裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

空間認識

2012年03月16日 08時59分21秒 | Weblog
わが夫婦は、寝室に布団を二組並べて敷いて別々に寝てる。
オレのほうが入り口側で、よめはんは部屋のサイドに置かれたタンスの横。
すると、早く起きるよめはんは、トイレだのシャワーだの着替えだのと移動するたびにオレの布団をまたぐ形になる。
そしてその都度(ま、三回に二回くらいの割り合いか)、オレの足を踏んづけてく。
そうするつもりはないらしいのだが、これが毎朝なんである
本人は「またごう」と努力してはいても、チップしたりフックしたりキックしたり、あるいジャストミートしたりと様々なバリエーションで、必ず足を引っかけてく。
布団の中に包まったダンナの足の位置など一目すれば瞭然とわかるはずなのに、いったいどういう距離感なのか?
このひとは、脳の空間認識野に深刻な障害を抱えてるのかもしれない。
いや、布団の中の足だけなら、まだ理解できなくもない。
リビングでゴロゴロしてるオレをまたぐときすら、この女はわざわざ足を引っかけてく。
ひとりで勝手につまずき、つんのめり、すっ転び、それを往復でやらかしてく。
足が、自分が意図する高さまで上がってない。
大腿四頭筋と腹直筋を鍛えるべきだろう。
さて、そんなよめはんが、尾骨をやってしまった。
このひとは祖先がサルなので(ま、人類はみなそうなのだが)、シッポの名残である尾骨が異様に飛び出してる。
会社の倉庫で在庫整理をしてたとき、ひょいとかがんだ背後に硬質なプラ箱があって、その角に尾の先をしたたかにぶつけたのだという。
自分がかがむ場所の確認くらいすればいいのに。
あるいは確認はしても、距離感が狂ってたのかもしれない。
病院で検査したところ、尾の先が折れたらしい。
日常生活に必要のない場所なんでほっといて痛みが引くのを待つか、肛門から指を突っ込んで無理やりに尾の位置を戻すかの究極チョイスをせまられ、ほっとくことにした。
が、朝から晩まで事あるごとに尻をかかえて悶絶するので、めんどくさいことこの上ない。
粗暴な立ち居振る舞いをあらため、空間認識能力を向上させ、物質との距離感を確認する作業を心がけないかぎり、今後もこんな事故を何度もくり返すにちがいない。
まずは起床後の「低すぎるハードル」をクリアする努力からはじめるべきだ。
布団にくるまった足など、常人ならやすやすとまたげる質の障害物だ。
が、今朝もまたいちいちと踏んづけて(ついでに尻をかかえて悶絶して)、出勤してったよめはんである。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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容姿のことを言うひと

2012年03月06日 09時53分58秒 | Weblog
ひとの容姿をどうのこうの言うひとってどういう了見かな、って思う。
そんな場面に出くわしたとき、「鏡みてみろよ」っていつも心の中で軽蔑まじりにつぶやいてるよ。
なんなんだろ、自信の裏返しなのかなあ。
「わたしは美しいのだから、それを言う資格がある」的な。
おまえ、それほどのシロモノじゃねーぞ、わりーけど。
その場にいない人物に対する感想(悪意の)ならまだ醜悪なだけですむけど、面と向かってのやつはほんとに致命的にタチが悪い。
「致命的」というのは、ほんとに言葉どおりの意味で今使ってみた。
そのひと言を、相手に対する生涯のキズとして残すこともできるし、下手すれば(うまくすれば)相手を死に追いやることだってできるからね。
オレは文章をうまく使うひとだと自分で思ってんだけど、相手の外見的特徴を口頭で羅列するだけで、そのひとをウツに追い込ませることだって、死にたい気分にさせることだって、やすやすとしてみせることはできる。
だけどそれをしないのは、配慮や礼儀なんて大げさなことでもなんでもなく、常識、分別の問題であって、「ひととして」したくないだけの話なんである。
そもそも、それを口にして、ユカイになれるはずがない。
ユカイになってるひとは、ひととしてどうかしてるのだろう。
まさに「鏡みてみろよ」と言ってやりたい。
どれほど醜い顔でそれを口にしてるのか、客観的に見てみるべきだろう。
それでもなお「わたしにはそれを言う資格がある」と考えるおめでたい人物は、ま、それはそれでいいが、代わりに、ひとから愛される資格を失うべきだと思う。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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