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マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

今井町の民俗・玄関飾る茅の輪

2019年10月20日 21時22分04秒 | 民俗あれこれ
出原眞さんが写真展をしているとFBが伝えていた。

展示会場は橿原市の今井町。

会場所在地はわかったが、教えてもらった今井西環濠駐車場までは歩いて10分ほど。

つい先月の平成30年4月15日に利用できるようになった環濠に黄色い花が咲いていた。

美しいアサザの花だった。

それに魅了されて来た道を戻っていく。

今井町の通りは軽自動車が通れるくらいの道幅。

趣きのある今井町集落に馴染みの人がいる。

今でも暮らしているのか、久しく会っていないから消息不明だったが、FBに突如として出現した名前。

同姓同名の可能性もあるが、メッセンジャーをしたが反応は返ってこなかった。

今井町のどこか、ある筋。

随分前の記憶ではどこの筋であったのか、まったく記憶がないが、ふと目に着いた郵便受け。

名前シールが貼ってあったからわかった彼の住まい。

たしか私より数年下の年齢であるが、定年は満了しているだろう。

ドアを引いてみれば動く。

呼び鈴がない家はそうせざるを得ないドア開け声かけ。

大きな声で何度かしてみたが反応はなかった。

ドアの向こうは奥行きが広い。

間口は一般的だが、奥行きがそうとう向こうになる。

何十年も前に一度訪れたW家。

修築するにも町全体が指定されているから勝手なことはできない。

景観状態を守りつつ、保護もしなければならない伝統的町屋の景観条件が「重要伝統的構造物群保存地区」選定。

平成5年12月8日に文化庁登録(※平成29年11月現在)された今井町は暮らすのも難しく難儀すると云っていたが・・。

彼の住まいする丁は3丁目。

さらに東へ行けば4丁目。



ふと見上げた玄関の表札掲げる輪っかはどこかで見たことのあるようなモノだ。

小型のそのモノは何かの材料で編んだ輪形状。

それに幣を付けている。

貴重な民俗史料になると思って画像記録。



拡大してみれば藁細工ではないことがわかる。

何かの葉っぱ。

・・・カヤの葉ではないだろうか。

そうであれば大阪・能勢町の天王区で拝見した茅の輪と同じである。

飾っていたお家は通りのすべてではなく数軒。

一軒、一軒見てきた軒数は4軒も。



色合い、風合いに手造り感のある茅の輪はずいぶんと年数が経ったと思われる。

崩れ方は経年劣化なのか。

前年なのかその前からずっと掛けているのか。

所有者に聞かなければならないが・・聞取り時間がないから諦めて、写真展会場の「にぎわい邸」に向かう。

さまざまなイベントにギャラリーや癒しの貸しスペースを提供する「にぎわい邸」。

施設は民間であろう。

写真展を見終わっておられた当主と思われる女性に尋ねてみる。

見たこともない形であるが、元会社の知人のW家はご存じだった。

筋違いの棟には伊勢講がある。

講の持ち物を持ちまわる営みは知っているが、この輪っかは見たことがないという。

もし、わかるようであればご一報いただきたく名刺を渡しておいたら、二日後の17日に携帯メールで伝えてくださった。

行事は6月30日に地元今井町の春日神社で行われる夏越の祓いだった。

茅の輪潜りをした参拝者は神事を終えてから、真菰で作られた小型の茅の輪を持ち帰って玄関に掲げるということだった。

ありがたい行事情報によって見立て判断は間違っていなかった。

良ければ行事も拝見したいと伝えたら、どうぞ、である。

またひとつ、奈良県内の民俗を記録させていただける。

ありがたく日程調整した。

ネットでさらに調べた今井町の伝統行事。

7月7日に春日神社で行われる行者講や7月15日の太神宮さん、7月23日・24日の地蔵講もあるとわかった。

今井町はだんじりが出る秋の祭りが有名らしいが、こうしたあまり関心が寄せられない民俗はすごく貴重だと思っている。

機会があれば是非とも取材させていただきたいものだ。

(H30. 5.13 SB932SH撮影)

食前の民俗話題に盛り上がる

2019年09月27日 09時51分49秒 | 民俗あれこれ
中山町の水口まつりの様相を拝見していた時間帯は午後12時半。

田主さんを見送ってようやく昼飯にありつける。

この日は明日香村栗原で取材してきた写真家Kさんと落ち合う。

昨日にやっと見つけた中山町の水口まつり

発端はKさんが伝えてきた明日香村のいずこかの水口まつりの様相である。

鮮明にとらえた様相に、こう撮るべきだと示唆する映像に感動したものだ。

撮った日は平成22年5月11日と知らせてくれた。

某所はどこであるのか記憶にないという水口まつりに松苗がある。

その件について、メールで伝達し合っていた4月14日。

山の辺の道に出かけたKさん。

地元住民が云った台詞は「この辺はけっこうある。連休辺りに来たら、えーで」という言葉だったそうだ。

ちゃんちゃん祭のお旅所と云えば天理市中山町。

苗床はブリキ板で囲っていたと伝えてくれた。

まさか、ここら辺りに苗代を作って、水口まつりがけっこーあるとは、これまでまったく眼中になかっただけにショックを覚えた。

その件は頭の中に想像を張り巡らしていた。

どこにそれがあるのか。

時季になれば、とにかく出かけてみるしかない。

見つかるかどうかは別にして中山町の集落はどこにあるのか、だけでもと思って現地を訪ねてみる。

お旅所に登っていく道がある。

その辺りはないと踏んでいたが、苗床を調えて水を張っていたところがあった。

なるほど、である。

もう少し足を伸ばしてぐるっと周回。

なんと、そこにあった護符にイロバナ。

帰宅してからKさんに電話した。

見つかったときの興奮そのものを報告した。

している場所はわかったが、護符は何時、どこで授かったのか。

これを知らずに、見過ごすわけにはいかない。

そう思ってこの日も出かけた中山町の苗代様相

なんと、場所は思いと違ってはいたが、鳥除け、風除けに紗を被せているときだった。

写真を撮っていいか、承諾を願ったらOKをもらった。

その後も作業していた親父さんに息子さん。

話しているうちに打ち解けたらしくいろんな情報を話してくださる83歳の男性。

ありがたくも家にあるから取りに帰るといって戻ってきた。

そう、護符に松苗である。

詳細は省くが、行事の在り方も聞かせもらって、ほぼ全容が見えてきた。

お見送りはそれからだった。

食事処は満席。

時間待ちの待合室はなんぼほど多いことか。

時期的にどこへ行っても同じだろうと半ばあきらめの境地で互いの報告内容。

Kさんからは5月末は日待ち、6月末はさなぶり、8月末日は八朔日待ちとも呼ぶ風日待ちや秋祭りなど、栗原の年中行事を教えていただいた。

また、聞き取った77歳のTさんの記憶が重要だった。

今では栗原の地では苗代を作ることはないが、Tさんが子どもだったときの記憶に苗代の祭りごとがあったそうだ。

松(※飛鳥坐神社のオンダ祭に奉られる松苗と思われる)にハナと呼んでいたイロバナを立てていた。

さらに、穂のあるカヤ(※カヤススキであろう)も立てた。

しかも、モミダネを撒いたし、お盆に盛ったキリコ(※油で揚げたキリコモチの可能性がある)もあったという。

そのキリコは食べていたというから、焼き米的なものに似ている。

興味ある話題提供にメモをしていた。

また、季節柄のイベントコイノボリがある栢森から隣村の入谷のとんども・・。

私といえば、昨今の現況である。

(H30. 5. 4 SB932SH撮影)

久しぶりの米つき

2019年07月30日 08時14分22秒 | 民俗あれこれ
小林町の行事にいつもお会いする住民が居る。

尤も一人だけでなく、何人もの人たちである。

なかでも親しくしてもらっている女性からはときおりメールが送られてくる。

昨年の9月22日のメールは婦人がとても驚いた白いボール

前年も出現したという白いボールはまるでドッジボール。

大きさもそれぎらいだから、見間違っても仕方がない。

それは見た瞬間にわかったキノコの一種であるオニフスベである。

車を停めて外から眺めていた新福寺本堂。

張り出した枝が通行の邪魔になっていると判断されて若干の枝切りを・・。

赤い幟旗が風に吹かれている情景を撮っていたところにやってきた。

出会うなり、オニフスベのときに言っていたお米である。

収穫できたらメールをすると云っていたが、年が明けてもなかった。

もうないだろうと思っていたら、顔を見たので思い出されたのか、持って帰ってと云われた30kg入りの新米。

一輪車に乗せて車まで運んでくれた。

以前ももらってことがあるお米は精米してから食す。



今回はDCMダイキ駐車場内に設置してある精米機で精米。

村の人たちは、これを米ツキと呼んでいた。



かつては臼で挽いた米ツキ。

それ以前は水車を利用した米ツキ。

現在は一般の人でも利用できる機械精米の米ツキ。



村の女性たちは、精米所にでかけるときにいう言葉・・・「米ツキに行ってくるわ」、である。

そんな言葉を思い出しながら米ツキをする。



今回の設定に約9kgのお米は、白クリーン米に精米。

美味しくいただいている。

(H30. 4. 1 SB932SH撮影)

豊井町・小正月の苗代御供は小豆粥にカヤススキ立て

2019年07月04日 08時59分43秒 | 民俗あれこれ
Oさんが立てると話していた苗代の場が気になって仕方がない。

この日の朝は早起きして出かけた天理市豊井町。

初めて見た日は平成25年の1月19日

その日は同町に鎮座する豊日神社の年頭行事があった。

ケッチンの名で呼ぶ年頭行事の取材に訪れた際にたまたま発見した、というか、目に入った荒起こしの田。

土ばかりの田んぼに立ててあったカヤススキに、いったいこれは何っ、と驚いたものだった。

後日に訪れた際にお会いした田主のOさん。

小正月の朝は、小豆粥を炊いて食べる。

一口、二口、口にする小豆粥を食べる箸に使うのがカヤススキ。

食べてから、そのカヤススキを苗代にする場に立てると話していた。

小正月の日から4日も経過していた状態を撮っていたものの、やはり見たい15日の朝の状態。

翌年の平成26年1月15日に見た苗代の場にあったカヤススキ。

そこにあったお供え物は二つ。

1号枡に盛っていた2品。

小豆粥と手でちぎったような餅片である。

すぐ傍には白い布で包んだお鏡餅も供えていた。

小正月の朝に願う豊作。

その場が苗代。正月明けの11日にする鍬初め(くわはじめ)もまた苗代の場である。

地域によっては初耕式、御鍬立て(おくわたて)の名がある鍬初め(くわはじめ)である。

山添村の毛原や切幡に室生の下笠間に住む人から聞いていた鍬初め(くわはじめ)は農家にとっての仕事始め。

話してくれた人たちは、一様に苗代をする場であると・・。

豊井町のOさんからはその話はなかったが、また見たくなって朝8時過ぎにやってきた。

数年前にも当地に来たことがある。

朝6時半だった。

雨の降る日だったからなのか、いくら待ってもご当人と会えずに諦めて帰ったこともある。

代替わりがあったのか、それとも・・。

気になるほどにまた見たくなる豊井町の苗代場に・・あった一合枡の小豆粥とちぎり餅。

平成26年に拝見したときと同じあり方。



傍にある白い布包みのお鏡餅もまた同じであるが、粉を噴いたような状態。

霜が降りていたことを考えれば、もっと早い時間帯に供えたと思われる。

布包みの隙間から見えたお鏡餅に串柿も・・。

包みを広げるわけにはいかないから写真は撮れない。

その場に立ててあったカヤススキ。

丁度、朝日の光が穂の部分に当たって美しく輝きだした。

撮り位置を替えてまたシャッターを押す豊作願いのかたち。

数えたカヤススキの本数は13本。



数え間違いはないと思う。

以前、お聞きしていたカヤススキの本数は家族人数分。奇数が正しければ13人。

一対の偶数であれば・・。

平成26年のときの本数は16本だったから数え間違い。

偶数と推定したら7人であろう。

出勤、通学に忙しい家族は出かける前に慌ただしく小豆粥を食べているのだろうか。

(H30. 1.15 EOS40D撮影)

シュールな景観

2019年06月22日 08時54分45秒 | 民俗あれこれ
3月に入るまでに済ませておきたいことがある。

向かった先は旧五ケ谷村の米谷(まいたに)。

昨年に行われた稲荷講の初午行事の件である。

今年も同じように初午の日ではなく3月初めの日曜日。

日が迫っている上に、日暮れも迫る夕刻の時間帯。

天理市の岩屋から抜ける旧道を行けば米谷に着く。

そう思って車を走らせた福住に抜ける旧道である。

里道とも思える旧道は狭いうえに、向こうが見えないカーブゾーンの多い道。

あっと思った不思議な景観に思わず急ブレーキを踏む。



安全運転励行に警笛する黄色い小道具で、あった。

これも民俗の一つに揚げておきたい。

(H30. 2.28 SB932SH撮影)

吹田市立博物館に遺されていた思い出の一体型バスユニット

2019年03月09日 09時36分01秒 | 民俗あれこれ
思っても見なかった昭和の生活民俗を映し出された。

平成29年11月24日の金曜日である。

大阪の朝日放送が報じる国民的人気番組の探偵ナイトスクープ!に吹田市立博物館が登場していた。

腰を抜かすぐらいに驚いた。

それを知ったのは、録画していたビデオ映像である。

探偵が依頼されたお題目は「思い出のバスユニット」。

昭和38年に発売された簡易型ほくさんバスオールユニット(北海酸素㈱製)は日本初の一般家庭用のバス。

画期的な一体型バスユニットを探し求める依頼者。

今から54年も前のときに依頼者が体験したバスユニットを探し出すストーリー。

見つかったのは、開館25周年記念秋季特別展「北大阪のまつり―まもりつたえる心―」の展示準備中だったと思われる吹田市立博物館。

常設展示会場前に設えた現代の民俗用具であった。

バスユニットは三世代の型式を展示していた。

依頼者が指さす当時に使っていたバスユニットは昭和40年ころに発売された2代目。

依頼者は保存していた博物館に嘆願する。

昔していた体験をしてみたい。

その答えに窮あしたかどうかわからないが、学芸員の五月女賢司さんが伝えた条件とは・・・。

平成29年11月24日放送の探偵ナイトスクープ!「思い出のバスユニット」編。見逃した・・・。

(H29.11.28 記)

小夫・井戸の神さん

2018年09月29日 09時37分29秒 | 民俗あれこれ
塔参りの日も井戸の神さんを祭ってお供えをした。

正月迎えの注連縄もしている。

大工さんに頼んで井戸に蓋をしてもらったらあまりにも精巧すぎて水が溜まる。

現役に見えそうな釣瓶は今では使っていない。

そう、話してくれた当主はスモモの収穫作業に汗だくになっていた。

(H29. 8. 6 EOS40D撮影)

勝原・まじないの紫陽花

2018年08月05日 10時36分19秒 | 民俗あれこれ
シモの世話にならないように願う婦人の願いを叶えてくださるまじないがあると知ったのは、この年の平成29年2月11日

在所は山添村の勝原。

その日は勝原で行われる子供の涅槃を取材していた。

取材にお世話になったお家がある。

そのお家で用足しを利用させてもらったトイレ内にあった逆さ吊りの紫陽花

家人がいうには毎年の6月26日にしているというまじないである。

6月に「6」の付く日が3回ある。

6日、16日に26日である。

その「6」の付く日に、である。

家のトイレに紫陽花の花を逆さに吊るしておけば、女性特有のシモの病気にかからないと云われている。

紫陽花に霊力が宿るとみなして魔除けになるという習俗である。

なかでも一番の効果があると信ぜられた26日に吊るすと話していた民家に向かう。

まじないをする時間帯は夜遅くなると話していた。

取材許可は得ているが、夜遅くはほんとに申しわけない。

ご主人の仕事帰りは遅くなる。

運動クラブに所属している子供さんも遅くなるし、送迎もある。

そうでなくとも例年はもっと遅い時間帯にしているという、S家は、取材に遅くなっては申しわけないと、早めてくださった。

気持ち早めてもらっても夜は夜。

真っ暗な村の道を歩いて呼び鈴を押した。

待ってくださっていたのはSさんの奥さんに母親だった。

夜遅くに訪問させていただくこと、たいへん恐縮しながらの取材である。

S家の紫陽花のまじないに呪文がある。



願文は「鳥枢沙摩明王 オンクロ ダナウ ウンジャク ランラン」である。

願文は例年同じ。

参照する見本通りに書く願文。

奥さんは奥さんの字。

母親は母親の字でそれぞれに書く。

祭るこの日の日付けに生年月日、並びに氏名を書。

願主の証しである。



二人並んで書いた願文を内側に置いて摘んできたお家の紫陽花を包む。

花束を作るようにくるくる巻いて包む。

金・銀それぞれの水引で茎の部分を括って締める。



紫陽花を包んだ花束は先端を折りたたんで毀れないようにしている。

できあがったら紫陽花包みをトイレに持ち込む。

先にしておくのが一年前に吊った紫陽花包み外し。

取り除いてから新しく作った紫陽花包みを逆さに吊る。



締める際に余らせていた水引でタオル掛けのところに括っておく。

このように紫陽花を逆さに吊るした願かけ。

手を合わせることのない願かけは、いつから当家に伝わるようになったのか。

奥さんの話しによれば、実家の桜井市芝がはじまり。

芝にお住まいの母親が、友達から聞いたシモの世話にならないようにという願掛け。

紫陽花をトイレに吊るすまじないであった。

嫁入りした奥さんは嫁いだS家でもするようになった。

それを知った義母もしたいというようになって今では二人揃ってしているという。



先代から教えられ、学んだ伝承民俗が一般的だと思っていたが、当家の伝承はお嫁さんが持ち込んだ出里の民俗文化である。

義母は、これは良いことだとお嫁さんがしてきたことを受け入れた逆の展開。

嫁、姑間にこだわりのない関係性に感動した夜だったが、面白いことに出里の母親が云った言葉。

「まだしてんのん」である。

実家の母親は継続することはなかったが、嫁入りしたS家で民間信仰を繋いできたこともまた驚きである。

この日の午後に取材させていただいたならまち界隈に住む女性は親戚のおばあさんから、であった。

後日にお会いした宇陀市榛原萩原・小鹿野(おがの)に住む老婦人は、最近になってからご近所の人から聞いてはじめたと云っていた。

伝わるルートは人さまざまである。

地域の行事でもなく、人と人の繋がりで拡散していた紫陽花祈願は、特に奈良に限定されているわけでなく、ネットで調べてみれば各地に存在する。

また、各家ではなく、神社寺行事によって行われているところもある。

ところで願主の二人が願文に揚げた「鳥枢沙摩明王」である。

読みは「うすさまみょうおう」或いは「うすしまみょうおう」。

ネット調べであるが、密教の明王の一尊。

真言宗、天台宗、禅宗、日蓮宗などの諸宗派で信仰されるとあった。

飯島吉晴氏が報告された論考『烏枢沙摩明王と厠神』。

「鳥枢沙摩明王」はトイレの神さまで、「うっさま明王」の名で呼ばれているそうだ。

また、陳甜氏が論考された『ポックリ信仰研究序説:ポックリ信仰の諸相(東北文化研究室紀要)』によれば、「鳥枢沙摩明王」はトイレの神様である。

「不浄を厭わず、不浄な場所に巣食って、諸病災厄の因をなす魔鬼の類を抑える呪力を有するための、厠(かわや)の守護神」である。

ごく普通の一般家庭では、お嫁さんに面倒をかけたくない。

とりわけ、シモの世話にならんように、という願う人は多い。

呪文の「オンクロ ダナウウン ジャク ランラン」は鳥枢沙摩明王のご真言であるが、何故に紫陽花であるのか、また何故に「6」の付く日であるのか、謎は謎のままで終わった。

ちなみに一年間もトイレで守ってくれた古い紫陽花はどうされるのか。

お聞きすれば翌年のとんどで燃やすと話していた。

ちなみに南山城にもこの習俗があるようだが・・

(H29. 6.26 EOS40D撮影)

ならまち界隈・民家の魔除けの紫陽花

2018年08月02日 08時36分12秒 | 民俗あれこれ
6月20日は第7回目の「私がとらえた大和の民俗」写真展の打合せ。

この日で7回目の開催になる会場は奈良県立民俗博物館。

近々に取材する魔除けの紫陽花を学芸員に伝えていた。

見るのも聞くのも初めてである紫陽花の民俗。

つい先だって、あじさい祈願をしていると知った久米寺に訪問

あらかたはわかったが、原点は個人のお家でしているということだった。

その魔除けの紫陽花民俗を取材させていただくお家は山添村の人。

そんな話を学芸員に話したら、実は奈良県立民俗博物館に問い合わせがあったという。

問い合わせした人が拝見した民博ブログにそのことを記載していたというのである。

何日か前にあった県民と思われる人の問合せに、学芸員たちは紫陽花の話題で沸騰したそうだ。

当時にアップした記事の映像。

紫陽花の花を半紙に包んで水引をかけていたという。

その記事があったとはつゆ知らず。

しかも、当時勤めていられたSさんが書いていたというのだ。

今は、もうその記事は削除され、失効しているという。

どんな様子であったのか、詳しく聞いてみたくなった。

Sさんは何年か学芸課に所属していた方。

なにかといろいろ話すことがあった。

気の利くSさんならお話を聞きたい。

そう思って本人に繋いでほしい旨を伝えた。

後日、私宛にメールが送られてきた。

文面はお断りであった。

あじさい祈願をお家でされている母親であった。

ちょっと、という母親。

それもそのはずあじさい祈願をしている場はトイレ。

そこを撮るのはちょっと、ということである。

なら、あじさい祈願をするに至った経緯でも、と伝えたが、それも無理なことであるようだ。

それが、直前になって一転した。

ありがたいことに許可してくださったのだ。

Sさんの声を久しぶりに聴いてほっと安堵した。

お家に伺うのは初めて。



母親にお会いするのも初めて。

気遣いを持参して伺ったならまち界隈の民家である。

車も指定される場所に停めさせてもらった。

Sさんが民博ブログで伝えたあじさい祈願は体験談であった。

あるときに、である。親戚のおばあさんから母親に頼んだこと。

我が家に生えている紫陽花の花を摘んで持ってきて、と云われた。

おばあさんの家に紫陽花を届けに行ったら、紫陽花を逆さに吊るしていた。吊るす場所はトイレである。

おばあさんがしていた逆さ紫陽花吊りは魔除けであった。

それを知ってからはS家でもするようになった、ということだ。

山添村の民家でも同じようなことをしているが、そこはまじないと思われる呪文を書いていた。

ところがS家にはそれが伝わってなく、紫陽花を逆さに吊ることだけが一緒だった。

S家では6月の「6」の付く日に摘んだ紫陽花を半紙に包んで水引で括る。

それをトイレに逆さ吊りする。

紫陽花の花粉は落下するが、花は枯れたまま付いている。

そうして一年間をトイレに祭っていた紫陽花は、翌年に降ろして、また新しく吊っているという。

今年は26日にしようと思っているというから、山添村の民家と同じ日になった。

その日のSさんは仕事の日。

休むわけにもいかないから、直接母親にお会いして撮らせてもらう習俗取材である。



早速はじめてくださった魔除けの紫陽花。

まずは、S家を一年間も守っていた古い紫陽花を下ろして捨てる。

紫陽花を包んでいた半紙は綺麗なままであるが、中身の紫陽花はカラカラに乾いた色落ちの枯れ花である。



次は、摘んできた紫陽花を半紙に包む。

花束を作るような感じで、丸めながら包む。



そして、落ちないように茎の部分に水引をかける。

きっちり括った形は花束そのものである。

それを持ってトイレに吊るす。



逆さに吊るした紫陽花が落ちないように水引で締める。

拝みのない習俗は括り付けて終わった。

元々は斑鳩に住むおばあさんが、ご近所かどこかで聞いてきた習俗。

シモの世話にならないようにと毎年していたと云う。

母親の母親も同じように、みなに世話かけんように、と願って紫陽花を逆さに吊るす。

下世話をかけたくない家族の願いでしているまじないであった。

(H29. 6.26 EOS40D撮影)

久米寺・あじさい祈願の日

2018年07月24日 09時06分59秒 | 民俗あれこれ
6月14日の奈良テレビ放送。

夕方情報番組の「ゆうドキッ!」が伝えていた情報に、えっである。

橿原市にある久米寺で6月第三日曜日に行われる「あじさい祈願」に祈祷された紙で紫陽花を包んで逆さに吊るす場所はどこでしょうか、というクイズであった。

健康を願うそれはどこに吊るすんでしょうか、というクイズである。

答えは、1.台所、2.玄関、3.トイレ から選んでくださいという問題である。

答えはヒントがなくともすぐにわかった「あじさい祈願」の在り方である。

出題者の脇にいた女性タレントは、これわかりますって云っていた。

そのタレントさんは、たまたま訪れた友人女性の家にそれがあったんです、と云うのだ。

テレビが伝える情報に、取材をしたくなった久米寺には公式HPが見当たらないが、「あじさい祈願」を紹介しているサイトがあった。

橿原市観光協会サイトの「さらら」の情報である。

紹介文に「約40種、約3500株の花が咲き、6月の第3日曜日には毎年“あじさい祈願”が行われます。あじさいは、トイレに1輪を逆さにぶら下げると、1年間も病気を妨げるといわれています。あじさい祈願では、その1年間ぶら下げた紫陽花を護摩で焚き、そして新たに祈願したあじさいをもらう行事です(※一部補正した)」とある。

近畿日本鉄道の「観光・おでかけ」ネットに同文が掲示されている。

また、かしはら探訪ナビというネットも第三日曜と開示していた。

さらに、奈良観光.jpにも載っている。

その他にも多数のネットで開催日を紹介している久米寺のあじさい祈願。

あじさい祈願は久米寺の年中行事になっているように思えるのだが、祈願の申し込み方法はどこにも書かれていない。

直接、久米寺に伺ってお願いするのであろうか。

祈願の日はどのようにされているのか、見聞を兼ねて伺った。

到着した時間帯は午後3時過ぎ。

受付におられた婦人に聞けば午後1時からあじさい祈願の供養法要をしていたそうだ。

本堂内で祈願する法会は見ることもできないと云う。

色とりどりに咲く紫陽花回遊園内で入って見るには入園料が要る。



同寺は入山料をとられていないから、境内見学は無料であるが、本堂拝観は有料である。

私が久米寺に来た目的はあじさい祈願の在り方を拝見することである。

あじさい祈願を知ったのは、ご縁があった山添村に住むご家族である。

行事取材に訪れた民家のトイレにあった逆さ吊りの紫陽花
である。

尤も、それより以前に知っていたあじさい祈願は個々のお家でされている習俗行事であった。

お寺さんでされている行事にどのような違いがあるのか。

それを知りたくてやってきた久米寺である。

しばらくは境内を散策していた。

本堂の反対側に庫裏がある。

紫陽花園に咲いていた紫陽花を採って来て、それを祈祷されたお札で包んでいた。

祈祷札、一枚ごとに紫陽花を包む。

包んだ紫陽花は逆さにして庫裏廊下の桟に吊っていた6人の僧侶にお声をかけさせてもらった。

同寺に来て取材を申し出るが、吊っているあじさい祈願の在り方も含めて一切の撮影は不可であった。

祈願した人の名前が書かれているのでご遠慮いただきたいということである。

あじさい祈願について伺った僧侶の話しによれば、吉野町とかの奥吉野の下北山村では、シモの世話にならないよう、或いは中風封じの願掛けに摘んだ紫陽花をトイレに吊るしてきたという。

昔からしていたという風習は村の個々のお家でされてきた。

お家でそうされているなら、本寺でご祈祷させていただければ、ということで始まった。

つまり、個々の家でしていた民間信仰を取り入れて、お寺さんがご祈祷してくださるという行事は、今から10年前に始めたそうだ。

毎年の6月第三日曜日の午後1時。

ご祈祷を受けたい祈願者(※主に檀家)は祈祷料を払って申し込んでいただく。

本堂内でご祈祷される僧侶。

その祈祷されたお札を受ける。

寺に咲いている紫陽花を摘んで、茎にあたる部分にお札を巻き付けて括る。

アジサイの花を広げた状態で、つまり花束のような包む形にする。

できあがったお札で包んだ紫陽花は庫裏廊下の桟に吊るす。

申し込んでいたが、本日のあじさい祈願に参列できなかった人のために作っている。

後日に来られた祈願者はこれを持ち帰って、ご自宅のトイレに吊るす。

それから1年後。一年間をトイレに吊るしていた古いあじさい祈願のお札は久米寺にお返しされる。

女性だけの特有の病いに限らず、男女共、シモの世話にならないようにということだと説明してくださった。

この日の行事は終わっていたが、来年はどうぞお越しくださいと伝えられて寺を離れたが・・・。

あじさい祈願の在り方がほぼわかってきた。

帰宅してから「あじさい祈願」をキーワードにネットを検索してみれば、多くの人たちが事例を紹介していた。

紫陽花を吊るす日は6月中の「6」のつく日にすると書いていたブログがある。

魔除けのあじさい祈願の具体的な方法を伝える“魔除け天神“の若狭野天満神社や神社関係者と思われるブログもある。

「万葉ものがたり」というネットに書いてあったあじさい供養がある。

ラジオ大阪の番組で「木村三恵の万葉ものがたり」を取材していた番組アルバムであった。

番組に出演する人が副住職に伺っていた日は平成15年6月14日。

あじさい供養の祈祷料は3000円と書いてあった。

番組出演者のインタビューに答える副住職が話すあじさい供養は「血圧の関係によってトイレで倒れるとか、また、婦人病で、トイレに支障がある場合が多い。昔から紫陽花をトイレに吊すと、それが防げるということでされております。紫陽花の花は一輪。一枝を逆さにぶら下げることで、1年間、病気が防げる。それも、6のつく日にされたら御利益があるということで、それをあじさい供養の日にさせていただくわけでございます。あじさい供養のときに、1年間ぶらさげた紫陽花をもって来ていただいて、護摩でたいて、また新たに祈願をさせていただいて、お札をまいて、また6のつく日にぶら下げていただくという形で、お寺で1人ずつご祈願をさせていただくわけです」とあった。

また、ある人は玄関に吊るしておくと金が入るというが・・。

(H29. 6.18 EOS40D撮影)