裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

世界のつくり/宇宙編・14

2023年04月19日 09時42分17秒 | 世界のつくり

14・科学実在論って

「コペンハーゲン解釈」を、この話のずいぶんはじめの頃に出したんだけど、厳密にこの解釈を説明すると、「素粒子が位置と運動量を同時に捉えさせないのは、観測時に他から受ける相互作用の影響の問題なのであり」「実験が不可能な事象を説明しようとする作業は無意味だ」という立場から、観測収縮という量子的現象の存在を否定するということのようだ。
論理実証主義というわけだが、どうも腑に落ちないではないか。
なのに、これを言い出したボーアさんとハイゼンベルクさんの権威はとてつもなく、アインシュタインさんあたりが強烈に抵抗したにもかかわらず、科学界の多くはそちらになびいてしまったのだった。
そこで立ち上がったのが、科学哲学者たちだ。
科学は最高度に洗練されると、実験と観測から、数学と哲学の問題へと移っていくのだ。
事実、原子の構造など視覚では捉えようがなく(「確率の波」である波動関数状態なので)、数学的な確実性を積み上げ、抽象的な模型(視覚的には具象の形で)を立ち上げて概念化するしかない。
例えば、最新鋭理論である「ちょうひもりろん」なんて、11次元の空間にチョロひげのようなヒモが輪をつくったりそよいだりしてるトポロジー世界だが、感覚や経験から完全に独立したそんな理論が立ち上がり、物質の振る舞いを正確に(というよりも近似的に)描写できるようになってる(らしい)。
そんなわけで、実験物理は理論物理の予測を確認するセクションになっていく運命なのだった。
話は戻るが、こうした経緯から科学哲学方面がカウンター的に沸き立ち(つか、物理学会に抵抗しはじめ)、「科学実在論」すなわち、観測できないものもまた実在するという、当たり前に思えるムーブメントが開始された。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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世界のつくり/宇宙編・13

2023年04月18日 16時46分28秒 | 世界のつくり

13・論理実証主義って

古代ギリシャの哲学者(=自然科学者)であるアリストテレスさんは、「この世界は、土と空気と水と火で構成される」と考えた。
アース・ウインド・ウォーター・アンド・ファイアー、というわけだ(あの黒人ロックグループもまたこの名前にしようしたが、長すぎるため、水の要素を抜いたらしい)。
アリストテレスさんは、自分の感覚を信じて「温度」と「湿度」を基にした世界の根本設計をしたのだ。
つまり、「乾くと土になり、湿ると水になる」「冷たいと空気になり、熱いと火になる」「その組み合わせのみで、万物は再現しうる」という単純明快な論理だ。
逆に言えば、感覚できないものは実在しなく、したがって目に見えない原子という最小単位も存在しなく、要するにすべてのものは連続的な造作を持ってるはずなのだ。
・・・この考え方と、彼の形而上学とのすり合わせがよく理解できないんだけど、まあとにかく、そういう考え方だったようだよ。
そして時は流れ、マッハさんからはじまる「論理実証主義」なんだった。
例の「目に見えるものだけが実在する」というやつだよ。
かく言うマッハさんの「音速」も目には見えないけど、ドップラー効果による音速突破の瞬間の衝撃波というものが実在するので(マッハさんが研究してたのは「音速」じゃなく「超音速」だった)、波の圧縮によって音速を特定した彼は、「ねっ?」とほくそ笑んだのだった。
要するに、「実験による観測をクリアしたものの実在は確定的」で「その検証に耐えないものの存在は無視していい」という考え方が、論理実証主義だ。
とすれば、場の量子論はいったいどんなことになるのか?

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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