裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

会社を辞める、ってこと

2019年11月26日 11時15分34秒 | Weblog
よめはんが今週で会社を辞める。
いやー、このひとが辞めるときは、狂うか、死ぬかしたときだろうと思ってたけど、生きて退社することができそうだよ、あと何日かあるからまだわかんないけどね。
なにしろ、残業100時間を20年間し通した。
ひどい会社ではあったし、そういう時代でもあったが、よめはんの律儀で真面目な性格が自主的にそうしたのでもあった。
要領よく生きられないし、汗をかかされるわりに損ばかりしてたけど、それは彼女の誇りでもあろう。
オレもそのことを、いらいらやきもきとしながらも、尊くまぶしく見てたさ。
とにかく彼女は、倒れることなく、死ぬことなく、生き残った。
やりきった、らしい。
よっしゃ、これからは普通の生活をしようではないの。
思えば彼女は、生活というものをしたことがない。
朝起きてメシも食わずに出社し、終電で帰ってきた後にやっと晩メシを食い、シャワーを浴びることもなく寝る、という、ある意味信じがたい毎日だったんだから。
ひるがえって、家庭内の仕事は全部、ダンナであるオレがやってきたんだから。
家計も全部オレが賄ってきたんで、よめはんはほとんど「パラサイト」という状態だった。
自分が生きていられるその舞台裏に、どんなバックアップがあったかなんて、まったく知ることなしに、機械的に動いてきたにちがいない。
いわばよめはんは、ひとり暮らしをしてるオレん家に、無銭で居候してるようなもんだった。
だけど、これからはすべての仕事をやってもらうんだ、るるん。
よめはんは、ようやくここから生活というものを覚え、経済観念というものを学び、人間的な日々というものを味わうことになる。
これって、なんだかうらやましいくらいの新鮮な感覚ではないの。
あれに似てるな、35を過ぎてから瀬戸の田舎でひとり暮らしを許され職業訓練に通わせてもらったオレ自身の経験に(あの1年間だけは、よめはんも自分の生活ってものをしてたんだなあ)。
とにかく、生活は一変する。
人生の一大転換期ってわけだ。
よめはんはすでに、一生分を働いた。
これからはのんびりとやりたいことをしたらいいわ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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ローマ教皇さま

2019年11月25日 11時35分08秒 | Weblog
今のローマ教皇はいいひとだ。
・・・というエクスキューズを冒頭に置いておいてから、さて、身もフタもない話をしようってわけだけど。
キリスト教の教皇は歴代、なんの罪もないひとを殺しまくってきた。
自分に従う人々には天国への切符を与える一方、「異端」と彼らが呼ぶ、つまり自分に従わない輩には残虐極まる拷問と死を課し、有無を言わせず西洋社会を支配しつづけた独裁的地位。
それが教皇という立場なんであり、その方法論で自分たちの独善的価値観をひろめていくのがキリスト教の本質なんだった。
イスラム教がどれだけひとを殺しまくってると言っても、キリスト教が殺しまくったケタには遠く及ばない。
なにしろ、普遍的と考えられる科学的知見を口にしただけで「気に入らん」と言われて火あぶりにされるんだから、その問答無用っぷりったらない。
ルネッサンス、ってみんな大好きだよね?
あれは、「新しい芸術運動!」なんかじゃないんだよ。
それも一面ではあるけど、ルネッサンスって事件は、要するにキリスト教のネガティブな実質面のあらわれなんだ。
芸術も、文学も、科学も、それを包含する文化も教養も哲学も、人類史上でピークはギリシャ時代にあった。
現代に知られてる知識や知性のほとんどは、ギリシャ時代にすでに着想され、熟成され、実用されてたんだ。
だけどキリスト教が台頭するローマ時代以降、それらの教養・文化は衰退の一途をたどった。
要するに、当時の教皇が「賢そうなことを言うな」「神様の言葉だけを信じろ」「でなきゃ、殺す」とやらかした。
その反動として、いやいやそりゃないぜ、ちゃんと真面目に考え直そうよギリシャ時代に理解されてた英知を、という反逆的再発見運動がルネッサンスなわけ。
キリスト教という名の恐怖のおかげで、人類は数百年もの間、バカのふりをして過ごさねばならず、成長のための貴重な時間を無駄にしたわけだ。
教皇をありがたがるなんてとんでもない、と科学史方面からしかキリスト教を眺めたことのないオレなどは思うんだけど、なんだかあのご立派なお姿を拝見すると頭を下げたくなってしまうんだなあ、下げんでよいぞ。
まあ、現代の教皇はいいことをしてるのかもしれないが、相変わらずキリスト教徒の間では「異端を決して許さない!」的な殺人がつづいてる。
そういう歴史が連綿とある、ってことだけは知っておくべきだろう。
世界中の政治家たちに「殺しちゃダメ」なんて説教してる教皇猊下を見るたびに、「どの口が?」とツッコまずにはいられない。
まずは「異端」なるひとたちに謝んなきゃ。
こんなことを書くオレにも、バチが当たるかな?
教皇さま、オレは罰せられます?火あぶりです?
社会から寛容さが失われた昨今だけど、これってキリスト教のせいなんじゃないの?とオレは考える。
そしてローマ教皇とは、神様でも預言者でも法力を持った聖人(これはなれる可能性がある)でもなく、組織のトップ、政治家だということを、まずはありがたがる際に思い出しておきたい。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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