裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

東京オリンピック

2016年11月29日 11時23分25秒 | Weblog
いよいよ世にもダメダメなオリンピックになろうとしてるな、2020東京大会。
オリンピックの報道を目にするたびに、国民全員が気が滅入ってるって、ひどいありさま。
こんなバカバカしいお祭り、やめちゃえばいいのに。
たかが遊びの大会に、どれだけの大金をばらまいたら気がすむのかな。
300億とか500億とかあったら、オレなら全部教育につぎ込むけどね。
醜悪な怪人物たちが好き勝手にいじくってめちゃくちゃなものにして、日本国は外ヅラだけはいいから本大会は(北京のように)体裁を整えるんだろうけど、その後には必要のないハコ物と借金って負のレガシーのうず高い山。
その返済のために、またあれでしょ?教育予算を削るわけでしょ?
そりゃバカになってくわけだよ、日本人。
毎度のごとく、大会の後処理によって国家から活力がそがれ、何十年もの時間が失われる。
わかってることなのになー・・・いや、わかってなかったのかな、誘致に協力してたクリステルとか。
森さんが大喜びするのは理解できるけどさ、国家が痩せる分は、自分が大儲けだもんね。
だけどマジな話、これがとどめのパンチになって、国が破産しなきゃいいけど・・・
2020年に、ついに国の借金額が国民の貯蓄額を上回る、ってのは示唆的だ。
そろそろこのお祭りは方向を変えて、甲子園大会みたいにすべきなんじゃないかな。
オリンピックなんて、毎年ロスアンゼルスでやったらいいじゃん、あいつらいつもやりたいんだろ?
なんでこんなバカげたことをするのか、そして「わが国で」したがるのか、さっぱりわからないよ。
でもまあ、こんなこと言っといて、そのときがきたら競技に感動しまくるわけなんだけどね。
それだけに、その楽屋で渦巻く欲と野心が気持ち悪い。
なにより、ザハさん以降、オリンピックの話題のたびに、うんざりとイヤ〜な気分にさせられるこの感じ、なんとかなんないものか。

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森の深いとこへ

2016年11月22日 20時53分13秒 | Weblog
自分の半生を振り返って「自伝」を書いてるんだけど、今ふと調べたら、2008年の4月の書き出しで、飛び飛びだけど8年半もつづけてることがわかった。
今日書いた部分で20歳ってあたりだから、自分の生涯の20年分を書くのに8年半を要したわけで、この計算でいくと、40歳までの話を書くときに57歳になってて、50歳までの話を書くときに62歳になってて、60歳までの話を書くときに66歳になってて・・・えーと、どうやら70歳の話を書くときくらいにちょうど実年齢が追いつくようだ(つまり、その年に自分に起きた話を同時進行で書ける)。
20歳の時点で105話だから、70歳では350話ってとこか。
だけどこれから先は、大して書き記すような出来事が起こるのかなあ・・・
いやいやいや、世界が崩壊する、人類が絶滅する、なんてことが本当に起きる可能性が否定できない時代に入ってくんで、いよいよ書くことは増えるかもしれないな。
オレが滅亡したら、そこから先は書けないけどね・・・(しかし、地球や人類の最後に自分も立ち会えるとすれば、それはそれで光栄ではある)
んで、半生記を書きつづってるわけだが、こうして自分の過去を顧みてみても、あまり後悔とかしてないとわかる。
「あのときはこうすりゃよかったなあ」「このときはバカなヘマをしたもんだ」という、ある局面における振る舞いの修正をしたい、って欲求に駆られはしても、環境そのものを取り変えたい、生き方自体を劇的に変更したい、って願望は不思議とない。
まあまあいい人生が送れてる、ってことなんだろうなあ、なんでも好きなことをやってきたし・・・
書き進めててなるほどと思うに、小さなディテールの積み重ねが、自分を取り巻く大きなステージを形づくってくわけで、そのなんつーか、導き?的なやつには抗えないなあ、と自分の人生を客観的に描写してて、驚かされる。
そうして、いろいろと整頓ができるんだった。
なにより、昔を思い出すのは、すごくたのしい。
いや、逆かもね、たのしいことだけを思い出せばいいし、たのしい思い出だけを書いちゃえばいいわけだ。
私小説ってのは、主観と客観のごちゃごちゃの作業なんで、なんつっても書いてていちばんおもしろいんだった。
よかったら読んでみて。
しはんの私小説世界「deep forest 森の深いとこ

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熱の伝わり

2016年11月17日 21時46分03秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
熱の伝わり方には三種類ある。
フライパンの真ん中を火に当てるとへりの方まで熱くなる「伝導」、お風呂の水を下からあっためるとぐるぐる回って上の方まであったまる「対流」、ストーブに手をかざすと触れてもいないのにほんわかとあったかみを感じる「放射」。
みんなが知ってるこの三つの違いって、ちゃんとロンリ的に理解してる?
知らんかもしれんから、教えてあげる。
ひとつめの伝導は、触れ合ってるもの同士が震えて熱さを伝えてくんだ。
最初に熱くなったものが、ぶるぶるっ、と震えだすと、隣り合ってるものも震えはじめて、それがだんだんと隣に隣に伝わってくの。
じかに触れ合ってるから、振動がダイレクトにリレーされるんだね。
一方、ふたつめの対流は、熱くなったものが実際に動いてく。
熱くなって膨張したものは密度が希薄になって軽くなるから、上に移動するんだ。
すると別のものがその下に転がり込んで、順にあっためられて、また上に移動して・・・ってシステム。
なんで、これは別に熱が伝わるわけじゃないんだな。
実際に熱を持ったものが、ただ動いてくの。
最後、みっつめの放射は、まるで触れ合ってないもの同士の伝わり方。
あったまったものは電磁波を出し、その出た電磁波を別のものが受け取り、受け取ってあったまったものはまた電磁波を出し、その出た電磁波をまた別のものが受け取り、またあったまって電磁波を出す・・・ってリレー。
もの同士は離れ合ってるんで、直接のやり取りをするわけじゃなく、媒質の相互作用で熱を伝えてくわけ。
この最後のへんは、物理学というよりも、量子力学って分野に入る。
なんとなくわかった?

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イエス!

2016年11月16日 22時51分33秒 | Weblog
んなわけで、相撲部屋ちゃんこシステムで深夜の食事を終えた親方(よめはん)は、仕事疲れもあって、テレビを観てることもできず、すぐに横になって寝てしまうんだった。
ホットカーペットってのは、魔法のゆりかごのようだねえ。
しばらくうたた寝状態でほっときつつ、オレはその横でひとり晩酌をしてるわけだが、午前2時あたりに、さてそろそろ本格的にお布団で寝ましょ、となる。
ベッドルーム(という名の、万年床部屋)にいこうと、すでに眠りの底にいるよめはんに呼びかける。
「寝るでえ」。
するとよめはんはすぐさま、「寝るで、寝るで、寝るでえ〜」と反応するんだった。
これはもちろん、「誰だ、誰だ、誰だあ〜、うちのガラスを割ったのは・・・」でおなじみのガッチャマンのテーマである。
これがまどろみのひとではなく、熟睡してるひとの反応なのだから驚く。
どれだけ眠りが深いところに沈降してても、「レッツゴー」と言うと、「ウォンちゅテイクまっは〜ん、てえーれれてれ〜・・・」という、あの円ショップ武富士の歌(昔なつかし、黒ブルマのダンサーズが踊りまくるCM)を歌ってくれるんである。
ちなみに「レッツ!」だけだと、「バスロマンっ」とすぐに返すし、「ありがとう」と言うと、「いいクスリです」(太田胃散)と返してくれる。
ほんとに寝てんのかな?
およそ脳による解読を待たない、脊椎からの反射のようだ。
もし、敵の屋敷に討ち入る必要ができた場合、本人かどうかを確認する合い言葉はこれですみそうだ。
「山」「川」、「お歳暮」「日清」、「イエス」「高須クリニック」。
これでいこう。



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食事サイクル

2016年11月12日 09時02分22秒 | Weblog
朝飯を食べると、昼飯なんて腹に入らない。
昼飯を食べちゃうと、晩飯で本気を出せない。
晩飯はたらふく食べるんで、朝飯なんて手をつけられない。
人間には、本当に一日三食も必要なんだろうか?
これは需要促進サイドの戦略じゃないの?
オレの消化が遅いのかなあ・・・?
とにかく、一日一食で過ごしてる。
朝8時半に起きて、日が暮れるまでは飯抜き。
工房でお菓子はぽりぽりつまんでるけどね。
お茶はたくさん飲む。
そうして、腹ペコの午後7時にようやくひとり酒開始。
安くてまずくてあぶないものでがまんしよう、って気はさらさらないんで、「原材料・日本」のちょこっとずつ高級なものを買うようにしてる。
それで、美味いがジャンク(というか、創造的)なものをつくる。
食べて、飲みつつ、いい音楽と本に耽溺。
満たされたところで、うたた寝。
至福。
午後12時近くによめはんが帰ってくるんで、その前に再び厨房に入り、美味いもの(こちらは栄養と体調管理重視)をつくる。
この食卓は相撲部屋ちゃんこスタイルなんで、よめはんが食べてる横で、こぼれものにあずかりながら、酒。
午前2時就寝。
「一日三食」じゃなく、「一晩二食」だな、これ。
腹を空っぽにしてから食う。
そして、食ったら寝る、って動物的なサイクル。
これこそが健康ってもんじゃないだろーか。
・・・たぶん、ちがうな。

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世界でひとつのいのち

2016年11月04日 20時38分27秒 | Weblog
素粒子から天体をつくり、さらに各種元素の生成・・・ってプロセスは完全に理解したんで、今度は、天体(元素の集合体)から生命をつくろうと思考実験してるとこ。
いろんな関連本を読みあさってるんだけど、納得のいくものがない。
原始的な生命が発生してから、進化の爆発と枝分かれがあって、人類の誕生に至る、ってところまでの課程は、わりとシンプルに説明できる。
肉体を分解した各部位に対して、あたりまえの想像力を働かせれば、机上で自動的に、原形質は飛躍的運動能力を獲得して最高の機能に結実できる。
だけど、もっともっとその前の段階・・・鉱物から有機物へ、ってところを突き詰めたいんだよね。
物理学を勉強してくと、どうしても数学方面に逃げ込みたくなるんだけど、このミッシングリンク?チェーンのつなぎ目?だけは、神様の存在がないとなかなか難しい。
だけど現実にそういう操作が、自然現象だけで実現したわけだもんね。
知りたい。
最初の生命。
その生まれた瞬間。

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