裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

歌~

2009年03月31日 22時31分15秒 | レビュー

この歌が大好き、というひとには悪いのだけれど、ぼくは「千の風になって」をはじめて聴いたとき、噴飯しそうになって、「おいおい、本気か?」と実際に声に出してしまった者です。
あの旋律に乗り切ってないキテレツな歌詞といい、大げさな歌いっぷりといい、感動的なまでにツッコミどころ満載です。
葬式の厳粛な雰囲気の中で、意味もなくおかしくてゲラゲラ笑いだしたくなることがある、あれに似てるかも。
最近の歌って、こっぱずかしい内容のものを臆面なく、しかもなんの工夫もなしに直球表現してるものが多くて、ぼくには聴くに耐えません。
小室さんあたりから、この類いのものが現れはじめたみたい。
彼は、ドとレとミだけ、あるいはドとミとソだけで音をつくる、まるでモーツァルトのような名人だったんだけど、その大安売りな音に簡易な歌詞をのっけて、脳みそを使ったことのない人々に熱烈的に受け入れられたのでした。
どこまでも 限りなく 降り積もる雪と あなたへの想い
という歌を聴いて、
欲深き ひとの心と 降る雪は 積もるにつれて 道を忘るる
と、志ん朝さんが落語の中で用いてた詩を思い出し、なんという知性の差だろう、と寒くなった記憶があります。
壁ぎわに寝返り打って 背中で聞いている やっぱりおまえは出ていくんだな
これを作詞したひとなんかは、ちゃんとものの本を読んでハードボイルドを理解し、歌い手さんのキャラクターと曲調を自分の中に取り込んだ上で、音にのせてます。
それが文化というものでした。
この後の歌詞も全部書き記したいんだけど、ちゃんと完結した文学として読ませるものになってるわけ。
その点、最近の歌の詞は、現象をそのまんま描写しただけのものが多くて、まあ、言えば・・・なんというか「アタマわるそうに」に聴こえます。
鳥肌が、逆の意味で立つ。
「きみとやっと手をつなぐことができた、ああ幸せだ」と表現するよりも、「いえー、占い師。ぼくらを占うなよ」としたほうが、イメージの跳躍があるし、生き生きとふたりの関係を説明できると思うんだけど、どうでしょうか?
こうした観念的な表現は、携帯小説しか読まない世代には、もう流行らないのかも。
いや、流行る流行らないというよりも、その深いところがまったく理解できなくなってるのだとしたら、それは恐ろしい退化なんじゃないすかね。
流行り歌を街角で耳にするたびに、「大丈夫なのか?」と考え込まざるを得ない今日この頃です。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サクラ

2009年03月30日 09時51分36秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
わー、咲いた。
・・・などと言って、いそいそと出かけるわけですが。
なのにいざお花見となると、ひとは杯の中ばかり見つめてしまって、あまり頭上の桜を見上げるということはなくなります。
ところが、桜の花はず~っとこちらを向いて、人間の生態を観察してます。
花の中でも、下を向いて(つまりひとに向かって)咲くのは、桜だけらしいです。
なんで太陽の方を見ないで、ひとに向かうんですかね?
やっぱり桜の樹の下には屍体が眠ってるのかな・・・?
じゅくじゅくのそいつに根っこで絡みついて、真珠のような屍液をチュウチュウ吸い上げてるから、あのようにぞっとするほど美しいのだ、という文豪の説もあります。
そういえば、桜の花びらを一枚手にとると、それはまったく「白い」のですよ。
白素地の内側に血液のような細管が通って、朱が柔らかくほの差して見える。
それがシベの周囲に五枚集まり、それが枝に何輪か集まり、そいつが寄り添い雲海のように密集すると、やっと「サクラ色」になるのですねえ。
この世にあんなにも淡い紅ってあります?
ありゃーきっと、樹の下に眠るひとの現世に残した未練のこだまみたいなもんなんじゃないですかね。
・・・とか言って。
きざを言いたくなるのも、この季節の風のいたずらなのでございますよ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おめでとう、ニッポン

2009年03月24日 23時28分31秒 | Weblog
おめでとう、ニッポン。
工房が休講日だったこともあり(決勝の日程を週末に持ってこないのが理解できないけど)、ずーっと観戦してました。
こんなに野球って面白いんですねえ。
やっぱりイチローです。
このひとの本当の魅力は、じつは積み重ねた記録などではなく、なにより美しさなのですよ。
このひとほど美しい打球を放てるひとは、古今東西いません。
今日の決勝打もそう。
その打球の、息を呑むような美しい軌道。
勝つか負けるか、よりも、どう勝つか、で戦ってるのですね、このひとは。
さすがナルシスト、次元が違うところにいる。
韓国は強いけど振る舞いに洗練がないし、アメリカはいばりすぎてて野卑だし、南米のその他のチームは大ざっぱだし、なんつっても日本の野球は、というよりもそのプレイは、心細いけど、美意識が一貫してて、とにかくかっこいい。
その象徴がイチローなのでした。
いやとにかく最高の勝ち方でした。
これ以上にうれしい勝ち方って、ない。
いやー、なんて幸せな結果なの。
そして、相手を気づかいながらの喜び方も、いい。
どんだけやさしい国民性なんでしょう。
母国をしみじみと誇らしく思いましたよ。
こうなったら、10連覇してください。
野球の母国・アメリカに、姿勢を正してもらわなくては。
昨日の日記でも触れたけど、大会自体をなめてる間に、本当に自分たちが蚊帳の外に置かれてしまってることを、この主催国はそろそろ気付くべきでしょう。
もっともっと、とてつもなく強いアメリカを観たいのになー、ということだけが、今大会の残念な部分なのでした。
本気のアメリカに、日本は勝てるのかなー・・・?
それだけが、今のぼくの興味です。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

WBC

2009年03月24日 00時42分07秒 | Weblog
日本と韓国の資本をメジャーリーグが吸い上げるシステムが確立した感のあるWBCですが、少なくともアジアでは盛り上がっております。
それに比べて、アメリカ世論のなんと熱のこもらないことよ。
もっと一生懸命やらんかい。
ジーター(このひとは貧乏くじを引いて、WBCのスポークスマンになってしまった感があり)ひとりが哀れナリ。
アメリカ国内の冷え方と等質に、悪いけどアジア方面でもアメリカチームはザコ扱いされております。
否、アメリカが考えるレベルよりも、さらにはるか「たやすい相手」扱いされてるのが、あちらのチームあるいは国民自身にわかってるのかな?
準決勝の試合を観てても、日本には「アメリカごときに負けるわけなし」感が漂っている。
しかしその通り、あちらのガムを噛むプレイヤーたちの振る舞いは粗末なものであり、強さも軽やかさも美しさもなし。
本当にベースボールの未来は大丈夫なのか?アメリカ。
ええ、日本にとっても、韓国にとっても、今やアメリカなぞ眼中にない。
倒すべき敵はただひとり。
最大に盛り上がる意中の相手と言えば、もはやキミのほかない。
恋慕にも似た想いを胸に、いよいよ決戦です。
いやー、それにしてもほんとーに興奮するもんですね、野球ってのも。
今までプロ野球ってやつを軽んじてたけど、なかなかこんなのも悪くない。
やっぱ世界って舞台はたのしいね。
ところで、日韓で決勝戦するのはもはや決まってたことなんだから、放送枠もアジアのゴールデンタイムに設定していただきたい。
それでこそ、アジアの見かじめ料を見込む者(支配者・アメリカさま)にとっても、最低限の礼儀というものでしょう。
しかしそれはそれで仕方がない。
朝っぱらから応援するぞー!

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草野球

2009年03月11日 23時35分48秒 | Weblog
しばらく野球から離れてたけど、歳とらねーうちに、と思って現場に復帰しました。
春だしね。
約5年ぶりのグラウンド。
うららかな日和で、ほんとにたのしい一日でした。
昔の仲間たちとの関係もいい感じ。
残念ながらわがチーム(大江戸らいんず)は解体されて、他のチーム(バッカス)に合併吸収されちゃったけど、レベルもおおむね「以前と同じ」。
なんとかやっていけそうです。
前のチームでは、ポジションはキャッチャーでした。
へぼだけど、声だけやたらと出してるんで、そんなかなめの場所が居心地よかったなあ。
でもこの日は、自分がどれだけ動けるかわかんないんで、9番ライトに入れてもらいました。
だけど怖いね、練習も無しで、いきなりの開幕戦。
緊張しっぱなしでした。
相手は、ちばてつやさん率いるホワイターズ。
いやー、ちばさんは本気です(たぶんマンガよりも)。
タッチアップでホームに頭からスライディングする御大の態度を見せられると、自然に燃えてきます。
こんなふうに人生を遊びたいなあ、なんて。
WBCも盛り上がってきてるし、オレもここらで暴れさせてもらおうっと。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リストカッター

2009年03月03日 09時43分20秒 | Weblog
彼女ははたちの美しい少女(まことに少女然としたたたずまい)なのだけれど、すぐに手首を切ってしまう。
死にたい、と言っては家の窓から飛び降りたり、メンタリティが最悪なときだと、家に火をつけたり。
そして、「食事をするように」と彼女が表現するようなスパンで、手首を切る。
切っては、ばんそうこうを貼り付けて工房にくる。
ぼくは彼女を教えてるわけではないけれど、彼女は安定を求めてやってくるわけ。
お茶を飲むだけ。
それでも、頼ってきてくれるのはとてもうれしい。
ぼくは、どんよりとした彼女を、たちまち安定させることができる。
やすやすと、その方法論をみつけることができた。
簡単な作業だ。
つまり、彼女に対して笑顔で話しかけさえすればいいのだ。
彼女は、明るい人物と落ち着いて話をしたいだけなのだから。
こちらの笑顔で、彼女は安定し、心をおだやかに保つことができる。
これと同じことを、家族が彼女に対してしてくれさえすれば、パニック障害なんてすぐに治るはずなのだが、彼女の家族はそれをしてくれないらしい。
ギスギスした家族関係が、刃物を手首にあてさせる。
今日も手首に増えた傷を見て、ぼくは「すげえな。皮一枚にしとけよ」と笑ってみせる。
すると彼女も、「大丈夫、なれてるから」と笑い、お茶を入れてくれる。
彼女がお茶を入れてくれるというのは、すごいことなのだ。
それほどに、彼女は回復しているのだ。
少し話をして気がすむと、足を軽くして出ていく。
彼女の心ににごった部分をつくるのが周囲の仕業なら、それをきれいにすこやかに浄化することができるのも周囲の働きかけひとつなのだった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美しいふたつの日本語

2009年03月01日 11時38分51秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
そもそも「ありがとう」や「ごめんなさい」なんて言葉はね、反射神経から飛び出す言葉ですよ。
ひとになにか施しを受けたら「ありがとう」と、失態を演じたら「ごめんなさい」と、ついつい口走っちゃうってのが正解でしょう。
頭脳で咀嚼してからくり出す「言語」ですらなく、延髄あたりで感知して思わず飛び出す「感嘆符」みたいなもののはず。
驚いたときに「うわっ」とか言うでしょ。
それと同等に使用すべきです。
それをですね、「ありがとう」と口にするのは損失、「ごめんなさい」と頭を下げるのは屈辱、と考えるひとがいます。
このふたつの言葉は、人間間の円滑な交わりをうながす役割と、それ以前に、原初的な敬意の美しさを持ってるのですよ。
もっともっと気軽に使えんかね、このふたつのすてきな日本語。
などと。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする