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マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

夏越しの祓いに食べる水無月

2021年02月16日 09時18分24秒 | 民俗あれこれ
月初めのこの日。

早くもチラシに登場した民俗歳時の一例である夏越しの祓い。

知らず知らずに積もった半年間の身の穢れや罪を祓い、夏後の半年間を無病息災で暮らせるように願う神事がある。

その日に「水無月」と呼ばれる菓子を食べると話してくださった斑鳩町に住む女性。

三角形の水無月は小豆餡を散らした外郎を、どうぞ食べてくださいと口にしたそのお味。

ほどよい甘味が美味しかった。

女性の出身は京都。

生まれ育った地域でごく普通に食べていたというが、私は聞き始め、いや食べ初めだった。

できれば30日に買って食べたい天平庵の水無月。

そう、思っていた6月10日は早くも茅の輪くぐりがはじまる。

京都北山・上賀茂神社で行われる「茅の輪くぐり初め」のニュースを知って食べたくなった。

また、同じ日の10日は京都・伏見稲荷神社で、田舞歌を奏しながら「御田舞」が行われるようだ。

食べたくなればどこへ行く。

もちろんチラシで宣伝していた天平庵



近いところにある大和郡山店に出かけた。

商品棚に大々的に並べているのかと思えば違った。

店員さんにここですと言われて目を落としたショーケースの一角。

4個入り、3個入りのパック詰めが2品。

その程度に、奈良ではまだまだ知られていない水無月だと思った。

眺めていたらもう一人の店員さんが寄ってきたので、一つくださいと伝えた。

パックに入れ替えますので少々お待ちください、と言われたので、そんなん申しわけないからスーパーと同じようにシール貼りでお願いします、と言えば、そういうわけにはいきませんから、とご丁寧な扱いに天平庵とわかる袋に入れてくださった。

1個で申しわけない、と言えば、6月30日は夏越しの祓です。

どうぞ、予約も承っておりますので、と言われたので、それはまたそのときにでも、と言いつつ、実は、京都の上賀茂神社では今日6月10日が「茅の輪くぐり初め」をされるので、買いに来ました、と・・・。

京都の人には馴染みのある茅の輪くぐりに水無月の詞章。

その日に食べる水無月餅。

京都から奈良に嫁いで来られたご婦人に教わったのです、と伝えたらたいそう喜んでくださって、これも縁ですから、ここでお茶の一杯を、と用意してくださった梅抹茶。



冷水で作ってくださったもてなしサービスの梅抹茶の美味しいこと。

梅の主張はそれほどでもなく出汁的なお味に思わず旨い!。

ごくごく飲み干す梅抹茶。

疲れも暑さもぶっ飛ぶほどの美味しさだ。

こんなに美味しい梅抹茶は、価格はいくら(※870円)とPOP表示していたから、同店舗で売っているようだが、天平庵のHPに掲載はない。

通販なども探してみたが見つからない。

店舗売り専用商品かもしれない。

たった1個の水無月餅を早速いただく。

この大きさは実にコンパクト。

お腹にもたれるまでとはいかない大きさが嬉しい。

小豆餡の外郎の二層構造。

見るからに美味しそう。

格式、お構いないしにフォークでちょこっと切って一口。



食べた瞬間に発した声が、あまぁー、である。

思っていたよりも甘い。

特に外郎が甘い。

もっちゃり食感の外郎を二口食べて、これはいかんと思って手を止めた。

ラップに包んで冷蔵庫行き。

甘ったるさを少しでも落としたくてそうした。

それから10日後の21日。

目出度い祝いの贈り物を届けてくれた義兄夫妻。

手土産に選んだ甘いものは・・千寿庵吉宗の水無月だった。

手にしたかーさんが食べてくださいと云ったが、私が買って食べた天平庵の水無月には見向きをしなかった。

買ってくるよと伝えても反応は疎かだったのに、えっ、である。

和菓子の水無月は京都の風習。

奈良では元々その風習がなかったところに和菓子屋さんが提供するようになった。

いつしか宣伝効果も働いてか、購入者も増えているような気がするが、奈良にある夏越しの祓えを存じているのはどれくらいになるだろうか。

それはともかく千寿庵吉宗の水無月の味わいである。



くどくない甘さの水無月餅。

外郎そのものはどちらかといえば甘さを売りにしていないだろうに。

強調もしないしっとり感のある水無月。

小豆餡も落ち着きのある味わい。

これなら私も勧める美味しさ。

どうか夏越しの祓えが行われる6月30日にいただくのがよろしいでおます。

(R1. 6. 1、10、21 SB805SH撮影)

大阪・泉北忠岡港に停泊する漁船の笹竿

2021年01月19日 09時49分56秒 | 民俗あれこれ
93歳になったおふくろの誕生祝いに大阪・堺で食事

花見はもう飽いたから港に行きたいというのでドライブがてらに大阪・泉佐野漁港の青空市場まで。

駐車場から海鮮売り場まで歩くのに3度も休憩。口は元気なんだが・・・。

臨海線のドライブ中に見つけたあれは何???。

往路で見たのは停泊中船舶のてっぺん。

走行中に見たそれはなぜか郷愁・・。

尤も海に親族はいない。

もちろんではないが海に友達もいない。

田んぼなら付近におられる農家の方たちを探してでも知りたい生業農家の営みであるが、海、それも漁港に人がおれば・・。

その漁港は泉北地域の忠岡港(地理的には岸和田より北方)。

臨海線からどう抜けて入り込むのかわかなないが、昔取った杵柄ではないが、30歳前後は度々の波止釣りに行っていた。

行先はだいたいが泉大津に岸和田。

波止で寝ころびながら釣り糸を垂らしていたらガシラが釣れた。

サビキ釣りなら鯖に鯵。

釣った魚は持ち帰り。

今でも覚えている一番の大物。

決して大きな魚でなく中型以下。

引きがまったく違ったその魚はアコウ。

つまりはハタの仲間。

むちゃ美味しかった。

波止に入るには防潮堤がある。

大きな鉄の扉は未だ見たことはないが、高さは相当である。



信号から少し廻ったところから入ったそこに停泊していた。

写真を撮ってから釣り人に聞いたが、正体はわからないという。

漁師さんがおられたらいいのだが、家人を車に乗せたまま放置するわけにもいかずに聞き取りは断念した停泊中の漁船に括りつけた、



枯れた笹葉を残した竹竿である。

いずれも船首に立てていた数隻漁船にあった海の民俗は、まったく知らない。

1年後の令和2年3月3日放映の「南海本線の特急停まらない駅もスゴイぞSP」。

録画していたテレビ番組は関西テレビの「ちゃちゃ入れマンデー」。

放映していた漁港の映像に、ここにもあるんだと驚いたものだ。

漁港に佇む漁師船舶の姿が、忠岡漁港で見た笹竿舟とまったく同じ。

漁港は忠岡から南。

隣町の岸和田漁港の映像であった。

撮影日がわからないから何とも言えないが、是非とも伺ってみたい4艘の“笹竿“立ての民俗である。

その後に調べたネット検索に見つかった「岸和田風物百選」に掲載していた大漁旗とわかった。

元旦の岸和田旧港に見られる大漁旗

今なお受け継がれている乗り初めの習俗である。

海の地方のどこでも見られる大漁旗に岸和田では「武者人形」や「八幡大菩薩」の染め幟旗もあるようだ。

かつての大漁旗は、大漁の印であり、満載の魚を他船に転載してもらうための合図だった、と書いている。

今日は、新造船の船おろしに正月の乗り初めくらい。

笹竹は青々した状態で伐採。

予め準備した笹竹を船首に立て、大漁旗や幟旗を立てる。

年の瀬も迫った寒い日、2尾の生鯛を、鰓から藁を通して懸(かけ)の魚(いお)をつくる

その記述に思い出す旧室生の下笠間でカケダイを作って販売していたM商店。

ご主人が作って販売していたカケダイであるが、身体の都合によって、翌年には店をたたまれた。

話題は岸和田漁民の懸魚(かけいお/かけだいとも)に戻そう。

この懸魚は、一年中の期間に家の神棚に供え、航海と大漁の守り神に、また注連縄にすわり鯛も準備する、と書いてあった。

乗り初めの儀式もある。

雑煮をいただく前、父と子どもは雑煮、米、すわり鯛を御膳箱に詰めて停泊舟に運ぶ。

御膳は、中央の帆柱に坐います船霊(ふなたま)さんに供え、舷(※とりかじ/取舵)にお神酒をあげる。

それから父と子どもは、船霊前に座り、手を合わせて新年の航海安全と大漁を祈願する。

まさに海の民の民俗である。

時間帯はわからないが、一度は拝見したい海の民の民俗。

大漁旗も重要であるが、カケダイもまた興味を惹かれる民俗事例。

大阪湾に沿って点在する漁港がある。

堺漁港から泉州春木漁港、忠岡漁港、泉大津漁港、岸和田漁港、泉佐野漁港・・・。

いずれも大阪に住んでいたときに出かけた馴染みある漁港。



いつか機会を設けて民俗の旅行き。

正月の大漁旗を見るなら正月3日の午前中までとインスタグラムにあった記事を参考に出かけてみよう。

地域は堺から離れるが、伊豆大島ではまた異なる乗り初め大漁旗の民俗がある。

(R1. 5. 2 SB805SH撮影)

倉橋の水口まつりのカヤススキ

2021年01月05日 10時56分40秒 | 民俗あれこれ
吉野町山口に滞在していた時間帯は午前中いっぱい。

樹木に囲まれる神社境内は日陰。

気温の上昇は感じなかったが正午を過ぎたとたんに暑さが厳しくなった。

気象庁の発表によれば前日の21日に続く夏日。

気温は30度に達していた。

正午時間に入っていた時間帯。

吉野町山口の苗代田に、この日の行事である高鉾神社の御田祭に奉った護符はまだ立てることはない。

立てたとしても夕方近くになると判断して場を離れた。

山口から登っていった新鹿路トンネルを抜けたら桜井市の倉橋に出る。

ここでじっくり拝見したい苗代のマツリがある。

往路に見た苗代に何かを立てていた。

その何かを調査するために停車した倉橋。

畑地に車を停められそうな場がある。

田主の家と思って呼び鈴を押してみたが反応はなかった。

さて、その苗代に不思議を見る。

なんと、数本のカヤススキを直立不動のような姿で立てていた。

苗代に存在するカヤススキの情景に不思議を感じる。

この苗代は以前も拝見したことがある。

平成28年5月2日に見た苗代に立てていたのはイロバナだけだったが、カヤススキは初見である。

よくよく見たカヤススキの軸は4本。

家族の人数であろうか。

実は、前日の21日に田主と思われる男性が苗代つくりをしているところを見ていた。

その日は吉野町喜佐谷・桜木神社の春祭りの取材があった。

往路、復路とみに選んだ車道は本日と同じコース。

往路に通った時間帯は午前10時半ころ。

そのときは苗床作業をされていたが、苗代つくりの作業姿を見たのは復路の時間帯。

午後4時半ころだった。

21日は日曜日。

作業のできる休日にされた苗代つくり。

午後4時半以降にカヤススキを立てたようだ。



田主が見つからないから場を離れて帰路に車を走らせた。

カヤススキだけがあった苗代田からほど遠くないところに見た苗代立てのイロバナ。

ここにもあった。

かれこれ何度も通っている桜井と吉野を結ぶ県道37号線。

カヤススキの苗代地から1kmも満たない地にイロバナがある。

Uターンできる場を求めて少し走る。

ここら辺りは何度も取材に来たことがあるから、すぐに判断できるUターンの場。

イロバナは逃げることもないから慌てることもないのだが、なぜか焦る。

と、いうのも通り過ぎた苗代はイロバナ以外に何かを見た。

その正体を早く見たくなる希少なもの。

ここはバス停がある地。

バス停は桜井市のコミュニテイバス路線の倉橋停留所。

車を停めるに相応しくない場。

ちゃっちゃと撮ってすぐに離れるようにしたい。



田園に民家棟が美しいからつい入れたくなる風景。

その向こうは小高い丘のように見える。



苗代そのものは水口から少し離れたところにある。

むしろそれが正しい水口の位置に立てたイロバナに十数本もあるカヤススキ。

萎れた雰囲気のないイロバナ。

たぶんに先ほどに立てた、そう思うくらいに新鮮味のあるイロバナである。

苗代の土手すぐ近くにある白くオヒネリのような形のそれを金銀の水引で括って崩れないようにしている。

半紙に包んで、水引で括るくらいだから、たぶんに御供。

洗米、それとも餅であろうか。

落ち着いて観察するわけにもいかないから映像をとらえたらすぐに場を離れる。

そう思って乗り込んだ愛車。

ドアを閉めたとたんに何かがバタバタと現れた。

黒い物体すぐにわかった野鳥のカラス。

なんと、その御供を外そうとしている。

水引を解いたのかどうかわからなかったが、口に銜えたカラス・・・。

さっと嘴で摘まんでゲット・・・。

直に目撃したのは初めてである。

見事にゲットした盗人カラス。

田主が不在になるまで、屋根の上から見ていたのでは・・・と思った。



苗代田の向こう岸に一旦は着地。



御供は塩梅に解けていなかった。



フロントガラス越しに見ていたカラスの仕業を追跡したいと思って車を降りた。

そろり、そろりとドアを閉める。

音も気配も消すような具合で車から離れてシャッターを切る。



その音でバサバサと飛んでいったカラス。

御供を銜えたまま飛んでいった。

どことなく田主は向かいに建つ家ではなさそうだ。

なぜにわかるのか。

建物の雰囲気でわかった非農家(辻呉服店)である。

そういえば、ここは存じている家がある。

12年前の平成19年の10月14日に行われたマツリ講の当家を務めたHさんである。

その後の平成26年の8月7日である。

昭和32年に発刊した『桜井町史 続 民俗編』に「倉橋のむさいな」行事のことが載っていた。

聞き取りに訪れた家は平成18年9月24日にオカリヤ作りをしていたN家。

若い人よりも経験のありそうな高齢者に、と紹介してくれたH家である。

庭にカンピョウを干していたH家。

その日は8月7日。

お盆の前にしておく仏壇の掃除。

金属製の仏具の磨きにこうしておくとピカピカに輝いてくれるんだ、と嬉しそうな顔で話していた。

「むさいな」行事なら記憶があると思い出され、Hさんが声をかけて集まってくださった2人とともに記憶を語ってもらった「倉橋のむさいな」行事である。

いわば回想法そのものを実施した平成26年の8月14日

お盆真っただ中に回想してもらった3人の記憶を村の記録の日だった。

お盆真っただ中に回想してもらった3人の記憶を村の記録に残す。

“むさいな”とは何だったのか、ほぼ意味がわかった纏め文をマツリ講取材のお返しに提供したことを思い出す。

回想法の場は、崇峻天皇陵のすぐ手前に建つ金福寺だった。

廊下に吊ってあった太鼓を思い出す。

そのHさん、久しぶりに顔を見たくなって表敬訪問した。

庭先に動きがあったので、声をかけたら若嫁さんがお相手してくださった。

Hさんは夕方までは戻ってこないからと話してくださるが、先に伝えてくれたマツリ講のこと。

苗代つくりにイロバナ飾りにカヤススキを立てていたのは地区の人だという。

その人は13年前に取材させてもらったお家。

平成17年の12月3日に拝見した作りたての神饌を拝見したお家。

当家を務めるOさんだった。

そのマツリ講は宮講とも呼ぶ5軒営みの倉橋の座である。

うちの子供もそうであったが、マツリ講を継ぐ意思はなかった。

他家の座中も同じ意思。

若い人は継がなくなったから、と決めたマツリ講の中断である。

前年の秋祭りからマツリ講はオカリヤ造りなどもしなくなった。

深夜に参るいのこ祭とも呼ばれる九頭龍王行事も中断したというから、平成29年が最後になる。

お義父さんのHさんも座中だった。

次世代は継ぐことなくマツリ講行事は中断したが、元気に走り回っているというから、お義母さんも、ですか、と。

カンピョウ干しもされているのだろうと思って聞けば、前年の平成30年4月に亡くなられたという。

今年も庭に咲くように、昨年も大きな花を咲かせた芍薬で思い出す、と。

ずっとカンピョウ干しをしてはったお義母さんの後を継ぐことはなかった。

カンピョウ好きでもないし、朝6時までに収穫して皮剥きするなど、作業がたいへんだから継ぎはしなかったが、プチプチビニールを巻きつけて干したカンピョウがくっつかないように工夫していた竿は一応残している、と見せてくださった。

で、カラスが御供を銜えて飛んでいった苗代つくりのことである。

田主をご存知でしたら、と聞けば、前述したかつて当家を務めたOさんだった。

御供はしていないが、うちもイロバナ飾りにカヤススキを立てているという。

若嫁さんが云うには、嫁入りしてからもずっとしているという苗代の祭り方。

1月15日の小正月。

朝に炊いた小豆粥を食べる箸である。

そこらに生えているカヤススキを採ってきて箸代わりに使う。

一口(二口?)食べて口をつけたカヤススキの箸は神棚や水神さん、臼、仏壇など、9カ所に祭る。

うち数本は、春になるまで雨のかからない屋外の水屋に保存して残しておく。

そのカヤススキは苗代作りを終えてから水口に祭っているという。

うちの苗代田は、道路側でなく、奥に入る。



かつてマツリ講がお渡りに向かう道。

急坂を登っていけば倉橋神社に着く。



その手前にあったH家の水口まつりの場である。

O家と同様にきちっと水口の傍に立てている。

H家のカヤススキ習俗を撮影してから尋ねたO家。

呼び鈴を押したら懐かしいお顔を見せてくれたが、ご本人は私のことを覚えていない。

10年以上も前のことだけに仕方のないことだが、平成19年の10月14日に行われた行事の出発前の記念写真に並んだOさんもNさんもおられるので間違いない。

苗代のカヤススキを教えてもらいたく伺ったと伝えて聞き取りをする。

苗代つくりを終えてイロバナ、カヤススキに御供をおましたのはつい先ほどのこと。

自宅に戻られた直後に私が到着したようで、カラスが持ち去ったことを伝えたら「そうだろ、カラスが見ていたんだ」と話す。

御供の中身は煎り米だった。

カヤススキの本数は3、5、7本のいずれかで特に固定していないが奇数を守っているなどと話してくださったが、Hさんからは「むさいな行事」纏めの件は聞いていない、という。

掲示板に貼ってあった村の行事である「大師祭り」を聞いてみる。

大師祭りは前日の4月21日。

午後の時間帯に金福寺で行われる。

「大師祭り」は毎年の4月21日に行われる大師講の寄合。

かつてはお家の料理を食べていたが今はパック料理・集まる人も少なくなって・・と、いう「大師祭り」であるが、できれば早いうちの来年に取材をお願いした。

ちなみに、最初に見た4本立てのカヤススキの田主は倉橋神社近くに住むUさんがしているはずだという。

これまで取材したことのある小正月のカヤススキ習俗。

小正月にとんど焼きをする地域は多方面に亘るほどに程に多い。

焼けた炭火、或いは火を移した提灯火を持ち帰っておくどさん(竈)の火点けに用いるとんど火。

朝に炊くのが小豆粥。

一口食べる箸の代わりにカヤススキの軸を用いる。

一口つけたカヤススキは荒起こしを済ませた苗代に立てる。

立てる日は小正月の朝であるが、倉橋の事例は苗代つくりを終えたその日に行う春習俗の水口まつりである。

小正月に使った一口喰いのカヤススキは保管しておいて苗代に立てるという事例で思い出すのが、天理市豊井町で発見した小正月の苗代地に立てるカヤススキ

五條市の上之町にも見たことがあるカヤススキ

御所市の佐味でも聞いたカヤススキ

「ずいぶん昔にそんなことしてたなぁ・・」と、高齢者が思い出す小正月の話題であるが、苗代つくりの際に立てるのは倉橋以外にあるのだろうか。

もう一つの事例は京都府南山城町北大河原住む70歳くらいの非農家女性である。

堤防などに自生する穂のあるカヤススキを採取してきて、小正月の朝に、家で炊く豆粥を箸代わりに一口食べると話してくれた。

実は、平成28年4月に初午行事に供えられたハタアメが子どもたちの手に移る地域分布を調べたことがある。

長い期間に亘って伝統を継承していたハタアメ。

子どもたちに配られた地域は相当に広かったが、諸般の事情でハタアメの製造元は平成29年に廃業されたようだ。

その結果、奈良県内の多くの地域に見られたハタアメは一斉に消滅した。

ハタアメ分布を調べていた地域。

ネット調べであるが、「小正月の1月15日の朝はトンドの火で炊いたアズキガユを箸に見立てたススキの茎で食べた。そのススキは苗代の水口に花とともに立てる」と書いていたtとあるブログが見つかった。

想定した地域は下居、若しくは倉橋辺りであろうと判断していた。

今回の発見(※ずっと継承されてきたわけだから、発見といっていいのかどうかは別として)は、まさにその実証ものになっただけに私にとっては大感動ものである。

(H31. 4.22 EOS7D撮影)

鹿路・民家の施餓鬼旗

2020年07月30日 09時41分13秒 | 民俗あれこれ
訪問先は桜井市の鹿路。

3年前に撮らせてもらった写真渡しに訪れた元区長家。

奥さんと母親が話す鹿路の年中行事に、これって何・・・。

玄関前の植栽に見たことのないような・・・串刺しがある。

これは施餓鬼の旗では、と尋ねたらまさにそうであった。

お寺さんに法要してもらって立てた施餓鬼の旗は虫除けのまじない。

思い出したのは山梨出身の送迎患者さんが話していた施餓鬼の虫除けである。

当時83歳の女性が話していた山梨の虫除け民俗の聞き取りを記録していた。

「甲府では施餓鬼の幡を地蔵盆で参った人がダイコンの葉が虫にくわれんようにと畑に立てる。甲府といっても静岡寄りやから幡を立てるかもと。にゃあにゃあ弁は静岡の漁師町のことば。甲府では赤ん坊を“ボコ”と呼ぶ。幡は施餓鬼と同じ色紙を使う。甲府ではひ孫を“ヒコ”と呼ぶ。甲府では山にあるヒノキを伐採してコイノボリの支柱を立てる。嫁の出里からの祝いの品で葉つきでなく羽根車だった。甲府のコイノボリ支柱はヒノキまたはスギだが葉はつけることなく矢車だった。1月13日、団子をくっつけた葉・枝を大黒柱に縛り付ける。1月15日はトンド。枯れたカシワの枝に団子を刺す。1月18日、馬頭観音・山の神に団子1個を挿して供える。18日は風に当たらないようにそれまでに外す。団子は焼いて食べる。1月11日は田打ちで朝にカヤクゴハンを炊いて料理していた。1月18日は山の神さん。団子を供える」と・・・。

山梨県が出里の写真家Kさんもまた施餓鬼の旗は虫除けに、とか言っていたような気がする。

8月18日の施餓鬼、さっそく取材願いを・・・。

お寺さんが来られるのは午前中の朝の早い時間帯。

是非とも伺いたい施餓鬼の民俗。

ふつふつと興味が湧いてくる施餓鬼旗である。

また、鹿路の年中行事もまた興味を惹かれる。

3月15日は涅槃さん。

彼岸の中日さんは現在建て替え工事中の融通念仏宗派鹿路薬師寺で春の彼岸。

4月9日は大阪・平野大念仏来られる大和ご回在。

同月21日はお大師さんに“おつき八日”。

特別気になる“おつき八日”である。

8月19日は、“十八酒”の名がある元服式。

9月2日は、天一神社の大祭。

“かん祭”の名がある。

(H30.12.25 EOS7D撮影)

発掘・全国共通たばこギフト券

2020年07月11日 09時40分40秒 | 民俗あれこれ
我が家の所蔵棚からひらひら落ちてきた。

おっ、金券と思ったが違った。

お札のように通し番号がふってある「全国共通たばこギフト券」だ。

3年と少し前ならマイルドセブンでも交換していただろう。

大病を機にたばこはやめた。

入院する直前まで吸っていた愛用のたばこはまだある。

3本のショートホープが箱ごと残っている。

けじめと思って、これ見ようがしに置いた場所は車のダッシュボード。

視線は落とすが、手はいかない。

戒めに置いた3本の残りたばこ。

さて、「たばこギフト券」の裏面を見れば発行日がある。

「昭和58年5月1日の小売り定価にもとづき発行された」、とある。



交換できるなら金券ショップでも、と思ったが、発行した「関西たばこ商業協同組合連合会」。

調べてみればとっくに解散している。

価値はまったくなく、ただの紙切れ。

時代は現代であるが、金融の歴史を語るギフト券。

いずれ役に立つのでは、と思って、再び保管することにした。

(H30.12.20 SB932SH撮影)

大阪吹田・すいたんの頭から紐付ける民俗

2020年06月06日 09時26分04秒 | 民俗あれこれ
この日は大阪・吹田市にある国立民族学博物館で能勢町・野間出野の獅子舞の実演妙技があった。

翌日の18日は豊中市小曽根住吉神社の獅子舞もあるが、再訪は不可である。

いつかは現地取材してみたい獅子の舞はおいておくとして、博物館前に出合った「すいたん」に興味を覚える。

来訪者に愛嬌を振る舞っていたイメージキャラクターは吹田市の「すいたん」。

「すいたん」は、吹田市名産の“吹田くわい”をモデルにイメージ化したという。

正月料理に欠かせないくわい。



担当者曰く、頭の上にあるのはくわいの芽ということである。

そうか、芽なんだ。ところで、そのくわいの芽を「ヤ」と呼ぶ地域があった。

奈良・明日香村の一部の地域であるが、イノコ行事に地面を打つ藁ヅト内部にくわいのヤを詰めていた地域があった。

入れることによって藁ヅトを打つ音はにぶい音になる。

ドテンコ、ドテンコの音がしていたという人もいたらしい。

(H30.11.17 SB932SH撮影)

長谷町・藤蔓リースにボウサンのシリフキ

2020年05月01日 08時49分24秒 | 民俗あれこれ
極めて貴重な民俗の道具を教えてくださった奥さんの愉しみはリース作り。

草木から作るリースは三つ。

いずれもフジツル(藤蔓)がベースになる。

左右においた二つが基本の作り。

柔らかくしたフジツルをぐるぐる巻いて輪っかにする。

はじめに芯になる部分を数本。

輪っかにした状態に、さらにばらけないように適度な距離をとって周囲に巻いて、止めをする。

造りは簡単なように見えるが、上手にできるようになるまでは一苦労あるようだ。

自宅で栽培しているお花で飾りつけ。

リボンを付けて可愛らしく。

その右手にある枯れた草。

穂をもつこの植物を奥さんは「ボウサンのシリフキ」と呼んでいる。

充てる漢字は「坊さんの尻拭き」であろう。

どこかで聞いたことのある民俗的俗名の「ボウサンのシリフキ」。

本来の名前が思い浮かばない。

その右手は色鮮やかさが落ち着いた状態のホオズキ(※鬼灯)。

これをドライフラワーにした葉脈だけの透かしホオズキもまたリースに取り付けるの、と話してくれた。

(H30. 4.26 EOS7D撮影)

長谷町・カミサンのチャワン/ハチ

2020年04月30日 11時30分43秒 | 民俗あれこれ
田植え作業にサビラキ取材をしていたとき、Tさんの奥さんが話してくれた件である。

実は、といってお話してくださった藁造りの一品。

「茶碗みたいな形の藁造りが一つ残っているねん」という言葉に思わず・・・これは、と思った。

想像した形は藁で作ったもの。

ある部分からぐにゃっと曲げた形。

その部分が茶碗のようになっているなら、アレしかない。

右手を差し出して、こんな感じ。

手で受けるような形のアレでは・・・。

T家は、玄関と裏にある蔵の扉辺りにもアレをぶら下げる。

元日の朝、その手の部分に家族が食べる雑煮の具を少しずつ入れる、というから間違いない。

奥さんはその形からカミサン(※ここでは民俗語彙的にカミサンと表記するが、私的民俗分類では“外の神さん”に位置付ける)のチャワン(※茶碗)と呼んでいる。

カミサンのチャワンに家族が食べる雑煮の具を少しずつ入れる。

お餅、トーフ、ニンジン、ダイコンなどを小さく切った雑煮の端くれを、そのチャワンにおます、というアレを拝見させてもらった。

大急ぎで撮ったものだから、アレはブレブレの映像になってしまった。

田植え作業を終えたTさんに、アレの名前を尋ねたら「ハチ」だ、という。

「ハチは鉢。金魚鉢とか植木鉢の鉢や」と、いっていたことに驚きものの木である。



本来は、元日の朝に炊いた雑煮の余りもの。

細かく切った餅とかダイコン、サトイモ、豆腐も入れる。

場合によれば、ニンジンなどもハチに入れておます。

なお、Tさんの先代になる親父さんもハチと呼んでいたそうだ。

なるほど、どちらも云いえて妙な表現である。

「ハチ」の名前で思い出した資料がある。

平成6年11月に初芝文庫より発刊された『藁綱論―近江におけるジャノセレモニー―』である。

著者は橋本鉄男氏。

「藁」で作る「ジャ」の民間信仰をとらえている書物に「ヤスノゴキ」関連民俗資料一覧がある。

聞きなれない「ヤスノゴキ」とは何ぞえ、である。

書物は、民俗行事取材を丹念に調べ、さまざまな土地に出かけて調査している写真家Kさんが入手したもの。

拝読した『藁綱論―近江におけるジャノセレモニー―』の民俗調査は全国に亘る。

地域特性も一覧でわかる素晴らしい資料である。

さて、「ヤスノゴキ」の一覧表である。

気になるのは奈良県データである。

3地域に同様の形が見られたという調査報告があった。

うち、天理市福住町の井之井にあった苞状形。

ここT家からそれほど遠くない峠を越えた“山田の山間地”の一角にある井之井(※正しくは井之市)。

呼び名は不詳だが、形状は苞状である。

奥さんが云っていたカミサンのチャワンがキーワード。

一覧表を再度調べてみたら、チャワンの呼び名でなく、“カミノハチ”がちらほら登場する地域があった。

群馬県吾妻郡嬉恋町である。

但し書きに「カミノハチといい、木器を用いることがある」と・・。

形状から思い出す類似例が2例ある。

一つは井之市に近い天理市福住町の別所にあった。

二つ目の事例はT家と同じ集落の長谷町である。

三つ目はやや形状が異なるが宇陀市室生の小原にあった。

T家の“カミサンのチャワン”こと、”ハチ”を拝見し、比較検討のためにも、その行為をされる正月2日にお伺いしたく取材許可をお願いした。

ちなみにかつてはサシサバをしていた、というTさん。

親でなく若いもんがサシサバをして、子どもは供えたサシサバを食べていたそうだ。

時季は夏場。

旬のサシサバはそのころに行商がやってきて村に売りに来た。

なぜか村には魚屋が5~6軒もあったにも関わらずサシサバ売りをする行商が来ていた。

サシサバは、お盆における習俗

生きている親を神さんととらえてカラカラに乾いたサシサバを供えた。

作法は正月のイタダキと同じ。

下げたサシサバは家族みなで食べる家族もあれば、T家のように子どもたちだけが食べることもある。作法は家族によって区々である。

(H30. 4.26 EOS7D撮影)

撮影不許可のあじさい祈願

2019年11月27日 09時50分06秒 | 民俗あれこれ
昨年のことである。平成29年6月18日に訪れて取材願を申し出た橿原市久米町にある久米寺

毎年の5月3日に行われる練り供養がある。

平成15年に行われた練り供養を拝見したことがある。

その一こまは、著書の『奈良大和路の年中行事』で紹介させていただいた。

そのお礼に献本させてもらった久米寺にあじさい祈願をしているとわかった。

HPに紹介されているあじさい祈願の内容は紫陽花のことばかり。

“祈願“はどのような形式でされているのか、そのことを知りたくて訪れた前年の6月18日

ほぼ概要がわかったところで、実際に拝見したくお願いしたら、その日にお越しくださいと云われていた。

あいさい祈願の日は境内一面に咲き誇る紫陽花の満開時季に合わせた第三日曜日。

ようやくあじさい祈願を拝見できる、と思って出かけた。

本坊にある呼び鈴を押して訪問した久米寺。

これこれしかじかと用件を伝えた本坊の女性。

どうやら貫主密教門成範のご婦人。

お越しくださいと云われて訪ねました、と伝えたらあっさり不許可が返答。

これはどうしたものか。

10年前に発刊した調書も献本させていただいているのですが・・と言っても記憶にないという婦人。

14、5年前のこと。

住職に続いて副住職が亡くなられた、と話してくださる。

あじさい祈願を営む本堂内は一切撮影禁ズ、だという。

あじさい祈願の祈祷札であろうが、それも撮影禁ズ。

では、本堂の外、外郭から撮らしてもらうことは・・・、とこれもまた禁ズ、である。

撮影禁の理由は、檀家の人が順番に祈祷待ちにいるから屋外も撮影禁じている、ということのようだ。

あじさいに願いを託す祈祷願いの文面も公開ご法度。

では、昨年にご了解いただいたのは・・と聞けば、その僧侶はお寺の住職でなく、違う人だという。

久米寺のあじさい祈願は、10年ほど前からはじめた営み。

そのことは、非公開でもないが、差しさわりのないような文章で表現を、とお願いされた婦人。

紫陽花の花はシンボルでもある多宝塔とともにいくらでも撮って構わないが檀家務めのあじさい祈祷は撮影禁ズ。

されに付け加えられた撮影条件。

紫陽花が咲く多宝塔、本堂を撮っても構いませんが、あじさい祈願に来られている檀家の人たちは撮らないでください、と伝えられた。

(H30. 6.16 SB932SH撮影)

毎年の6月第一日曜日は市内全域実施のクリーンキャンペーン

2019年11月12日 10時36分34秒 | 民俗あれこれ
朝は8時半から始まった毎年の6月第一日曜日に行われている市内全域を対象に実施されるクリーンキャンペーン。

新しく道路が敷設された関係もあって草苅をする処はずいぶんと変化した。

雑草が生えないように敷き詰めた緑色の覆い。

その隙間を狙ってはびこる雑草もある。

油断して、放っておいたらまた元の状態になる。

地域の人と会話をしながらのクリーンキャンペーンは一年に2回。

6月は第一日曜日、11月は第三日曜日。

どちらも行事取材日と重なってしまう。

何回に一回は草苅りに顔をだして、他の日は取材に向かう。

この日の取材地は、朝早く行きたいのではあるが、うーんと悩んで草刈りに顔出しした。

すっきりした地域をみて車を出した時間帯は午前9時半。

間に合うかどうかは別として、「今日もどこかへ行くんか。寂しいけど宴会してるで」と、云われて、後ろ髪に引かれる集めたゴミ袋・・・・。

2日後に行われた地域の講演会。

旭ケ丘集会所の行事解説に来てくださったNさんの話しによれば、Hさんの車のないガレージで宴を開いたそうだ。

宴は続いて2次会。

最近はそういう傾向にあるらしく、場を移動してカラオケ会場で発散していた、と話してくれた。

(H30. 6. 3 SB932SH撮影)