マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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大和神社八千弋大神命の御田植祭

2013年05月20日 07時49分12秒 | 天理市へ
かつては旧の正月十日に行われていた大和神社の御田植祭。

八千(代)弋大神命に奉納する御田植祭であると案内される御祭神の御歳大神(みとしのおおかみ)の例祭だそうだ。

奈良大和の各地で行われている予祝行事の一つに挙げられる御田植祭は、にわか仕立ての朝和小・天理南中の子供たちが演技する田植えの所作だ。

神社拝殿前に置かれた御田植祭の諸道具がある。

拝殿には田植えの所作で使われる松苗が奉納されている。

御田植祭の所作が行われる場は前庭。

田んぼに見立てた神田である。

四方に笹竹を立てて区画割りした田んぼがある。

御田植祭を拝見するのは9年ぶり。

当時は区画割りがなかったと思う。

田んぼの畦とされる場にはサカキの木が植えられている。

年々の変化が見られる斎場のようだ。

斎場を囲むように拝見する観光客も年々増えていると聞く。

平日であれば付近の小学校生徒も来ているようだが、この日は日曜日。

子供の姿は少ない。

ドン、ドンと打つ太鼓を合図に始まった田植えの所作。

農夫姿の田主が登場して鍬入れや畦切りの所作をする。

足元は草鞋である。

所作を始める前には御祭神に向かって2礼、2拍手、1礼をする。

麦藁帽子を被った農夫は白衣ではなく紺色だ。

平鍬を担いで四方それぞれに鍬入れ。

田打ちとも呼ばれる鍬初めの儀式であろうか。

一礼をして戻った。

再び太鼓の合図。

今度も登場する農夫は鋤を持つ。

田んぼ周囲を巡って畦を切る。

鋤いた鋤は泥を落とす。

丹念な作法を繰り返して最後に一礼する。

次に登場したのは白衣姿の馬子(まご)だ。

牛役とも演技は子供たちに替った。

荒田の田起こしをする馬子は牛をひき連れて田を起こす農具はカラスキである。

始めに田んぼ周りを周回する。



そうして始まった牛曳きのカラスキ。

荒れた田んぼを起こしていく。

「牛にとっても馬子にとっても力の要る仕事だ」と紹介される。

ちなみに履いているのは草鞋ではなく運動靴だ。

2年前は草鞋であったようだ。

続いて登場したのは平鍬を担いだ白衣姿の農夫。

子供が演じる農夫は鍬で畦を作る。

田んぼの泥土を揚げてはこねる畦コネの所作。

水が漏れない丈夫な畦を作るのである。

畦を作っては鍬で均す。

美しい畦はこうした作業で作られる。

再び登場した子供の農夫。

先ほどと同じく平鍬を担いで、田んぼの畦周りに豆を植える穴を開けていく。

ひと回りして戻った子供の農夫に「畦塗りはこうするんや」と宮総代の指示でやり直す場面も見られたが、見物客から多大な拍手を受けたことに安堵する。

次に登場するのも子供の農夫。

二人揃って出てくる。



先ほど開けた穴に豆を植えていく。

後方の馬子はそこに灰を落とす。

息もぴったり合った二人の所作に微笑ましさを感じる。

豆は田の黒豆だと紹介される。

現実の田んぼでは畦豆を見ることが少なくなっている現在。

畦豆の在り方も含めた所作は摸擬的ではあるが、子供にとっても大人にとっても学習の場だと思った。

再び登場する馬子と牛。



農具はマンガに替って田んぼを均す。

水を張って代掻きをするように見えたがそうではなかった。

かつては牛が耕していた。

平坦では昭和30年半ば辺りから昭和40年代初め頃に順次導入されていった耕運機。

機械化が促進されて牛は田んぼから消えた。
懐かしい風景は今では見られないが農耕儀礼の中で所作される。

最後に登場したのは5人の早乙女たち。

唐櫃に載せていた苗を撒いていた田んぼの苗束。



太鼓の音に合わせて括っていた縄をほどいて一つずつ早苗を植えていく。

苗は稲苗に見立てた摸擬の松苗である。

(H25. 2.10 EOS40D撮影)


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