさらされている、というべきでしょう。
日本には、(戦力を保持しない、と憲法にあるにも関わらず)世界でも有数の戦力を保持した自衛隊があるんだから、それで十分じゃないですか。
それが頼りないというのなら、日本が武装解除したときの吉田さんの「日本が侵略の危機にさらされたときは、きっとそれを克服すべき国際的協力が発生する」とかなんとかいう言葉を信じましょ。
そのために国連ってのはあるんでしょ?
というわけで、「お金だけせびって、やりたい放題にやってる」米軍は全面撤収してくれないかなあ、というのがぼくの意見です。
いてもいいけど、もう少し静かに、お行儀よく、こぢんまりと、質素に、恐縮しつつ存在しててほしい。
とにかく、やつらの態度には傲慢さとあさましさがあるだけで、徳と知性と、なにより人間味が決定的に欠如してるので、移設どうこうとかそんなディテールの問題じゃなく、根本的にムカッ腹が立ってるわけ。
米軍が日本に対して示すべきは、謝意と敬意でしょ。
それができんヤツは、とっとと出てけ、と率直に言いたいです。
それがいやなら、せめておとなしくしとけよ、と。
これは、このいっこ下のブログネタ↓と相反する意見のように聞こえるかも知れませんが、そんなことはない、まったくの同一意見です。
敬意の表し方を知らない者に対しては、敬意など示しようにない、ということです。
ぼくは、いばったヤツが大っ嫌いなので。
フェアに振る舞わない人間を、ぼくは対等な人間とは思わないし、つき合おうとは思いません。
そうやって生きてきたのでした(ホントに)。
暴言多謝。

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A foreigner

2010年01月07日 18時06分04秒 | Weblog
オレ思うんだけど、外国人に対しては、自国人(日本人)と相対する以上の敬意を持って接するべきです。
舶来の人々をありがたがれ、と言ってるんでも、こびへつらえ、と言ってるんでもありません。
自分は外交の最前線にいるのだ、という事実をわきまえて接せよ、ということです。
彼らは、彼らの母国に帰って、日本はどうだったか、と訊かれたとき、日本国家の外交政策のことを説明はしません。
自分の身の回りに起こったことを説明するはず。
彼らは、自分が接した日本人の振る舞いを「日本」そのものとして認識するのです。
あなたは、日本代表、なわけ。
だから、きちんと紳士的に振る舞い、常識的なコミュニケーションを心がけましょう。
もちろん、ことさらに善人を装う必要はありません。
間違ってない情報を与え、日本人の正しい姿を本国に持ち帰ってもらおうよ、という意味です。
日本人にはいまだ外国人アレルギーがあって、となりに目が青かったり肌が黒かったりする人物が座ると緊張しちゃうんだけど、気さくに声かけてやんなよ。
やつらだって、言葉がわからず、どうしていいかわかんないんだよ。
そんな人々をがっかりさせたくなくね?
チャロがなんでまだあの町で生き長らえてるのか、つー話ですよ。
・・・んで、写真はブライアンです from スコットランド。
この日にカウンターでとなり合い、友だちになりました。
「お、同じアタマじゃねっか」
「おう、そうですねー」
そこから市井の外交ははじまるのです。
オレはもちろん25年前に高校で習った英語しか知らない人間だけど、なんとでもなるもんですよ、会話なんて。
いや、コミュニケーションなんてね。
何語で話すか、なにを話すか、どう話すか、なんてこと考えないで、話す、という姿勢だけ見せれば、その時点で交流は成功するもんです。
さ、レッツトライ。

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