ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「一次愛の地層(バリント)」20240619

2024-06-19 | 参照

 

 

 

──M.バリント『治療論からみた退行』(中井久夫訳、1978年金剛出版)

睡眠に退行性があることは誰も異議を唱えないだろうが、眠る者とは
どんな目標に近づこうとして眠るのだろうという問いはあるべきだろう。
……ある本からの引用を私の答えとする。…フェレンツィの著作である。
その「性交と睡眠」の章の第一段落を引く。

「性交における究極目標と睡眠における究極目標と、この両者の指向する
営為が非常に細部まで似ていることは、私たちがこれまで声を大にして
唱えすぎたくらいで、いまさら両者が生物学的に非常に重要な意味の
適応行動であると言い、両者の相似と差異をもうこれ以上詳細に
反復検討する必要はあるまい。
論文『現実感覚発達の諸段階』において私は新生児のはじめての眠り
──心してまわりの影響から隔離し母や乳母があたたかくむつきでくるんで
あげると成就しやすくなる──を子宮内状態の複製(レプリカ)と述べた。
新生児は、出生という外傷体験に震駭し、泣き、脅えるが、
ほどなくなだめられてこの睡眠の中に入り、この睡眠により新生児には
出生の恐ろしい衝撃がそもそも起こらなかったかのような感じが──
一面では現実的なものを基礎としてまた他面では幻覚的ないし幻想的な
ものを基礎として──生み出される。フロイト(『精神分析入門』)も言うとおり
厳密に言えば人間はまるまるは出生しない。
夜になると床につき人生の半分をいわば母親の子宮内で過ごすことを思えばわかる」

この、〝万事よしという理想状態〟(ideal state of well-being)とは、
第十二章においてとりあげるが、一次愛の究極目標、
いや人間的努力の一切の究極目標であって、それをめざす努力が
初期段階において何らかの重症の障害を受ければ、
それぞれ特異的な基底欠損の成立の糸口になる。

人間的努力の一切の目標は、環界との間に一切を包摂する調和を樹立
──というかむしろ再建──すること、平和裡に愛せるようになることである。
サディズムと憎悪はこの願望と相容れないように見えるが、
攻撃性はおろか時にはむき出しの暴力が用いられても、
また時にそれを楽しむことさえあっても、それはほんとうに願っている
調和の成立に直接先行する諸段階までであって、
調和状態それ自体においてはそういうことはない。
これが私の理論を〝一次愛〟と呼ぶ主な理由である。

 

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