※ なんか笑えてしまったお雛さま。
平安時代の美男美女。 クリック♪
きょうは土曜研究会。
欠席の電話が2本あったが、それでも18名の参加だった。
10時開始後間もなく、サークルの中の源さんが暴れだす。
Nは伊丹教室で留守だったのだが、子ども達の誰かの低い声に反応してしまったらしい。
サークルから出して欲しい時いつもするように、バサバサと羽を震わせながら激しくジャンプする。
敷き砂がバラバラと舞い散り、みんなビックリした顔で源さんのほうを振り向く。
「だめよ! 源さん」
いちおう言ってはみるが効き目はない。
(オーイ オーイ! はよ来いN~!!) とでも言うように、再びバサバサッとジャンプ。
サークルの真下に座っている島田6級の背中に、パラパラと砂が降りかかる。
再び皆がいっせいに源さんを振り向く。
「コラッ 源さんダメ!! Nは今いないのっ!」
理解したのだろうか。
その後しばらくはムッツリと押し黙ったまま、ジッと皆の姿を見下ろしていた。
そのあとお昼までは順調に時間が経過する。
途中、トイレ使用中の竹内二段が坪井5級に開けられるというハプニングがあった。
12時半にNが帰宅。
カレーが売れてしまったので外食となる。
中山台コープセンターの王将に入り 「冷やし中華」 を注文。
きょうもカンカン照りで、みなウンザリした表情だ。
その後ドライブ。
西谷~三田と抜け、12R (川西篠山線) の古坂峠に入る。
「いい名前だなあ」
間もなくトンネルに差しかかる。
入り口には 『城東トンネル』 と書かれている。
暗く狭いトンネルで息が詰まりそうだ。
‘心霊スポット’ という文字が頭に浮かぶ。
トンネルを抜けると、そこはもう篠山。
右手に何やら立て札が見えたので、停車して車を降りる。
立て札には 『四十九院跡』 とあり、以下のようなエピソードが書かれていた・・・
“明智光秀は、織田信長の命令で、丹波の国八上城を奪い取ろうしました。
天正7(1579)年6月20日、八上城を囲み食べ物と運ぶ道をふさぎ、兵糧攻めにしようと考えました。
ここ数日もすれば兵糧はなくなるので城から二人、三人と逃れて出てくる者があるだろうと監視の目を光らせていました。
ところが、十日たっても二十日たっても、一人も出てきません。
不思議に思った明智軍は八方に探りの手を伸ばし見張っていました。
その時、曽地村の寺々から、山の尾根づたいに兵糧を運ぶ修業僧を見つけ、取り押さえました。
明智光秀は、怒って放火隊をくり出して、まず四十九院に火を放ち福山寺から真如坊、長福寺、池の坊、観音寺と次々に焼いていきました。
何分、民家とちがって寺はどの寺も大屋根ですから、炎は天を焦がし、猛煙が立ち上りました。明智軍は、寺寺から兵糧を運んでいたお坊さんの首を次々にはねて、その場に掘った穴の中へ葬りました。
四百有余年もの昔の出来事ですが、八上城の危機を救おうとしたお坊さんの霊を慰めるため、今も、曽地の人々の手によって、四季の花が供えられ、線香の煙が立ち上っています。
八上城の武士たちは、天正七年八月九日八上城から打って出て、全員戦死しました。しかし、八上城城主秀春の次男甚蔵は乳母に抱きかかえられ味間へ落ちのびました。その後、波多野定吉と名を改め、篠山藩の役人となりました”
立て札のそばには 『仙童窯』 と看板の揚がった民家があり、中からはテレビの音が洩れてくる。
庭先には立派な登り窯があり、すぐ裏手には小さな川が流れていた。
そこから先は 『弥十郎ヶ岳 登山口』 となっており、濃い緑の山がそびえている。
別世界の入り口に立っているような気分になった。
クルマに乗り込みホッとする。
そのまま行くと 「日置」 という場所に入った。
カーナビを見ると、日置小学校のすぐ横手が 『日置のハダ カカヤ』 と出ている。
「なに?! ハダカカヤって」
「さあナンヤロ、降りてみようか」
篠山市立日置小学校の前でクルマを降りる。
狭い校庭に人影はなく、すぐ向かいには 『わかば美容室』 と書かれたパーマ屋さんと電話ボックスがあるだけだ。
どこからか奇妙なメロディーが聞こえてくる。
音のするほうへ歩くと、それは1軒の民家の軒先にぶら下げられた大きな風鈴で、水琴窟のような何とも不思議な音色を奏でていた。
結局 「ハダカカヤ」 の意味は判らぬままクルマに乗る。
その後372Rに変わって間もなく、黄金色に染まる田んぼの延々と続く、いかにも篠山らしい風景が現れる。
道の途中でクルマを停め、Nが田んぼの景色を撮りだした。
私はきょうカメラを家に置き忘れてきてしまったのでツマラナイ。
もうしばらく行くとカーナビに 『般若寺』 の文字が現れ、立ち寄ってみることになった。
見渡す限りの田んぼの中を探すが、それらしきお寺は見つからない。
般若寺というのは、どうもお寺でなく地名のようらしかった。
がっかりしてクルマへ戻る。
青山台ゴルフクラブの看板が建つ107Rを通り過ぎると、すぐ左手に広い川が見え出し、ほどなく 『河原町 妻入商家郡』 へ着いた。
細い通りをそのままクルマで通り抜けるが、観光客の姿はまったく無い。
暑い盛りとは言え、あまりにも寂しい光景だ。
四つ角の駐車場へクルマを停めたあと、以前行ったことのある 『天然酵母のパン屋さん 白殻五粉(しろからごふん)』 へ行く。
食パンが売り切れていたので、店主に勧められるままに、イチジクやオレンジピールの入ったカンパーニュを買う。
「スライスして、霧吹きで水をひと吹きしてから焼いてください。 焼きたてと変わらないオイシサになりますから」
明日の朝が楽しみだ♪
その後、雀荘の廃屋を見たりしながら元来た道を戻る。
六瀬のお稲荷さん脇にクルマを停め、5分ほど仮眠してから帰宅。
家へ着くと橋詰君達と坪井5級が残っていた。
今夜は坪井5級が最後の宿泊。
そばでNが 『犬神家の一族』 を観ているので、ブログがなかなか捗らず苦労した。
おわり
平安時代の美男美女。 クリック♪
きょうは土曜研究会。
欠席の電話が2本あったが、それでも18名の参加だった。
10時開始後間もなく、サークルの中の源さんが暴れだす。
Nは伊丹教室で留守だったのだが、子ども達の誰かの低い声に反応してしまったらしい。
サークルから出して欲しい時いつもするように、バサバサと羽を震わせながら激しくジャンプする。
敷き砂がバラバラと舞い散り、みんなビックリした顔で源さんのほうを振り向く。
「だめよ! 源さん」
いちおう言ってはみるが効き目はない。
(オーイ オーイ! はよ来いN~!!) とでも言うように、再びバサバサッとジャンプ。
サークルの真下に座っている島田6級の背中に、パラパラと砂が降りかかる。
再び皆がいっせいに源さんを振り向く。
「コラッ 源さんダメ!! Nは今いないのっ!」
理解したのだろうか。
その後しばらくはムッツリと押し黙ったまま、ジッと皆の姿を見下ろしていた。
そのあとお昼までは順調に時間が経過する。
途中、トイレ使用中の竹内二段が坪井5級に開けられるというハプニングがあった。
12時半にNが帰宅。
カレーが売れてしまったので外食となる。
中山台コープセンターの王将に入り 「冷やし中華」 を注文。
きょうもカンカン照りで、みなウンザリした表情だ。
その後ドライブ。
西谷~三田と抜け、12R (川西篠山線) の古坂峠に入る。
「いい名前だなあ」
間もなくトンネルに差しかかる。
入り口には 『城東トンネル』 と書かれている。
暗く狭いトンネルで息が詰まりそうだ。
‘心霊スポット’ という文字が頭に浮かぶ。
トンネルを抜けると、そこはもう篠山。
右手に何やら立て札が見えたので、停車して車を降りる。
立て札には 『四十九院跡』 とあり、以下のようなエピソードが書かれていた・・・
“明智光秀は、織田信長の命令で、丹波の国八上城を奪い取ろうしました。
天正7(1579)年6月20日、八上城を囲み食べ物と運ぶ道をふさぎ、兵糧攻めにしようと考えました。
ここ数日もすれば兵糧はなくなるので城から二人、三人と逃れて出てくる者があるだろうと監視の目を光らせていました。
ところが、十日たっても二十日たっても、一人も出てきません。
不思議に思った明智軍は八方に探りの手を伸ばし見張っていました。
その時、曽地村の寺々から、山の尾根づたいに兵糧を運ぶ修業僧を見つけ、取り押さえました。
明智光秀は、怒って放火隊をくり出して、まず四十九院に火を放ち福山寺から真如坊、長福寺、池の坊、観音寺と次々に焼いていきました。
何分、民家とちがって寺はどの寺も大屋根ですから、炎は天を焦がし、猛煙が立ち上りました。明智軍は、寺寺から兵糧を運んでいたお坊さんの首を次々にはねて、その場に掘った穴の中へ葬りました。
四百有余年もの昔の出来事ですが、八上城の危機を救おうとしたお坊さんの霊を慰めるため、今も、曽地の人々の手によって、四季の花が供えられ、線香の煙が立ち上っています。
八上城の武士たちは、天正七年八月九日八上城から打って出て、全員戦死しました。しかし、八上城城主秀春の次男甚蔵は乳母に抱きかかえられ味間へ落ちのびました。その後、波多野定吉と名を改め、篠山藩の役人となりました”
立て札のそばには 『仙童窯』 と看板の揚がった民家があり、中からはテレビの音が洩れてくる。
庭先には立派な登り窯があり、すぐ裏手には小さな川が流れていた。
そこから先は 『弥十郎ヶ岳 登山口』 となっており、濃い緑の山がそびえている。
別世界の入り口に立っているような気分になった。
クルマに乗り込みホッとする。
そのまま行くと 「日置」 という場所に入った。
カーナビを見ると、日置小学校のすぐ横手が 『日置のハダ カカヤ』 と出ている。
「なに?! ハダカカヤって」
「さあナンヤロ、降りてみようか」
篠山市立日置小学校の前でクルマを降りる。
狭い校庭に人影はなく、すぐ向かいには 『わかば美容室』 と書かれたパーマ屋さんと電話ボックスがあるだけだ。
どこからか奇妙なメロディーが聞こえてくる。
音のするほうへ歩くと、それは1軒の民家の軒先にぶら下げられた大きな風鈴で、水琴窟のような何とも不思議な音色を奏でていた。
結局 「ハダカカヤ」 の意味は判らぬままクルマに乗る。
その後372Rに変わって間もなく、黄金色に染まる田んぼの延々と続く、いかにも篠山らしい風景が現れる。
道の途中でクルマを停め、Nが田んぼの景色を撮りだした。
私はきょうカメラを家に置き忘れてきてしまったのでツマラナイ。
もうしばらく行くとカーナビに 『般若寺』 の文字が現れ、立ち寄ってみることになった。
見渡す限りの田んぼの中を探すが、それらしきお寺は見つからない。
般若寺というのは、どうもお寺でなく地名のようらしかった。
がっかりしてクルマへ戻る。
青山台ゴルフクラブの看板が建つ107Rを通り過ぎると、すぐ左手に広い川が見え出し、ほどなく 『河原町 妻入商家郡』 へ着いた。
細い通りをそのままクルマで通り抜けるが、観光客の姿はまったく無い。
暑い盛りとは言え、あまりにも寂しい光景だ。
四つ角の駐車場へクルマを停めたあと、以前行ったことのある 『天然酵母のパン屋さん 白殻五粉(しろからごふん)』 へ行く。
食パンが売り切れていたので、店主に勧められるままに、イチジクやオレンジピールの入ったカンパーニュを買う。
「スライスして、霧吹きで水をひと吹きしてから焼いてください。 焼きたてと変わらないオイシサになりますから」
明日の朝が楽しみだ♪
その後、雀荘の廃屋を見たりしながら元来た道を戻る。
六瀬のお稲荷さん脇にクルマを停め、5分ほど仮眠してから帰宅。
家へ着くと橋詰君達と坪井5級が残っていた。
今夜は坪井5級が最後の宿泊。
そばでNが 『犬神家の一族』 を観ているので、ブログがなかなか捗らず苦労した。
おわり