裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

ゲンパツレクチャー

2011年08月31日 10時29分40秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
あんなに神経を逆撫でたセミの絶叫も秋虫のささやき声にとって代わり、涼風も肌に心地よい季節となりました。
夏も終わったのですねえ。
・・・なんて、落ち着いてちゃだめですよ。
なにも終わっちゃいませんよ、と、再びヤボなレクチャーをさせてもらいます。
原子力のお話だよ、聞きたくないのんきさんは耳をふさいで夢でも見ててちょうだい。
なんだか「ゲンパツは安定したね、やれやれ、ホッ」な感じの昨今ですが、とんでもない勘違いですよ。
日々刻々、事態は深刻化しておりまして。
以下は、知りうるかぎりの情報から導きだした小生独自の分析(解釈)なので、多少の間違いはあるかもしれないけれど、国民にデタラメばっか流してる政府機関・電力会社方面の会見よりは正直かつ正確なものであると自信を持ってるので、開陳させてもらいます。

汚染水の浄化は上手にできてるようだねメデタシメデタシ、と考えてるおめでたいあなた。
その作業は「周辺処理」であって、最も瑣末で簡単な部分。
環境への配慮には効力を持つものの、事故の収束という意味ではまったく要を成さない、いわば「うんこ出してる最中の尻ぬぐい」ってことが理解できてますか?(きたない例えでごめん。だけどコレ、完全に事態を言い当てた表現ではないの)
本丸、すなわちズタズタの原子炉&抜け落ちた核燃料は、まるで手つかずですよ。
なにしろ、どうしたって人類が近づけないんで、作業用ロボットの開発待ち、ってんだから、途方に暮れたくなります。
その原子炉が今どうなってるかと言いますと、ご存知のように、核燃料が外に漏れ出ちゃってます。
完漏れ、全スルー、というのが正しい言い方でしょうか。
三つの原子炉からそれぞれに抜け落ちた核燃料は、「冷却水で安定状態まで冷やされてる」ことになってますが、あり得ません。
その冷却水とやらの温度は、入れても入れても95℃~120°をキープ。
つまり鍋で湯を沸かしてグラグラ煮立ってから、さらに火をつけっぱなしにしてのっぴきならないくらいまで沸騰しきった状態。
なにしろ核燃料は発熱すると2800℃にもなりまして、こいつはほっとくと永遠に熱を出しつづけ、永遠に放射能を出しつづけます。(人類の代替わりスパンで「永遠」と表現してます)
溶融前の直径1センチの燃料棒だったときは容易に冷やすことができたけれど、今やそれが何百本分もとろけて形をなさないひとかたまり。
水に触れてる表層だけは冷やせても、芯の部分、底の部分は、なにをどうしたって冷えようにない。
しかも、燃料棒だったときに表面を覆ってたジルコニウムやら、制御棒(臨界を阻止するための素材)やら、海水を沸騰させたために大量に残留しちゃった塩やら、なんやらかんやらがごちゃまぜの状態の中で核分裂中。
そもそも、核物質本体に水がゆきとどいてるのかどうかさえ、誰にもわからない。
さらに言えば、その核物質は容器からだだ漏れの状態にあって、ひどい話だが「どこにあるのかわからない」(東電説明)。
チャイナシンドロームは、アメリカの原発でメルトダウンが起き、核燃料が地中を食い破って食い破って、ついに地球と反対側の中国にまで達してしまう、というカリカチュアだけど、それが現実になりつつあります。
福島第一の核燃料は、圧力容器をすっかり抜け(確定)、一枚外の格納容器に達し、この最後の密閉容器を破れば晴れて外気、というその壁をじわじわと溶かしつつ、地中に向かってます。
すでにこの容器から汚染水が漏れてることは確認されてるので、普通に考えれば、すでに燃料はシャバの空気を吸ってるはず。(シャバに汚染をばらまいてる、と言うべきか)
この汚染水が地下水まで染み出たら、再びシリアスな事態になることを覚悟しなければなりません。
ましてや核物質本体が外に漏出すれば・・・あまり考えたくない事態だけど、んー・・・どうなるんだろ?
そんな事態を見越して東電は、原子炉建て屋の周囲ぐるりを掘り抜き、岩盤まで貫いてコンクリを巡らし、壮大な遮断壁を地下に築こうと1000億円を計上してまして。
そんなこんなの大騒ぎが、そっと、ほんのそっと、ささやかにしか報道されないのが不思議。
結局ね、このカタストロフはいつか起きるものだったのです。
今後も間違いなく、この程度の事故は起きます、1000%の確率で。
「1000%なんて大げさな」という方には、「その数字には裏付けがある」と申し上げたい。
使用済みの核燃料は、さっきも言ったように、永遠に発熱しつづけ、永遠に放射能を出しつづけます。
半減期をくり返して無毒になるまでのざっくり一万年、核廃棄物はひとの管理のもとでせっせと冷やしつづけなければならないのですよ。
その場所を「最終処分場」というのだけど、これを稼働させるあてがまったくない。
日本は地震国なので、核廃棄物をどこに置いておいても、結局は「1000年に一度の大地震」が一万年の間に10回はくることになります。
これが1000%の根拠です。
一万年という歳月は、縄文時代から現在まで程度の時間ですが、その期間、無事故でいられると思います?
その歳月ののち、どれだけ列島が変形してると思います?
それをふまえた上での核物質保管技術が確立し、絶対安全の保証がなされないかぎり、原子炉は動かすんじゃない!核燃料に手を出すんじゃない!と言いたいんであります。
このことを知らんやつよ、あるいは知っててだまそうとしてるやつよ、「原発は安全です」なんて、二度と言うな!
キヨシローに成り代わり、ぼくはそう言いたいんであります。

↓さらにくわしく解説。
「僭越ながら、レクチャー」

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ユタカな一日

2011年08月24日 18時57分48秒 | Weblog
いやー、面白い体験をしたよ。
一族そろって北海道にいったんだけど、競馬好きの妹夫妻が「ばんえい競馬」に連れてってくれたのさ。
道産子って馬はとてつもなく大きくて、頑丈で、タフなんで、こいつにすさまじく重いソリを引かせて、坂を設けた砂地の馬場を走らせ、競わせようってのが、ばんえい競馬ね。

出走馬をパドックで見ると、「これがほんとに馬か?」くらいのガタイで、筋骨隆々で、脚も野太くて、圧倒されるよ。

最近はばんえい競馬も斜陽で、この帯広の競馬場が残るきり。
だけど車で乗りつけると、場内はすごい人出で、お祭りみたいな雰囲気だった。
なんだ、けっこう人気あるじゃないの、と思ってたら、なんだかこの日は特別な日であるらしいのだな。

じゃ~ん。
目の前に、武豊、見参。
たまたま「武豊賞」なるレースが開催されてた、まさにその日なのでした。
衰退いちじるしいばんえい競馬を盛り上げようと、JRA(中央競馬界)のエースジョッキー有志たちが集結してるらしく、わが一族も大興奮。

表彰式が終わると、ファンが殺到。
タケ騎手もえらいひとで、いつまでもいつまでも、いつまでもサインしつづけてました。
熱いぜ。

ところがこの後、再びタケが姿を現し、興奮最高潮。
ばん馬に乗ってレースに出るらしいのですよ。
オレにはあんまりわかんないけど、アンカツ、吉田×2、松岡、勝浦、藤岡、三浦皇成 、ふじたしんじ、そしてタケという、いずれも名だたるG1ジョッキーたちが、ばんえい競馬で競うというわけ。
ジョッキーたちはいずれもジーパンにスニーカーってラフな格好だけど、この演出はニクい。

で、いざ、出走。
が、人気ジョッキーたちは、馬をあやつる地元の騎手たちの前に乗っかって、重石役(?)のテイ。
ばん馬の尻を叩くタケも半笑い。

それでも会場は大盛り上がり。
タケは総合優勝し、よめはんは640円をせしめ、ユタカな一日が終わりましたとさ。
がんばれ、ばんえい競馬!

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きれいなヒトビト

2011年08月18日 00時33分00秒 | Weblog
彼らは地震でぺしゃんこにされた。
津波に流された。
生活道具の一切が、それどころか、生活環境全体が根こそぎにされた。
その上に、放射能が降ってきた。
家族や友だちを亡くし、おまけに自分も死の影におびえなきゃいけない。
そんなひとたちが、鎮魂の祈りを書いた薪なんだ。
それを、よく突き返せるもんだなー。
少しくらい放射能は浴びてるかもしれんが、燃やしてやれんかね?
ほんのわずかな、それこそタバコの煙ほども害はない放射線は出すかもしれんが、それさえも浴びたくないかね?
あっちが汚れてくさまを遠目にながめつつ、こっちは絶対に汚れたくないってか?
さもしすぎて、泣けてくらあ。
そんなひとたちはもう、日本から出てくべきだね。
生涯、清潔な核シェルターに入っててほしい。
そのぴかぴな部屋にこもって、汚れたヒトビトとの交流を一切断ち、我が身だけのために祈るべきだ。
なんまいだ・・・

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終戦記念日、お決まりの説教

2011年08月15日 22時34分31秒 | Weblog
「殿の命令は絶対じゃ」
「ははーっ」
「命をかけて、殿をお守りするのじゃ」
「ははーっ」
「負けたら腹を切るのじゃ」
「ははーっ」
というのが、サムライの「義」の価値観だった。
それを利用し、「天皇」を「殿」に、「兵隊」を「義士」に見立てた、「大本営」すなわち「自称・家老職」たちは、なかなかの戦略家。
結局、天皇家は沈黙させられ、市民(兵隊)たちはだまされ、戦争大好きな大本営の面々が好き勝手に国家をあやつる、という構図ができたわけだ。
犯され、略奪され、蹂躙されたアジア諸国はいい迷惑だけれど、日本国もまたひどい目に遭わされたのだった、この層(軍上層部)のヒトビトに。
「幸か不幸か、日本をほしいままにしていた軍部を外国の力でたおすことができた」という水木しげる氏の解釈を、ぼくは毎年この時期に持ち出すわけだけど、ほんとにその時代の日本はひどい国だったんだと思う。
そして、それは今なお、同様だと思う。
「官僚たちはかしこい」と言われるが、結局、この国を滅ぼすのは小ずるい官僚たちにちがいない。
木を見て森を見ない彼らが、ついに日本国を地べたに這わし、国民はおろか、官僚すなわち自身をも無一文の物乞いに落ちぶれ果てさせるだろうことは、世の流れを見れば明確に予言できる。
残念ながら、わが国はついにあの66年も前の戦争から何ひとつを学ぶことができなかった、というわけだ。
あわれ。
が、今、未曾有の災害から何事かを学ぶチャンスに、千載一遇の機会に、ぼくらは立ち会ってる。
みんな、本気で考えようよ。
ここで間違ったら、もう「リアルに」アウトだよ。
ぼくは、流行りの「脱原発」とやらを超えた、生粋の「反原発」。
そして、経済成長よりも、収縮の清貧指向。
物質文化よりも精神文化を、理論よりも感性を大切にしたい「むかしのニンゲン」。
これらの価値観を、相対性よりも絶対性として、普遍的美意識として持ちつづけたいと思ってる「心のヒト」。
・・・でいたいと思ってる。
みんな、過去の失敗から、きちんと物事を学ぼうよ。
今こそちゃんと、ほんとに尊い「深いところ」まで考えてみないか?
ほんとに、本当に、この世界がなくなるかもしれないんだよ。
「そんなこと言って、こいつバカかな?」と思う?
そういう自分を、バカだと気づかない?
・・・そう言いたい終戦記念日なのだった。

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ロックフェスティバル

2011年08月14日 08時36分57秒 | Weblog
とある酒場にて。
「またよめはんが、ロックフェスにいきゃーがったんですよ」
酒場の大将。
「へえ、ついこないだいったばっかりなのに?」
「二週間前のは、フジロック。今回は、サマソニ」
「サマソニ?へえ、どこなんです?」
「幕張だってさ」
「幕張。へえ、あんなとこに山があるんですか?」
「今度は山じゃないの。屋内にステージつくってやるんだってさ」
「ああ、ありますね、屋内につくるやつ。それにしても、お好きですね、奥さんも山登りが」
「ん?山登りじゃないよ?」
「ああ、岩登り、か。失礼しました」
間。
「・・・大将。ロックフェスは、そっちじゃないほうのロックなんだ・・・」
ほんとの会話です。

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フラット

2011年08月12日 10時04分39秒 | Weblog
端境期のいろんなひずみが顕在化してますな。
「グローバル社会をつくろう」ってのは、つまり、世界をフラットにしようってムーブメントだよね。
そのせいで、先進国はデフレに苦しみ、債務に首が回らなくなり、失業率は上がり、格付けは下がり、挙げ句の果てに暴動が起きたり。
後進国は生活の向上をよろこぶ反面、インフレに悲鳴を上げ、技術が追いつかない即席工事で事故をくり返し、情報共有社会の実現で統制が機能しなくなり、国民の抑圧も破裂寸前。
国境がなくなって、後進国は先進国レベルを目指して猛烈に上昇を志向してます。
一方、先進国は、後進国に追いついてもらうまでは退行しつづけなきゃならない。
そうして、相互間のギャップを相殺してくしかない。
先ゆく者のアドバンテージは今やデメリットでしかなく、追うものの欲求は執拗でかつ果てしない。
先進国では不満がつのり、後進国ではやんちゃが横行し、世界を平らにするはずの自由主義はかえって各国内での格差を生み、国境がなくなったせいでむしろ国境線で火花が散り、逆説的にあちこちでナショナリズムが膨張し、かくして派手なお祭り騒ぎが各国で発火することになります。
つわけで、アメリカも、日本も、中国も、ヨーロッパも、えらいことになってるわけですが、少なくとも先進国と中国・インド・ブラジルあたりとの貨幣価値がフラットにならない限り、この不安定な状勢はつづくのかもね。
「ユーロ」みたいに、世界の通貨を完全統合して、さらにもう一悶着あって、やっと平穏な社会がくるんだろうね。
えらい時代になってきたと感じてる諸君、まだまだこんなもんじゃないよ。
世紀はじめなのに、世紀末っぽくなってくなー。

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しおがま・3

2011年08月10日 08時58分48秒 | 被災地ルポルタージュ
背後の座敷席に、若くて荒っぽい漁師の一団が陣取った。
「やっと漁が再開できて!」
「こんなうまい寿司が食えるようになって!」
「ヨメと子供を食わすことができて!」
みたいなことを、怪獣の咆哮のような大声で言い交わし、肩を叩き合い、乾杯をくり返し、バカを言い合ってる。
「うるさくてすいません」
「平気ですよ。興味深いです」
「ありがとうございます」
大将は寡黙に、魚をさばき、寿司を握り、伊万里の皿に並べつづける。
うまそすぎる。
特上には手が出ないが、寿司だけは食わねば、と思い、1800円也の鉄火巻きをたのんだ。
若衆が、その場で巨大なマグロの中落ちを骨の間からかき出し、ネタにする。
それを大将が巻物にして、出してくれる。
「おまちどうさまです」
一片をつまんで、ほおばる。
ちょっと体験したことのないうまさが、舌の上でほどけてく。
涙がこぼれそうになった。
「おいしいです」
「ありがとうございます」
オレの目に涙がいっぱいたまってくのを見て、大将は目を伏せる。
なんの涙だったのか、なぜかこらえきれなかった。
泣くといえば、あれだね、東北のひとって、こらえつつ泣くね。
声を出して嗚咽するってことが、テレビカメラの前だからからな、ないような。
NHKってのは、ほんとにいい番組をつくるんだけど、こないだ「被災地のお祭り」みたいなのをやってたの。
瓦礫の山というか、完全に滅形した町内を、有志たちが山車を曵いて歩くんだけど、いかつい男たちが声もなく、肩震わせて、落涙してるの。
あれは気質なのかな。
哀しみと、悔しさと、辛抱強さをついに越えた炸裂を、なおも抑制するんだね。
なんと優れた美意識かと思う。
つか、やさしさかと。
で、すし哲。
「ごちそうさま」
と言うと、じいちゃん大将、
「ただいま、口直しの自家製シャーベットをお持ちしますが」
「いや、口、直したくないんで、このまま帰らせてください」
美しい間がありまして。
「余韻を楽しまれるわけですな」
「おいしかったです」
「ありがとうございます」
こういう会話ができるから、オレはつくづく立派だよなあ。
この日は、どこにも傷のない、まん丸の一日だった。
こんな具合に句読点を打って、被災地を後にしたよ。
学ぶことの多い東北行だった。
この旅を物見遊山にしないために、もう一度行かなきゃ、と思ってる。

おしまい

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しおがま・2

2011年08月04日 09時38分06秒 | 被災地ルポルタージュ
生ビールが手に入らない、というので、ビンビールを手酌。
のちに知るところとなる「不世出の寿司職人(・・・という本が出てる)」なる人物と、カウンターをはさんで向かい合わせ。
ハンガーで吊られたように背中の丸まったおじいちゃんだ。
が、底の知れない格を感じさせられる。
「カツオの酢漬けというものがございます」
「聞いたことがないですね」
「当店のオリジナルでございます」
「じゃ、それをお願いします」
「ありがとうございます」
ピカピカに輝くカツオの薄づくりの上に、大根おろしがわっさーっとのったものが出された。
ダシと酢が効かせてあって、ペラペラだが名刺大ほどもあるカツオでくるくると巻いて食べると、典雅な味わい。
鼻に抜けるほんのりとした酸っぱさが、なるほど涼味でありまして。
「おいしいです」
「ありがとうございます」
鋭すぎる眼光を重いまぶたの裏に隠しつつ、じいちゃんは長々とした包丁を操りつづける。
どの客も3000円也の特上寿司を注文してる。
巨大な伊万里の皿に、色とりどりのネタ。
うまそう・・・だけど、ちょっと勇気が出ない。
ひとが入ってくるたびに、ハエがまぎれこんでくる。
街がハエに侵されてるのだった。
手で、しっ、しっ、と追い払ってくれるじいちゃん。
「かまいませんよ、昆虫は友だちですから」
と言うと、目を見開くようにしてから、再び目を細め、
「ありがとうございます」。
オレはこういう会話ができるから立派だよなあ。
ヒカリモノのお造りと、アワビの肝を焼いたの。
調子にのって注文するうちに、特上をたのんだほうがお得だったかも、と気づいたが、まあいいや。
焼酎にも手を出しちまったし、ここでは思いきり散財していこう。
店内はどこもかしこも磨き立てられてピッカピカで、引っかき傷ひとつ見当たらず、まるで銀座で飲んでるみたい(銀座で飲んだことなんて一度もないけどね)。
だけど後日ネットで調べると、この店もまた2m50のところまで津波に呑まれ、水が引いた後には、カウンターの上に冷蔵庫がのっかった状態だったんだそうな。
いち早い再開は、やはりこの街の魚文化を残そうという心意気。
そして「希望」の象徴としての自覚ではあるまいか。
「おいしいです」
「ありがとうございます」
こんなシンプルな会話がくり返される。

つづく

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しおがま・1

2011年08月03日 10時07分37秒 | 被災地ルポルタージュ
せっかく東北まできたんだし、最後くらいうまい魚でも、と思ったのだ。
そこでボランティア仲間となった地元のおっさんに、どこへいけばいいか?と訊いてみる。
「それならなんたって塩釜にいきなよ」との答え。
塩釜なら電車ですぐなんで、草引きした汗みどろの姿のまま、いそいそと乗り込む。
塩釜の駅に着くとすぐに駅員さんに、どの店に行けばいいか?と訊ねる。
「それならなんたって『すし哲』さんにいきなよ」。
一発解答に、これは期待できそうだ、と心勇んで街に繰り出す。
ところが。
塩釜の街はひどい荒み様。
仙台の街はどこにも傷なく、まばゆく、にぎわしく、熱気に満ち満ち、震災の影はどこにも差してなかったんで、油断した。
塩釜の駅前は「空虚」と思えるほどがらんとしてて、二、三台のタクシーが途方に暮れるようにぽつねんと待機するばかり。
生命反応ときたら、それくらいのもの。
とりあえず教えられた道を歩きだすが、どの店も入り口が閉ざされ、それならまだしも、そのシャッターの閉まったワンブロックがベコベコに波打って、まるで巨大なアコーディオンのようになってる。
頭上は、アーケードが崩れて青空が素通しに見える。
足下はというと、地盤沈下のせいかあちこちに亀裂が走り、派手に土をさらして沈み込んでる。
そこここでブルーシートが張られ、ようやく生命に遭遇したと思ったら、家屋の修繕・・・というか、取り壊しというか、ガテンさんたちの無言の労働現場。
街全体が、いまだ重篤な大ケガを抱えたまま、起きあがれないでいるのだった。
ほんとにこんなとこで寿司が食えるのか?と、半信半疑に店を探す。
あった。
「すし哲」は、不規則にのたうつ町並みの一角に、輝かしく店構えをととのえてた。
ぱりんとノリの効いたまっ白な調理着姿の若衆たちが、何人も店先で立ち働いてる。
何事もなかったかのようなその振る舞い方に、この店の誇りが感じられる。
そのたたずまいは、復興の証、みたいに感じられて、胸がうち震えるような気分にさせられた。
敷居の高そうなその店に、うす汚れた姿のまま乗り込むのは恐縮したが、とにかく「えいっ」と入ってみる。
「いらっしゃい」でもなく、「ようこそ」でもなく、このボロ雑巾のような姿を一瞥して、まず「ありがとうございます」と言われた。
カウンターに座る。
ひとりきりで寿司屋のカウンターに、などという経験ははじめてなのだが、とにかく巨大な荷を背から降ろし、ビールをたのんだのだ。
「どちらからいらっしゃいました?」
「東京都です」
「すばらしいヘルメットですな」
「泥かきの手伝いをさせてもらいました」
「ありがとうございます」
「東北さんにはお世話になってますから」
そんな会話をする。

つづく

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