マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

中畑町春日神社・節句のヒシモチ御供

2020年03月23日 10時11分37秒 | 奈良市(旧五ケ谷村)へ
奈良市の一角。

かつては五カ谷村と呼ばれていた奈良市精華地区。

地区大字に中畑(なかばた)、菩提山(ぼだいせん)、北椿尾(きたつばお)、南椿尾、高樋(たかひ)、虚空蔵(こくぞう)、興隆寺(こうりゅうじ)、米谷(まいたに)の8カ村がある。

天理東ICから入った一般国道25号線。

岩屋バイパスから天理・福住までの行程は急こう配に急カーブ道。

俗にΩカーブと称される急なカーブ道が連続する自動車道。

トラック通行の難しい狭い旧道を走ることもあるが、大字中畑に行くには、名阪国道と交差するICは五カ谷IC/バイパスになる。

中畑の最奥に到達すれば、名阪国道に遭遇するが、国道に入ることはできない。

中畑は42戸の旧村。

上出、向(茶屋)、中垣内(中組)、日浦垣内、雀垣内の5垣内からなる。

氏神さんを祭る春日神社の年中行事を勤める人たちは、上座の4人と下座の4人。

今では集落を上・下に分けた座であるが、かつては特定家で構成する元座・平座であった。



中畑町の春日神社は訪れたことはあるが年中行事を拝見するのは、本日の節句が初めてである。

興味をもったのは、平成27年の1月18日に取材した日浦垣内のとんどのときだった。

とんどの場でお会いしたⅠさんが伝えてくれた春日神社行事の預かり物。

とんど行事よりも先に拝見していた勧請縄かけである。

このときもお会いしたⅠさんが気を利かせて長老に伝えて残してもらったごーさん札が預かり物。

ありがたいことである。



それから3年後に訪れた春日神社の行事は節句。

その節句にヒシモチを供えると聞いたのは平成29年の3月

教えてくださったのは、隣村の米谷(まいたに)・上ノ坊寿福寺住職のTさんだった。

住職はこの日、米谷の白山比咩神社行事の祈年祭に出仕されていた。

是非とも拝見したい中畑の節句ヒシモチ。

祈年祭行事取材を終えて、中畑に向けてすぐさま車を走らせた。

この日は、中畑も同じく祈年祭である。

到着した春日神社にはどなたの姿も見られない。

耳を潜めてみれば社務所内から声が聞こえる。

扉を開けたら祭典を終えた八人衆は直会の最中だった。

玄関口から失礼する自己紹介に取材主旨を伝えたら、来年にお越し、ということだった。

そのような経緯があって、拝見する中畑の節句ヒシモチ。

到着した時間帯は、午前8時50分。



八人衆は、8時半より節句のヒシモチを供えていた、という。



ヒシモチは2段重ねのヨゴミ餅(※ヨモギ餅)。

大が16枚に小も16枚。

ヨゴミ餅の上にのせる丸餅は白餅。

大が8個に小も8個。



供える節句のヒシモチは数多く、春日神社、八坂神社、天忍雲根命神社、大年神社の四社に水神社や火の神、遥拝所と表魂碑(戦没者慰霊碑)もあれば、神殿域の両脇2カ所にある八総神(はっしょうじん)と呼ばれる大石の前にそれぞれ四つずつ供えていた。



八人衆は社務所の縁側に座り寛いだような姿で参拝者を待っていた。

目を離したスキに猫、カラスが御供を盗ってしまうこともあるから、袋を被せているところもあった。



写真に撮るなら外してあげようと優しい配慮をしてくださる。



そうこうしているうちにやってくる参拝者。

手を合わせて拝む各社。

大勢、或いはまとまって参拝されるわけでなく、めいめいの参拝。



一段上の神域に上がる場合は、履物を脱いで参る。

なお、八人衆が神域にあがる場合は、スリッパに履き替えていた。

供えてから1時間後。



八人衆が動いた。



めいめいがそれぞれの社に供えた節句のヒシモチや神饌を下げる。



いわゆる御供下げである。



テキパキと下げる御供のうち節句のヒシモチは社務所に並べていた。

その数は八つ。



八人衆がそれぞれもらって帰る。

かつて村神主の家で作っていた。

その当時のヒシモチの厚みは、今よりもっと薄かったそうだ。

型紙もなく上手に包丁などで切っていた菱の形の餅切り。

ある時代に務めた村神主の発案で、ヒシモチ御供は和菓子屋さんに頼むようになった、という。

ちなみに本日の節句は、神武祭でもある、という。

そう、4月3日は神武天皇のまつりである。

幕末から宮中へ。

旧暦から新暦に改暦される状況下、明治政府によって制定された神武天皇祭が起こりである。

ニュースに取り上げられることもある橿原神社の神武祭でなく、村々で行われている「神武さん(※のレンゾ)」を追っている。

私の知る範囲であるが、神武さん、若しくはレンゾで呼ばれていた地域は24カ所。

親しみを込めて神武さんと呼ぶ地域もあれば、神武天皇祭の呼び名もある。

1. 奈良市山村町(※帯解レンゾ)の御霊神社、2.同市の弘仁寺(※虚空蔵レンゾ)、3.同市米谷の白山比咩神社、4.同市大柳生の夜支布神社、5.同市東鳴川町の春日神社、6.同市都祁小山戸(※かつて23日をレンゾといいヨゴミモチ・キナコ塗したドヤモチ食べた)の都祁山口神社、7.同市都祁来迎寺町の琴平神社(※重箱会食のレンゾ)、8.大和郡山市石川町の八坂神社、9.同市上三橋町の須佐之男神社、10.天理市柳本町の長岳寺(※釜の口レンゾ)、11.同市大和神社(おおやまとレンゾ)、12.同市西井戸堂町の妙観寺、13.同市苣原の惣社九頭神社、14.天理市和爾町北垣内(※神武レンゾ)、15.田原本町多神社(※多レンゾ)、16.斑鳩町の法隆寺(法隆寺レンゾ)、17.葛城市の當麻寺(當麻レンゾ)、18.橿原市の久米寺(※久米レンゾ)、19.桜井市白河の高山神社(※田植え始め十八夜のレンゾ)、20.明日香村尾曽の威徳院(※レンゾ会式)、21.山添村毛原の八阪神社、22.同村腰越・腰越会所内の春日神社、23.吉野町山口の吉野山口神社、24.宇陀市菟田野佐倉の桜実神社(※レンゾの春祭り)もある。

話題は中畑の節句のヒシモチに戻そう。

中畑のように節句のヒシモチを供える地域は極めて少ない。

これもまた私の知る範囲であるが、ここ中畑以外で拝見した地域は山添村の毛原、同村の切幡、宇陀市大宇陀の野依、桜井市の瀧倉、奈良市の都祁南之庄町の5カ村。

もっと多くの地域を調べたら、見つかりそうな気配もするのだが・・・。



御供下げを終えた八人衆は社務所内で直会をされる。

下げたお神酒をいただく会食は仕出し料理屋さんに注文していたオードブル。



「あんたも上がって食べてや」と云われて、ありがたく口にするが、お酒はご法度である。

(H30. 4. 3 EOS7D撮影)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。