裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

タバコ規制

2017年02月22日 09時14分23秒 | Weblog
タバコの規制が進むのか進まないのか・・・
飲食店内でタバコを吸うなんて、テロと同じ行為だと思うんだけど、日本人は鷹揚だ。
以前にTEDってアメリカのプレゼン番組を観てたら、銃規制について興味深いことを言ってた。
アメリカでは銃を持つのがあたりまえのことだと思ってるけど、タバコのことを考えてみて、とプレゼンターは言うのだ。
「以前は、誰もが飲食店でタバコを吸ってたものだけど、今は誰も吸わない。吸わないことがあたりまえで、そこで吸いはじめるようなひとがいたらギョッとするでしょ」と。
そんな具合いに、銃を持たないことがあたりまえの世界にしたい、と。
タバコを飲食店から完全に追い払ったように、銃を追い出せばいいのだ、と。
日本も逆の発想をすればいいのだ。
日本国内に、銃がないのはあたりまえ。
そんなふうに、持ってることが不自然に思えるくらいに、タバコもなくせるはず。
日本だって、かつては所かまわずタバコをふかしてた時代があった。
植木等の映画で、入院中の主人公が病院のベッド上でタバコを吸いはじめたときは、さすがにのけぞったよ。
それが今や、タバコは限られた場所でしか吸わないのがマナーになって、浸透してる。
そうして、あたりまえを積み上げていけばいいのだ。
「タバコを吸えなくしたら、飲食店の客が減る」なんて規制慎重派は言うけど、あり得ないよ。
タバコを吸う客は、確かに禁煙店にはいかなくなるかもしれない。
だけど実は、タバコを吸わない客もまた、煙をもうもうと立ててる店を忌避してるのだ。
今や、喫煙者人口は全体のわずか20%弱。
喫煙店は、残り80%の客を逃してると言える。
禁煙にしたら、客は増える計算だ。
やってみたらいいんだよ。
意外と簡単なことだから。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

清水富美加ちゃん

2017年02月13日 22時24分46秒 | Weblog
清水富美加ちゃん・・・なあ〜・・・
もったいない、ってのが第一の印象だけど。
うちの工房に遊びにきてくれたときは(仮面ライダーフォーゼの頃の取材)、強いけどあやうい、ってイメージだった。
誰も信用しない、って気持ちがあからさまに滲み出てた。
滲み出るどころか、あれは発散(アピール)してたのかもしれない。
「星の王子さま」流に言うなら、剣呑、だった。
明るさのない元気、と言うか、他人を拒絶する明るさ、と言うか、すごい二律背反があった。
それが類のない魅力として評価されたんだろうけど。
それでも、工房には何組ものマスコミ取材がきて、そのことごとくがクズばっかで辟易させられたけど、ふみかちゃんだけは実に真面目に、真っ当に、そして作法を踏み外さず、仕事をやりきってくれた。
意欲も強かったし、持ってるボキャブラリーの豊富さや、知性と機転にも舌を巻いたけど、なにより、野心がすごかった。
この子はプロだ、と思った。
ものすごい存在感があって、オレは図々しくも「きみは五年後に大河ドラマの主役を張れる」と本人にも伝えたし、本当に4年後にNHKの連ドラの重要どころに抜擢されたときには、ついに、と思ったもんだよ。
だけど、なあ〜・・・
オレは自由を信奉し、実際にあらゆる人間関係を犠牲にして自由を実現して生きてるんで、彼女の選択はわからなくはない。
だけど、義理を果たしきるからこその自由なんであって、それを反故にしての自由は、ただのやんちゃでしかない。
全部片付けてからの宣言にしてほしかった。
彼女のこの判断は、無礼極まる、と言わざるを得ない。
自由の獲得どころではなく、将来の自由を縛るタイプの、最悪の振る舞いだと思う。
自由を言うなら、全部をやり遂げてから・・・つか、最低でも約束事をさばいてからの話だろう。
そのへんの事情はよくわからないからなんとも言えないけど、報道に乗ってる情報が確かなら、その自由の追い求め方には、美しさがない。
残念だ、と言っとく。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

ショッピング

2017年02月08日 21時04分21秒 | Weblog
休日となると、ほとんど外に出ないで過ごす。
部屋でゴロゴロしてばっか。
昼間っから酒を飲むか、文章を書くか、本でも読むか。
気が向いたら、ピアノを弾くか。
極めてインドア志向。
外に出るといったら、酒場に向かうか、マルエツでお買い物程度。
あまりにも外に出ないんで、マルエツでさえも旅行気分となる。
旅行といったらお土産だが、この買い物もそんな心持ちだ。
つまり、「せっかくこんな観光地にまで足を運んだんだから、なにを記念に買って帰ろうかしら」てなテンションだ。
こうなると、多くの旅行客がそうであるように、値段など見ない。
少なくとも、価格の比較などしない。
欲しいものはじゃんじゃん買う。
「値段を見ないなんて、大金持ちですね」と女子に言われるが、男子の買い物なんて、だいたいそんなもんじゃないかな。
そして、その見立ては間違ってる。
オレは値段を見ないが、シールは見るのだ。
シール、好き!
30%引き、半額、お買い得シール!
シールさえ貼ってあれば、大して必要のないものでも買える。
普段は絶対に手を出さない珍味とか、ちょっとお高めのアラレとか、奇妙な調味料とか、ものすごい刺身とか、半額なら平気。
そうして新しい味覚を試すことができる。
まさしく、旅行先で買うお土産の感覚だ。
ああ、買い物って素晴らしいなあ。
そうして買い込んだものを秘密の場所にストックし、再び部屋にこもるんであった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

今夜もひとり

2017年02月07日 22時33分48秒 | Weblog
酒場に飲みにいくときは、必ず本を持ってく。
読書をするために飲みにいく、と言っていい。
勉強しにいく、とも言える。
工房でたくさんのひとに会ってさんざん言葉を垂れ流してるし、パソコンに向かってさんざんアウトプットをしてるしで、インプット方面がかつえてるのかもしれない。
文字を取り込みたい。
だけど文芸はずいぶん読んでなくて、読むのは自然科学系の新書か、あれはなんつーの?むつかしいカンジの参考書みたいなやつがちょうどいい。
今はね、脳内のニューロンとシナプスの働きをくわしく解説するようなのを読んでる。
おもしろい。
それに、カウンターで読んでると、頭がいろんな方向に働くんだよなあ。
密室でひとりきりで本を読んでると、集中できて、文字に完全に移入できて、理解も深くなる。
つまり、一直線に飲み込める。
だけど酒場のカウンターで読んでると、一点集中じゃなく、なぜかイメージがいろんな方向にひろがってく。
今まさに文字から仕入れた知識と、今その場(酒場の喧騒)にある経験と、酔って散らかった脳内の知見が、総合的に混ぜ合わさりながら、不思議なケミストリー、つの?すごい発想に跳躍してくの。
この知的体験が、実にたのしいのだ。
それはほとんどその場かぎりの着想と帰結で、覚めた後にはなにも残らない質のものなんだけど、絶対に実になってると思うんだよね。
あるいはそれは創造性なんてものじゃなく、内観で見つけた潜在意識の顕在化なのかも。
オレはこの時間を、とても大切にしてるのだ。
ひとり飲みの時間は、どんな人物を相手に飲むよりも大切。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園