逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



我家のある洗馬宿は江戸初期に設定された中山道の一部ではなく、最初の数十年間、中山道は桜沢から牛首峠を越え、小野経由、岡谷に抜けていた。歴史同好会で初期中山道を辿る企画があるのだが、あいにくその日は他用があるので、10/4に自転車で巡ってみることにした。
何時もは勝弦から小野、牛首峠、桜沢とサイクリングしているのだが、今日は岡谷に抜ける都合上、逆方向から。国道19号の歩道を走り、桜沢へ。


森の中の急傾斜を登り、桑崎への分岐へ。廃村となった桑崎へは一度行って見たいがいつになるやら?


今日はe-Bikeのグレートジャーニー改なので、10%坂を淡々とのぼっていけば、ほどなく牛首峠。


この峠にも峠を挟んだ若き2人の恋人の悲話があったらしい。


峠からしばらく下ると、前山の一里塚跡。以前は草が刈られていたが、今は荒れ放題。


さらに少し下ると、林が切れ、飯沼の部落の向こうに、小野、勝弦そして蓼科山と眺望が拡がる。


古い飯沼の道祖神。


だいぶ下って、塚原の一里塚跡。


小野の町で、造り酒屋の先で右折して線路を越える。


王城パークラインに沿って、初期中山道の古道が残っている。


いつもの下り道(王城Pライン)とは違う登り道(初期中山道)をたどれば初訪問の色白水。


登りと下り道が一緒になると、脇に本物の一里塚、2つの盛り土がまだ残っている楡沢の一里塚だ。


奇怪な形をした枝垂れ栗。



これもいつもの下りでは見過していた割石。


初期中山道の案内図で王城Pラインを離れ、綺麗な舗装道路から砂利道へ。



ちょっと登ると、小野峠(=三沢峠)に到着。


自転車を置き、急傾斜の斜面を登ること10分で三郡の辻(筑摩郡、諏訪郡、木曽郡の郡境)の展望台到着。


自転車に戻り、砂利道を走り始めるのだが、これが難物。初期中山道とは言え、通る人も稀なのか、道が整備されておらず、流水で大きくえぐられている。


下りなのに、乗車できず、押し歩きして、ようやく難所脱出。自然石の上に頭だけが置かれた石仏の所に出る。


森を抜け、ようやく人家と諏訪湖が見えてきた。

立派な御柱の引き込みが終わり、この秋には立柱が行われるのだろう。


鶴峯公園に向かう太い道から、この神社の所で左折し、細い道に入り、しばらく下ると、三沢の一里塚、片割れのみが残っている。


辰野では初期中山道の宣伝が盛んであるのに、岡谷ではほとんど道筋の表示が無い。辛うじて、この初期中山道の印で、こちらに曲ることが解かる状態。


長野道をくぐるあたりで、初期中山道の痕跡は失われ、あとは現在の道路へ。と初期中山道を辿るサイクリングはここで終わり。岡谷のサンレークで740円ランチ。


たっぷり休憩の後は、交通量の多い塩尻峠を避け、勝弦峠方面へ、岡谷の住宅街を登る。


勝弦峠を越えても、北アルプスは雲の中。


3日前登った霧訪山から見えた、中電の信濃変電所に寄ってみる。遮断器の碍子が異様に長い。


その理由はこれ、50万ボルトの送電線なので、6.4m以上離さないとダメなのだ。


善知鳥峠を越えて、塩尻に下り、新?中山道、桔梗ヶ原の一里塚。


走ったのはこんなコース、50km、獲得標高1100m、電池残3/6,残電圧36V。
初期中山道は下図の青い線の部分。下図クリックで詳細地図へ。

 



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