裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

育ったタレントさん

2016年08月30日 17時59分22秒 | Weblog
テレビや雑誌の取材をちょこちょこと受けるけど、あまり愉快な思いをしたことがない。
特にテレビはまったくひどい。
なんであいつら、あんなにえらそうなのかなあ。
申し渡せばなんでもやってくれる、とこっちのことを思ってるんだね。
だからもうテレビ取材はいいや。
めちゃめちゃおいしい話がきたら受けてもいいがね(上から目線の意趣返しだ)。
その点、清水富美加ちゃんだけは立派なお方だったなー。
仕事ぶりもプロフェッショナルだが、接し方も受け答えも誠実で、真面目で、一生懸命で、感じ入った。
強い意志とは、ひとを育てるなー。
がんばれ、ふみかちゃん。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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お得感

2016年08月29日 02時15分58秒 | Weblog
よめはんが美容院にいって、髪を切ってくる。
戻ってきた姿を見ても、大して変わってない。
理解できない。
オレはこういうのにはかなり敏感な方で、髪を切った生徒さんを見たらすぐに「かみきった?」なんて言ってる(かなりの確率でハズしてるけど)。
なのに、本当によめはんの髪だけは、どこをどう切ってもらったのかわからんのだ。
女の髪切りは、バカバカしいことに2時間ほどもかかるうえに、しかも何千円という大枚が必要らしい。
それだけのコストを費やすのなら、多めに切ってもらえ、と思うのだが、そういうわけでもないらしい。
切ってもらう髪の量が多ければ多いほど、短く切ってもらえばもらうほど、お得感は増すと思うのだが、違うのか?
ちょこっとだけ切ってもらって、はい同じ金額、ってんじゃ、損ってもんだろ。
ぜひたくさん切ってもらうべきだ。
それに、女ってやつは、まったくバカバカしいほど小さな服を買ってくる。
布の端切れか?くらいのぺらぺらの小片を、衣類としてありがたがり、しかも驚くほどの金額をはたいてかえりみない。
もっと大きな服を買えよ。
たくさん布が使われてるやつを。
もったいないだろ。
今日もよめはんは、小さな袋状のものに短いヒモの付いたものを買ってきて「くつしただ」と言ってる。
靴下なら、もっと大きなやつにしろ。
その方がお得だろ。
食品なんかを選ぶ際には、少しでも大きなものを、と血眼になるくせに、まったく女ってやつはよくわからん・・・

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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ヒーロー

2016年08月28日 09時02分05秒 | Weblog
この世で最も尊い仕事をしてるのは、雨の早朝にゴミを回収にきてくれる収集車の人々だなあ。
工房のわきにゴミ置場があるんで、そぼ降る雨音にあのかっこいい回転装置の轟音が聞こえると、まどろみの中で手を合わせたくなってしまう。
まったくえらい仕事だ、と思う。
変なゴミの出し方をするやつがいると、ぶっ飛ばしたくなる。
ひどい有様になってるゴミ置場、あるよね。
持っていってくれるひとたちの心中も考えないで、しかも自分たちの住んでる近辺が汚れるってのに、どういうつもりなんだろ?
あいつら、天にツバしてるバカだ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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死について

2016年08月25日 20時17分53秒 | Weblog
死ぬことはたいしてこわくない。
物理学や数論、それに遺伝子学なんかの本を読むようになって、そう思えるようになってきた。
肉体なんて、宇宙における一部のエネルギーの特殊な集中に過ぎない、みたいな?
死んだら時空のチリに帰る(あるいは、次元のあっち側に)だけの話、みたいな?
そのへんの理屈が、ロンリとしてじゃなく、実感として肌に理解できてきた。
痛いのがこわいからあえて死のうって気はないけど、死後の憂慮は必要ない。
物理学の次には、なんとなく哲学や形而上学に進みたくなるのもわかる。
そこがむつかしく思えるひとは宗教に向かうわけだけど、これは「いろんな学問を物語にしてしまおう」って方法論だ。
これにのめり込むと、やはり死がこわくなくなるんで、そこここに巡らされたワナに気をつけないと。
自分を物語の中の登場人物に落とし込んでしまうんだなあ。
それよりももっと、理にかなった、つまり科学的に考えたほうが、死に対する処置としてはうまくいく。
宗教対立の問題なんて、ただの「物語の筋書きの違い」ってテーマの言い争いにすぎない。
教育が行き届かないうちは、この世界は安定しないわけなんだった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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よい子はマネしない

2016年08月24日 08時51分46秒 | Weblog
電車でお出かけすることを「パトロール」と称することにしてるが、引きこもりなんで、ほとんどこういう機会はない。
出歩く行動範囲は、町内がほとんど。
なので、たまに電車に乗ったりすると、大冒険の心意気になる。
パトロールと称するからには周辺警戒をしてるわけだが、なかなか事件なんて起こらない。
しかし、すわ事件、ってことになったらすぐに動けるように、目配りだけは怠らない。
事件現場を前にして「ぼーっと見てるしかありませんでした」ってひとは、まず心構えができてないからだ。
オレは違うぜ。
そこで必ず事件は起きる、今まさに起きてる、と仮定してのぞむ。
満員電車の中でかわい子ちゃんを発見すれば、彼女に対して痴漢行為が行われてるに違いない、と考えるし、ヨボヨボのばあちゃんを見たら、それ今ここで心臓発作を起こして死にそうになるに違いない、と常に緊張する。
盲目のひとを見れば、つまずいた瞬間に素早く彼の身を支えられるように準備してるし、外国人を見れば、次の瞬間に地図を開いて困惑をはじめるに違いないんで「めい・あい・へるぷ・ゆー?」とかける言葉をリピート確認してるし、傍若無人を働きそうなやつを見たら、暴れだした瞬間に左ストレートから右ボディアッパー(シミュレーションずみ)を見舞えるように拳を固めてるし、酔っ払いを見れば、ゲロを吐いた瞬間に飛びのけるように重心をつま先に置いてる(この警戒は誰もがするやつだが)。
プラットホームで電車を待つときもまた、気を休めることができない。
線路への転落事故などが起こった際にとっさに体が動かないのは、それをあらかじめ想定しておかないからだ。
オレは違うぜ。
駅に電車が近づいてきたら、今まさにここで線路に飛び降りるバカが現れる、と身構える。
なので、そいつが飛び降りた瞬間に、オレも飛び降りられる。
死ぬだろ、って?
いや、大丈夫だ。
電車との距離が常に頭の中で計算されてる。
電車が駅に近づきすぎたら、「はい、ここからは助けられません。残念」のあきらめシグナルも持ってる。
しかし、助けられるタイミングなら、躊躇なくいける心構えにはなってる。
そして、バカな人物を助ける際にも、そいつの方は見ないで、電車から目を離さずに手探りで救助作業を進める。
無理にホーム上に上げたりしないで、線路の横ちょに引っ張り出せばいいし、その避難スペースも頭の中で確保してある。
そいつが男ならどやしつけてやればいいし、女ならささやいてやればいい。
美女なら抱きしめてやってもいい。
すでにそうシミュレーションがされてる。
しかし厄介なのが、人物が暴れたり、こっちを巻き添えにしようとしたりするパターンだ。
ギリギリまでがんばろうとは思うが、もはや時間がない、というそのときばかりは、ぶっ飛ばし、蹴りを入れて、とっとと逃げる。
そうした「もう知ったことか」ってプランBまで、ちゃんとシミュレーションされてる。
完璧だ。
そんなことを、電車を待つ間ずーっと思いめぐらしてる。
つわけなんで、この頃ではプラットホームに目を配りながら、「早く飛び降りねえかなあ」なんてうずうずと待ち焦がれたりする。
だけど、物事は常に想定通りにいくとはかぎらない。
オレはこうして死んでしまうかもしれんが、まあしょうがない。
でも、なるべく死なないようにはするつもりだけどね。
それだけの危険行為と、さらに安全確保のシミュレーションを重ねつつ、今日も街を哨戒してるわけなんだった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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