裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

死んだらどうなるか?問題・16

2022年03月28日 07時20分40秒 | 死んだらどうなるか?問題

ミトコンドリアは、生命現象にとって、重要なゲームチェンジャーなのです。
この小器官が、生命の誕生と進化に決定的に関わっていることには疑いがありません。
ほとんどの生物の細胞内に無数に配されたミトコンドリア・・・すなわちエネルギーの生産装置は、当初(古代)は「細胞の持ち主」とは別個に独立した生物でした。
ぼくの肉体における遺伝情報と、ミトコンドリアの遺伝情報とが違っていることから、この両者は別人格なのです。
要するに彼らは、ぼくが生まれたときからぼくの体内に住んでいる別のひとと言えます。
昔むかしに、ぼくのご先祖さまはミトコンドリアのご先祖さまを飲み込み、体内で消化せずに住まわせたのです。
そして、ここからが並の寄生生物とは一線を画すところで、ミトコンドリアは宿主の生殖細胞にまで入り込んで、子々孫々・・・ややこしい話なのですが、宿主の子々孫々にわたって、自分の子々孫々を宿らせつづけました。
万世一系・・・いや、二系が手を取り合って、現在に至るまで共生をつづけてきたわけです。
そうして長い歳月を一緒に過ごすうちに、宿主にとってミトコンドリアは必要不可欠の機能となったのでした。
ミトコンドリアに与えられた役割は、宿主に供給するエネルギーの生産です。
宿主のエネルギーのコスパは、ミトコンドリアを体内に住まわせる以前ときたら、まるでお粗末なものでした。
エネルギー獲得のために労働をし、労働するためにエネルギーの獲得を強いられるという、収支計算が自転車操業だったのです。
そこへ、エネルギー生産に特化した居候が体内にきてくれたのですから、なんとも心強いではありませんか。
居候サイドとしても、宿主の体内で寝ていれば、養分はお口に勝手に流れ込んでくるわ、敵からは守ってもらえるわ、あたたかくて快適だわで、ウィンウィンの関係。
ミトコンドリアは、再び独り立ちすることはおろか、動くことさえもサボりがちになり、最終的に宿主のお役に立つ必要機能だけを残して、細胞質と完全に同一化する体にまで落ち着いてしまいました。
期せずして大量のエネルギー源を得た宿主は、最低限の生命維持に加えて、肉体に大掛かりな装備をする余裕を与えられ、余分な運動や実験的な活動まで許容されるという、言わば主体的な意思にもとずく営みが可能になったのでした。
要するに、余剰なエネルギーが、生物の進化を推し進めたわけです。
動物におけるミトコンドリア的なこうした機能は、植物の中にも存在します。
それが葉緑素です。
こちらもまた、最初期時代に細胞内に取り込まれた別個のひとです。
葉緑素は、太陽の光を受けると、それをエネルギーにして水と二酸化炭素から炭水化物、つまり栄養分をつくり出します。
ミトコンドリアも葉緑素も、与えられたものから必要なものをつくり出す装置として、宿主の体内に組み込まれました。
どちらも、素材から素粒子を分離してパーツを解体し、求める形に組み立て直します。
これらのエネルギー装置は、電位の勾配やエネルギー準位という自然の現象だけを用いて「電子」「光子」を操り、分子の構造をコントロールします。
しかし、これをコントロールではなく、素粒子同士が相互作用を重ねるうちに、自然の選択圧によってたまたま有用な形に落ち着いたメカニズム、と見たらどうでしょうか。
つまり、いろいろなパーツの組み立て順序が偶然に試されては不採用となり、ついにこのタイプの分子構造を奇跡的に組み上げるものが現れたわけです。
現れ、それが有用なら、存続が可能となります。
だとしたら、その仕事には意図も判断も存在せず、エネルギーの生産はただただ「有機物の化学的な反応のみによって」「機械的に行われ」「生み出された構造物は偶然の結果」と言えます。
さらに過激に、どうした奇跡からかたまたま有用な部品が集まり、たまたまできてしまった自然装置に過ぎないのがミトコンドリアだった、と考えるとどうでしょうか。
ミトコンドリアは生きてなどいなく、神さまがこしらえたものでもなく、電荷の勾配と化学作用のみで働く全自動的機構なのだとしたら、と。
これは、生物(例えば人類)は自らの意思の管理が及ぶ埒外で、生命維持活動を各所自律的に行っている現実とも矛盾しません。
要するにこれは、われわれ人類が肉体内で意識外の自律性を保てているのは、あちこちで小人を働かせているからではなく、ただただ自然現象がたまたまそんな働きをしているにすぎないのだ、と言いかえられます。
ここはいよいよ、生命の構造を考える上でひどく重要な部分です。
生命活動は生命体の意思と主体性によって行われており、そのエントロピーに反するかの特殊事情には神さまを介入させるしか今のところ説明がつかない、というところに、この長い書きものの結論(と科学)は足止めを食っていたのでした。
ところが、生命の非常な細部で、素粒子同士の相互作用が「自然にまかせた全自動的、機械的」に行われており、その小さな相互作用の枝葉がさらに総合されて、より大きな機構を動かしているのだとしたら・・・
ぼくらの謎にはついに、科学的な説明がつきそうではありませんか。
この書きもので筆者は、世界は「四つの力が働いている」「素粒子は波である」という風景を延々と描き込み、それのみによって生命活動を説明しようと試みてきたのでした。
この答えの、心細いヒントがここにありませんか?
それはつまり、運命論の究極的に行き着くところ、です。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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