裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

月食と宇宙人

2007年08月29日 09時59分32秒 | Weblog

月食が好き。
ゆうべは皆既月食だった。
だけどすっとまってても、雲が空をおおっててお月さまは出なかった。
もうっ。
それにしてもすごい現象だよねえ、食。
太陽と月の大きさがほぼぴったし、って地球の配置がまたすばらしい。
0,25:1:109 なんて比率の天体が、絶妙な距離のバランスによって同じ大きさの影になっちゃう。
皆既日食なんて、太陽と月のほんのわずかな大きさのずれのおかげで、細い細いリングになっちゃうんだもんね。
神様がこの世界をつくったのだと信じたくなる。
ところで食ってのは、地球と太陽と月の配置が一直線になるために起きる現象だよね。
月に地球の影が落ちると月食、太陽に月の後ろ姿がおさまると日食になる。
「皆既」というほどにどんぴしゃに入れるのはかなりむずかしい。
と、考えてたとき、思い出した。
人類(というか科学者)は、この地上でずっと宇宙人をさがしつづけてる、って話。
宇宙人が地球に向けてレーザー光線(あるいは電波)を放ってると仮定して、それを全方位的にめぐらせたレーダーでキャッチする、という方法。
地上でレーザーを受ける側は、もちろん宇宙人がレーザーを照射してるという仮定に立っていて、さらに宇宙人が「地球に高度生命体が存在するという仮定に立ってレーザーを照射している」という前提に立っていて・・・って、わりと非現実的。
だけど考えてみれば、昼間の月が自分の姿を人類に知らせようと思ったら、地球に自らの影を落とす(つまり食)しか手がないわけで、なるほど自分の存在に気づいてくれる天体外生物の存在を期待したければ、でたらめでもレーザーをあちこちに照射したくもなるか、と考えるのです。
宇宙人もけっこう一生懸命だ。(・・・という仮定に立っています)
ただ、それを受け取る側も大変。
くる日もくる日も、届かぬ手紙を待ちわびる地球人。
これで宇宙人とわが人類が邂逅できたら、それこそ神様が起こす奇跡だと思います。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園


発光する惑星

2007年08月22日 12時46分58秒 | Weblog
トイレの電球が切れたきり、二週間ほどすごしてます。
闇の中で老廃物排出。
だけどぼくはおしっこも座ってする派なので、たいした影響なし。
ただ、トイレは重要な読書の空間だったので、それだけが不便といえば不便か。
それにしても明るいです。
夜も窓の外からあかりがさし込んできます。
そりゃセミも夜通し鳴きたくなるよなー。
周囲が静まり返った深夜の彼らの声には精がみなぎってて、ほとほと感心させられるとともに、哀切を感じたくなります。
地上に出た7日間を生き急ぐ彼らは、昼夜問わずからだに震えを走らせ、絶叫しつづけなければならないわけです。
彼らが仰向けになってネズミ花火のようにコンクリの地面をのたうち回るあの季節が近づいてきましたが、一分一秒を惜しんで叫びつづけてほしいものです。
ところでトイレね、はいはい、閑話休題。
窓からさし込むあかりの正体は何ぞや?と考えるに、素直に言えば街灯だったり、お隣の窓のすき間からもれる蛍光灯の光だったり、また月明かりだったりするわけなんですが、ぼくはこう感じるのです。
地球という惑星が自身で発光をはじめたのではないか、と。
惑星は、煌々とかがやく太陽や他の星から受ける光を反射させて照ることしかできない土のかたまりなわけですが、宇宙から見るとわが地球は、まぎれもなく自身に光源を持って発光してます。
トイレの窓からさす明かりも、全部下からのものです。
そりゃ夜空の漆黒も軽薄になるわなー、と、お月さまも小さくならーなー、と、トイレで憂えたくなる日々なのであります。
暗闇ですごす・・・現代人に必要なことのひとつかもしれません。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

ただしいこころであしたにむかった

2007年08月17日 10時52分32秒 | Weblog
母さん、元気ですか?
最近、どうですか?(何が?)
ぼくはきのうもお酒を飲みました。
工房がはけないうちに酔っぱらっては、会員のみなさんに「しょうがない師範だな」とあきれられる毎日です。
ごめんなさい。
ところであなたは覚えてるでしょうか?
ぼくが保育園にいくのをいやがって、泣きわめいてダダをこねてたあの日々のことを。
ぼくはあなたに、アメ買ったる、と言われても、プラモ買ったる、と言われても、叱られても、なだめすかされても、がんとして首をたてにはふりませんでしたね。
ぼくはあなたと離れてるのがただいやだったのでした。
そこであなたはぼくに、保育園までついてったるわ、と言ってくれました。
ぼくは、保育園でもずっと一緒におってくれ、と言いました。
あなたは、うん、ええよ、と言いました。
そして、お手てつないで保育園にいきましたね。
ところが幼いぼくは、おともだちと顔をあわせると、すぐにあなたの存在を忘れてしまいました。
朝の出来事などなかったことにして、一日をおともだちと駆けまわってすごしたのです。
こうして、いつの間にか日が暮れました。
そして、おともだちとバイバイして、お教室から足を踏みだしたときに見たあの光景が、幼いぼくの心を打ったのでした。
まっかっかな夕焼けを背景に、あなたはひとり、運動場のブランコに座って、おにぎりを食べてました。
ぼくのわがままにつきあって、あなたはこの日一日を、そのブランコですごしてくれたのでした。
今のぼくなら、うっわやっべ、とでもつぶやきつつ、わりーわりーわすれてた、とでも言うところでしょうが、そのときの幼いぼくは、はげしく動揺して泣いてしまいました。
なのにあなたは、いちんちええ子やったね、よっちゃん、と言ってくれたのでした。
それ以来、素直なよい子になったこのぼくなわけですが、今はこんなふうにお酒を飲んでばかりいます。
しかも工房でも会員さんにあきれられてばかりです。
ゆるしてください。
ところで誕生日、おめでとう。
プレゼントは用意してませんが、いつも太陽をみて、星をみて、月をみて、海をみて、大きな樹をみて、サザエさんをみて、つじあやのさんをみて、そしてなんやかやみては、ほわん、とあなたを想っております。
いつまでもお元気で。

とか言ってみたりしてね。
マザコンでしょうか?

陶芸教室/森魚工房

ニンゲン

2007年08月08日 23時25分12秒 | Weblog
「ありがとうございます865円でございますサービススタンプはご利用になりますか?」
と、こちらと目もあわすこともなく機械的に彼女は言うんですが、ぼくはなんとかスタンプは必要ないのでそれを伝えると、彼女はおつりを手渡しつつ、すでに視線は次のお客さんのカゴへ。
忙しいんだなー。
しかしそれほど深刻な行列ができてるわけでもなく。
身ごなしは完璧だ。
マニュアルどおりに、おつりを渡すときはこぼれないように手を添え、すぐに両手の平をあわせてヘソの前へ、お辞儀は45度、「またおこしくださいませ」。
ただ惜しいことに、心がない。
オレはレジであろうが食事の会計であろうが、とにかく店員さんと接点があった場合には、必ずひとこと言葉をかわす。
「ごちそさま」「ありがと」「どもども」「おっとっと、あ、大丈夫ですから」
それでコミュニケーションは円を閉じる。
それまで機械的だった彼女たちが、笑顔を見せてくれることもある。
ぎょっとされることもある。
戸惑われることもある。
が、それはいかに普段、彼女たちがお客さんと会話を交わさないかという証左でもある。
それはどちらの責任でもあると思う。
こんな小さな言葉のかわし合い、会話ともいえないようなひとことのやりとりほど、ニンゲンらしいふるまいはない。
やさしさ、おもんぱかり、思いやり、と言いかえてもいい。
それがないから、機械のようになる。
オレは、自分の生涯のどの部分を切り取ってもニンゲンらしくありたいと思ってるので、つねにニンゲンらしく振る舞う。
機械のようには接してもらいたくないし、ましてや自分が機械のように接することは断じてしたくない。
どうかみなさん、レジの向こうにいるのはニンゲンであるということをお忘れなく。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

げんばくのひ

2007年08月06日 23時59分16秒 | Weblog
渋谷・新宿の道ゆくワカモノに「1945年の8月6日になにが起こったか知ってますか?」ときいたら、「原爆が落っこちた日」と答えることができたのは、ひとりもいなかったらしいです。
0%。
すばらしい。
この一点をとってみても、安倍さんのくわだては見事に成功しているといっていいでしょう。
あの戦争はなかったことにしましょ、とくに日本側に不都合な出来事はいっさい教育の現場から廃棄しましょ、というのが安倍さんの持論なわけですが、実に有効な結果を生んでます。
彼は「原爆の日」である今日、広島の慰霊式にノコノコと出席して「憲法の規定を遵守し、国際平和を誠実に希求する」とのたまってるわけですが、これからいそいそと国会を開いて、平和憲法の破棄、自衛隊→自衛軍への増強、アメリカと手をたずさえて海外で戦争に参加、という道を着々と築こうとしてます。
つか、もう半分は準備完了。
あとは9条をいじり倒した草案を示し、改正するかどうか国民の判断を待つだけ、というとこまできてます。
民意は半々ってとこらしいけど、こんなことして大丈夫なのかなー・・・ってのが正直なオレの気持ち。
オレ自身は、まあ自分の意見はおいとくとして、原則論者なので、「みんなが決めたことには従います」という立場です。
自分には徹底的なフェアさを課してますから、ええ。
だから発議する側も原則に基づき、投票後はきちんとフェアに振る舞ってほしい。
つまり、「9条改正が可決されたら、ちゃんとした軍隊つくって、米軍には出てってもらえ」、そのかわり「否決されたら、現憲法の言葉どおり、一切の軍備を放棄しろ」と言いたいです。
一票を投ずる側も、つまりみなさんもちゃんと考えてほしい。
つまり、「9条改正に賛成するなら、ちゃんと戦争に行って、ひとを殺し、死んでこい」、だけど「反対するなら、侵略されても文句言うな」ってことです。
これが本当の意味でフェアってもので、また「戦後レジームからのちゃんとした脱却」ってもんでしょう。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園