裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

死んだらどうなるか?問題・17

2022年03月31日 08時54分35秒 | 死んだらどうなるか?問題

あなたは運命を信じますか?
昔、運命は信じてよいものでした。
ニュートンさん(あるいは、ラプラスさん)の計算式の時代までは。
ところが、相対性理論がニュートン力学を論破し、量子力学が幅を利かせるようになると、運命は「ゆらぎ」と「もつれ」と「波動関数」に揉まれて無数に枝分かれするものとなり、「あなたのゆく末を定めることはできない」と結論づけられることになりました。
すべての結果は、原因から発生します。
ある時点における宇宙のすべての状態が物理的・力学的に確定的なら、未来における宇宙の全運動(すなわち、将来の出来事)は確定的に思えます。
ある位置に置かれたビリヤードの白玉を突くとして、その力と方向が完全に確定すれば、その玉の飛ぶ方向は確定的であり、さらにその先に配されたどの玉とどの玉にぶつかってどれがどのポケットに入るか、というところまで確定できるわけです。
それを宇宙に置きかえれば、ビッグバン時の初期値がその後の宇宙の物質の振る舞い一切を決定した、となります。
つまり、ビッグバンが素粒子を散らした時点で、将来に起こる事件はすべて運命づけられていたのだ、と。
ところが、そうではなかったのです。
おびただしいツブツブ(素粒子)に力と方向が確定的に与えられた、と考えられていたこのオープニングイベントは、ビリヤードのように単純なドミノ倒しをしてくれるものではありませんでした。
ビッグバンが開いた空間にひろがったのは、物質としてのツブツブではなく、茫洋とした量子場だったのです。
要するに、波が立ったのです(・・・だろうね、と熱心な読者は感じていることでしょう)。
今「量子場」と書きましたが、これはビッグバンによって生まれた空間いっぱいにひろがる「波の立った次元」です。
ビッグバンは、波打つ次元を何層にも重ねた空間を生み出したのです。
そして、この波の高い部分に「確率的に」素粒子が生成されまして、それらが相互作用することにより、力も発生します。
非常に難しく、直感に反したメカニズムですが、説明を試みてみます。
例えば、開いた量子場のひとつに、クォークの場があります。
この波打つ場の頂点に、一個のクォーク・・・すなわち、本当の意味での素粒子が出現します(反物質として電荷が逆の反クォークも対生成されますが、ここでは省略)。
隣の波の山でも、その隣でも、クォークが出現しまして、合計三個ができました。
その波に重なって、グルーオン場という量子場もありまして、波の高いところ(これが「量」です)でグルーオンという素粒子が生成されます。
このグルーオンは、核力(強い力)を媒介する素粒子でして、クォーク間に働いて三つをくっつけてしまい、一個の陽子を構築する役割をします。
つまり、こうして水素原子核ができたわけです。
ここにさらに重なって、電子を生成する場、光(フォトン=光子)を生成する場が存在していまして、今さっきできた水素原子核(クォーク三つ+グルーオン)と電子が、光が媒介する電磁気力で引き合って、一個の水素原子を構成する、というプロセスを踏みます。
物質はこうした量子場の相互作用によってできているのです。
要するに場とは、素粒子を生んだり消したりする波打つ次元です。
そして、この波が高くなったところに、高確率で素粒子が出現するわけですね。
その生成は、ただただ可能性のパーセンテージで示せるのみであって、シュレディンガーさんの波動関数の計算式によると、絶対に確定ができません。
さらに素粒子は、ハイゼンベルクさんの不確定性原理によって位置と運動量があやふやなシロモノとされているので、絶対にシッポをつかませてくれないのですよ。
要するに素粒子は、ここにいるのかそこにいるのかわからない、いついていついなくなったのかもわからない、という、ツブらしからぬ振る舞いをするのです。
しかも、「力」って、素粒子だったのですよ!
重さも、電気も、ベータ崩壊も、素粒子なのです。
逆に言えば、人間って、波なのですよ。
こんなやつらを、ビッグバンは宇宙中にばらまいたのですから、運命ときたらたまりません。
はてさて、どっちに転ぶやら・・・ですわ。
しかし、いつか書いた「宇宙マイクロ波背景放射」が、宇宙空間に完全に均一に・・・いや、ほんの少しだけ揺らいで漂っていることから、場が完全に均衡している(素粒子が当初、完全な等間隔で配されていた)ことは間違いありません。
たった今、「ゆらぎ」という言葉を使いましたが、素粒子の曖昧な性格のせいで、初期値にわずかな遊びしろが発生し、それが増幅されていったわけなのですね。
そのせいで、あなたの運命も定まらない、ということになります。

つづく

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死んだらどうなるか?問題・16

2022年03月28日 07時20分40秒 | 死んだらどうなるか?問題

ミトコンドリアは、生命現象にとって、重要なゲームチェンジャーなのです。
この小器官が、生命の誕生と進化に決定的に関わっていることには疑いがありません。
ほとんどの生物の細胞内に無数に配されたミトコンドリア・・・すなわちエネルギーの生産装置は、当初(古代)は「細胞の持ち主」とは別個に独立した生物でした。
ぼくの肉体における遺伝情報と、ミトコンドリアの遺伝情報とが違っていることから、この両者は別人格なのです。
要するに彼らは、ぼくが生まれたときからぼくの体内に住んでいる別のひとと言えます。
昔むかしに、ぼくのご先祖さまはミトコンドリアのご先祖さまを飲み込み、体内で消化せずに住まわせたのです。
そして、ここからが並の寄生生物とは一線を画すところで、ミトコンドリアは宿主の生殖細胞にまで入り込んで、子々孫々・・・ややこしい話なのですが、宿主の子々孫々にわたって、自分の子々孫々を宿らせつづけました。
万世一系・・・いや、二系が手を取り合って、現在に至るまで共生をつづけてきたわけです。
そうして長い歳月を一緒に過ごすうちに、宿主にとってミトコンドリアは必要不可欠の機能となったのでした。
ミトコンドリアに与えられた役割は、宿主に供給するエネルギーの生産です。
宿主のエネルギーのコスパは、ミトコンドリアを体内に住まわせる以前ときたら、まるでお粗末なものでした。
エネルギー獲得のために労働をし、労働するためにエネルギーの獲得を強いられるという、収支計算が自転車操業だったのです。
そこへ、エネルギー生産に特化した居候が体内にきてくれたのですから、なんとも心強いではありませんか。
居候サイドとしても、宿主の体内で寝ていれば、養分はお口に勝手に流れ込んでくるわ、敵からは守ってもらえるわ、あたたかくて快適だわで、ウィンウィンの関係。
ミトコンドリアは、再び独り立ちすることはおろか、動くことさえもサボりがちになり、最終的に宿主のお役に立つ必要機能だけを残して、細胞質と完全に同一化する体にまで落ち着いてしまいました。
期せずして大量のエネルギー源を得た宿主は、最低限の生命維持に加えて、肉体に大掛かりな装備をする余裕を与えられ、余分な運動や実験的な活動まで許容されるという、言わば主体的な意思にもとずく営みが可能になったのでした。
要するに、余剰なエネルギーが、生物の進化を推し進めたわけです。
動物におけるミトコンドリア的なこうした機能は、植物の中にも存在します。
それが葉緑素です。
こちらもまた、最初期時代に細胞内に取り込まれた別個のひとです。
葉緑素は、太陽の光を受けると、それをエネルギーにして水と二酸化炭素から炭水化物、つまり栄養分をつくり出します。
ミトコンドリアも葉緑素も、与えられたものから必要なものをつくり出す装置として、宿主の体内に組み込まれました。
どちらも、素材から素粒子を分離してパーツを解体し、求める形に組み立て直します。
これらのエネルギー装置は、電位の勾配やエネルギー準位という自然の現象だけを用いて「電子」「光子」を操り、分子の構造をコントロールします。
しかし、これをコントロールではなく、素粒子同士が相互作用を重ねるうちに、自然の選択圧によってたまたま有用な形に落ち着いたメカニズム、と見たらどうでしょうか。
つまり、いろいろなパーツの組み立て順序が偶然に試されては不採用となり、ついにこのタイプの分子構造を奇跡的に組み上げるものが現れたわけです。
現れ、それが有用なら、存続が可能となります。
だとしたら、その仕事には意図も判断も存在せず、エネルギーの生産はただただ「有機物の化学的な反応のみによって」「機械的に行われ」「生み出された構造物は偶然の結果」と言えます。
さらに過激に、どうした奇跡からかたまたま有用な部品が集まり、たまたまできてしまった自然装置に過ぎないのがミトコンドリアだった、と考えるとどうでしょうか。
ミトコンドリアは生きてなどいなく、神さまがこしらえたものでもなく、電荷の勾配と化学作用のみで働く全自動的機構なのだとしたら、と。
これは、生物(例えば人類)は自らの意思の管理が及ぶ埒外で、生命維持活動を各所自律的に行っている現実とも矛盾しません。
要するにこれは、われわれ人類が肉体内で意識外の自律性を保てているのは、あちこちで小人を働かせているからではなく、ただただ自然現象がたまたまそんな働きをしているにすぎないのだ、と言いかえられます。
ここはいよいよ、生命の構造を考える上でひどく重要な部分です。
生命活動は生命体の意思と主体性によって行われており、そのエントロピーに反するかの特殊事情には神さまを介入させるしか今のところ説明がつかない、というところに、この長い書きものの結論(と科学)は足止めを食っていたのでした。
ところが、生命の非常な細部で、素粒子同士の相互作用が「自然にまかせた全自動的、機械的」に行われており、その小さな相互作用の枝葉がさらに総合されて、より大きな機構を動かしているのだとしたら・・・
ぼくらの謎にはついに、科学的な説明がつきそうではありませんか。
この書きもので筆者は、世界は「四つの力が働いている」「素粒子は波である」という風景を延々と描き込み、それのみによって生命活動を説明しようと試みてきたのでした。
この答えの、心細いヒントがここにありませんか?
それはつまり、運命論の究極的に行き着くところ、です。

つづく

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死んだらどうなるか?問題・15

2022年03月15日 18時02分28秒 | 死んだらどうなるか?問題

天体が深部で原子核を練り上げ、おびただしい種類の元素を生み出して宇宙空間に送り出すことで、この世界は多様性に満ちた物質にあふれました。
水素と酸素が出会い、パズルのように組み合って「水」になり、酸素と炭素が組み合えば「二酸化炭素」になり、塩素とナトリウムが電子をやり取りし合えば「塩」になる、というような具合いです。
そんな数知れない組み合わせの実験が、ある平凡な恒星の系をめぐる岩石型の惑星上でも行われました。
思えば、この天体に与えられた初期値ときたら、まるで奇跡です。
灼熱の恒星に、もう少し近ければ液体はすべて蒸発し、もう少し遠ければ全面が凍りついていたはずです。
天体の質量が、もう少し小さければ大気を維持する重力を獲得できず、もう少し大きければガスの層がとんでもなく厚くなっていたはずです。
ひとつの大きな衛星が付き従ってくれるおかげで、動きもバランスも非常に落ち着いています。
この天体は、その安定した表層部に、長きにわたって「ひとつの精妙な作業」をするにふさわしい実験室を提供してくれていたのです。
その作業こそが、生命活動なのでした。
はじめのうち、この天体はあっちっちのマグマ塊でした。
それが冷えはじめると、大気で水蒸気の雲ができ、やがて雨が降り、水の海をつくりました。
天体の大気は、二酸化炭素に満たされていました。
岩と水と二酸化炭素しかない、という極端なモデルから、いったいどうすれば生物をつくり上げることができるでしょうか?
まったく不思議なことですが、最初に発生した生命は、次代のことを予見して行動していたのかもしれません。
水中で有機物のあぶくとなった「彼」は、賢くも、生命が長らえられる環境づくりからはじめよう、と考えたのです。
彼は水を飲み、二酸化炭素を取り込みました(それしかないのですから)。
そうするうちに、H2OとCO2を太陽光で分解して組み立て直し、H6C12O6という炭水化物をつくって、余った酸素O2を吐き出せばいいという化学式にたどり着きました。
天才です。
炭水化物は、エネルギーにできる上に、自分の体をつくる材料にすることもできるのですから。
彼と彼の仲間たちはじゃんじゃんと育ち、水中に拡散して大展開をとげ、吐き出す酸素で大気の組成を変えるほどにまで大成功をおさめました。
ところが、調子にのって酸素を放出しすぎたために、なんだか息苦しくなってきました。
酸素は燃えやすく、物質を酸化させてしまう毒なので、あまりからだによろしくないのです。
そこで新たに台頭するのが、酸素を生命活動に利用してやろうという野心的な、ミトコンドリア系の生物です。
このルーキーたちが開発した新時代対応のエンジンは、あらかじめつくられた炭水化物を体内に直接に取り込み(要するに、旧タイプの生命体を食べ)、酸素で燃やすことで自らのエネルギーとし、(ちょうど旧タイプの作業を逆再生するように)必要のない二酸化炭素と水を排出する方式でした。
このやり方なら、エネルギー効率がぐんとアップし、とてつもない運動量が発揮できます。
やがて旧タイプと新タイプは、勢力が拮抗するようにまでなりました。
こうなると、大気のバランスも絶妙に平均化します。
あり得ないほど理想的な、植物が二酸化炭素を吸って酸素を吐き出し、動物が酸素を吸って二酸化炭素を吐くという、循環式の生物環境が整ったわけです。
ここはかっこよく、生態系が完成した、と言いかえてもよさそうです。
こうしてこの岩石天体は、水と緑と生命感が織りなす、宇宙のどこを探しても(滅多に)お目にかかれない、美しい「地球」となったのでした。
この天体は、もともとそれを育むべき最高の現場が与えられていたことは否定できません。
が、その初期値のひとつにまず「知性」の存在があり、さも心細いカードの中から最善の一手を正確に選んで、自分たちが立ち働ける環境を連綿としつらえてきたのだと感じざるを得ません。
ぼくはこの意見を強調したいのですが、生命現象は、地球の歴史上のある時点で発生したのではなく、最初からそこにあった、のではないかと。
そうとでも考えなければ、鉱物と無機物の岩塊が、いったいどうやって、エントロピーをこうまで混乱させる力を手に入れられたでしょうか。

つづく

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死んだらどうなるか?問題・14

2022年03月12日 13時37分23秒 | 死んだらどうなるか?問題

ニュートンさんは、ペストから逃れて田舎暮らしをした「奇跡の一年半」と言われる期間に、光のスペクトル分解、微分積分学の完成、そして万有引力の法則という三大発見をして、物理学を事実上、完成させてしまいました。
世界の成り立ちが全部わかったぜ、もう学者の役目は終わったようなもんだ、という状態です。
が、そこから250年ばかりたってから、今度は小役人として時間をもてあましていたアインシュタインさんが「奇跡の一年間」を過ごします。
光は量子なんじゃね?という量子力学の取っ掛かりをつくり(実はこっちの論文でノーベル賞)、ブラウン運動の計算で分子の大きさを割り出し、特殊相対性理論で時空間の概念と、物質・エネルギーの等価性を打ち出し、やっぱし三大発見をしたのです。
ところが今度は、完成させたはずの物理学に、新たなややこしい問題が発生しました。
ミクロの世界における物質の振る舞いが、それまでの考え方では説明できなくなったのです。
この時点で、古典物理学は終焉を迎え、世界を説明するための新たな理論の構築が開始されました。
いちばんの問題は、例によって「時間はいつからはじまったの?」「宇宙の果てって?」のやつです。
相対性理論によると(さかのぼれば、万有引力の時点でそうだったわけですが)、宇宙は永遠にその姿を留めるわけではなく、物質同士が常にお互いの重力で引っ張り合うことから、全物質が最後には点に丸め込まれてしまうことになります。
ずっと変わらない「定常状態」をキープできないのです。
砕いて言えば、星同士は近づき合ってぶつかり合い、最終的には全部がひとつに固まって、かみなりおこしのようになるはずです。
宇宙は永久不変のものであると信じたいアインシュタインさんは、この問題に深く悩みました。
ところが、さまざまな天体の観測から、宇宙は逆にひろがっていることがわかったのです。
夜空の星は、遠くにあるものほど速い速度で遠ざかっており、現在進行形でそれはつづいていたのです。
ここから導き出せる結果はただひとつ、「昔むかし、宇宙は小っちゃい小っちゃい点だった!」という、信じがたい事実です。
どんどんとひろがりつづける宇宙の成長を逆再生すれば、どんどんと縮みつづけ、最後には一点に収縮するはずですから。
それはまさに、時間が開始され、物質の種が生まれた、神さまの天地創造の瞬間と言えるでしょう。
いやいや、物理学に神さまの介入を許すわけにはいきません。
そこに逃げたら、科学の敗北ですから。
こうして、現在の物質世界がどんなプロセスで構築されたのか?の科学的研究がはじまりました。
それによれば、まずはどこかの別次元から迷い込んだ特異点によるビッグバンがありました(いちばん肝心なここんとこの説明はついていません)。
その瞬間に、現在の宇宙を構成するすべての素粒子(このお話では、これを「波」と解釈していたのでした)がばらまかれたのです。
ある波はクォーク(素粒子)となり、核力(これも固有の素粒子=波の仕業)と相互作用をして、陽子と中性子の姿になりました。
陽子は、それ一個で水素原子核なので、電子と結びついて、最初の物質である水素となりました。
水素原子同士は、やがて分子として結び合い、さらに集まり合って天体をつくり、あまりにもおびただしく集まり合ったせいで密度を上げて、かたまりの中心部で核融合をはじめます。
核融合によってくっつき合った水素は、新たにヘリウムになります。
やがて天体が生涯を終えると、力なく凝集はほどけ、散り散りバラバラになります。
バラバラになったヘリウムと水素は、再び宇宙空間のどこかで集まり合い、組成がちょっとだけ複雑な天体をつくります。
で、中心部で核融合をはじめるわけですが、今度はヘリウム同士が結び合うので、新たに炭素ができたり、酸素ができたりします。
こうした重い天体は、生涯の最後に超新星爆発をしますが、その超絶的なエネルギーでまた素晴らしい元素が生まれたりして、宇宙中がさらにさまざまな物質で満たされていきます。
それらがまた集まり合い、さらに複雑な組成の天体ができまして、最終的には鉄ができます。
鉄は、元素の中で構造が最も安定しているので、軽い元素は核融合で鉄を目指し、重い元素は核分裂でやはり鉄を目指すのです。
こうして、現在の色とりどり、多様性豊かな宇宙が築かれたのでした。
ところが、またしても神さまが介入せざるを得ない、特別極まる事象が発生します。
それが「生命の誕生」問題です。

つづく

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死んだらどうなるか?問題・13

2022年03月09日 05時36分25秒 | 死んだらどうなるか?問題

ガリレオさんに、ニュートンさんに、アインシュタインさん。
量子力学以前の物理学を「古典物理学」と言いますが、その大まかな骨組みは、ほとんどこの三人で築いちゃいました。
まずガリレオさんですが、例のピサの斜塔から重いやつと軽いやつを落としたひとです。
それ以前は、質量の違うもの(例えば、羽根と鉄)を同時に落下させたら重い方が先に落ちる、という当たり前に思える直感が信じられてきたのですが、彼は思考による論証の上に、実験によって確証を得るという方法論を取り入れたひとです。
「それっておかしくね?じゃさ、じゃさ、重いものと軽いものを結びつけて落としたらどうなるの?重いものが早く落ちようとしても、軽いものがブレーキをかけるわけでしょ。だったら、重いものよりもゆっくり落ちるってことじゃんね?だけど重いものと軽いものを結びつけたら、重いものよりももっと重くなるから、重いものよりももっと早く落ちなきゃなわけでしょ?矛盾してね?おっかしいよ〜」というわけで、ピサの斜塔の実験に至るわけです(実際には斜面に玉を転がすやり方で、どんな質量のものも同じ速度で落ちることを証明しました)。
あと、彼が言い出したもうひとつの有名なやつが「慣性の法則」で、これをかいつまんで言うと、「いったん動きだしたものは、まっすぐに同じ速さで動きつづける」「その動きを変えるのは、よそからのちょっかいだけ」というものです。
こんな当たり前なことが意外と重要だったようで、次の世代のニュートンさんがこの法則をヒントに、「すごく飛ぶ大砲で撃ち出した砲弾は、地球を一周して、ついに自分の後頭部に当たるのでは?」と言い出しました(ガリレオさんもそうですが、物理学者の思考実験は、たいてい空気抵抗を無視します)。
撃ち出された砲弾は、放物線を描いて地上に落ちますよね。
ところがこの放物線というやつを綿密に計算すると、砲弾を強く強く撃ち出せば、地球を一周させて元の位置に戻らせることもできそうなのです。
ガリレオさんが言った通りに、動きだしたものはまっすぐに動きつづける、としてですよ。
そして、動きを変える(砲弾の軌道を下向きに曲げる)のはよそからの、すなわち、地球からの万有引力が働くから、と考えたのです。
そして計算の結果、地球を一周する砲弾の軌道は、なんと地球をめぐる月の動きや、太陽系をめぐる惑星の動きにピタリと符合するとわかったのです。
ニュートンさんの「万有引力の法則」は、リンゴと地球が引っ張り合うという点だけがクローズアップされます。
しかし彼の本当にすごいところは、そこから思考を飛躍させて、地上のリンゴと宇宙空間の星々の振る舞いとを結びつけた点、すなわち「天界は神さまの霊力が司る世界ではなく、地上の引力のルールがそのまま適用されている」という、天地のルールを統一した点なのです。
ここで事実上、神さまの役割は終わり、科学が自然界の創造主として認められはじめました。
そして、いよいよ真打ちであるアインシュタインさんの登場です。
彼は、おそらくガリレオさんのピサの実験に想を得て、「箱の中に入った私」を「上空から落としてみる」という思考実験をしました。
「このとき、人生でいちばんしあわせな瞬間が訪れた」と述懐していますが、上空から箱とまったく同じ速度で自由落下をするアインシュタインさんは、箱の中で無重力体験をするのです(やっぱし空気抵抗を無視しています)。
これは、宇宙空間と完全に等質な条件です。
その箱の外側にロケットエンジンをつけて吹かしますと、地上の条件に戻るわけですね。
というわけで、ようやく前章のつづきです。
無重力の宇宙空間で、上昇加速をつづけるロケットの小部屋の中に、ぼくらはいるのでした。
床が足の裏を上向きに押し込んでくるので、Gというやつがかかって(1Gが地上の重力です)、ぼくらはずっしりと体重を感じ、まるで地上にいるように過ごしています。
そして、片側の壁から向かい側の壁に向けてレーザー光を発射し、光が下向きに曲がることを確認したのでした。
これを相対性理論は、「光が、ゆがんだ空間の二点間の最短距離をまっすぐに進んだ!」とアインシュタインさんは言い張るのです。
では、ロケット内に仮想でつくった「地上とそっくりな小部屋」でのこの実験を、実際に地上で再現してみたらどうでしょうか?
つまり、同じしつらえの小部屋(要するに、ただの掘っ立て小屋)を地上につくり、片側の壁から対面に向けてレーザー光を発射するのです。
光はもちろんまっすぐに進み、対面の壁の的の中心にピタリと当たります。
なにしろ、地上の小部屋は上昇加速などしていませんから、当然です。
・・・と思うでしょ?
ところがそうではなく、このただの掘っ立て小屋の実験でも、光はロケット内と同様に、的の中心からまったく同じだけ下方に外れるのです。
この地上の小部屋でも「光が曲がった!」のです。
地球の重力(質量による時空間のゆがみ)の影響で、光が下向きに引っ張られたわけですね。
信じられないかもしれませんが、これは現実です。
実際に、「質量があるものの周囲の時空間はゆがむ」のです。
ましてや、地球ほどの大質量の天体です(と言っても、光の曲がり幅は観測が不可能なほど微小なものですが)。
これは、日食の際に太陽の裏側に位置する星の光が(太陽の大質量によって)ゆがめられ、計算通りのずれ幅が観測されたことからも立証されています。
こうしてアインシュタインさんは、重力の正体が「質量がゆがめた時空間を果てしなく加速しつづけるやつ」「ゆがみによってずれた位置から本来あるべき位置へと引かれた最短距離の加速移動」と定めたのです。
一般相対性理論・・・理解できました?

つづく

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死んだらどうなるか?問題・12

2022年03月08日 08時47分32秒 | 死んだらどうなるか?問題

前章を読んだあなたは、すでに特殊相対性理論を理解しているので、この章では、それを一般化したアインシュタインさんの最高傑作である「一般相対性理論」にまで進みます。
一般相対論では「加速度」を扱うので、そこのところを頭に叩き込んでおいてください。
加速とは、どんどん速くなっていく、ということです。
前章のお話で出てきた電車は「等速直線運動」という、あるスピードに達したまま維持している状態で、これは静止しているのと同じなのです。
とてつもない(が、一定の)速さで自転している地球上のひとを「静止している」と表現するのと同じです。
前章で出てきた電車が加速をすると、乗っているひとはGを感じてよろめき、天井から床に向かう光は曲線になります。
光が曲がるのは、天井から放たれた光が下に向かうごとに、床は1、2、4、8・・・というような移動をするためです(等速だと、床は1、2、3、4・・・で移動しますが、光も同調して1、2、3、4・・・と空間上をずれていくため、垂直に落ちる理屈になります)。
さて、以上を踏まえてまた思考実験をするわけですが、たった今「光が曲線になる」と書いたのに、アインシュタインさんはまたも無茶な宣言、「光は絶対にまっすぐに進むってことにするね!」「光はこんりんざい曲がらないの!」と言い放ってしまいます。
曲がっているのに、まっすぐに進むとは、どういうことなのでしょうか?
ところが、このへんな約束ごとを決めるだけで、地球上の重力の存在が説明できてしまうのです(この連載のどこかで、筆者もすでにおおむねを説明してしまっていますが)。
さて、今度は電車ではなく、宇宙空間にいるロケット内の小部屋を思い浮かべます。
ロケットは、まだエンジンを吹かしていないので、小部屋の中は無重力状態です。
片側の壁から、的が描かれた反対側の壁に向けてボールを投げると、落ちることなく、まっすぐに的の真ん中に当たります。
では、エンジンを吹かして、上昇加速を開始します。
部屋内で立っているひとに、自身の体重の手応え(足応えか)が発生しました。
上に向けてどんどんと加速してくる床が、足の裏を押してくるので、その感覚がまるで重力のように感じられるのです。
ロケットの小部屋内で、地球上と見分けがつかないほどの状況をつくり出すことができました。
さて、ロケット内のこの小部屋にも、一方の壁から対面に向けて横向きに発射されるレーザー光の装置がついています。
加速上昇中に、光を発射してみます。
アインシュタインさんは「光はまっすぐに進むの!」と言い張っていましたが、光は対面の壁に向かうにつれて大きく下に曲がり、落ちていきます。
発射装置から光の先が1進んで、上向きに1ずれると、ロケットは上に向けて2移動するからです。
光が2進むとロケットは4、光が3進むとロケットは8・・・そうして光の先は、まっすぐな軌道からどんどんとそれていき、対面に至ったとき、的の下に大きく外れてしまうのです。
これは、光はまっすぐに進もうとしているにもかかわらず、ロケットがそのまっすぐなライン上からどんどんと離れつづけるために起きる現象です。
ところがアインシュタインさんのルールは、「光はまっすぐ!」なものですから、彼の意地っ張りにつき合いますと、「加速している系では、空間が曲がる!」「光は絶対に曲がらないので、ゆがんだのは空間の方!」ということになるのです。
つまり、アインシュタインさんの言う直線の定義とは「二定点間の最短距離」であるため、ゆがんだ空間の二つの地点を最短距離で結ぶラインは、曲線に見える直線である、ということになります。
加速度運動をつづけるロケット内の空間は、ゆがんでいるわけです。
さらに、この透明な小部屋の出来事を外から見ているひとは、やはりロケット内の光が伸びている事実を観測します。
つまり、静止している系から相対的に見た加速度系もまた「時間が遅くなり」まして、逆にそっちの幾何を補正しますと、「空間が進行方向に向かって縮む」ことになるのです。
この世界は時空間という四次元で構成されているので、光を間に置いて遅い時間を補正すると、空間サイドがゆがんでぺしゃんこに縮み、空間サイドを通常にすると、時間がゆったりと流れまして、この両者は同じことを表現している、ということになります。
この無茶な約束ごとを理解できた(しかしまあ、このへんはぼんやりと流してくれてもいいです)ひとだけ、次の章にお進みくださいな。
いよいよ重力の説明で、相対性理論の本当の威力が発揮されます。

つづく

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死んだらどうなるか?問題・11

2022年03月07日 08時39分10秒 | 死んだらどうなるか?問題

宇宙の果てはどうなってるの?と一度は考えたことがありますよね。
前章で書いた通りに、地球からのぞき見る宇宙の果ては「点」です。
これもまた不思議な話です。
宇宙の遠くを見れば見るほど、時間は巻き戻され、空間は収縮し、最後には138億光年先にあるビッグバンの一点にたどり着きます。
では、どの方角にその点が見えるのかと言いますと、夜空のどこをテキトーに観測してもよろしい。
ビッグバンは必ず、そのはるか先に現れます。
針の先ほどの特異点から全方位に放射拡散して展開し、広大な時空間になった現在の宇宙なので、あなたは頭の上に開いた全天に視野を大放散させていっても、その奥の奥で、視野は一点に収斂(しゅうれん)されるのです。
次元が裏返った、とでも言いたくなる構造です。
では、光の速さで宇宙の外に向かえば、138億年後にはビッグバンにたどり着けるのか?というと、そうでもありません。
そこには、ビッグバンから現在までに経た138億年にさらに138億年を足した276億年後の宇宙があるのみで(相対性理論を無視した、純粋な距離計算です)、その頃になると、宇宙の果てはさらに276億光年先に遠ざかっているために、いつまで飛んでもゴールにはたどり着けない、という「果てしない」ジレンマがつづきます。
そもそもぼくらは、光の速度に近づくほど時空間の伸び縮みが著しくなるという相対性理論に邪魔をされて、宇宙の膨張には決して追いつけないことになっているのです。
スピードと時空間の伸び縮み関係は、実際に起こっている現象で、例えばGPSなども、宇宙空間を飛び交う衛星と地上とのゆがみの誤差を補正しないことには、正しく機能してくれません。
説明した方がいいですよね?そろそろこのあたりの難しいやつを。
つまり、相対性理論を。
アインシュタインさんは、「光の速度は絶対に変わらないってことにするね!」と言いきったひとです。
つまり、光は遅くなったり速くなったりするものなのかもしれないけれど、今後はそれを認めないで、上のルールでやっていくよ!と基準にしちゃったのです。
そうすると、この世界で起きている不思議な現象がシンプルに説明できると気づいたのです。
例えば、天井からレーザー光を床に向けて発射する装置を思い浮かべます。
光が天井から床に達するまでの距離を「1」とします。
この装置を、透明な車両の電車内と、駅のホーム上に取りつけ、光の発射タイミングを同調させます。
さて、電車はすごいスピードで走って(等速直線運動)います。
車両内のひとは、レーザー光が天井から発射されてから床につくまでの間、「1」の時間を過ごしています(慣性の法則により、天井の光はまっすぐ垂直に床に届きます)。
駅のホームにいるひとも、その場に設置されたレーザー光の「1」の時間を過ごしています。
今、両方の装置が同時に働き、二箇所の天井から光が発射されました。
そのとき、駅のホームを、透明な車両の電車が通り過ぎていきます。
ホーム上のひとは、すぐ横に設置された装置で「1」を計測する間に、前をすごいスピードで通りすぎる透明の電車内の光を見ていました。
すると、なんということでしょう。
電車内の光の軌道は、ホーム上から見ると、斜めに引かれていたのです。
つまり、光が車両の天井から発射された時点から、床に届く時点の間に、「電車の床が前方に移動したために」、ホームから電車内の光を見ると、ホームの光よりも長くなっていたわけです。
この光の長さを「2」とします。
ということは、ホームのひとが「1」という時間を過ごす間に、車両内のひとは「2」という時間を過ごしたことになります。
なんたって、「光の速度は絶対に変わらない!」ですから。
観測者に対して高速度運動をするひとは、時間がのびのびに遅くなった空間内で過ごしているのです。
これが相対性です。
ところが、またへんな話になります。
すごいスピードで走っている電車内のひとがホームを見ると、逆に、電車内では「1」を計測している時間が、ホーム上で「2」を計測しているではありませんか(通り過ぎていくホーム上の光が斜めに引かれたわけです)。
これは、電車の車両内という静止系に対して、地上がものすごいスピードで通り過ぎた、と解釈ができます。
これも相対性です。
かくて、静止している観測者の系と、高速度で動いている系とでは、別の時間が流れている、という結論になります。
そしてこれは、事実なのです!
次回、もっと難しくなるので、この思考実験の仕方を覚えてください。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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死んだらどうなるか?問題・10

2022年03月05日 09時02分02秒 | 死んだらどうなるか?問題

ちゃんと読めばご理解いただけるものと思いますが、これはスピリチュアルな問題ではなく、純粋な物理学によって世界の構造を探れるところまで掘り下げよう、という試みです。
不思議なことがいっぱいのこの世界を、オカルトだと思わないで、きちんと真実に向き合いましょ。

さて、この世は波のみでできている、という話を延々としていますが、人類サイドとしましては結局のところ、この波をなんとか検知して、自分たちが扱いやすい「三次元の立体感を持った描像」の形に起こすしか、世界の様態を認識することができないわけです。
そのために、宇宙に向けた望遠鏡やレーダーで、どこかから発せられているなんとか波を拾ったり、かんとか線を集めたりして解析し、宇宙の構造を理解しようと努めているのでした。
いろいろな波を集めると、天体の組成がわかったり、振る舞いがわかったり、そこまでの距離がわかったり、最も単純には、遠い遠い宇宙空間を覗いたりすることができます。
最近、ここに新しい波の観測方が加わりまして、この波を「重力波」と言います。
重力とは、質量が空間をゆがめて起こる現象で、ゆがんだ位置から正規の位置へと向かう最短距離の加速度のことを言い、これもまたアインシュタインさんの一般相対性理論が説明しているものです。
今、さらっと書きましたが、質量がある物体(波のかたまりなのでした)の周囲は、「時空間」がゆがみます。
時空間に関しては、のちに説明しますが、要するに、質量を持った物体があると、その周囲の時間と空間はゆがむのです。
「周囲」とは、それを取り囲む時空間を言いますが、この場合は「近辺」ではなく、「それを取り囲む宇宙全体」を指しています。
質量を持った物体の近くは大きくゆがみ、遠くは小さくゆがみ、このゆがみは延々と遥か彼方にまで伝わります。
海辺の水面に石を投げ込むと、波紋が立ってひろがりますが、それはいつか消えるように見えて、実は海の向こうのアメリカ大陸にまで達しているのです(遠ざかるに従って振動があまりにも小さくなるので、あちらに達したことは視認も感知もできそうにありませんが)。
同様に、質量を持った物体が時空間のをゆがませ、重力波が立つと、それは近辺にひろがり、遠方にひろがり、彼方にひろがり、ついにその影響は全宇宙にまで(ほんのかすかにですが)ひろがるわけです。
世界で初めて重力波を観測したのはアメリカのチーム(もちろんノーベル賞)で、その波は、ブラックホールがふたつ絡み合ってぐるぐるととぐろを巻いている、というおどろおどろしい光景が発しているものでした。
ブラックホールは、以前にちらりと説明しましたが、巨大すぎる質量の天体が重力崩壊を起こして一点に閉じ込められた凶々しい現象なので、これがペアとなりますと、時空間がとてつもないゆがみ方をします。
それが遠く地球上にまで伝わってきて、アメリカ大陸に広々と開かれた十字形の重力波検出装置に引っ掛かった、というわけなのですね。
これでまた、天体や宇宙空間の観測に、新しいツールが加わったわけです。
では、なぜ重力波を捉えるのが重要か、という話です。
先ほど「時空間」の話が出ましたが、この世界はタテヨコ奥行きの三次元でできているわけではありません。
「時間」を足した四次元の時空間構造と(人類にとっては)なっていまして、空間と時間は一体としてつながっており、ともに伸び縮みをしています。
このあたりの難しい話は別の章で語り倒しますが、空間と時間が一体となっていると直感的にわかるシンプルな例では、空の上の太陽と月です。
あなたが今見ているあの月は、現在の月ではなく、1秒前の過去の月です。
月が放った光が地球に届くまでに、それだけの時間がかかるのです。
同様に太陽は、地球上では8分前の姿を見ていることになります。
日食の際にぼくらは、8分前の太陽を、1秒前の月が隠している像を見ているわけです。
一光年先の天体は1年前の姿、十光年先の天体は10年前の姿を、地上では観測しています。
640光年離れたベテルギウスは、まさに今か今かと爆発しそうになっていますが、これもまた「640年前に爆発を起こしていたのなら」、ようやく今夜にでもそれが見られます。
ご理解いただいたように、宇宙の遠くを見るのは、宇宙の昔の姿を見るという行為なのです(空間と時間とは一体化しているので)。
こうして人類は、10億光年先、100億光年先・・・と、どんどんと宇宙の奥深くへ踏み入り、同時に、太古の宇宙を観測してきました。
ところが、ここで障壁にぶつかります。
宇宙開闢(かいびゃく)から38万年間は、ビッグバン由来のとてつもなく強い光が宇宙中に渦巻いていたために、決して見ることができないのです。
「見る」というのは、波を拾うことなのでした。
ビッグバンで放たれた猛烈な波が絡まり、混線しまくっていて、なんとか波もかんとか線もどれもこれも、技術的にも理論的にも、決して検出できません。
ここで満を辞して、じゃじゃ〜ん!重力波の登場というわけです。
ビッグバンは、全宇宙の質量をもともと腹の中に蓄えていた特異点という、桁外れの大質量ポイントなので、ここいらの時空間のゆがみときたらとてつもないのです。
驚くべきオーダーの重力波が検出できるのは、言うまでもありません。
この138億光年先の「世界がはじまった瞬間」を覗くために、重力波の観測が力を発揮するのでした。

つづく

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死んだらどうなるか?問題・9

2022年03月03日 10時18分21秒 | 死んだらどうなるか?問題

この世は様々な波でできていて、ぼくらはそうした抽象的な非物質の振る舞いを読み取って、脳の中で勝手解釈をし、理解しやすい形の物質世界の描像に結んでいるのでした。
ヘビは舌で赤外線を感知して周囲の状況を把握しますし、コウモリは音波を出しては跳ね返りを受け取るという「エコーロケーション」で、ものを立体的に可視化(矛盾した言い方ですが)しています。
彼らはそれぞれ、自分の中に築いた世界(人類とは異質な世界)を生きているのです。
X線で見る体内や、電波望遠鏡による天体観測、ミュー粒子という素粒子を打ち込んでピラミッドの中を探ろうという「世界の認識方法」もあります。
同様に人類は、色々な波長の光から、赤外線と紫外線の中間にある「可視光」という必要十分なゾーンだけを感知して、その情報で風景を再構築し、脳の中で「自分にとって理解しやすい世界」をつくり上げています。
それは創作された表現世界と言うべきであって、自分の外界には、自分の見ている世界がそのままひろがっているわけではないのでした。
ところで、世界が波でできているのは結果であって、その原因は出自にあります。
われわれの住むこの宇宙は、ビッグバンという大爆発から生まれました。
それ以前には、この世界にはなにもなかったのですよ。
物質どころか、空間も、時間も、なーんにもなかったのです。
ところがどうしたいきさつでか、ある瞬間に特異点が発生し・・・これは「点」の定義そのままに、位置だけがあって大きさを持たない、という無茶なしろものですが・・・その一点に、以降に開く世界のすべてが押し詰められたのです。
そして、大爆発を起こします。
その瞬間に、空間が開き、時間が開始されたのでした。
同時に、とてつもない!・・・という言い回しではとても追いつかないほどの、猛烈な光と熱が放出されました。
つまり、最初の最初から、この世界には波しかなかったのです。
それ以来、宇宙空間は今に至るまでひろがりつづけています。
ひろがりつづける、というのは、光が薄まりつづけ、熱も冷めつづける、ということを意味しています。
光もまた、量子という名の「運動量だけがあるので質量は計算できても、実体はおぼろ」という素粒子なので、宇宙が大きく育てば育つほど、当初に固まっていた密度が散り散りに拡散していきます(波がだらしなく伸びていく、と解釈もできます)。
その光は現在どうなってるの?と言いますと、猛烈な波長だった光は細切れにされて宇宙全体に一様にひろがり、「宇宙マイクロ波背景放射」という、つまり宇宙空間のどこを切り取っても、まったく均質に弱まった波がみっしりと詰まった状態になっています。
ビッグバンで発生した光は一定量なので、せまくて高密度→広くて低密度、となっていくわけです。
逆に言えば、この背景放射全部を集めれば、ビッグバンがつくり直せる、ということです。
ところが、ここでまたエントロピーの話になりますが、散らかったものは散らかりつづけますし、熱は高いところから低いところにしか流れません。
ここに仕事を加えると、エントロピーの値が増えるので、要するに「エントロピーの増大は不可逆」となります。
これは、背景放射を全部集めるには、ビッグバン以上のエネルギーが必要となる、とも言いかえられます(結果、エントロピーは増大します)。
このビッグバンのだだ流れとエントロピーの法則ゆえに、宇宙の時間は対称性を持たず、一方向にしか流れることができない、となるのでした。
さて、宇宙は膨張をつづけ、光は空間に拡散しつづけ、熱もまた下がりつづけます。
熱とは、波の振動そのものなので、これが伸び伸びになりますと、つまり冷めていくわけです。
宇宙空間がひろがりにひろがったために、熱も冷めに冷めまして、現在の宇宙温度は−270度なんてことになっています。
では、どこまで冷めるのか?というところですが、温度というものには下限がありまして、−273,15度が絶対零度と定められています。
定めたのは人類ではなく、自然でありまして、要するにこれは絶対の定数です。
この温度になると、あらゆる波の動きが完全に静止してしまうのです。
逆に言えば、閉じた系のあらゆる波が静止すると、−273,15度に達します。
エントロピーは最終的に、「一切の波の静止状態」に向かって増大しつづけるわけです。
ご臨終の際に、心音の波が「ぴーーーーーーーーー」とまっすぐになりますよね。
あれのようなもので、宇宙空間の温度が−273,15度になった時点で、この世界は「おしまい」となります。
「世界の死」こそがエントロピーの最大値というやつで、平たく言えば、固く固く結んでいたビッグバンが、ひらきにひらき、ついに散らかりきった状態です。

つづく

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死んだらどうなるか?問題・8

2022年03月01日 18時12分54秒 | 死んだらどうなるか?問題

この物質世界は、素「粒子」とは名ばかりの波動関数の計算式と、電磁気力・重力・強い力(クォーク同士に働く核力)・弱い力(ベータ崩壊を引き起こす力)という四つの力の相互作用のみでできている・・・というか、これのみで十全に説明がつくようです。
その世界像には、どこにも肝心な「実体」がありません。
これが現実なのでした。
しかしあなたは、「いやいや、あるやんここに、目の前に見えてるやん」と言うでしょう。
それは虚像ですよ、と言ったら怒ります?
ええ、あなたの見ているその像はすべて、あなたがつくり出したまぼろしなのです。
自分が世界だと思っているものは、世界そのものではなく、自分が脳の中に築いた内的世界なのであり、その創作の通りの実相があなたの外界にひらいているという保証はどこにもない・・・という話を、何章か前に狂ったふりをして書きました。
単純な例で言えば、においです。
これもまた、生物の機能による創作なのですよ。
世の中には心地よいにおいと、不愉快なにおいがあります。
鼻は、危険の中に真っ先に突っ込んでいかなければならない前衛なので、生命体の最前線に立たされています。
その鼻が、命に関わる危険な物質を「いいにおいだ、ぽわわ〜ん」と感じたら、ヤバいでしょう。
なので、ある種の生物は(確実なところでは、人類は)進化の過程で、近づいたり、口にしたらよろしくなさそうな化学物質に、嫌悪感を伴うにおいを「感じよう」と発案したのです。
つまり、元々いいにおいなるものが世界に漂っていたわけではなく、任意の化学物質に対していいにおいかいやなにおいかを決めたのは生命体側の恣意なのであって、危険から逃れるための防衛センサーのメカニズムを生理的な形に落とし込むアイデアなのでした(それを利用して、嗅がせる側も共進化したのです)。
世界が元々そうだったわけではなく、生命サイドがいちから「いいにおいといやなにおいのする世界」をつくったわけです、脳の中に。
味覚も同様に、体内に取り込むべきもの、生きるために必要なもの、この瞬間に不足している栄養素を「心地よく感じよう」と、味という概念と舌の機能を結びつけ、「おいしい」の概念を創出したのです。
逆に、毒や、傷み・腐敗が進んだものは「まずく感じよう」と。
これらの例は、完全にこっちサイドの意図的かつ技術的な問題なのであって、こうした感覚は脳の中の創作です。
ついでに言えば、子孫作成行為の快感と、死の耐えがたい苦痛も、必要に迫られての発明です。
性行為が気持ちよければ、どんどんはげもうと考えますし、死が苦しみを伴うのなら、それを回避してがんばって生きようと考えます。
また話がそれていますが、視覚の問題を論じているのでした。
あなたは「世界は見た通りのもの」と自分の目を信じていますが、目が物質そのものを映し出していると言いきれますか?
誰もが(たぶん)外世界として認識しているモデルは、科学界最高の頭脳と最先端技術がとてつもない精度で導き出した世界像と、相容れないものです(このどちらを「モデル」と呼ぶべきなのでしょうか?)。
あなたの目は、スッカスカ構造である「物質と呼ばれるもの」から発される光を網膜に張りめぐらせた視神経で受容し、電気信号にコード化して、脳内の神経系においてしかるべき形で保存します。
その過程で、あなたが理解しやすいように情報を取捨選択し、生命維持と快適な営みのために便利な解釈が行われているのです。
あなたの目の前にあるリンゴは、スッカスカの構造体に電磁気力を張り詰めさせるという、手の込んだからくりの波に過ぎないのに、まだまだわれわれはそれを脳内に明晰に再構築させる手法を知りません。
なのであなたは、データ量の上限がある頭の中で、自分が理解できるように解釈をし直す必要があるのです。
リンゴに光が当たり、いろいろな波長のスペクトルが弾かれたり吸収されたりして残った「赤色とあなたが勝手に割り振った」波長を脳内で赤色と理解し、さらにリンゴの素材感や外構造、重量感などのクオリア(頭の中であなたがつくり上げた概念)と絡み合わせて、結果あなたは「あなたがつくり上げたリンゴ像」を脳に経験させているのでした。
それは「解釈」であり「抽象描写」なのであって、リンゴの実相を「表現」しきったものとは言えません。
あなたが脳内に構築したその描像が、昆虫のものとも、ヘビのものとも、コウモリのものとも違っていることは、直感的にわかるでしょう。
誰も彼もが、まったく違う世界像を自分の中に構築しているのです。
そしてあなたもまた、世界が自分にわかりやすく見えるように、独自の神経インフラを整えたのでした。
世界は空中に化学物質を混在して漂わせていたので、人類はそれを選り分ける嗅覚機能を発達させました。
世界は空気を震わせていたので、その質と発信源を選り分ける聴覚機能を発達させました。
世界は素粒子の集合体を偏在させていたので、それが発する電荷を感知する触覚機能を発達させました。
世界は光を乱反射させていたので、その波長を選り分ける視覚機能を発達させました。
それらの感覚器が受容する「波」情報を総合させ、解釈し、脳内に描像として結び、あなたのオリジナルな内的世界は築かれます。
それは、あなたの自己都合の世界像なのであって、世界の本当の姿・・・世界そのものである、とは言えません。
あなた、あなた、とこの章では買いていますが、あなたの存在も、ぼくの創作でしかありません。
あなたが実際にこの世界に存在するかどうかは、ぼくには知りようがなく、ただぼくは自分の世界像の中にあなたを設定するしかないのでした。
ぼくの感覚器があなたの情報を噛み砕き、独自に解釈するままに。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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