裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

夏休み

2014年07月29日 09時33分09秒 | Weblog
夏休みになって、子供たちが工房にくるんだけど、みんな「子供も大変だよ、ふう」みたいな話しをしてく。
宿題に、塾通い、夏期講習、自由研究、そして習いごと・・・いろいろと忙しいらしい。
オレはまるっきりしなかったけどね、夏休みの宿題。
平然と、まっ白な「夏の友」を提出してたし、自由研究もやったことなかった。
本当に文字通りに、勉強にはいっさい手を付けなかった。
なのに、夏休みが明けてその事実が先生に知れても、たいして叱られなかったなあ。
少年時代のしはんは真面目な子だったし、先生も、まさか、って感じで、きっと何事か困難な事情があったんだろう、って勝手におもんぱかってくれたのかも。
だけど、セミやトンボを追っかけたり、水遊びをしたり、昼寝をしたり、野球をしたりして、遊び狂ってただけなの、ごめん。
勉強なんてバカがするもんだ、とタカをくくってたよなあ。
それでも、今かえりみれば、子供の頃に勉強はしとくべきだなあ、とつくづく思う。
それとは逆に、オトナにならないと勉強の面白味ってのはわかないなあ、ともつくづく思う。
今オレは恐ろしいほどの知識欲・学習欲に突き動かされてて、子供たちが言うところの「勉強」ばかりしてる。
読む本は、宇宙物理学、量子力学、遺伝子学、そして数学のものばかり。
世の中の構造がわかればわかるほど、もっとわかりたくなる。
そのへんの行動原理というか、意欲に訴えかける教え方を先生がしてくれればいいんだけど、それにはすごい技術が必要だし、そもそも子供に理解(勉強することのすばらしさを)させるのは難しい。
かくて、ものすごい吸収率を所持してるときにサボり倒し、衰えがはじまってからおびただしいものを吸収しようと苦労することとなる。
パラドクスだなあ。
要は、興味を持った時点で、必死にやることが大切だと思う。
さ、今日もピアノを弾こう。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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ビール

2014年07月27日 22時21分17秒 | Weblog
発泡酒なのか、第三のビールなのか?、って感じで、ある銘柄のものにおける酒税法でのなんやかんやがありましたが。
オレはにはどうでもいい話です。
というのは、はっきりとその二種類は「ニセモノ」と認識することにしてますから。
要するに、牛乳における脱脂粉乳みたいなものでしょ?
ブランド品のイミテーション(粗製のそっくり品)でしょ?
ビールじゃないんだからどっちでもえーわ、というのが本質的スタンス。
オレは、本物を飲む!、と心に決めてまして、すなわち、エビスを飲んでます。
言えば、ちゃんとつくられたものを、って意味です。
粗悪品には手をつけたくはありません。
発泡酒や第三のやつを飲んでるひとには、なんだかごめんなさいね。
だけど侍として、その部分は宣言させてもらいたいのですよ、いろんな差し入れを頂戴する立場でもあるわけですが。
そのニセモノ品は、こっそりと忍んで飲むものであって、仲間同士で胸を開いて乾杯するたぐいの品ではないですよ。
もう飲みたくない、と言いたい。
それというのもですね、かく言うオレにも爪に火を灯すような修業時代がありまして。
そのときに、発泡酒なる企業開発されたてのものをこそこそと人目をはばかって試してみたことがありまして。
ところがあるとき、それをツマに見とがめられてしまったのですね。
ツマは烈火のように怒り狂い、いわく「なに飲んどりなさる~!」、と。(いやあ、恐ろしかったのなんの・・・)
そして正座するオレを前に、「との、これはなりませぬ。本物のビールを飲んでくだされ」と、こんこんと説教をされたわけでして。
飲まれる金すがないのでしたらばそうとおっしゃりませ、わたくしが身に換えてでも本物を、ビールを、お飲みいただきまするゆえ、と。
そういういきさつがあり、オレは以降、シリアスな行程を経てつくられた本物をしか口にするまいと心に誓いを立てたのであります。
差し入れてくださる方々にはその心持ちには感謝はします、けれど、口はばったく言わせてもらえば、「それは差し入れるべき品ではない」。
そして、工房では本物のビールを口にしましょ、と言いたいんであります。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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英会話

2014年07月19日 08時50分45秒 | Weblog
OPECを「オペック」というのだから、TPPも「ティーピーピー」ではなく、そんな具合に略称で呼べないものか?とよめはんと話し合ったことがある。
そうして、わが家ではTPPのことを「とぅーぷっぷ」と呼んでいる。
・・・ぜんぜん略されてはないが。
「GPSってなんの略?」という話題になったので、さっそく激論が戦わされる。
TOEIC630点を自慢とするよめはんは「グローバル・ポジショニング・システム」ではないか?と言うのだが、さらに賢いことを自慢とするオレは、いやいやそんな単純なものであるはずがない、「グラウンド・パスファインディング・スペースシップ」なのではないか?とゆずらない。
どっちが合ってるかはまだ未確認だが、オレのやつの方がかっこいいことは一目瞭然だ。
ネット検索したらすぐに解答がわかるんだけど、我々は頭脳のめぐりを競い合ってるので、そんな無粋は働かないのだった。
「燃えないゴミのことを、英語でなんというのか?」という話題になったことがある。
文法通りにあてはめれば、「ドント・バーニング・ミーゴ」ではないか?とオレが言うと、よめはんがゲラゲラと笑う。
が、今やわが家ではその呼称が定番となり、「おい、燃えないゴミを出してくれ」と相手にお願いするときなどは、毎度、「ドント・バーニング・ミーゴ、ゲラウ(get out)、ゲラウ・ヒア、プリーズ」「イエス・サー」などという珍妙な英会話が交わされてるんであった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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エホバさん

2014年07月08日 15時00分52秒 | Weblog
そっちの筋のひとが読んでたらゴメンだけど、月に一度かな?、「奉仕活動で参りました」という女性二人組がピンポンを押してくる。
休日のその時間帯は一心にピアノの練習をしてるんで、「まったくもう」と思うわけだが(そしてそのすばらしい音色は彼女たちの耳にも入ってるにちがいないのだが)、とにかくエホバさんが問答無用に押しかけてくるんだった。
例の「ものみの塔」というやつを読んでほしい、というわけだ。
仕方なく、インターホン越しに話す(居留守も使えないのだ、ピアノを弾いてるから)。
オレは宗教は信じないどころか、生粋のダーウィニストなんだけど、聖書のたぐいは、文化比較としてというか、物理学や生物学と整合させようと昔のひとが苦心して描いた物語として、興味深く読んでる。
「ものみの塔」も、そんなスタンスだと、なかなか面白く読める部分もあるんだった。
が、「ポストに入れといて」ですまそうとしても、相手はどうしても話がしたいらしい。
非常に熱心に、聖書のすばらしさを語ってくれるのだな。
ダーウィニストなどとこっちが名乗ったものだからか、語り口の熱のこもりようが尋常じゃない。
問答無用という言葉を先に使ったが、なるほど、それは問答のような形をした、慇懃な押し売りなんだった。
実際、それは非営利の営業活動なんだから仕方がないが。
相手の気がおさまるまで話しをしてさしあげると、ひと仕事を終えた彼女たちはすっきりした顔で帰ってくれる。
そんなときオレは、「奉仕活動をさせられてるのはこっちなんだがな」という、まるで腑に落ちない気持ちにさせられる。
そして再びテンションをビルドアップして、ピアノに向かうんだった。
エホバさんの教義の部分を悪く言うつもりはさらさらないけど、あの「奉仕」の名を借りた押し売り活動をよろしく感じるひとはいまい。
百歩ゆずっても、押しかけるなら、せめてピアノの音がやんでからだろ。
「相手の作業を中断させて、自分たちの話につき合わさせてる」という考え方が、彼女たちには抜け落ちてる。
その奉仕活動なるものによって彼女たちは功徳を得るわけであって、すなわちそれはあらゆる意味で「自分都合」なんだった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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