裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

死んだらどうなるか?問題・36

2023年01月23日 09時54分08秒 | 死んだらどうなるか?問題

眼の機能から脳の世界像構築作業を理解してもらったところで、気が重いが、エンタングルメントとデコヒーレンスを説明しなければならない。
今年のノーベル賞のやつだ。
オレも難しすぎて実はよくわかってないのだが、ざっくりとしたところを、そしてたぶん間違いなかろうという言い回しで書かせてもらう(ここの文章はいつでもそうだが)。
この世は波でできてるのだ、何度も書いたように。
実体のあるものなどは存在せず、「無」が振動するばかりの荒野なの。
なのに、なんでわれわれ人類の目には物理的世界が映り込むのかというと、エンタングルメントとデコヒーレンスなのだ。
エンタングルメントとは、「量子もつれ」という今はやりのやつだが、要するに、素粒子と呼ばれる物理的最小単位が波になってる、という意味だ。
そしてその波とは、固有の粒があらゆる位置に重ね合わせの状態で存在してる、という状態を表す(コヒーレント状態)。
素粒子は、粒なのに波なのだ・・・というのはここで何度も説明してきたやつだが、ここではっきりと決着をつける。
素粒子は普段、空間にひろがる波の形を取ってる(空間というもの自体が存在しないのだが、ここではまあいい)。
粒が霧散して展開し、どこに実体があるのかわからない状態だ。
「ここにいるのかあそこにいるのかわからない」状態などではなく、「ここにもいるが同時にあそこにもいて、どこにでもいる」状態なのだ。
そして「ここ一点で見つかる」ことは確率(波動関数)でのみ表現でき、実際に「ここ一点にいる」ことは、観測するまでわからない。
逆に、観測することで「ここ一点にいる」ことが確定する、とも言える。
そして驚くべきことに、まさにこの観測の瞬間に、空間にひろがった波は一点に集中し、すなわち物理的な粒へと変身するのだ!
「観測収縮」と表現される現象だが、無というか多次元世界にいた波は、誰かに見られた途端に粒となり、こつぜんと物理世界にやってくる。
これがデコヒーレンスだ。
最も簡単で有名な実験によれば、素粒子一個を銃のようなものでスクリーンに撃ち込むと、射出先には波の跡が描かれるが、途中に観測器を設けると波は収縮して、スクリーンには点がぽちんとつくのみ、という驚くべき結果が出てるほどだ。
この世は実際に波でできてるのだ。
が、観測者がいるがために粒に収縮し、物理的な形式を取る。
もっとわかりやすく、素粒子一個をカメラで撮影することを考えてみる。
波にレンズを向けると、そこには無色透明な「無」の振動があるだけだが、シャッターを押すと、ある一点に粒が捉えられる(収縮して実体化する)。
これは観測者と素粒子が相互作用を起こしたと考えるべきで、前章まで書いてきた「眼と世界像」の説明にもなる。
脳の閉じた系の外側には素粒子という名の波がひろがるばかりなのだが、眼という観測器を使った相互作用でデコヒーレンスが起きて素粒子の配置が物理化し、脳内のスクリーンに像を結ぶ。
波動関数の確率が、脳裏に世界像を描くわけだ。
そんなわけで、まぶたを閉じれば、自分の外側にはなにもなくなる。
あなたもいなくなる。
眼を開ければ、あなたが立ち現れる。
あなたは波動関数の高い確率でそこにいる(素粒子の配置がその形に確定する)可能性があるから、無事にそこにいてくれるのだと言える。
だけど、眼を閉じれば、ぼくの前のあなたは、ただの波のもつれでしかない。
本当にそうなのだ。
じゃ、あなたは思うだろう、「じゃ、わたしってどこにいるの?」「本当に存在するの?」と。
だけど、安心してほしい。
あなたにとっては、目の前にいるぼくこそが波動関数なのだから。
好きなときに見つめて、観測し、波束を収縮させて実体化してくれたらいい。

あと一回つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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