「先生は、若い子をえこひいきしてんのんとちゃうか?」と年配の女性に言われたことがある。
要はこの女性は、「うちらおばちゃんをザツに扱っとるんとちゃうか?」ということを言いたかったらしいのだが、まったく「ちゃう」。
先生の手に余ってる相手は、正確には「素直でない人物」である。
そして、「おばちゃんという種族は素直でない場合が多い」という事実がまた問題をややこしくしてるんである。
両論を突き合わせると帰納的に「先生はおばちゃんが嫌い」というところにゆきつくが、それは論点の取り違えなのだ。
おばちゃんは好きなのだよ、先生は(若い子も好きだが)。
世代でも性別でもなく、「素直でない人物」の部分を問題に考えるべきなのだ。
「好きにやらしてちょーだい」「でもなんでうまくできへんのやろか」「先生の指導が悪いんちゃうか?」「でもめんどくさい指導は受けたくないねん」というジレンマから永遠に抜け出せないのが、「素直でないおばちゃん」である。
オレが言いたいのは、ひと言、「どないやねん」なのだった。
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
要はこの女性は、「うちらおばちゃんをザツに扱っとるんとちゃうか?」ということを言いたかったらしいのだが、まったく「ちゃう」。
先生の手に余ってる相手は、正確には「素直でない人物」である。
そして、「おばちゃんという種族は素直でない場合が多い」という事実がまた問題をややこしくしてるんである。
両論を突き合わせると帰納的に「先生はおばちゃんが嫌い」というところにゆきつくが、それは論点の取り違えなのだ。
おばちゃんは好きなのだよ、先生は(若い子も好きだが)。
世代でも性別でもなく、「素直でない人物」の部分を問題に考えるべきなのだ。
「好きにやらしてちょーだい」「でもなんでうまくできへんのやろか」「先生の指導が悪いんちゃうか?」「でもめんどくさい指導は受けたくないねん」というジレンマから永遠に抜け出せないのが、「素直でないおばちゃん」である。
オレが言いたいのは、ひと言、「どないやねん」なのだった。
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園