裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

火の話

2011年03月30日 22時48分06秒 | Weblog
むかしむかしの話です。
エピメテウスとプロメテウスって兄弟の神様がいたのです。
エピメテウスはいろんな動物を創出し、ヘビには鋭い牙、とか、クマには強い爪、とか、鹿には速い脚、とか、一種につき一個の利点を与えました。
で、最後に人間をつくったわけですが、もう与えるべきものがなにも残ってない。
んじゃ、ってんで、兄弟のプロメテウスが天にのぼって、火を盗み出してきました。
それをうっかりと人間に与えた結果、ま、現状、こんな具合になってるわけですが。
使い方、ですかね。
ちなみに人間に火を与えたプロメテウスは、ゼウスの怒りを買って、ハゲタカの丘に縛られ、肝臓をついばまれるハメになりました。
プロメテウスの肝臓ってのはひどく丈夫にできてて、食われても食われても再生するんで、おかげでいつまでも苦しまなければならないんですと。
・・・つ話を、湯川博士が本に書かれてます。
ついでに言いますなら、このノーベル賞物理学者さんは、話の示唆するところをこう解説してくれてます。
すなわち、「人間が火を使うという行為の中にはすでに、罰せられるべき要素が含まれているのだ」と。
なめたらあかん、というひと言でしょう。
自然への畏れがない者に、それを使う資格はないのだよ、と、「大きな火」の発生に加担してしまった博士は、戒めを込めて、そうおっしゃりたかったんではなかろうかと思います。
このたびの仕儀を教訓に、みんなで、これから火をどう扱えばいいのか、考える時期にきてるんじゃないでしょうか?

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そう症状ものです

2011年03月29日 17時22分08秒 | Weblog
この未曾有のクライシスに際して知る、ひとびとのやさしさよ。
報道で、うわさ話で、そして身近で、ほんとにいい話のてんこ盛り。
人情の厚みと揺るぎなさっつか、これほどまでに人間って尊いのね、ってのを思い知らされます。
人間って・・・そして日本人って、いいなー。
もう涙もろくなっちゃってさー(もともとだが)。
支え合うって、心の通わせ合いだよね。
もう誰彼かまわず、感謝したくなるよ。

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世界の中の日本国

2011年03月27日 19時34分37秒 | Weblog
今、身に染みてわかります。
「金は出しても、ひとは出さない」の意味。
国連などが手掛ける多くの和平途上の地、あるいは紛争地に、日本はお金だけを拠出して、兵隊を送ることは決してなかったのでした。
今、世界中の多くの国々が、日本の大災厄に際して「お金は出しますよ」と言ってくれてはいますが、「原発事故の最前線でお手伝いしますよ」とは言ってくれません。
多くの日本国民が淡い期待を寄せてた米軍までもが。
もちろん、この件はわが国の失態であって、米軍をはじめとする他国は、自国民を傷つけてまで処理にあたってくれるわけはありません。
「その後のお金の工面だけはフォローしますよ」という態度です。
それはまさに、これまでの日本国の態度そのもの。
これまで世界各地にひとを出さなかった分(というのは比較にならないでしょうが)、わが国は、誰にも頼らずに事を処理しきらなければなりません。
考えてみれば、どの紛争地でも日本は決して汚れ仕事を引き受けることなく、しかもいい顔をしたいがために、札ビラをバラまくという手段で、「手伝った気分」になってただけなのでした。
これは、常に国際社会から批判を浴びてきた態度です。
その場に介入するのなら、きちんと手を汚すべきでした。
介入しないのなら、金の支払いなどきっちりと拒絶するべきでした。
そういう「いい顔しい」が、今回の件に跳ね返ってきてるんじゃねっかと考えると、しっくりとパズルがハマる感触があるのですが、どうなんでしょうか?
手助けの手がまったく届かないまま(原発限定ね)にひとりきりにされてる日本国を見て、そう考えるのはうがちすぎですか?

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立ち向かう

2011年03月23日 10時50分17秒 | Weblog
いつ焼夷弾が落ちてきて家が焼かれるか、街を歩いてて機銃掃射に遭うか・・・
今の東京って、そんな状況に似てますね。
ぼくらはシャレなしの戦場にいるのです。
あるいは、死に至るスペイン風邪が大流行して、いつ自分の身に降りかかるか、戦々恐々としてるような心理。
いつの時代にも、こういう極端な場面はありました。
得体の知れないものを相手にするのは、そして未来が見えないのは、恐ろしいものです。
だけど、こうして後方でおびえて、窓を締めきって祈るだけ、ってのも情けないものです。
ましてや、自分の身だけを有利な立場に置こうと、あさましい買いだめに走ったりは、誇りを捨てるに等しい愚行。
今もなお、最前線では、立派なひとたちが命を賭けて戦ってくれてます。
そして、かの地にはおびただしい被災民さんたち。
恐れるのは仕方がないとしても、苦しんでなおも進みつづけるそのひとたちのことを決して忘れないように、心に留め置きましょ。
そうすれば、振る舞い方もおのずと変わってくるはず。
心を強く持って、日々に立ち向かいましょう。

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わびの思想

2011年03月22日 16時17分23秒 | Weblog
こういう話題を持ち出すのは、わが国の現状のマインドにかんがみて適切なタイミングではないかもしれないけど、書かせてもらいます。
ゆうべNHK教育で(あれは「時論公論」とかかな?)、今回の原発事故のお話をしてました。
そのキャッチが優れて的を射てて、すなわち「『想定外』は予想外」というものだったのですね。
ぼくもまさにその点に注目してたんで、我が意を得たり、と感じました。
つまり、「原発に『想定外』などという言い訳は許されない」という論調です。
考えつくかぎりのあらゆる、すべての、一切の、最悪の、身の毛もよだつほどのところまでを想定して、それに備えとかんかい!ということです。
一発爆ぜたら世界が終わるんだから、これは当然の姿勢です。
ところが、電力会社さんはそうじゃなかったわけです。
「輸送ルートは秘密です」「情報は極秘です」「造りを教えるわけにはいきません」「テロリストの手に渡ったらどうするんですか」「教えられません」
こうして国民は何も知らされないままに、原発はつくりつづけられました。
テレビでは「原発は安全でクリーンなエネルギーです」と毎日流されてました。
国民はなんとなくそのまじないにかかり、保証もないままに「秘密つってんなら、それなりの安全は担保されてるんだろう」とぼんやり思って過ごしてきました。
ところが、聞き分けのいい国民たちが信じてきたものが、ここまでずさんで粗雑なものだったとは。
開発者たちのその剛胆には、はっきりとドギモを抜かれます。
どれだけ甘く見てたの?
ここまでなめてかかってたとは、ほんとに信じがたい気持ちです。
発電所の電源が落ちただけでメルトダウンがはじまるなんて、誰が想像してたでしょうか?
最悪、電気で動かなくなったら、手動で処置できるようにしとくべきでしょ。
「メルトダウンは起こりえない」って、なにを根拠に?
起こったときにどう対処するか、そこまで考えとかないと。
この無能は、万死に値するほどの罪です。
ここまでわが国の科学力・・・いや、発想力、ひいては人間の質が衰禿してたとは、驚くばかりです。
世界中に恥をさらしたニッポン。
だけどこれでちょうどよかったのかもしれません。
不遜な態度を捨て、これからはもう少しマシな「自然とのつき合い方」を模索していこうではありませんか。
その前に、わが国にはこの件をきっちりと片付ける義務があります。
米軍は決して助けてはくれません。
彼らも、自国民を危険な目に遭わせるわけにはいかないのですから。
ぼくら日本国民ひとりひとりが責任を持って、どれだけの対価を支払ってでもやり遂げないと。
原子力は、ぼくらがぬくぬくと過ごすために無理してつくられた「反自然」です。
「便利すぎる社会をつくることこそ、快適の実現」なんて愚かな考えは捨てて、最小限度のものを分け合って、つつましく生きようではありませんか。
それがわが国古来の「わびの思想」ってものでしょうが。

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ナイトメア・ビフォー・リバース

2011年03月18日 08時34分54秒 | Weblog
眠りから覚めても、眠りから覚めても、まだ悪夢がつづいてる・・・
そんな既視感がありますね。
この世には神様もスーパーヒーローもいないのだなあ・・・と再認識するとともに、その場で戦ってくれてるのは、自分と同じ市井のひとなのだ、昨日までは自分のようにのんびりと平穏な生活を送ってたひとなのだ・・・そう思うと、不意に涙が落ちそうになります。
尊いことだ、と感じはしますが、それがまた上から目線と気づいて、なんと卑しい人間なのだこのオレよ、と省みたり。
苦しむ人々のなんとか力になれないものか、とも思いますが、おびえて立ちすくんでしまう自分もおり。
せめて、彼らと同国民であるという誇りにかけて、恥じるような振る舞いはするまい、と誓ってみるのがせいぜいのところ。
ただ、国民みんながこんな気持ちでいてくれたらな、と思います。
ひとの立場になってものを考え、痛みを分かち合い、希望を与えっこする関係。
そうすれば、きっとこの国は変われます。
きっと神様が現れる。
そう信じてます。

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ウソだろ~

2011年03月16日 08時19分57秒 | Weblog
テレビを前に鬱々と過ごしてます。
だけどそれは別の言い方をすれば、ぬくぬくと過ごさせてもらってるわけで、凍える気温の中でまんじりともしない夜を送ってる被災者のひとたちや、アホながらも命を賭けて原発事故に立ち向かってくれてるヒトビトを思うと、まったく情けなく、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
「なにいってんだ~、ふざけんじゃね~、核などいらね~、放射能はいらね~、牛乳が飲みて~」
キヨシローの「ラブ・ミー・テンダー」です。
ほんとにこんな心持ちです。
一刻もはやく、この底暗いストレスから開放されたいけれど、そうはいかないでしょう。
遁走の準備を整えつつ、祈るのみです。
ああ、この一件が過ぎ去ったあかつきには、もっともっと思慮深く、支え合いに満ちた世界をつくろう。
これを機会に、日本がもっと質素になるといいなー。
そして、神に対して敬虔になるといいなー。
金儲けに明け暮れすぎましたよ、この国は。
こんなにもまばゆく、不相応な快適さを求めて、タイトロープを綱渡りするようなムチャをしてきたことが、今件で明らかにされたと言えます。
それにしても、電気をつくる原子力発電所が、電気がないために燃えてるというこの大矛盾。
そしてそれをまかなう電気をさっさとつくることもできない電力会社。
それを、電気を使ったメディアで観てるぼくたち。
その中で、世界の終わりを目撃することになりはしないか・・・
ここから先、ぼくらは深刻な非常事態の時代を生きていくことになるわけですが、それもまた勉強と思わねばならないのか。
キヨシローの歌をもう一曲。
「でもよ~、何度でも何度でもおいらに言ってくれよ、世界が破滅するなんて、ウソだろ~」

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試練

2011年03月15日 10時57分02秒 | Weblog
こんなにも日本中で、いや、たぶん世界中でいっせいに、「命」なんてことをシリアスに考えさせられる機会はなかったんじゃないですかね。
地震と津波の、あの驚くべき、生涯ではじめて見る画づらにも戦慄させられましたが、原発事故のあの得体の知れない恐怖感ね。
世界中が固唾をのんで、今この瞬間も、福島からの映像を注視してるはずです。
やっぱり「神の火」なんて、制御できるものじゃないのですね。
誰ですか、「原発は安全です」なんて言ってたの。
キヨシローも怒ってますよ。
それにしても、いったん事故(しかも、国いっこを破滅させるほどの事故)を起こしてから、「わかんない」ことだらけってところが薄気味悪いし、そのバカっぷりに憤りを覚えます。
世界の終わりまでイメージしちゃって、食事ものどを通らないし、眠ることもできない数日間です。
だけどこれは、世界が生まれ変わるために必要な過程なのかも知れません。
きちんとこの経験を正しい方向に活用して、よりよき世界をつくっていかなくちゃ。
日本にはおごりがあったし、石原都知事はオレは大嫌いな人物だけど、彼の「日本人は我欲で動いてる。天罰だ」という言葉には、一定の説得力はあります。
日本人の「ひと」としての質が、劇的に劣化してることは間違いありません。
一方、被災地の人々の、和を尊ぶ奥ゆかしい姿には、失われた日本人の美質を学ばされます。
暴動もなければ、略奪も起きず、怒りも嘆きも空腹も押し殺して、思いやり、いたわり合う姿には、心動かされます。
家も家族も失ってハラペコのひとたちが、水道の前に整然と列をつくって見せるなどという民族が、日本人のほかに存在するでしょうか?
特に「東北のひと」だからなのかな?
同じことが六本木で起こっても、あの街のヒトビトが東北人と同じように行動できるとは思えないのだけれど、それは気のせい?
とにかく、日本には今、とてつもない試練が課せられてます。
がんばって力を合わせて、乗りきりましょ。
そして、清潔で謙虚な、日本の正しい姿を再構築していきたいものです。
がんばれ、東日本。
ぼくらはできるかぎりに支えていきたいと思ってます。

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オモシロ国会

2011年03月01日 10時45分58秒 | Weblog
面白いですね、政局。
毎日ワクワクして観てます。
もうだめでしょうね、この国は。
ならいっそ、没落の過程を楽しまなきゃ。
それにしても民主党さん、すごいです。
なんにもしないほうが、まだ日本にとってよかったかもしれませんね。
とりあえず、むちゃくちゃな社会実験をじゃんじゃんやってみて、やっぱり元のほうがよかったので戻します、ってスタンスに最近ではなってます。
普天間にはじまり、脱官僚、予算組みかえ、高速料金無料化、子供手当て支給、農業個別補償・・・全部自民党時代に戻りそうな雰囲気・・・
当初から国民は全員わかりきってたんですけどね、絶対できるわけないって。
いや、ご本人たちもわかってたんでしょうが、このバラマキは確信犯です。
民主党政権は結局必要ありませんでしたね・・・とは、しかし思いません。
やっぱり、一度は試してみなきゃいけなかったものね。
彼らがまったく使い物にならないってことがわかっただけで、国民にとってはよかったのです。
それにしても、自民党さんもひどいです。
「予算の代替案を持ってこい」と、首相から千載一遇の言質を取ったのに、あのプレゼンをしちゃうんだなあ・・・
あれ見せられたら、国民はドン引きする、ってわかんないんですかね。
自分の失敗から、そして相手の失策から、なにも学ばないんですねえ。
もう二度と政権は獲れないでしょう・・・あ、どっちもね。
バカとバカの対決、ってのは、哀しいものですね。
特に民主党さんは、いま総選挙をしたら、かつての社会党みたいな負け方をするんじゃないですかね。
つまり、おいおい、党が消えちゃったよ、ってところまでの激烈なぼろ負け。
大丈夫かなあ・・・
元気のいいのは第三局ですが、このひとたちもやばそうですよね。
減税ナントカも、みんなのナントカも、ムシのいい話ばかりして、かつての民主党や社会党と瓜二つです。
こうして「流行りの党」による新たなむちゃくちゃな社会実験がはじまり、すべてが失敗し、また「失われた何年」とやらを積み上げることになりますね、間違いなく。
何年失われるか、ってのは、ちょっと興味ありますね。
失われた25年、あたりで止まってくれたらいいけど、すでに相当失ってますからね。
そうしてるうちに、破綻するんでしょうね、この国は。
ん~、残念。
世界のあちこちで革命が起きてますが、しかし彼らはまだ、わが日本国民ほど絶望はしてないんじゃないの?なんて思ってみたり。

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