裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

ハシモトさん

2011年11月29日 09時11分27秒 | Weblog
注意。
政治のお話です。
嫌いなひとはここから進まず、もっと楽しいものを読んでください。

「こんりんざい自民党はいやだ」というひとがおり、「ここまで民主党がバカだとは思わなかった」というひとがおり、まあそれが日本国民の大半の意見であることは間違いないんですが、そのカウンターパワーだけがこの結果をもたらしたとは思えません。
橋下さんは弁舌が巧妙、という意見もありますが、そうじゃなくて、このひとは論理的なだけなのです。
そしてそのロジックは、今最もこの国に足りてないものを正確に指摘してます。
さらにこのひと、ある意味、誠実です、ここんとこ何代かの総理大臣よりも。
きちんと向き合い、言うべきことを語る意識をもってます。
勉強家の上に、じょうずなの。
勝って当たり前に見えました。
前回の国政での政権交代は、自民党にあまりにもあきれ果てたひとたちが、いいかげんなことばっか言ってるけど「そこしかないんでしょうがない」という理由から民主党にネガティブ票を投じて、相対的な逆転が起こったわけです。
だけど今回は、ポジティブ票でしょう。
はっきりとした期待があります。
このひとなら改革をしてくれる、という、夢買いでない実感としての期待が。
ぼくはこのひとの人となりが嫌いですが、この勝利は愉快に思えます。
大阪の本音のいちゃもんが、国家権力のぐだぐだの技術(本質が絶無の)にまさった、という構図です。
完全に民衆の理解を得た数字がはじかれました。
「きっと変えてくれる」。
その高揚感が、大阪市民にこのひとを持ち上げる力を与えたわけです。
だから、思ったとおり好きなようにやるといい。
実際にこのひとはちゃんとやってくれるでしょう。
この国に必要なのは、基盤をつくるというよりも先に、基盤を壊すという作業です。
その上でのビジョンも、このひとは持ってます。
非常に具体的で、わかりやすい。
政権党に最も欠けてる点です。(民主党も政権を獲る前はビジョンを声高に掲げてたんだけど、その一切が実現不可能なものだったし、国民のだれもがそのことをわかってました。それを踏まえた上で、国民は「社会実験」をさせ、大失敗しました)
壊すという作業(デモとかテロとか)ができない市井のヒトビトは、壊してくれるひとの出現を待ってました。
そんな人物を「殺さなかった」大阪市民は、かしこい選択をしたと思えます。
役人を全部クビにできるような強権が、このぬるい国には必要なんじゃないか、と、ぼくはなかば本気で考えてます。
人となりに若干の気味の悪さを感じつつ、有用なこのひとに賭けてみよう、という判断は正しいです。
無能がこの国の破滅をもたらそうとしてる今、ハシモトさんは必要な人物です。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

寿命を延ばす方法

2011年11月23日 17時45分05秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
40を過ぎると、いろんな「死に至る病気」を発症するようになるよね。
逆に言えば、30代から下のひとたちは、死の病にかかりづらい。
なんでだろうね?
それは論理的に説明できるんだよ。
論拠は「遺伝子」さ。
子供を残さずして死んだひと(すなわち、早死にしたひと)は、「その世代に特有の死病の因子」を自世代で途切れさせることになるんだ。
別の言い方をすれば、何世代にも渡ってかかる病気とは、子孫に病気の因子を残したのちに発症する病気のことだ。
こうしたわけで、子供をつくり終えた後の世代は次々と死病を発症する(死ぬ遺伝子を目覚めさせる)のさ。
この考え方を発展させると、ひとの寿命を延ばす操作ができるよ。
つまり、「50才に至るまで子供をつくるべからず」という命令を国民に行き届かせるんだ。
すると何十年後かには、晴れて「40代で死病にかかるひと」はいなくなるというわけさ。
バカバカしいことを考えるひとがいるもんだね。
ちゃんちゃん。

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ダイエーのひと

2011年11月22日 01時11分02秒 | Weblog
ダイエーホークス、おめでとう、あ、ソフトバンクか。
オレ、江古田時代、ダイエーファンクラブだったんだ。
東京ドームの三塁側スタンドで、秋山(現監督)のファウルボールをキャッチしたことあるよ。
返せってーから返したけどさ、日本ハムめ。

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ピアノ

2011年11月11日 07時29分56秒 | Weblog
きっかけは「ああ、ピアノが弾きてーな」とつぶやいたことなんだよな。
その声を、よめはんの耳がひろったのだった。
そしたらあんた、その二週間も後には、工房のわきにユニック付きのトラックが横付けにされて、わが家の二階に向けてピアノが吊られてたのだった。
よめはんの手配で、彼女の実家から愛機が移送されてきた、というわけ。
というわけで、逃げるわけにいかなくなってたのだ。
三日前に、はじめてピアノ教室にいってきた。
「体験」ってやつ。
工房でさんざん体験者を受け入れてるけど、自分がトライアルにのぞむのははじめて。
ちょっとドッキドキだね、これ、みんなの心境を知ったよ。
ネットで見つけたピアノ教室は、うちのごくご近所・・・だけど、道が入り組んでて、迷路のような路地をさまよったあげくにようやくたどり着ける、住宅街の普通の一軒家だった。
ピンポンを鳴らす。
玄関先に姿を現した「先生」は、20代後半のスリムなメガネ女子。
かなりの美女だったんで、面食らわされた。
オレは美女が苦手なのだ。(工房の女子たちはちょうどいい感じなんで助かってます)
さて、導かれたのは、ふっつーのこの年頃の女子の部屋。
久しく嗅いでなかったいいニホヒがする。
その傍らに、アップライトピアノがあって、そこでレッスンを受けることになるらしい。
「どんなオンガクをご希望?」と訊かれ、「最終的には、ガーシュインを完奏したいのデス(のだめ?)」と、身のほど知らずに答えてみる。
だけどその前に、譜面を読めるようになりたいし、耳コピの自己流で弾いてるために指使いがめちゃくちゃなので、そこを直してほしい、と「初歩から」を強調してお願いした。
「では、まるっきりいちからはじめましょう」ということになった、当たり前だが。
鍵盤の前にふたつのイスを並べ、「個人レッスン」の、例のあの感じになる。
まずは音符の名前と、譜面の読み方のレクチャー。
そして鍵盤の「ド」の位置から教わる。(ほんとにいちから教わってるわけだ)
右手のドは知ってたけど、左手のドはあんなとこに書き付けるんだね、ややこしや。
しかし、一音一音を最もシンプルに並べた基本編のあたりは楽々とクリア。
当たり前だ、オレは6音の和音までは耳で読み取れるし、ファンクの相当複雑なリズムを左右バラバラに弾くことも、自己流ながらしてるのだ。
が、譜面を読みながら、つところで、途端に心もとなくなる。
ドードーレーレーミーレードー、的なやつからして、ものすごい集中力が必要となってくる。
アタマ使って解析しすぎ。
感覚で読めるようにならなくちゃね。
パソコンのキーボードを打ち込むみたいに、脳から指への直接の神経を太いものにしたい。
譜面の音符が言語としてアタマに入ってきたら、指が瞬時かつ勝手に動くようになるにちがいない。
がんばろ。
新しいチャレンジは、心おどるなー。
30分のレッスンが終わって、1000円なり。(安っ)
これだけでぐったりと神経が衰弱して、帰り際に鏡を見たら、面相が少し年食ってたよ。
時間は少ない。
届くのか?ガーシュインまで。

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追記

2011年11月09日 10時12分58秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
ヒマワリの種の分布のどこがフィボナッチ数列か、つーと。

ごらんのとおり、ヒマワリの種は、右回りと左回りに配置されてる。
がまん強く数えてみると、赤線で引いた右回りが55本、青線で引いた左回りが34本。
フィボナッチ数列は、
1、1、2、3、5、8、13、21、34、55、89、144、233、377、610・・・
なんで、ちゃんとどんぴしゃにおさまってるわけ。
左回り、右回り、同数になりそうなものなのに、これも不思議だね。
さらにその角度。

種はきちんと137.5度の角度(二線の交差)で敷きつめられてるの。
これが137度でも、138度でも、うまくおさまらないらしいんだな。
この137.5度って角度は、円周360度を黄金分割(1:1.618・・・)した角度で、黄金角というのだよ。
フィボナッチ数列が黄金比に収束してく、ってのは、説明したよね。
数列上で隣り合う数の比は、数が大きくなるにしたがって、黄金比・1:1.618・・・に近づいてく、ってやつ。
これがまた面白くて、
2÷1=2(黄金比・1.618・・・よりも大きい)
3÷2=1.5(小さくなった)
5÷3=1.666(また大きくなった)
8÷5=1.6(小さくなった)
13÷8=1.625(大きい)
21÷13=1.615(小さい)
・・・
こうして、中央に引かれた黄金比の線をまたぎながら、徐々に誤差を埋めるように、黄金比の1.6180339・・・に近づいてくわけ。
もう少しやってみるね。
34÷21=1.6190476・・・(0.0010137だけ大)
55÷34=1.6176470・・・(0.0003869だけ小)
89÷55=1.6181818・・・(0.0001479だけ大)
144÷89=1.6179775・・・(0.0000564だけ小)
233÷144=1.6180555・・・(0.0000216だけ大)
377÷233=1.6180257・・・(0.0000082だけ小)
610÷377=1.6180371・・・(0.0000032だけ大)
・・・
ね、どんどん近似値になってく。
面白いね。
あと、数列のひとつまたぎの二数を掛け合わせると、またいだ数の二乗とひとつ違いになる、って性質もあるよ。
どういうことかっつーと、つまり、
フィボナッチ数列=1、1、2、3、5、8、13、21、34、55、89、144、233、377、610・・・
の、ひとつまたぎ、例えば3と8を掛けると、24。
ふたつがまたいだ数が5なんで、こいつを二乗すると、25。
ね、ひとつ違いだ。
34とひとつまたぎの89を掛けてみると、3026。
またいだ55を二乗すると、3025。
ひとつ違い。
233×610=142130
370の二乗=142129
ね、不思議だ。
こんな数が、人間の知能によって発明されたんじゃなく、自然界から発見された、ってことが不思議じゃないの。
これは、人間が生まれるはるか以前から、もともと宇宙に存在してた数の法則なんだ。
そして、自然界を司ってる数なんだ。
ほんと、不思議だよなあ・・・
では、また。

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フィリオ・ボナッチの発見

2011年11月08日 10時24分35秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
ぼくの大好きなフィボナッチ数列について、ついに説明するよ。

この数列は、次の算数の計算問題から生まれたんだ。
問「ひとつがい(夫婦)のウサギがいます。つがいはひと月で成熟し、ふた月めにもうひとつがいのウサギを生みます。さて、ウサギのつがいは、ひと月ごとにどのような数で増えていくでしょう?」
答「1・1・2・3・5・8・13・21・34・55・・・」
で、これがフィボナッチ数列というわけ。
さて、この世の中には、「黄金比」と呼ばれる比率が存在するんだ。
長方形の紙があって、短い辺を45度の角度で折りたたんだとき、残りの余白が、折りたたむ前と同じ形(相似)になるタイプのものがあるよね。(名刺なんかはこの比率)
これが黄金比といって、1:1.618・・・の比率になってるの。
人間にいちばん心地いい比率、とされてるよ。
正五角形の頂点を対角でつなぐと、お星さまが描けるよね。
あれは、いろんな辺の比率が正確な黄金比になってるんだ。
パルテノン宮殿やピラミッドなんかは、タテヨコの比率にこの数値が使われてるし、ミロのビーナスやダ・ヴィンチの絵画にも、この比率が応用されてるらしいよ。
さて、フィボナッチ数列だけど、これには不思議な謎が隠されてるんだ。
この数列の進み方は、かしこいひとならもう気づいてくれたと思うけど、隣り合う数字を足すと、すぐ右の数字になる。
1+1=2だし、1+2=3だし、2+3=5だし、3+5=8だし、5+8=13だし・・・そうした増え方をしてるんだ。
この隣り合う数字の比率が、なんと黄金比に収束してく、というんだよ、びっくりじゃない。
つまり、1:2よりも2:3のほうが黄金比に近くて、それよりも3:5のほうが、さらに5:8のほうが、さらにさらに8:13のほうが、より1:1.618・・・に近いんだ。
こうして数字を大きくしてくと、限りなく黄金比に近づいてくというわけ。
不思議だよね。
愉快なのはこれだけじゃなくて、自然界の森羅万象が、実はフィボナッチ数列でできてる、という説もあるよ。
花びらの枚数は、ほとんどが数列中の数字のいずれかだ。
木の枝は、フィボナッチ数列に従って枝分かれしてく。
巻貝の渦は、ピタリ数列の比でらせんを描く。
紙をくるくる巻いて、パラリとほどくと、そのほどけ方の比はフィボナッチ数列だ。
ヒマワリの種の配列も、数列に従ってる。
カリフラワー、サボテン、パイナップル、松ぼっくり・・・どの植物の構造も、みんなフィボナッチ数列。
水面の波紋も台風も銀河系の形も、みんなみんなそう。
な、たのしいだろー?
みんなも身近で探してみないか?フィボナッチ数列。

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薄情で臆病

2011年11月04日 07時38分31秒 | Weblog
被災地(岩手)のがれきを、東京都で処分するんだって。
周辺県を含む他の誰も手を上げないから、都が「じゃ」ってことになったんだと。
石原都知事は大嫌いな人物だけど、この点だけは立派!
やっぱ、日本中で全力を挙げて手伝わなきゃね。
岩手は遠すぎる、とか、残留放射能が、とか脳書きタレる輩がいるけど、これは「象徴」としての活動だから。
たっぷりと、こってりと、燃やしてほしい。
他県もこの心意気を見習いなされ。
あとね、「持ち込むな」の意見が1800通寄せられたらしいけど、クソですわ。
黙ってろ、バカ。
やなら、東京から出てけよ。
そんなお手紙書くヒマがあったら、「原発をなくそう」ってところに命がけで取り組めよ。
ほんと、薄情で臆病、って、塗る薬ないわ。

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三位一体(いつものように、覚え書き=読まなくていいやつ)

2011年11月02日 20時35分21秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
書店でふと手に取った本に、びび、っときて、また2300円なりの散財。
だけど、自分が本当に知りたかった最も基本的なところに導いてもらえる気がする。
オレは、この世界はふたつの現実で成り立ってると考えてたの。
ひとつの世界は、自分が直感的・主観的にこうだと思ってる「意識」の世界。
もうひとつは、他者の目が見てる(オレという存在を含んだ)物質的・客観的世界。
どちらも現実なんだけど、両者を照らすと、まったく認識違いのものがあったりして、実はそれらが統合された普遍的な真理なんて存在しねんじゃねーの?と考えて、少々悶々としてたわけ。
さて、件の本によれば、「いや、二つじゃなくて、この世界は三つの現実に分けられるんだよ」と言ってる。
ちなみに、これは例によって、数学の本、純粋学問の本です。(宗教じゃないよ)
さて、この本の言うところの「三つの現実」のうちのひとつは、意識がとらえる世界。
これは取っつきようもない、個々の中の心象世界ね。
簡単に言えば、ひとのアタマん中だ。
で、ふたつめは、物理的実在の世界。
触覚で感じ取れる、いわゆる「ある」のこと。
ここまでは、オレも同意見。
が、そのどちらでもない、みっつめの世界があるというんだな。
それが「数学的形式の世界」なんだと。
この部分を読んだとき、ほんとにカミナリに打たれたようになって、「あ、そっか。それでオレ、数学や物理の本ばっか読んでるんだ」と瞬時かつ完全な理解が起こったよ。
自分の認識の中で、その点が欠落してたとわかったのだった。
その欠けたピースを知るために、つまり、自分の中の認識世界を完全なものにするために、こんな学術本ばっか読みたくなるんだ、と。
数学的形式の世界ってのは、つまり「世界はこうしてできてる」「・・・んだけど、人間の感覚ではとらえきれない」という宇宙(ものごとの仕組み)の本質部分を、数式や構造モデルで認識する、ということ。
例えば、時空が10次元まであると仮定すれば重力世界と電磁力世界を統一した公式で説明することができる、みたいな話とか、宇宙の膨張が加速してるのはダークマターとダークエネルギーがカギを握ってる、みたいな話。
そこまでいかなくても、たとえば「リンゴが落ちる」現象は、それを引き起こす力が人間の目には感知できないものだとしても、数式によって完全無欠の説明がつく。
エネルギーの量は、質量と光速度の二乗を掛け合わせれば、正確に導きだせる。
目に見えない世界は、記号を使った設計図で概念化できる。
要は、触覚でも理性でも認識できないようなことを、観念によってとらえるわけだ。
目に見えない世界もまた現実に存在してる世界であって、そこにもわが感覚世界と同じルールがあり、それは数学=物理学という知性で説明しうる、ということ。
「√-1」って数は実在しないんだけど、これに「虚数」と名をつけて公式をつくると、いろんな応用ができるんだ。
三次元世界では決して視覚的に表現できない、それは一見、奇妙な概念なんだけど、そんな世界も形式としては矛盾なく実在するんだ。
逆説すれば、この「形式世界」がリアルに存在してるかぎり、事実上、この世のすべての現象には説明がつけられるというわけ。
これまでの連綿とした物理学の研究から、物理的実在の世界はすべて、数学的形式に従ってる。
一方、意識の世界と物理的実在の世界もまた、緊密につながってる。
だって、「心」は物質から生まれたんだよ。
「気持ち」とは、タンパク質と電気信号による化学反応である、と言ったひとがいるし、「考え」は、科学の世界ではシナプスとニューロンの発火による物質の伝達という解釈だ。
その奥に控えしが「意識」なる茫洋とした世界なんだけど、こちらは「触覚的」認識が難しい。
だけどその世界が実在しないかといえば、そうじゃない。
それは視覚化できないけど、「ある」んだ。
「我思う、ゆえに我あり」と言ったひとがいるじゃないか。(ものの本を読むと、この思想家もまた、数学者だった)
オレははっきりと「意識」してこの文章を書き、日々を生きてる。
その「意識」ってやつはどこにあるかというと、やはり「観念」の中にある。
いつかそんな構造も、数学的形式で説明できる日がくるかもしれないね。
こんな具合に三位一体を考えてくと、なるほど、世界の全体像がぼんやりと見えてくる。
すごいぜ、「神は数学者か」。
さて、本の最終ページを見ると、偶然にもこの本は、発行日のわずか五日後にオレの手に取られたことになる。
まったく本屋などに立ち寄らないオレに、である。
運命かなあ。
やっぱ、茫洋としたネット界で横着検索するよりも、きちんと実在する本の森をさまよい歩いて触覚でつかまえないといけないね、本質は。

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