裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

責任論

2012年08月16日 10時50分09秒 | 原発関連
きな臭い、きな臭いよお・・・
隣のアタマのおかしい大統領が無礼極まるコメントを出したり、運動家たちは欲しくてたまらない島によじのぼってみたり、ついでにスポーツ選手は世界のお祭りの場で場違いはなはだしいプラカード掲げてみたり・・・意持ち悪くて立ちくらみしそうになるよ。
だけど。
だけど、だよ、それもこれもみーんな、日本の自業自得、とオレは考えてまして。
近代史に起きたあれやこれやをみーんなうやむやにしてきたツケを今、一気に払わされてるわけだ。
そもそも「戦争犯罪人」を政治家がお参りにいく、ってバカ極まる行為に、事の本質が説明しつくされてるといっていい。
それは、戦場で命を落としたひとたちを祀る神社に、なんで重大なあやまちを犯した責任者たちまで入れちゃうの?ってとこに端を発する。
命令によって最前線で殺されてった兵士と、大後方から彼らを操作して死なせつづけた政治側・大本営側(処刑された人間)は、せめて別モンとして扱いなさいよ(靖国は「同じ魂」と言ってるが、んなバカな)。
ドイツの政治家がナチスのヒトラーを墓参りしたら、そらユダヤ人怒るやろ、ってシンプルな図式でしょ。
「犯罪人は、刑に服した時点で、犯罪人でなくなる」なんて法解釈は納得できるもんじゃないし、「そもそも戦争を指揮した彼らは、厳密には犯罪者ではない」「戦勝国による身勝手な責任カブセ」あたりの論は、まさに責任転嫁の責任転嫁。
この戦争指導者たちは、他国を蹂躙した、という罪の他に、自国民をも蹂躙した、という二重の罪を負う。
侵略の現象面に加えて、技術論としておよそ人間としてしちゃいかんとこまでやったんだから、責任とってもらって当たり前といえる。
彼らは未来永劫、業をかかえたまま、歴史上で汚名を残すのがスジ。
きっと彼らも、そのへんは覚悟の上でしでかしたはず。
逆説すれば、その覚悟がない人間は、戦争しちゃだめ。
これは、最もシンプルで本質的な戦争抑止論でもある。
この責任ってやつをあいまいにしてきたから、日本はいつまでたっても謝りつづけなきゃならないし、いつまでたっても足下を見られつづけなきゃならない。
隣国たちの反応は、至極当然といいたい(連中の方法論自体は軽蔑したくなるけど)。
日本はここで一度、ちゃんと責任をとりなさいよ、国民も気持ち悪いやろ。
ところで、原発再稼働のことだけど。
原発事故を起こさないようにするのは、簡単なことなんだ。
事故を起こしたら責任をとるべき人物に、本物の責任を負わせればいいだけ。
つまり、ぶっちゃけ「死刑」あたりを。
そうしてやっと、「だったら、ちゃんと安全策ってやつを本気で考えてみようかな・・・」、って気分になるんじゃないかな。
あるいは、あいつら自分が大好きだから、「だったらやめよう。あぶなすぎる」って言いだすにちがいないね。
それがね、責任の真の重さってもんだよ、テッキットーにかるーく「私が責任を」とか言うな、バカ総理、とれもしないくせに。
このへんが実にあいまいなんで、何度でも何度でも、何度でもこの国のトップは道をあやまちつづけるんだった。
とにかく、この責任問題ってやつをちゃんとしないと、この国は百年後も土下座しつづけてる気がするなあ・・・

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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とある食卓の風景

2012年08月14日 23時28分07秒 | Weblog
うちの晩飯は、午前1時半ですわ。
よめはんが夜遅くまで会社でがんばってくれてるからね(かといって、家計には一円たりとも入れてはくれないが)。
ンで逆算すると、オレの昼飯は午後6時ということになり、やむを得ず、ひとりで酒盛りという仕儀に相成る。
そう、オレの酒飲みは決して自らが望んでのものなのではなく、システムに強要された受動的なものなんである、かわいそうでしょ。
さて、いったん深くまで酔っ払って、夜更け、酔い覚めの頃に食事の支度。
階下のガレージにご主人様(よめはん)ご帰宅の音を聞くと、飛び起き(わん、わん、わん)、下ごしらえしたものの最終調理に取りかかる。
彼女は洗顔し、部屋着に着替え、5分程度でリビングに姿を現す。
まさにそのタイミングで、テーブル(ちゃぶ台)上には、今完成したばかりの最高のコンディションの料理の数々が並んでるわけだ。
このピタリのシンクロ性には、わが仕事ながら芸術性を禁じ得ない。
さて、わが家のリビング・・・というか、六畳間にカウンターキッチンをしつらえたせいで茶室のようにせまっ苦しくなってしまった空間・・・は、ぐるり食器棚に取り囲まれてる。
そこには三百点は下らないほどの器がストック(スタックか)されてるんだが、結局、普段用に使用してるのは十点程度だ。
しかも陶芸を習いはじめた当時につくった、古くてなじみ深いゆがみ鉢ばかり。
このへんはなんなんだろうね、思い入れってもんかね。
とにかく、これだけうずたかく積み上げられた器の中で、使うのは決まった欠け茶碗ばかりなんだった。
ちなみにわが家では、大皿に盛られたメインディッシュも、めし碗のごはんも、汁碗のみそ汁も、麺類も、グラスの麦茶も、ひとつきり用意するだけの「つつき合いシェア方式」を採用してる。
ハシはさすがにそれぞれ一膳ずつ用意してるが、調理品は全部、ひとつ器からはんぶんこする。
きれいに言えば、分かち合い、そうでない言い方をすれば、互いのばい菌のやり取り、ってことになるか。
しかしまあ、手から手に器を取り交わし合う、ってのはなかなか悪いもんでもない。
「ビスケット一枚あったら(あったら)ジョリーとぼくとではんぶんこ」方式ね(どっちがジョリーかは一目瞭然)。
つか、厳密には、よめはんの残り物を、序列が下のオレがちょうだいする「相撲部屋ちゃんこ方式」といえようか。
それがしはん家の食卓作法というわけなんだった。
美しきかな。
哀しきかな。

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とある休日

2012年08月08日 21時25分11秒 | Weblog
朝っぱらから三時間もピアノを弾きたおし、汗まみれで二時間も昼風呂につかって読書したおし、午後も早よから数時間も酒をあおりたおし、腹をこわして一時間もトイレにこもる。
タイムテーブルが大ざっぱすぎへん?
どこにも出かけない、そんな休日。

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サザやんのこと・6

2012年08月02日 09時13分44秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
げげっ、一週間ごしにサザやんと向き合ってるわけか。
ゆうべ、また水槽酒場にいってきたよ。


こんな具合に、サザやん姉妹は水槽内を這いまわってるよ。
左から、やんちゃに動きまわる長女、眠そうに起き出してきた次女、そしていちばん右が、閉じこもりがちな三女、ね。
酒場の大将によると、サザやんは二つに分かれた吸盤の部分を交互に動かして、歩みを進めるように這ってくらしいよ。
そしてその奥に隠れたおチョボ口でコケなんかをもぐもぐするんだと。
料理人は、生物をまな板の上でいじくり倒すうちに、科学者の観察眼を獲得するわけだ。
さらにサザやんを観察すると、おチョボ口のサイドには、カタツムリみたいな触覚があるんだ。
サザやんとカタツムリ、この容貌の似たふたりは、異母きょうだいだったんだねえ。
一方は大海原へと冒険の旅に出、もう一方はあじさいの葉の上に活躍の場所を見出したわけだね。
ひとそれぞれだなあ。
だけどその風体を比べれば、海路を選んだサザやんがどれだけ苦労してきたか、一目瞭然だ。
トゲトゲのいかつさは、多くの敵に遭遇し、切った張ったをくり返した証。
敵の攻撃に対してなんらの策も打てない彼女の、「あたいに近づくとケガするわよ」というせめてもの虚勢といえる。
実質、なんの役にも立ってなそうなその容姿は、しかしむしろ彼女の美意識の「表現」として昇華してるんだった。
とんがりながら、ツンツンしながら、しかし彼女は実は、静かに、穏やかに、海底で閉じこもって、芸術表現だけに集中してつつましく過ごしたいんじゃないかな。
いじらしいとは思わんかね?
・・・そんな彼女の想いを汲み取ることなく、酒場の大将は水槽の中に手を伸ばす。
「ツボ焼き」の注文が入ったのだ。
ひとりのサザやんが選ばれ、仲間たちとのサヨナラの時間を与えられることもなく、水面に引き出される。
悪夢のような災厄なのだった、彼女らにとって、人間の存在とは。

おしまい

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